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日本仏教の思想 (講談社現代新書) 新書 – 1995/6/16

4.0 5つ星のうち4.0 7個の評価

この世界は「空」か、「真実の姿」か? 日本仏教は何を求め、伝来(インド・中国)仏教の何を捨てたか? 最澄、空海、法然、道元、日蓮ら知のスーパースターたちの思索を辿り、日本仏教の核心に迫る。

日本仏教は何を問題にしたか――日本仏教の主眼は、世界観の構築にらなかったのである。日本仏教が問題としたのは、感官の対象としての色蘊つまり物質世界が、人間の心的世界にとってどのような価値をもつかということであった。インドの仏教徒にとっては、色蘊は人間の感官の対象にすぎないのであり色蘊にどのような意味が付せられるかはあまり問題とはならなかった。重要なのは、あくまで感受し、意欲を持ち、認識する主体であったからだ。一方、日本仏教にあっては、認識主体の重要性もさることなから、眼前に見ることのできる月や花や雲というすがたの色蘊が、われわれにどのような意味、価値、力を投げかけてくるかということが重要であった。われわれ日本人は、道端に咲く一輪のタンポポを見るとき、その一つの花に宇宙を見てしまう。「その花が、世界の構造の中でどこに位置するのか」などとは問わないのである。――本書より
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商品の説明

著者について

1942年、名古屋生まれ。名古屋大学卒業後、ハーバード大学大学院にてPh.D.取得。名古屋大学教授を経て、現在、国立民族学博物館教授。専攻はインド学、仏教学。文学博士。著書に、『中論の思想』―法蔵館、『西蔵仏教宗義研究』第1・第5巻―(財)東洋文庫―等の他、本新書に『ヨーガの哲学』『はじめてのインド哲学』がある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (1995/6/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1995/6/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 230ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061492543
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061492547
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 7個の評価

著者について

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立川 武蔵
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上位レビュー、対象国: 日本

2020年8月6日に日本でレビュー済み
日本型仏教の大前提ともいえる「諸法実相」(森羅万象が真実の姿である)という考えは、「縁起」(世界に不変の実体はないこと)を前提とする従来の仏教とは、相容れないはずである。それを、日本仏教の祖師たちはどのように融合し、実践したのかを明快かつ簡潔に解き明かしている。この本は、著者の一般向けの作品群の中でも格別にわかりやすいので、他の著作を読む前に、この本を精読することを勧める。

付記:本書で繰り返し使われている「世界の聖化」という表現は、「世界の聖性」という表現にした方がいいように思われる箇所が多々ある。つまり、悟りを開いて変化するのは世界ではなく、人間の意識および世界観であり、それを通して、森羅万象の仏性(聖性)が明らかになっていくというのなら、むしろ「意識の聖化」というべきではないか。著者自身も世界の「聖化」を論じている箇所で、「常住なる如来蔵を煩悩という汚れが覆い隠している・・・が、汚れを取り除くならば、常住なる如来蔵が顕わになる」(97ページ)と述べている(「如来蔵そのものが変化を受けていない」とも、99ページ)。
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レポート
2023年5月19日に日本でレビュー済み
日本の中における主たる仏教宗派の成り立ちと変遷の概要について、各時代ごとに整理したものです。
各宗派を立ち上げた僧、発展させた僧などのよって立つ基盤について著者なりの整理方法で表しています。
著者なりの整理方法がどれだけ適しているかはよくわかりませんが、日本の仏教を俯瞰できることは良い点だと思います。
少なくとも自分の宗派が最も優れていると妄想している人たちの書籍を読むよりは得るものがあったと思います。
また、特定の宗派を学んでいく際に、その宗派に猛進していく際のブレーキにもなる本だと思います。

ただし、あくまでも日本の中の宗教の相違について述べられているものであり、
世界の他の仏教や思想との比較はなされていませんので、この点は読まれる際に留意した方がよいかもしれません。

なお、この著者の主張として他書でも使われている「俗なるもの」「聖なるもの」の区別が私にはよくわかりません。
著者曰く、「俗なるもの」を否定しきって「空」に至ると「俗なるもの」が「空」の視点から「聖なるもの」に見えるようです。
「空」に至ればわかるということなのだと思いますが、仏教を思想として捉えるのであれば、もっと説明が欲しいところです。

2016年読了
2018年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の専門はインド哲学、仏教学。日本仏教の専門家ではない、とあとがきで述べられてますが、まあ専門家でしょう。本書では、インドで生まれた仏教の論理、思想が歴史的にいかに変容してきたか。聖徳太子の昔から明治期の清沢満之、井上円了、鈴木大拙まで。と言っても明治期はほんのさわり。日本仏教が何を重視し、何を切り捨ててきたのか、言い換えれば、功罪、明暗を浮かび上がらせることに主眼が置かれています。その意味では空海がどうの、道元がどうのという単なる仏教史とは一線を画している。華厳や天台教学についてもかなりの紙幅を割いて説明が加えられている。かつて『ダライ・ラマの仏教入門』を読んだ時、空を語り縁起を説くその内容に軽い衝撃を覚えた。日本人のお坊さんがなどが説く仏教入門とは雰囲気も水準もまったく違うと感じたからである。その違いをもたらしたものは何なのか、など考えるうえで本書の内容は示唆に富む。日本仏教の思想と対比する物差しとしてインド哲学や竜樹の『中論』の思想などが引き合いに出されるため、インド哲学の知識が要求される。どうやら本書は『はじめてのインド哲学』とセットとなっている感がある。日本人は中国人の思惟方法を通じて仏教思想を学んだと一般には理解されているが、中国人の哲学的思索を充分に消化してきたわけではない、と著者は述べる。そうではなくインド、チベット、中国、日本のそれぞれの民族の思惟方法の違いを意識しなければならないとする。ほほう、と思った。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年11月3日に日本でレビュー済み
日本化した仏教の特色は、諸法実相すなわち、森羅万象が真実の姿であると捉えたことであるという。例として、われわれ日本人は、道端に咲く一輪のタンポポを見るとき、その一つの花に宇宙を見てしまうとしている。花は花の姿のまま真実の姿を現している。アニミズム・精霊崇拝と近い。仏教の一切衆生、悉有仏性は、一切の衆生・人は、そのままで仏性の現れであるという。その世界は一つのいのちであり、密教では自分自身に他ならないとする。以上から、世界は自己であり、仏教は無我であるが目指すところは同じ教えであると考えられる。著者はインド思想も世界と自己との本来的同一性を軸としているという。近年の非二元も同じ示唆を与えており非常に興味深い。
第2章以降、著者は、日本に仏教が伝来してからの受容と変容の1500年史を大変明確に記述しており、最澄、空海、法然、道元、日蓮らの思索を緻密に追っている。
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