阿部謹也「世間とはなにか」を読みました。
著者はドイツ中世史専門の歴史学者です。
日本には「世間」「ひと」はあるが、西欧のような「社会」「個人」は無いとの視点で「世間」について考察しています。
政治家・財界人などが汚職・スキャンダルで騒動になると「自分は無実だが、世間をお騒がせしたことをお詫びし、責任をとって辞職します。」と言います。
西欧人には通じない理屈であり、理解できない言葉です。西欧人なら自分が無実なら人々が自分の無実を納得するまで主張し、訴えるだけです。
社会とは別物の日本の「世間」とは、自分が属している人間関係・利害関係の枠組みのことです。
汚職・スキャンダルで自分が疑われたことで「自分が属する世間」の人々に迷惑がかかることを恐れて謝罪します。
昨日もトヨタの社長が副社長が麻薬取締違反容疑で逮捕されたことで「世間をお騒がせした。」と謝罪しました。
当の副社長は容疑を否認しています。有罪確定していないのに、まず騒がせたことに対して世間に謝罪しています。
そうしなければ日本では「世間」からバッシングを受けます。
GM、フォードで同様のことがあると社長が記者会見して謝罪するとは思えません。
日本の「世間」、その代弁者のマスコミは、しっかりと「世間DNA」を受け継いでいますね。
「世間」という言葉が最初に使われたのは万葉集です。古今和歌集、源氏物語、今昔物語にも「世間」は使われています。
憶良の貧窮問答歌に見られるように世間は生きにくい厳しいところであるとされます。
「世間」観察が詳しいのが方丈記、徒然草です。醒めた目で世間の事物を記しています。
江戸時代になり貨幣経済の発展とともに西鶴は、金と色と欲で世間を舞台にいきいきと活躍する物語を多く発表します。
心中物では、男女の愛情の妨げになるものとして世間は描かれています。
明治になり世間の怖さを描いたのが藤村の「破戒」です。世間は被差別部落民を差別する側の人間関係の全体でした。
漱石の「坊っちゃん」は、権威主義的で窮屈な世間に対して理屈・正義感で闘う坊っちゃんが人気でした。
「それから」「門」は世間のしきたり、しがらみに抗して愛情を貫く物語として人気でした。
永井荷風は、わがままなエゴイストで、世間に背を向け、好きなことをして一生を送りました。
これを支えてのは受け継いだ遺産と文才で稼いだ金でした。
世捨人で清貧を生きた兼行、西行、良寛、芭蕉、山頭火や世間と距離をおいた漱石、荷風は、今も読み継がれています。
窮屈で煩わしい世間から離れて気ままに生きたいという気持ちを少しでも晴らしてくれるのが、人気持続の原因でしょう。
人気の土壌になっている「世間」が、現在の日本にも厳として存在することが解ります。
「世間」の窮屈さは昔も今も変わってないのは地方の人口減少という人口動態を見ればわかります。若い人が都会へあこがれ故郷を離れるのは長期に渡る傾向です。
地方の「世間」で暮らすには、冠婚葬祭のやり方、お金の使い方、身なり、近所・親戚付き合いの方法まで細かく習慣通りにしないと許されません。
うわさ話をもとに個人の生活を束縛する狭量さがあります。地方で暮らす子供は幼い頃からこれを見ています。高校を卒業したら田舎を出て行きたいとウズウズしています。
都会では他人のあらゆる生き方に対して興味を示さず縛りもしません。
多くの才能の違う人が暮らして、自由に生きています。都会の自由で開放的な空気に、田舎育ちの若者が惹かれるのは当然といえば当然です。
都会は、自由で自律的な生き方を望む人にとっては魅力的です。
地方の人口減は、今のままでは続くと思います。
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「世間」とは何か (講談社現代新書) 新書 – 1995/7/20
阿部 謹也
(著)
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日本人の生きてきた枠組「世間」とは何か。古代から現代まで、日本人の生活を支配し、日本の特異性をつくってきた「世間」の本質とは? ヨーロッパの「社会」を追究してきた歴史家の視点で問い直す。(講談社現代新書)
日本人の生きてきた枠組「世間」とは何か。古代から現代まで、日本人の生活を支配し、日本の特異性をつくってきた「世間」の本質とは? ヨ-ロッパの「社会」を追究してきた歴史家の視点で問い直す。
日本人の生きてきた枠組「世間」とは何か。古代から現代まで、日本人の生活を支配し、日本の特異性をつくってきた「世間」の本質とは? ヨ-ロッパの「社会」を追究してきた歴史家の視点で問い直す。
- ISBN-104061492624
- ISBN-13978-4061492622
- 出版社講談社
- 発売日1995/7/20
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 1.2 x 17.4 cm
- 本の長さ260ページ
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商品の説明
著者について
1935年生まれ。一橋大学経済学部卒業、同大学院社会研究科修了。現在、一橋大学学長。専攻はドイツ中世史。著書に『ハーメルンの笛吹き男』――平凡社、後にちくま文庫所収、『中世を旅する人びと』―平凡社、『西洋中世の愛と人格』―朝日新聞社、『ヨーロッパ中世の宇宙観』―講談社学術文庫―など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1995/7/20)
- 発売日 : 1995/7/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 260ページ
- ISBN-10 : 4061492624
- ISBN-13 : 978-4061492622
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 65,167位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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イメージ付きのレビュー
1 星
一番興味のある部分が最初にきていて息切れ感あり
こちらの本を買われる方は(私も含め)、今の日本の空気を読めという雰囲気だとか、世間について知りたいのだと思う。それについては、序章で全てかかれてしまっていて、後は古典文学からの推察です。ですので、興味のない人には終盤まで読み通せないでしょう。また、世間とは何 か?という筆者の主張を固める根拠が文学のみというのは、根拠として弱いでしょう。そのせいで、共感する部分はあっても説得された部分はありませんでした。同じ様な考えの方に共感される本ではあると思いますが、参考文献としてはかなり微妙です。思想というのは、あくまで共感させねば伝えられないのかもしれませんが、大学の教授ならより多くの人 に同意してもらえるように、より広く深く根拠を提示してほしかった。
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2022年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私自身が、日本「社会」(厳密に言うと、日本の「世間」)への帰属意識を持てない、違和感を持って生きているため、考えるヒントがないかという意味合いで購入。
結論を言うと、一番参考になる内容は序論にあって、本論の文学を用いての考察は、面白みがありませんでした。
思うに、私が知りたかったのは、日本という国がどのように形成されて近代化を受容(※個人的には、日本のムラ文化の土台に西洋のシステムを乗っけただけなので、「受容」はされていない、と考えていますが)して、21世紀を迎えるようになったのか、という、歴史の比較、骨太の教養書に見られる言説の読解、という意味合いのものであり、この本で延々とされている、文学に見出される記載をもってしての考察、というものではなかったようです。
(※そのため、本を読むに当たっては、全く興味のない第2章~第4章は飛ばしました)
確かに、序論においては
西欧では社会というとき、個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできない尊厳をもっているとされており、その個人が集まって社会をつくるとみなされている。したがって個人の意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている最終的な単位として個人があると理解されている。
・私達の人間関係には、呪術的信仰が慣習化された形で奥深く入りこんでおり、その関係を直視しなければ日本人の人間関係は理解できない。
・欧米の社会という言葉は本来個人がつくる社会を意味しており、個人が前提であった。しかしわが国では個人という概念は訳語としてできたものの、その内容は欧米の個人とは似ても似つかないものであった。欧米の意味での個人が生まれていないのに社会という言葉が通用するようになってから、少なくとも文章のうえではあたかも欧米流の社会があるかのような幻想が生まれたのである。
・日本の個人は、世間向きの顔や発言と自分の内面の想いを区別してふるまい、そのような関係の中で個人の外面と内面の双方が形成されているのである。いわば個人は、世間との関係の中で生まれているのである。世間は人間関係の世界である限りでかなり 曖昧 なものであり、その曖昧なものとの関係の中で自己を形成せざるをえない日本の個人は、欧米人からみると、曖昧な存在としてみえるのである。ここに絶対的な神との関係の中で自己を形成することからはじまったヨーロッパの個人との違いがある。わが国には人権という言葉はあるが、その実は言葉だけであって、個々人の真の意味の人権が守られているとは到底いえない状況である。
という鋭い考察がされている(=こういうものこそが、私が深掘りしていきたいテーマそのものなのです)のですが、「それまで」といった感じで、なぜこのような考察がされるのか、ということが本論で全くされていなかったのは、拍子抜けというか、他の専門家の土俵なのかな…と思いました。
日本の内なるものを知るには、外に出て「系の外からの視点」が必要となると私は考えていて、そのためには西洋での社会の成り立ちと、日本の歴史の成り立ちを比較することで考察を深めていくのが一番価値ある手法だと考えているので、この本で実践されているような、「日本の世間の正体を、日本文学を通して考察する」というのは、比較のための視点を持つことができないため、意義あるものではないのではないか、と思いました。
文学的な視点ではなく、社会学的な視点から同じテーマに切り込んでいってもらいたかったですね。
結論を言うと、一番参考になる内容は序論にあって、本論の文学を用いての考察は、面白みがありませんでした。
思うに、私が知りたかったのは、日本という国がどのように形成されて近代化を受容(※個人的には、日本のムラ文化の土台に西洋のシステムを乗っけただけなので、「受容」はされていない、と考えていますが)して、21世紀を迎えるようになったのか、という、歴史の比較、骨太の教養書に見られる言説の読解、という意味合いのものであり、この本で延々とされている、文学に見出される記載をもってしての考察、というものではなかったようです。
(※そのため、本を読むに当たっては、全く興味のない第2章~第4章は飛ばしました)
確かに、序論においては
西欧では社会というとき、個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできない尊厳をもっているとされており、その個人が集まって社会をつくるとみなされている。したがって個人の意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている最終的な単位として個人があると理解されている。
・私達の人間関係には、呪術的信仰が慣習化された形で奥深く入りこんでおり、その関係を直視しなければ日本人の人間関係は理解できない。
・欧米の社会という言葉は本来個人がつくる社会を意味しており、個人が前提であった。しかしわが国では個人という概念は訳語としてできたものの、その内容は欧米の個人とは似ても似つかないものであった。欧米の意味での個人が生まれていないのに社会という言葉が通用するようになってから、少なくとも文章のうえではあたかも欧米流の社会があるかのような幻想が生まれたのである。
・日本の個人は、世間向きの顔や発言と自分の内面の想いを区別してふるまい、そのような関係の中で個人の外面と内面の双方が形成されているのである。いわば個人は、世間との関係の中で生まれているのである。世間は人間関係の世界である限りでかなり 曖昧 なものであり、その曖昧なものとの関係の中で自己を形成せざるをえない日本の個人は、欧米人からみると、曖昧な存在としてみえるのである。ここに絶対的な神との関係の中で自己を形成することからはじまったヨーロッパの個人との違いがある。わが国には人権という言葉はあるが、その実は言葉だけであって、個々人の真の意味の人権が守られているとは到底いえない状況である。
という鋭い考察がされている(=こういうものこそが、私が深掘りしていきたいテーマそのものなのです)のですが、「それまで」といった感じで、なぜこのような考察がされるのか、ということが本論で全くされていなかったのは、拍子抜けというか、他の専門家の土俵なのかな…と思いました。
日本の内なるものを知るには、外に出て「系の外からの視点」が必要となると私は考えていて、そのためには西洋での社会の成り立ちと、日本の歴史の成り立ちを比較することで考察を深めていくのが一番価値ある手法だと考えているので、この本で実践されているような、「日本の世間の正体を、日本文学を通して考察する」というのは、比較のための視点を持つことができないため、意義あるものではないのではないか、と思いました。
文学的な視点ではなく、社会学的な視点から同じテーマに切り込んでいってもらいたかったですね。
2011年6月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近、最も深く感銘を受けた本の一つである。
転職活動が芳しく進まず、焦りと苛立ちの中で本書を読んだ。
すると、自分の心にあったモヤモヤがスーッと晴れていくのを感じた。
まず、「社会」と「世間」について。
「社会(society)」という言葉は、近代化の時代に西欧から輸入し、翻訳されたものである。
神と個別の契約を結んだ「個人」たちが営む集団組織のことを言う。
西洋人たちは長い時間をかけて、こうした「社会」を作り上げてきた。
維新の立役者たちは西欧文明に追いつこうと、様々な学問を持ち帰ってきた中で、
日本にも「社会」という言葉が輸入され、幅を利かすようになったのであった。
日本には「社会」が無かったにもかかわらず。
そこにあるのは「世間」である。
著者曰く、「世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環」である(20〜21ページ)。
日本人にとっては、個人がどの「世間」に加わっているかが重要であって、
それによって、相手との人間関係が決まってくる。
「世間」はある時は強力な保護者になってくれるかもしれないが、
一歩間違えば、個人に対して没個性を強要する権威主義にもなり得る。
本書は、こうした関係の中で自己を形成せざるを得ない日本の個人についての論考である。
古代から兼好法師、親鸞や西鶴、
漱石や荷風を用いながら「世間」における個人を説明する語り口は絶妙である。
特に興味深かったのは、第5章の夏目漱石の項であった。
『坊ちゃん』や『我が輩は猫である』がどうして読み継がれてきたのか。
著者の説明は当たっていると思う。
私はこれらの作品が大好きなので、自分がなぜ漱石文学を愛しているのか、
その理由が分かり、興奮してしまった。
結論を言えば、漱石は「日本の社会の中での個人のあり方」に不満を持っていた。
「世間」の中で「個人がいかに生きるか」が、彼の関心事だったのである(180、188ページ)。
驚いたことに、本書で引用されている箇所は、私が好きでよく読み返す部分ばかりであった。
最後に、著者は「日本人はごく例外的な人を除いて個人であったことはほとんどなかった」と結論し、
個性を出しにくい日本社会を批判している(おわりに)。
この本に出会ったお陰で私は、世間から何を言われようと、自分は自分のままで貫こう決心できた。
生きづらさを抱えている人々に、一つの道筋を与えてくれる本である。
ただ、注意しておきたいのは、「世間」を悪者扱いしてばかりはいられないという点である。
著者のように、欧州の歴史や文化に精通した人物からみれば、
確かに日本人の精神文化はやや閉鎖的に映るかもしれない。
しかし、その一方で伝統的にこうした「ムラ」意識的な考えで行動してきたことが、
我々日本人にもたらした積極的な影響もかなりあるはずだ。
「世間」の良い所が書かれていなかったのが、残念な点である。
鴻上尚史氏が書いた『「空気」と「世間」』(同じく、講談社現代新書)も面白い。
こっちの方が現代的で読みやすい内容になっている。
転職活動が芳しく進まず、焦りと苛立ちの中で本書を読んだ。
すると、自分の心にあったモヤモヤがスーッと晴れていくのを感じた。
まず、「社会」と「世間」について。
「社会(society)」という言葉は、近代化の時代に西欧から輸入し、翻訳されたものである。
神と個別の契約を結んだ「個人」たちが営む集団組織のことを言う。
西洋人たちは長い時間をかけて、こうした「社会」を作り上げてきた。
維新の立役者たちは西欧文明に追いつこうと、様々な学問を持ち帰ってきた中で、
日本にも「社会」という言葉が輸入され、幅を利かすようになったのであった。
日本には「社会」が無かったにもかかわらず。
そこにあるのは「世間」である。
著者曰く、「世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環」である(20〜21ページ)。
日本人にとっては、個人がどの「世間」に加わっているかが重要であって、
それによって、相手との人間関係が決まってくる。
「世間」はある時は強力な保護者になってくれるかもしれないが、
一歩間違えば、個人に対して没個性を強要する権威主義にもなり得る。
本書は、こうした関係の中で自己を形成せざるを得ない日本の個人についての論考である。
古代から兼好法師、親鸞や西鶴、
漱石や荷風を用いながら「世間」における個人を説明する語り口は絶妙である。
特に興味深かったのは、第5章の夏目漱石の項であった。
『坊ちゃん』や『我が輩は猫である』がどうして読み継がれてきたのか。
著者の説明は当たっていると思う。
私はこれらの作品が大好きなので、自分がなぜ漱石文学を愛しているのか、
その理由が分かり、興奮してしまった。
結論を言えば、漱石は「日本の社会の中での個人のあり方」に不満を持っていた。
「世間」の中で「個人がいかに生きるか」が、彼の関心事だったのである(180、188ページ)。
驚いたことに、本書で引用されている箇所は、私が好きでよく読み返す部分ばかりであった。
最後に、著者は「日本人はごく例外的な人を除いて個人であったことはほとんどなかった」と結論し、
個性を出しにくい日本社会を批判している(おわりに)。
この本に出会ったお陰で私は、世間から何を言われようと、自分は自分のままで貫こう決心できた。
生きづらさを抱えている人々に、一つの道筋を与えてくれる本である。
ただ、注意しておきたいのは、「世間」を悪者扱いしてばかりはいられないという点である。
著者のように、欧州の歴史や文化に精通した人物からみれば、
確かに日本人の精神文化はやや閉鎖的に映るかもしれない。
しかし、その一方で伝統的にこうした「ムラ」意識的な考えで行動してきたことが、
我々日本人にもたらした積極的な影響もかなりあるはずだ。
「世間」の良い所が書かれていなかったのが、残念な点である。
鴻上尚史氏が書いた『「空気」と「世間」』(同じく、講談社現代新書)も面白い。
こっちの方が現代的で読みやすい内容になっている。