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じぶんを愛するということ: 私探しと自己愛 (講談社現代新書 1456) 新書 – 1999/6/1
香山 リカ
(著)
本当の〈じぶん〉探しとは何かを率直に説く。多重人格などへの関心、癒しブ-ムなど、90年代的こころの問題の流れの中で見た〈じぶん〉探しとは。自己愛幻想からの解放と〈じぶん〉とのつきあい方を語る。(講談社現代新書)
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1999/6/1
- ISBN-104061494562
- ISBN-13978-4061494565
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商品の説明
著者について
1960年、北海道生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科助教授。執筆を中心にサブカルチャーと精神医学をつなぐ活動を続けている。著書に『リカちゃんコンプレックス』──ハヤカワ文庫、『自転車旅行主義』──ちくま文庫、『テレビゲームと癒し』──岩波書店、『インターネット・マザー』──マガジンハウス──等。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1999/6/1)
- 発売日 : 1999/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 216ページ
- ISBN-10 : 4061494562
- ISBN-13 : 978-4061494565
- Amazon 売れ筋ランキング: - 505,586位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,007位講談社現代新書
- - 19,992位心理学 (本)
- - 25,494位医学・薬学・看護学・歯科学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960年札幌市生まれ。
東京医科大学卒業。精神科医として病院での診察に携わりながら、立教大学現代心理学部映像身体学科教授として教壇にも立つ。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題を鋭く分析し、きめ細かな解決策を提示する。ほかにも、政治・社会批評、サブカルチャー批評、皇室問題から趣味のプロレスに関する批評まで、幅広いジャンルで活躍する。事務所では住み着いたノラ猫1匹、自宅では犬1匹と猫5匹と同居。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年5月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ツイッターで集中攻撃されている香山リカさんのアダルトチルドレン本。女性にやさしく、親身になって書いてくれています。この本を読むと、攻撃に加わる気がなくなります。
2019年12月28日に日本でレビュー済み
2019年126冊目/12月11冊目/『<じぶん>を愛するということ』(講談社現代新書)/香山 リカ/P.216/1999年/★3.7 #読了 #読了2019
緩い内容かと思いきや結構濃い、精神科医・香山リカ氏の本は毎回面白い。99年上梓。同一性拡散症候群や多重人格、シンデレラシンドローム、アダルトチルドレンなど、自らを否定することから始まる症状の根本は、「自分探し」思想と同じだと気づく。現代の「新型うつ」もこれにあたるのだろう。本当の自分なんてものはなく、それは今の自分と地続だ。そういった都合のいい考えを強めると上記の症状に行き着く。また、「素晴らしい私」が見つからなくても他人のせいにしないことだ。市川猿之助もまさに「未来は今日にあり」と言っている。
緩い内容かと思いきや結構濃い、精神科医・香山リカ氏の本は毎回面白い。99年上梓。同一性拡散症候群や多重人格、シンデレラシンドローム、アダルトチルドレンなど、自らを否定することから始まる症状の根本は、「自分探し」思想と同じだと気づく。現代の「新型うつ」もこれにあたるのだろう。本当の自分なんてものはなく、それは今の自分と地続だ。そういった都合のいい考えを強めると上記の症状に行き着く。また、「素晴らしい私」が見つからなくても他人のせいにしないことだ。市川猿之助もまさに「未来は今日にあり」と言っている。
2016年9月20日に日本でレビュー済み
香山さんが今のように変わられたのはなぜなのか私にはわかりませんが、このころのご本は本当に素晴らしいものが多かったです。
病気で悩んでいるときに救ってくれた本だったので今も時々読み返しています。
失礼ながら本来の精神科医として教授としてのお仕事に専念なさることが、今のご自分を救うことになるのではと思ってしまいます。
私も政治や憲法に興味はありますが、一方向に流されないようにあらゆる主張を見比べることにしています。
一日も早く教壇に戻られることを、そして本来のご自身を取り戻されることをお祈りしています。
病気で悩んでいるときに救ってくれた本だったので今も時々読み返しています。
失礼ながら本来の精神科医として教授としてのお仕事に専念なさることが、今のご自分を救うことになるのではと思ってしまいます。
私も政治や憲法に興味はありますが、一方向に流されないようにあらゆる主張を見比べることにしています。
一日も早く教壇に戻られることを、そして本来のご自身を取り戻されることをお祈りしています。
2009年2月14日に日本でレビュー済み
読むべきは後半1/3。主張としては「現代日本人の精神的病理は幼児期の自己愛を満足させられないことに起因するケースが多い」というもので、その件は詳細な分析がなされ読み応えがあります。幼児期の自己愛とは、自己愛を経て成長に至る過程とは、誇大自己を手放せない大人の症例とは、等身大の自己イメージを構築するにはどうしたらよいのか…等々。筆者自ら「"じぶん"迷路」の土俵へと下りてきている点も、好ましく感じます。
ただ前半2/3はバイアスがかかっており、かなり共感できません。注目を浴びた精神病の症例を幾つか挙げ、世の中的にフィーチャーされるに至った背景が述べられるのですが、それが筆者お得意の80'サブカル面(もしくはメディア的仕掛け)からの指摘に留まり、消化不良です。サブカルに限らず、政治・社会・経済情勢の大きな変化はありましたし。それによって人のこころも疲弊しますし荒廃もしますし。単純に精神病理に興味もわきますよ。「精神的疾患に興味がある="特別な自分"病」の公式に沿って論が進みますが、医療の側がそのような態度では、人も社会も病んだままなのでは。
…と、後半までイライラを我慢するのが難しい作品でした。
ただ前半2/3はバイアスがかかっており、かなり共感できません。注目を浴びた精神病の症例を幾つか挙げ、世の中的にフィーチャーされるに至った背景が述べられるのですが、それが筆者お得意の80'サブカル面(もしくはメディア的仕掛け)からの指摘に留まり、消化不良です。サブカルに限らず、政治・社会・経済情勢の大きな変化はありましたし。それによって人のこころも疲弊しますし荒廃もしますし。単純に精神病理に興味もわきますよ。「精神的疾患に興味がある="特別な自分"病」の公式に沿って論が進みますが、医療の側がそのような態度では、人も社会も病んだままなのでは。
…と、後半までイライラを我慢するのが難しい作品でした。
2006年12月12日に日本でレビュー済み
この本は、うすい内容の新書を次々に書き飛ばして商売している最近の香山リカよりは数年前に書かれた、彼女にしては(あくまで香山リカ本の中では)力の入った作品である。
世相を臨床精神科医の視点から分析するという、いつもの彼女のマンネリと化したスタイルとは一味違った一冊となっている。
それは簡単にいうと、香山がめずらしく己の若い頃を振り返って、自分のことを語りだした、という点につきる。
他人の観察ばっかりしている香山がまがりなりにも自分を語ってみた、というところにこの一冊の意味がある。
が、語ってはみたけれど、それは「自らをサブカルチャー世代と総括」する程度のものでしかなかったわけだ。小倉千加子などもそうだが、自らを観察者としてゲームの外に置いている人というのは、自分のことを語ったらとてもつまらない。
小倉ほどでないにしても、香山も立派な「観察者体質」である。職業柄仕方ないのかもしれないが。小倉も香山も「ゲームから降りている」という点で一致している。
何冊かの香山本を読み、TVでの様子から見た私の香山観というのは、「テーブルから水の入ったコップが落ちるのを腕を組んで眺めている人」というものだ。
「落ちそうだな」「ああ、落ちたな」「コップが割れて水がこぼれたな」「コップの破片の形と広がり具合および濡れた床の状況はどのようなものか」「この後片付けはどのようにするべきか」というのが、彼女のいつものスタイルだと思う。
私が香山にうさんくさいものを感じずにはいられないのは、「そんなことやってないで、落ちる前に何かしてみろよ!」と思うタイプの人間だからだ。でも、香山のような人は、「だけど、もしも手を出してしまったら、それが原因でコップがとんでもない方向に飛んでいってしまうかもしれない。もしかしたら、何もしないよりももっと粉々に割れてしまうかもしれない」と考えるのだ。
相容れない。
世相を臨床精神科医の視点から分析するという、いつもの彼女のマンネリと化したスタイルとは一味違った一冊となっている。
それは簡単にいうと、香山がめずらしく己の若い頃を振り返って、自分のことを語りだした、という点につきる。
他人の観察ばっかりしている香山がまがりなりにも自分を語ってみた、というところにこの一冊の意味がある。
が、語ってはみたけれど、それは「自らをサブカルチャー世代と総括」する程度のものでしかなかったわけだ。小倉千加子などもそうだが、自らを観察者としてゲームの外に置いている人というのは、自分のことを語ったらとてもつまらない。
小倉ほどでないにしても、香山も立派な「観察者体質」である。職業柄仕方ないのかもしれないが。小倉も香山も「ゲームから降りている」という点で一致している。
何冊かの香山本を読み、TVでの様子から見た私の香山観というのは、「テーブルから水の入ったコップが落ちるのを腕を組んで眺めている人」というものだ。
「落ちそうだな」「ああ、落ちたな」「コップが割れて水がこぼれたな」「コップの破片の形と広がり具合および濡れた床の状況はどのようなものか」「この後片付けはどのようにするべきか」というのが、彼女のいつものスタイルだと思う。
私が香山にうさんくさいものを感じずにはいられないのは、「そんなことやってないで、落ちる前に何かしてみろよ!」と思うタイプの人間だからだ。でも、香山のような人は、「だけど、もしも手を出してしまったら、それが原因でコップがとんでもない方向に飛んでいってしまうかもしれない。もしかしたら、何もしないよりももっと粉々に割れてしまうかもしれない」と考えるのだ。
相容れない。
2003年9月8日に日本でレビュー済み
社会に蔓延する「私探し現象」の背景を見てゆく。それに対して著者は、
「世の中は自分中心に周っている」と思う幼児期の「誇大自己」をうまく
捨てられない人々が、「どこかにある本当の私」的な「誇大自己」を探す
現象が社会中に広がっている、と回答する。これへの対策として、各論
で「誇大自己」を本当の自己(実態の自己)にマッチさせてゆく方法を
示す。別のところで引きこもりもこのミスマッチーつまりあるべき自分
と現在の自分の差異ーが原因と言っている。以上述べたコフートの「自己
愛的人格」は、精神分析を必要とする人にとって必須理論であると思う。
「世の中は自分中心に周っている」と思う幼児期の「誇大自己」をうまく
捨てられない人々が、「どこかにある本当の私」的な「誇大自己」を探す
現象が社会中に広がっている、と回答する。これへの対策として、各論
で「誇大自己」を本当の自己(実態の自己)にマッチさせてゆく方法を
示す。別のところで引きこもりもこのミスマッチーつまりあるべき自分
と現在の自分の差異ーが原因と言っている。以上述べたコフートの「自己
愛的人格」は、精神分析を必要とする人にとって必須理論であると思う。
2002年8月8日に日本でレビュー済み
テレビで香山リカをよく見ていたのは、1990年代前半だっただろうか。正直言って香山のことはあまり好きではなかった。ミーハーな人だと思っていたし、ラカンがどうのこうのと精神分析の話と関連づけるのも嫌だった。精神分析は科学ではないと思っていたし、精神分析で人が治るとも思っていなかったからだ。この本も精神医学や臨床心理学の知識がない一般人を対象に面白可笑しく書いたものだろう、となめてかかっていたところ、それは思い違いであることに直に気がついた。オウム真理教、連続幼女誘拐殺人事件を起こした宮崎勤、ストーカーなど、世間で話題になった現象の裏にある「背景」をみごとに論理的にまとめあげているではないか。サブカルチャーについての知識も意見も持っていなかった私は、香山の解明にただただ納得するだけであった。この5年ちょっとの間に香山のスタンスは変わったのは確かだ。その辺についても本書の中で香山は自己分析をしている。しかし、10年前に見たテレビでの香山を、香山の全てのように思ってしまっていたことを、ちょっぴり反省し、今は香山に申し訳なく思っている。世間の動向をいち早くキャッチし客観的に捉える能力、深い洞察力はなかなかたいしたものだ、これが今回の一番の発見である。