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「おたく」の精神史 一九八〇年代論 新書 – 2004/2/21

4.2 5つ星のうち4.2 26個の評価

商品の説明

著者からのコメント

「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから文部科学省や経 済産業省や、ナントカ財産の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代に なった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術祭という国がまんがやアニメを勝 手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートし ていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ村上隆や宮崎アニメ は今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時 代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その 一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同じな んだよ、と、その初まりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持 ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられた とはさっぱりぼくは思わない。だから「オタク」が「おたく」であった時代を「オタ ク」にも「おたく」にも双方にきっちりと不快であるべく本書を書いた。新書にして は異例の400頁超だが、『諸君!』で連載が中断したままだった「ぼくと宮崎勤の ’80年代」を加筆改稿したものである。近頃、流行の80年代をノスタルジックに語る 類の書物として本書を刊行する程ぼくは親切では当然ない。できうることなら旧作 『アトムの命題』との併読を強く希望する。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2004/2/21)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/2/21
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 446ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061497030
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061497030
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 26個の評価

著者について

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大塚 英志
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1958年生まれ。まんが原作者、批評家。『「捨て子」たちの民俗学』(第五回角川財団学芸賞受賞)などがある。神戸芸術工科大学教授、東京藝術大学大学院兼任講師。芸術工学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 映画式まんが家入門 (ISBN-13: 978-4048685627 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
26グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2024年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本の状態もきれいで、とても満足です。ありがとうございます。
2016年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新書としては、489頁と中々の大作です。
1980年代のサブカルチャー史を、エロまんが誌の編集者として
過ごした体験談と、当時の状況を巡る評論を、交錯しながら語
って行きます。
そしてそれらの背景には、宮崎勤事件が常に見え隠れしていま
す。

取り上げられるのは、「おたく」と「新人類」、糸井重里、上
野千鶴子、末井昭、みなもと太郎、吾妻ひでお、岡田有希子、
黒木香、紡木たく、かがみあきら、宮台真司、岡崎京子、「ヤ
マト」から「ガンダム」へ、ビックリマンチョコ、UWF、都市
伝説、昭和天皇、湾岸戦争への「文学者」反戦声明、いとうせ
いこう、アントニオ猪木、オウム真理教、福田和也、「エヴァ
ンゲリオン」、「酒鬼薔薇聖斗」、「黒子のバスケ」事件等々
と、てんこ盛りです。

序章と終章のみが書き下ろしで、部厚い本体部分は1997~2000
年に掛けての雑誌連載を、新書化後の、文庫化後の、再新書化と
のことです。

本体部分は熱を込めて書かれていますが、序章と今回版のあと
がきでは、この本体に対しての否定的な言説が印象的です。
あたかも「おたく」時代を自己否定しているように見えました。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年5月31日に日本でレビュー済み
80年代は、個人的には社会人としてスタートし、結婚して家庭を持つまでの、実は人生において最も熱かった時期である。
その時期の経験は、結局私の人生にいまだに影を及ぼしている。
本書ではその、いわゆるバブルで、今から考えれば非常にエネルギッシュであり、盲目的に邁進していた時代の趨勢を、エロと宮崎事件をキーアイテムとして記録したものだ。

本書がけっして80年代の分析を試みたのではないということは、本書の中身がほとんど著者の身辺の記録であり、また時代のトレンドやアイテム等の表層をなでているだけだ、ということからも、よく分かる。
そう、本書は過去を解析するものではなく、過去の事実から今を振り返るためのものなのだ。
おそらく著者も80年代の経験が、いまだに尾をひいているのだろう。
その始末をつけるというか、自分なりの区切りをつけるためのもの、というのが本書の立ち位置といえるだろう。

21世紀も10年以上過ぎた今から振り返ると、80年代のない方されていたパワーには、圧倒されるものがある。
そして、あらためて男たちが元気だった時代は、日本という国全体に活力が漲っていたことがわかる。
80年代のパワーが全共闘の遺産であっても、平成の今はその80年代の遺産さえなくしてしまっているということが、著者の文章からは受け取れる。
だから、こういった過去を振り返ることは、我々が失ってしまったものに気づくための、大切な儀式なのかもしれない。

「おたく」は今、「オタク」になってしまった。
この両者は微妙にというかかなりの違いがある。
本書中でも言及されている「別冊宝島」の「おたくの本」が刊行されたころ、「おたく」たちは忌み嫌われていたが、その内包されるパワーは目を見張るものだった。
そのパワーが誤った方向に進んだものこそ、あの「オウム」だったのだろう。

いま、「オタク」は単なる肩書きであり、そこにはパワーのかけらもない。
かつての「おたく」たちのパワーを制御し、方向性を定めてやることができれば、今の日本をもっと奮い立たせることができるのではないか。
二度にわたる未曾有の大震災を経験した今、切実に思うことである。
新書にして400ページ超という、しかもほとんど写真や図の挿入がない、実に長大な論文なので、読み応えはある。
しかし、後半になると「おたく」と関連の薄い身辺雑記が多く描写されているのが残念だ。
まあ、著者が生きた80年代に対するマスターベーションだという感じかな。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年10月2日に日本でレビュー済み
極めて私的な80年代「おたく」史である。

メインで扱っている分野は、アニメとマンガの

中間領域とでも言おうか、実は極めて狭く、

「OUT」や「ゼネラルプロダクツ」などの領域を

同時代に体験していないとその論は極めて判りにくい。

しかし乍ら、本書が取り扱っている領域が

現在の様々なサブカルチャーに繋がる

特異な源流となっていることは確かであり

そういう意味で貴重な証言資料でもあろう。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年8月31日に日本でレビュー済み
1980年代、サブカルがサブカルとして奇怪にせせりあがってきたあの頃を
ほぼ著者と近い世代としてリアルタイムに経験したものとして素直に納得できた。
柄にもなく喋り過ぎた時に感じるような身になじまない昂揚感と優越感。
著者の分析には人それぞれの受け取り方がありえようが、個々のフレーズや固有
名詞と共に、そうした皮膚の記憶は間違いなく励起されるだろう。
あるキーワードを口にすることで、眠っていた催眠暗示が起動される。TVでた
まにやる催眠術ショーのように、自分の身体の深いレイヤにそれが刻まれている
ことを再度確認する事になるだろう。
さらに言えば、その精密な起動が、もはや何者も産み出しえない空虚な働きでし
かないことも同時に理解する。一気に読んでしまう程、分析の切れ味が楽しめな
がら、不毛感だけが残る不思議な読書体験。読者を確実に選ぶだろう。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年4月15日に日本でレビュー済み
「13章 岡崎京子の居た場所」と宮崎勤事件との関わりについて書かれた
「21章 あの日のこと」には、不覚にも涙ぐんでしまいました。
漫画のことはほとんど無知なんだけど、大塚氏の著作ならハズレはない
思ってました。でも、タイトルから、まさか「泣ける」本だとは思いませんでした。
著者の意図しない過剰な反応をしちゃったのかもしれませんけど…。
でも、大塚氏の抱えている苛立ち、すっごくよくわかるなあ~。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年6月1日に日本でレビュー済み
人は歴史を紡いでしまうもの、という「物語消費論」。いまや物語をつむぐのは、右翼の特権のようになってしまった。消費文化とナショナリズムの結託、大塚の(過剰な)自意識(時代の「加害性」を強引に引き受けようとする自意識は、時代からの「被害」をことさら煽り立てる右翼ナショナリズムとは一線を画すということは確認しておくべきだ)があるから可能なのだろう80年代の物語化は、たぶん時を経るごとに価値を増すだろう。冗談がイロニーであるうちはよかったが、それが支配的になったことで、いまはそれは抑圧である。本書のなかでサブカルチャーがカウンターカルチャーではないことを批判する上野俊哉のコメントが紹介されているが、そもそも抵抗帯になりえないものをそうであるかのように「でっちあげる」方が問題なのではないか。本書では、消費文化(オタク文化)に可能性あるいは絶望そのどちらを見出すのかで逡巡する、著者の姿が見え隠れする。また本書をとおしてよむと、著者の天皇制への態度はおおきくかわっていく。ナラティブの淵源を天皇にもとめるのか、それとも戦後民主主義=憲法にもとめるのか、これも著者の、おそらく90年代をとおした逡巡なのだろう。

大塚氏のいまの「強気」さにも、こうした逡巡の来歴がある。それを知りたいならば読んだほうがいい。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2004年2月29日に日本でレビュー済み
「おたく」と80年代の世相をめぐる評論集です。どれも扱われているネタ(ロリコンまんが、岡崎京子、宮崎勤、オウム、著者と同世代の評論家…)にさえ興味があれば、分析は一流のできなので、おもしろいと思います。当然、興味がなければ、つまらないです(自分にとっては「UWF」を主題とした章がそうでした)。
本書は、「おたく」文化が生まれる現場で仕事をしつづけてきた著者による回顧録です。ゆえに、この方面での最高水準の歴史的資料にもなります。そうした視点からみるならば、誰か他の人間が著者の体験談を聞き出し、そこからより「客観的」な80年代のサブカル論を書くべきだったのかもしれません。しかし、著者は現場にもっともコミットしていた当事者であるとともに、一級の傍観者・分析者・発言者でもあります。ゆえに、この本は現在のところ一番「正しい」「おたく」文化史の様相を呈しているとみてよいでしょう。それが、著者の本望ではないにしても。そして、「あとがき」にもあるように、これから別の観点からの「おたく」論が、本書のパワーを相対化するためにも書かれなければならないにせよ。
24人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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