はじめて天理市を通り過ぎた人は異様な建築群と法被の人々に驚くと思う
この本を読んで、天理市の姿や天理教について従来抱いていた不気味な感じは払しょくされました
また 昔滋賀県の信楽上空をヘリで飛行したときに見つけた不思議な建物の謎も解けました
ただ、この本の題名から多くの読者はなぜ巨大建築が作られるようになったのかという興味本位な
欲求にはストレートに答えていない
大本(教)をはじめ新宗教(マスコミが悪意的にしてしまった新興宗教と言わず新宗教というのはフェアだと思う)が
戦前の国家神道にいかに干渉、弾圧され、その建築様式も国家神道との関係から生まれた経緯を、
戦後の変遷やオウム真理教をはじめとする戦後新宗教も研究することによって、改めて明らかにしたことは
学術的な価値があると思う(専門外なのでよく判らないが、参考文献のタイトルを眺めた限りそう思われる)
この本は学術書ですので(ちくま学芸文庫だし、、) この本については詳しい自著解説がついていますので最初に読むのも手ですね
なぜ新宗教の建築を研究したのか
いかに新宗教の建築を評価するのか
なぜ新宗教の空間研究は少ないのか
アメリカの宗教都市研究はどうなっているのか
どのような天理教の空間研究はあったのか
新宗教の建築研究から何を考えたのか
となっております
この本の評価が平均で三つというのは明らかに低いと思います(2015年11月現在)
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新宗教と巨大建築 (講談社現代新書 1580) 新書 – 2001/12/1
五十嵐 太郎
(著)
「信仰の空間」を解読する!
なぜ前近代の宗教建築は賞賛され、近代以降の教殿はいかがわしいまなざしで見られるのか。天理、大本、金光、PLなどの建築と都市を直視する。
建築史における近代宗教――英雄的な建築家の営みとアヴァンギャルドの連続で語られる近代建築史と、寺社建築を軸に構成される日本建築史の狭間にあって、ほとんど顧みられなかったのが近代の宗教建築である。……
日本の戦後建築は、モダニズムを民主主義のための建築と規定し、宗教的な要素を切り捨てることで出発した。神社が現代建築から撤退し、進歩史観的な建築史が確立するとともに、宗教建築は近代以前のものとして理解される。……
本書の目的は新宗教の空間を考察することになろう。その際、教団の思想から空間の概念を読みとり、いかに現実の空間に反映させたのかを検証する。いずれも19世紀に登場した天理教、金光教、大本教を具体的にとりあげ、さらに戦後の新宗教建築を幾つか概観する。――(本書より)
なぜ前近代の宗教建築は賞賛され、近代以降の教殿はいかがわしいまなざしで見られるのか。天理、大本、金光、PLなどの建築と都市を直視する。
建築史における近代宗教――英雄的な建築家の営みとアヴァンギャルドの連続で語られる近代建築史と、寺社建築を軸に構成される日本建築史の狭間にあって、ほとんど顧みられなかったのが近代の宗教建築である。……
日本の戦後建築は、モダニズムを民主主義のための建築と規定し、宗教的な要素を切り捨てることで出発した。神社が現代建築から撤退し、進歩史観的な建築史が確立するとともに、宗教建築は近代以前のものとして理解される。……
本書の目的は新宗教の空間を考察することになろう。その際、教団の思想から空間の概念を読みとり、いかに現実の空間に反映させたのかを検証する。いずれも19世紀に登場した天理教、金光教、大本教を具体的にとりあげ、さらに戦後の新宗教建築を幾つか概観する。――(本書より)
- 本の長さ233ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2001/12/1
- ISBN-104061495801
- ISBN-13978-4061495807
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商品の説明
著者について
■五十嵐太郎(いがらしたろう)
1967年パリ生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院修了。博士(工学)。日本女子大学、明治学院大学、芝浦工業大学、早稲田大学芸術学校非常勤講師。建築史・建築批評家。著書に『終わりの建築/始まりの建築』、編著に『20世紀建築研究』――以上INAX出版――など。
1967年パリ生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院修了。博士(工学)。日本女子大学、明治学院大学、芝浦工業大学、早稲田大学芸術学校非常勤講師。建築史・建築批評家。著書に『終わりの建築/始まりの建築』、編著に『20世紀建築研究』――以上INAX出版――など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2001/12/1)
- 発売日 : 2001/12/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 233ページ
- ISBN-10 : 4061495801
- ISBN-13 : 978-4061495807
- Amazon 売れ筋ランキング: - 281,680位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 38位その他の新興宗教関連書籍
- - 1,069位宗教入門 (本)
- - 1,550位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
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2015年10月26日に日本でレビュー済み
2021年4月8日に日本でレビュー済み
建築物の写真もまずまず掲載されており、新宗教法人の建築意図がどんなものかが、よくわかります。ただ、どうにも建築物の説明が専門的でくどい。読んでいて嫌になりました。読者を意識していないとしか思えません。あとがきのを読むと著者の博士論文が基になっている様です。これでは、題名からして建物を通じてその宗教法人の特異性が晒し出されることを期待していた読者からしてみれば、物足りません。その部分は付け足しの様な感じしか持てなかったのは、自分だけでしょうか? 期待しただけに惜しい作物になったと言えます。
2006年11月18日に日本でレビュー済み
江戸時代以前の伝統宗教による宗教建築は芸術であり、文化である。
明治時代以降の新宗教による宗教建築はいかがわしい。
そんなステレオタイプが強固に存在すると思う。
神社や寺院も明治以降に建てたり、直したりしたものは多いし、正直「なんじゃこりゃ」「いかがわしい」と思うようなものも多い。
この書は近代建築という視点から新宗教による建造物を捉え直してみようという試みである。
新宗教の代表といえば天理教・大本教・金光教といったあたりであろうか。
まず冒頭に天理教が取り上げられている。質・量とも天理教についてのものが一番である。
他の新宗教の建造物についても天理教との比較が多く言及されている。
天理教は建築や都市計画といった空間プランやこだわりがあり、地上での実現に向けての力を注いでいる。故に論及の対象として適切なのであろう。大本教や金光教のようにあまり場所や建物にこだわりがない宗教となると独自性への論及が弱くなってしまう。
戦前の弾圧や神社・仏閣との共通性や影響関係といった話になってしまっているのは仕方ない部分もあろう。
個別的な話が中心となって宗教、とりわけ新宗教がどのように建築を捉えていたかという所まで踏み込みきれていない印象を持った。そもそも共通点などはないのかもしれないが。
また、それぞれの新宗教の歴史や教義について頁を多く割きすぎているという感もなくはないが、新書という性格上、概説的な部分が含まれるのもやむを得ないのではないか。
戦後の新宗教の章では特に顕著であるが、文章で取り上げるも図版がない建造物がいくつか見られる。実物を見たこともないのでイメージが今ひとつわかない。小さくてもよいので図版の種類がもう少しほしかった。
論述については色々思うところもあるが、新宗教やその建造物についての興味が増したのは確かである。これまではグロテスクとかいった印象しかなかったが、多少は見る目も変わった気がする。天理くらいは一度行ってみようか。
明治時代以降の新宗教による宗教建築はいかがわしい。
そんなステレオタイプが強固に存在すると思う。
神社や寺院も明治以降に建てたり、直したりしたものは多いし、正直「なんじゃこりゃ」「いかがわしい」と思うようなものも多い。
この書は近代建築という視点から新宗教による建造物を捉え直してみようという試みである。
新宗教の代表といえば天理教・大本教・金光教といったあたりであろうか。
まず冒頭に天理教が取り上げられている。質・量とも天理教についてのものが一番である。
他の新宗教の建造物についても天理教との比較が多く言及されている。
天理教は建築や都市計画といった空間プランやこだわりがあり、地上での実現に向けての力を注いでいる。故に論及の対象として適切なのであろう。大本教や金光教のようにあまり場所や建物にこだわりがない宗教となると独自性への論及が弱くなってしまう。
戦前の弾圧や神社・仏閣との共通性や影響関係といった話になってしまっているのは仕方ない部分もあろう。
個別的な話が中心となって宗教、とりわけ新宗教がどのように建築を捉えていたかという所まで踏み込みきれていない印象を持った。そもそも共通点などはないのかもしれないが。
また、それぞれの新宗教の歴史や教義について頁を多く割きすぎているという感もなくはないが、新書という性格上、概説的な部分が含まれるのもやむを得ないのではないか。
戦後の新宗教の章では特に顕著であるが、文章で取り上げるも図版がない建造物がいくつか見られる。実物を見たこともないのでイメージが今ひとつわかない。小さくてもよいので図版の種類がもう少しほしかった。
論述については色々思うところもあるが、新宗教やその建造物についての興味が増したのは確かである。これまではグロテスクとかいった印象しかなかったが、多少は見る目も変わった気がする。天理くらいは一度行ってみようか。
2003年10月8日に日本でレビュー済み
表紙には異様な建造物のイラスト(PLの塔、世界真光文明教団と天理の神殿)があり、いやでも期待が高まる。こんなけったいなモノを作ってしまった、作らせてしまった情念とは一体何なのか???
しかし本書はそうしたワクワク感にダイレクトに応えてはくれない。じっくりとその教団の歴史を語ってしまう(まず天理の教団史が長い)。続いて金光と大本、それから黒住・創価・PL・真光などなど勉強になるんだけど、肝心の巨大建築を見た第一印象「うっわー」という驚きは放置されたまま。アートなんだかトンデモなんだかバカ建築なんだかわからんが、凄い圧力のオーラを放っている巨大建築写真が一杯あるのにもったいない。
建築を語るってこんな退屈なものじゃないと思うんだが。
しかし本書はそうしたワクワク感にダイレクトに応えてはくれない。じっくりとその教団の歴史を語ってしまう(まず天理の教団史が長い)。続いて金光と大本、それから黒住・創価・PL・真光などなど勉強になるんだけど、肝心の巨大建築を見た第一印象「うっわー」という驚きは放置されたまま。アートなんだかトンデモなんだかバカ建築なんだかわからんが、凄い圧力のオーラを放っている巨大建築写真が一杯あるのにもったいない。
建築を語るってこんな退屈なものじゃないと思うんだが。
2014年12月31日に日本でレビュー済み
いつも琵琶湖ウオーキングをしていると草津の近くで、不思議な建物を目にします。多くのバスが止まっていますが、ウオーキングに熱中しているためでしょうか、それとも先入観のためでしょうか、私を含めてほとんどの人々が気にすることもなくあっという間に通り過ぎてしまいます。この作品を読んでみて、一度じっくり見てみようかなという気になりました。
著者の視角は非常にユニークです。海外旅行に行けば欧州だけでなく南アジアでも世界遺産として様々な宗教建築をめぐるにもかかわらず、新宗教になってしまうとおよそ視角には入らないしまともな議論の対象にはならないという矛盾は、いわれてみればその通りです。著者は決して対象とする新宗教にのめりことなく、一方でそれぞれの教義のモティーフを簡潔に抽出し、そしてそこで生み出された巨大建築が持つ固有のロジックを突き止めようとする作業を進めていきます。ただ建築の持つ技術的な側面への知識がないと著者の議論を十分に味わうことは難しいのかなという側面も存在します。
いくつもの新宗教が取り上げられますがやはり天理教を扱った部分が一番充実しています。何十年もの時間をかけて生み出された天理市という宗教都市は著者の問題関心に一番こたえてくれる題材だったようです。様々な側面からこの町の形成とそこで建築物が占める行く割とその建設の歴史が丁寧にフォローされていきます。
著者の関心は大本教にも向いているようですが、戦前の大本教の建築物は根こそぎ破壊されており、著者の描写も国家権力による破壊の歴史とその破壊の徹底性にかなりスペースがさかれています。それ以外にもさまざまな新宗教の建築物が取り上げられていますが、スペースの限界でしょうか、駆け足になってしまったようです。残念なのは写真があまり含まれていない点でしょうか、それなりに図版は載せられていますが、やはりわかりやすい視覚的な補助がないとこのテーマでの議論を十分に味わうことは難しいようです。
著者の視角は非常にユニークです。海外旅行に行けば欧州だけでなく南アジアでも世界遺産として様々な宗教建築をめぐるにもかかわらず、新宗教になってしまうとおよそ視角には入らないしまともな議論の対象にはならないという矛盾は、いわれてみればその通りです。著者は決して対象とする新宗教にのめりことなく、一方でそれぞれの教義のモティーフを簡潔に抽出し、そしてそこで生み出された巨大建築が持つ固有のロジックを突き止めようとする作業を進めていきます。ただ建築の持つ技術的な側面への知識がないと著者の議論を十分に味わうことは難しいのかなという側面も存在します。
いくつもの新宗教が取り上げられますがやはり天理教を扱った部分が一番充実しています。何十年もの時間をかけて生み出された天理市という宗教都市は著者の問題関心に一番こたえてくれる題材だったようです。様々な側面からこの町の形成とそこで建築物が占める行く割とその建設の歴史が丁寧にフォローされていきます。
著者の関心は大本教にも向いているようですが、戦前の大本教の建築物は根こそぎ破壊されており、著者の描写も国家権力による破壊の歴史とその破壊の徹底性にかなりスペースがさかれています。それ以外にもさまざまな新宗教の建築物が取り上げられていますが、スペースの限界でしょうか、駆け足になってしまったようです。残念なのは写真があまり含まれていない点でしょうか、それなりに図版は載せられていますが、やはりわかりやすい視覚的な補助がないとこのテーマでの議論を十分に味わうことは難しいようです。
2005年7月25日に日本でレビュー済み
おもしろい読み物を期待してると損します。ご注意。
しかし論点の鋭さや、これまで未開拓の領域という意味で、
建築学的にも都市学的にも宗教学的にも学術的価値の高い著作。
文章に関して、「読ませる」感じがないのはしょうがない。
なぜなら本作は著者が東大博士号請求論文として書き上げたものを
ちょっと修正した程度のものだからだ。
文の未熟な点が見受けられるのは、まぁ当然。
っていうか在学時にこの内容書いたのかよ!ってそこでひたすら驚く。
気鋭の建築史家として建築界ではちょっとしたカリスマ。
今後のさらなる鋭い発言に期待したい。
しかし論点の鋭さや、これまで未開拓の領域という意味で、
建築学的にも都市学的にも宗教学的にも学術的価値の高い著作。
文章に関して、「読ませる」感じがないのはしょうがない。
なぜなら本作は著者が東大博士号請求論文として書き上げたものを
ちょっと修正した程度のものだからだ。
文の未熟な点が見受けられるのは、まぁ当然。
っていうか在学時にこの内容書いたのかよ!ってそこでひたすら驚く。
気鋭の建築史家として建築界ではちょっとしたカリスマ。
今後のさらなる鋭い発言に期待したい。
2002年7月13日に日本でレビュー済み
新興宗教の建築を近代建築の批評的な視点で解体してみせようとする試みは学術的な建築論にはないものであり、面白い。ただし、オウム真理教のサティアンを建築として認めないという地点から出発しているために、全体は新興宗教の巨大建築を純粋に建築として評価しつつ、各宗教についての底の浅い批評を加えるという混乱した構造になってしまっている。ただし、予言の成就の姿として新興宗教による建築をとらえるという視点は面白かった。より慎重な取材と執筆がなされればよりよくなったと思われる。
2005年4月13日に日本でレビュー済み
新宗教と巨大建築 という題名を見ただけで、もーわくわくしてきて購入した。
しかし読みながら、なんでこんなにつまらないのだろう??と自問自答してしまった。せっかく買ったのだからと最後までよんだが、近代日本に発生した新宗教の、それぞれの成り立ちや歴史について費やされてる部分があまりにも多く眠気をよそう。しかもこの個々の宗教の歴史の部分はなんだかパンフレットからそのまま抜粋したような印象をもってしまうほど味気ない。
この本には、日本の新宗教とその空間、みたいな題名のほうが向いている。なぜならよみすすめても、巨大建築のそれが全く見えてこないのだ。
しかも、天理教の部分は読み応えがあるが、その他の宗教はおまけという感じ。海外の宗教にも目をむけ巨大建築に的を絞った一冊をよんでみたい。
おもしろいスタディーだけに残念。
しかし読みながら、なんでこんなにつまらないのだろう??と自問自答してしまった。せっかく買ったのだからと最後までよんだが、近代日本に発生した新宗教の、それぞれの成り立ちや歴史について費やされてる部分があまりにも多く眠気をよそう。しかもこの個々の宗教の歴史の部分はなんだかパンフレットからそのまま抜粋したような印象をもってしまうほど味気ない。
この本には、日本の新宗教とその空間、みたいな題名のほうが向いている。なぜならよみすすめても、巨大建築のそれが全く見えてこないのだ。
しかも、天理教の部分は読み応えがあるが、その他の宗教はおまけという感じ。海外の宗教にも目をむけ巨大建築に的を絞った一冊をよんでみたい。
おもしろいスタディーだけに残念。