本書のタイトルは『一神教の誕生』となっていますが、サブタイトルの「ユダヤ教からキリスト教へ」にある通り、一神教について全般的に議論しているものではなく、イスラム教については触れられていません。それは著者が聖書学者であることから当然のことと思われます。
本書は、民族宗教であったユダヤ教が、バビロン捕囚などの歴史的な試練の中で、どうして一神教化していったか、またその結果生まれた神殿主義的・律法主義的なユダヤ教の限界に対して、どのようにキリスト教が誕生してきたのかを神学的に(神と人との関係に関する哲学的な考察によって)説明しようとするものです。筆者の論理を図で示したところも多く、神学的議論は理解しやすいと思います。
ただ、著者は、ナザレのイエスを神格化した、現在の教会とキリスト教のあり方に極めて批判的であり、正統的なキリスト教信仰の立場からは受け入れ難いところもあります。神格化される前の人間としてのイエスには肯定的ですが、著者にイエスに対する信仰があるかどうかはわかりませんでした。
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一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書) 新書 – 2002/5/20
加藤 隆
(著)
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一神教は人間の「罪」の意識から生まれた! 複数の神を信じていたユダヤ人が、一神教に変わった理由、ユダヤ教から派生したキリスト教が世界宗教に広がった理由を探りながら、人間と神との関係を問い直す。(講談社現代新書)
一神教は人間の「罪」の意識から生まれた! 複数の神を信じていたユダヤ人が、一神教に変わった理由、ユダヤ教から派生したキリスト教が世界宗教に広がった理由を探りながら、人間と神との関係を問い直す。
一神教は人間の「罪」の意識から生まれた! 複数の神を信じていたユダヤ人が、一神教に変わった理由、ユダヤ教から派生したキリスト教が世界宗教に広がった理由を探りながら、人間と神との関係を問い直す。
- ISBN-104061496093
- ISBN-13978-4061496095
- 出版社講談社
- 発売日2002/5/20
- 言語日本語
- 寸法10.5 x 1.3 x 17.5 cm
- 本の長さ296ページ
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商品の説明
著者について
■加藤隆(かとうたかし)
1957年、神奈川県に生まれる。東京大学文学部卒業後、ストラスブール大学プロテスタント神学部博士課程修了。神学博士。現在千葉大学文学部助教授。著書に『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』――大修館書店、『『新約聖書』の誕生』――講談社など。
1957年、神奈川県に生まれる。東京大学文学部卒業後、ストラスブール大学プロテスタント神学部博士課程修了。神学博士。現在千葉大学文学部助教授。著書に『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』――大修館書店、『『新約聖書』の誕生』――講談社など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/5/20)
- 発売日 : 2002/5/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 296ページ
- ISBN-10 : 4061496093
- ISBN-13 : 978-4061496095
- 寸法 : 10.5 x 1.3 x 17.5 cm
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2019年6月8日に日本でレビュー済み
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古代ユダヤ教信者が北(イスラエル)王国の消失やバビロン捕囚により神からご利益を得られなかったと感じたため、律法(トーラとトーラを教育するための場としてのシナゴーク)やエルサレム神殿、神との契約の概念とメインストリームとするユダヤ教が徐々に形成され現在まで存続しているという経緯がよくわかった。
神との断絶の概念について、ご利益を得られなかったから断絶しているわけではないのはわかるが、何を指しているのかわかりづらかった。神と繋がっていたのはモーゼのみということでしょうか?
神との断絶の概念について、ご利益を得られなかったから断絶しているわけではないのはわかるが、何を指しているのかわかりづらかった。神と繋がっていたのはモーゼのみということでしょうか?
2021年7月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ただし著者は必ずしも自分の新訳聖書学者としての立場に満足しているようには思えない、その点が残念というか気になる。
2017年2月18日に日本でレビュー済み
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導入で世界同時多発テロを取り上げるがのろのろと展開に滞り上手くない。本論に入ると水を得た魚、一転晴天下高速で飛ばすかの展開で目映い景色に眩惑される。先にローマ帝国社会史専門家の岩波新書の類書を読み期待を下回って失望した一方神学博士による充実の本書はひとしおで正に救いの神。一般的日本人には一見宗教は身近でないので苦労するのと執筆当時その時期2002年5月20日第一刷で題材にする以外なかったのだろう。が導入部の再考改訂を勧める。一神教を知ることは翻って日本人の持つ宗教性の自覚に繋がるし、外国人理解を深めることにもなるなどすべき。それともウルトラ超多神教である日本教の閉塞的現実(日本人はなにもの(日本語では物と者を発音では区別してない。漢字伝来前は概念的に全く同じと推測される。超多神教の言語学的証拠。現在も一神教に比べ死者(一神教では単なる物体。そもそも人は土くれに神の息が吹き込まれたもの。日本教は金魚や犬猫のお墓を作る(人とペット等他の生物を区別しない(し、果ては山や河など自然物までも人格化すなわち神格化する))が、一神教ではトイレに流したりゴミとして廃棄する!!)と生者(魂有るもの)の区別に乏しい。)にも礼拝し崇拝するため他者に弱味と依存があり、それが非日本教信者には特に一神教信者の外交官や政治家には弱腰にしか反映しない。単純に考えても日本教の政治家はアメリカの政治家を無意識に神と思って崇拝し恐れもするが、向こうにとって日本教徒の彼は単なる人でしかないし神は自分たちの神。だから最初から日本教徒は格下げ。ピサロ御一行とインカ帝国関係と同じ。さらに日本教徒は近代化と産業化には辛うじて成功したが身体的見た目から歴史文化宗教まで全く異なる理解不可能な異教徒。)を打開するには一神教の正しく深い理解が不可欠とでもしますか?
ヤーヴェ神は元は御利益神だというのは現代日本教の神と同じで親近感が湧いた。
また民族間の征服戦争で各民族の統廃合と共に民族の守護神・戦争神の統廃合も進む。この戦争は公開の場での神の勝ち抜き戦であり神の実証、検証実験でもある。そこに科学的な思考が働いている訳だ。だが、祭壇は非生産手段である訳で多いほど費用対効果が下がる。だから神の数が少ない民族ほど生産性が高く戦争に勝つ確率が高いわけでそれが神の減少傾向の理由の一つでもないだろうか。
南北王国が滅んだあと御利益が無かったとして多くの国民はヤーヴェ神を捨てたとある。その中で神の御利益が無かった原因は民に問題があると因果関係を重視するものたちがユダヤ教を存続させて行く。超多神教日本教徒の日本人も敗戦で御利益の無かった大日本帝国憲法神を捨て天皇神はそのままに戦後民主主義の守護神日本国憲法神に乗り換えたといえる。(だがその神は実は偽りの神だったと言うのが最新の研究結果だ。)それは捨て置き。
多神教から人類初の一神教(アテン神、古代エジプト)への歴史的収斂、進化とその後は『多神教と一神教』岩波新書に詳しい。同書のレビューも混在してるのはご容赦。
ヤーヴェ神は元は御利益神だというのは現代日本教の神と同じで親近感が湧いた。
また民族間の征服戦争で各民族の統廃合と共に民族の守護神・戦争神の統廃合も進む。この戦争は公開の場での神の勝ち抜き戦であり神の実証、検証実験でもある。そこに科学的な思考が働いている訳だ。だが、祭壇は非生産手段である訳で多いほど費用対効果が下がる。だから神の数が少ない民族ほど生産性が高く戦争に勝つ確率が高いわけでそれが神の減少傾向の理由の一つでもないだろうか。
南北王国が滅んだあと御利益が無かったとして多くの国民はヤーヴェ神を捨てたとある。その中で神の御利益が無かった原因は民に問題があると因果関係を重視するものたちがユダヤ教を存続させて行く。超多神教日本教徒の日本人も敗戦で御利益の無かった大日本帝国憲法神を捨て天皇神はそのままに戦後民主主義の守護神日本国憲法神に乗り換えたといえる。(だがその神は実は偽りの神だったと言うのが最新の研究結果だ。)それは捨て置き。
多神教から人類初の一神教(アテン神、古代エジプト)への歴史的収斂、進化とその後は『多神教と一神教』岩波新書に詳しい。同書のレビューも混在してるのはご容赦。
2009年10月25日に日本でレビュー済み
他のレビュアーの皆さんも書かれている通り、「誕生」については余り書かれていない。
一神教として誕生したことはユニークではないが、一神教であり続けたことはユニークで、それは歴史的要因による、という解説は明晰で分かりやすい。
しかし、著者にとってユダヤ教が一神教として確立する過程を描くことは、準備作業に過ぎない。
この書の目的は、一神教としての性質がキリスト教に受け継がれた後、どのように維持され、また変容したか、を描くことだったように思われる。
ところが、記述対象がキリスト教に移ると、次第に筆の進みがぎこちなくなる。
教会における「人による人の支配」の誕生の経緯は熱心に跡付けられるが、成立したそれへの評価にはやや過度に慎重になっているように思われるし、三位一体の教義の種明かしの一歩手前に迫りながら、あえて踏み込まない。
これは紙幅の関係だけのようには思えない。
新書らしい啓蒙書というよりは、誠実な思索の書であり、読む価値のある本。
一方で、欲求不満は残るし、新書としてはやや多いページ数(289ページ)以上に、読み通すのにやや骨の折れる本。
一神教として誕生したことはユニークではないが、一神教であり続けたことはユニークで、それは歴史的要因による、という解説は明晰で分かりやすい。
しかし、著者にとってユダヤ教が一神教として確立する過程を描くことは、準備作業に過ぎない。
この書の目的は、一神教としての性質がキリスト教に受け継がれた後、どのように維持され、また変容したか、を描くことだったように思われる。
ところが、記述対象がキリスト教に移ると、次第に筆の進みがぎこちなくなる。
教会における「人による人の支配」の誕生の経緯は熱心に跡付けられるが、成立したそれへの評価にはやや過度に慎重になっているように思われるし、三位一体の教義の種明かしの一歩手前に迫りながら、あえて踏み込まない。
これは紙幅の関係だけのようには思えない。
新書らしい啓蒙書というよりは、誠実な思索の書であり、読む価値のある本。
一方で、欲求不満は残るし、新書としてはやや多いページ数(289ページ)以上に、読み通すのにやや骨の折れる本。
2009年8月11日に日本でレビュー済み
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この本はユダヤ人が唯一神信仰を始めた当時の状況やユダヤ教とキリスト教の関係などを解説した本です。
神がユダヤ人を救わず国が滅ぼされたにもかかわらず、ユダヤ人はなぜ信仰を捨てなかったのか、ユダヤ教と聖書の関係、キリスト教と教会の関係などが理解でき興味深いです。
特にユダヤ教の差別を批判していたキリスト教が新たな差別基準を作っていく様子は面白いです。(この問題はユダヤ教、キリスト教に限らず、普遍的な問題だと思います。)
神がユダヤ人を救わず国が滅ぼされたにもかかわらず、ユダヤ人はなぜ信仰を捨てなかったのか、ユダヤ教と聖書の関係、キリスト教と教会の関係などが理解でき興味深いです。
特にユダヤ教の差別を批判していたキリスト教が新たな差別基準を作っていく様子は面白いです。(この問題はユダヤ教、キリスト教に限らず、普遍的な問題だと思います。)
2020年6月26日に日本でレビュー済み
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タイトルは『一神教の誕生』となっているが、「一神教」の誕生については、あっさりと「契約」と「罪の概念」ということで説明されている点は残念である。「ヤハウェ」との関係で「罪」の状態にあるため「契約」を解消できないがゆえに、民は他の「神」を選ぶことができないという。しかし、これは、その「契約」が専属契約であることを前提とする理論であり、いわば、「一つの神としか契約できない」ということを前提として「一神教」という結論を導いているのであり、トートロジーではなかろうか。「ヤハウェ」との「契約」が「罪」ゆえに解消できないとしても、それと並行して他の神と「契約」することが可能であれば、「多神教」も可能だからである。
個人的には、「神学的な観点」からではなく、歴史的・実証的な観点からの「一神教の誕生」についての説明を期待したが、「神学的な観点」からの説明についての知見を得ることができたのは、望外の大きな実りであった。また、著者が指摘する「世俗化」の問題は、ニーチェがいう「神は死んだ」世界であり、そのような世界において、「人間の自己正当化」(独善)を防ぐための方策を考える上では、重要な視点であると考える。
個人的には、「神学的な観点」からではなく、歴史的・実証的な観点からの「一神教の誕生」についての説明を期待したが、「神学的な観点」からの説明についての知見を得ることができたのは、望外の大きな実りであった。また、著者が指摘する「世俗化」の問題は、ニーチェがいう「神は死んだ」世界であり、そのような世界において、「人間の自己正当化」(独善)を防ぐための方策を考える上では、重要な視点であると考える。
2011年11月21日に日本でレビュー済み
西洋理解の鍵はキリスト教の理解である、といわれて久しい。近代社会は西洋が非西洋に拡大して成立したものだから、近代社会の理解はわれわれ西洋の外に生きる者にとっても切実な課題だ。著者によれば「西洋社会の基本的なあり方は、二重構造になっていることである」アレキサンダー大王の手によって成立したヘレニスム時代、それを引き継いだローマの時代には「支配者たちは、支配および富を手にしている」が「被支配の領域の管理の仕事のために、支配者たちの自由と文化(真理)は限定なものになってしまう」この社会に「人による人の支配」を最大の特徴とするキリスト教が導入されて国教となると、社会は聖職者ー貴族ー庶民と三層化される。「西洋的なキリスト教の社会構造は、広範なものとなった西洋的世界の二重構造をそのまま維持して、しかもこれが広範なものとなったことによって生じていた上層と下層の間の緊張を解消して、長い間にわたって安定した状況を作り出したのである」西洋に近代が到来したことの意義について著者は「科学技術の目覚ましい進歩が生じて、進歩を前提としていない社会のあり方が変更を余儀なくされることになった」という。近代社会の到来によりキリスト教社会はどう変わったか?四点にまとめられる:1)豊かさの境界が下方に移動 2)西欧の世界制覇 3「労働」を誰が行っているのかに注目するならば、世俗の領域の上層と下層の境界が次第に曖昧になって、全体が下層的というべき状況に置かれるようになった 4)世俗化。巧みにチャートを駆使する著者の説明は説得的である。
民族宗教(基本的にご利益宗教だった筈)のユダヤ教から「分け隔てをしない」普遍宗教(キリスト教)がなぜ誕生したか。著者はユダヤ教の内部に「人間の側の動きがあろうとなかろうと」「神が一方的に動く」論理に到達したエッセネ派が発生したことにその端緒を求める。この議論は神学者ならではのものである。一方「地上のイエス」については「後のキリスト教運動の展開において生じたさまざまな問題との関連でイエスのイメージが変化して、それが我々の手元の資料に混入している」とする。「混入している」ものを取り除くことが可能なのは外部史料との照合が可能な場合だけである。一見したところ歴史記述と見える初期教会の説明は現段階での作業仮設に止まるものである。(Raymond E. Brownn が序文で推奨する Gill & Macmillan 刊 F.J. Cwiekowski: The Beginnings of the Church は教義の継続的発展論にも初期教会ーキリスト教断絶論のいずれにも与しない一般書である由)
民族宗教(基本的にご利益宗教だった筈)のユダヤ教から「分け隔てをしない」普遍宗教(キリスト教)がなぜ誕生したか。著者はユダヤ教の内部に「人間の側の動きがあろうとなかろうと」「神が一方的に動く」論理に到達したエッセネ派が発生したことにその端緒を求める。この議論は神学者ならではのものである。一方「地上のイエス」については「後のキリスト教運動の展開において生じたさまざまな問題との関連でイエスのイメージが変化して、それが我々の手元の資料に混入している」とする。「混入している」ものを取り除くことが可能なのは外部史料との照合が可能な場合だけである。一見したところ歴史記述と見える初期教会の説明は現段階での作業仮設に止まるものである。(Raymond E. Brownn が序文で推奨する Gill & Macmillan 刊 F.J. Cwiekowski: The Beginnings of the Church は教義の継続的発展論にも初期教会ーキリスト教断絶論のいずれにも与しない一般書である由)