同書で西日本では骨壺の大きさが小さく、入りきらない骨は火葬場でゴミとして処分されると知り驚きました。
日本人は一般に遺骨に対する執着心が強いと考えていましたが東西でこれほどの違いがあるとは...。
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葬祭の日本史 講談社現代新書 新書 – 2004/6/21
高橋 繁行
(著)
近代化の中で「葬祭」はどう変化してきたか大名行列を転用した葬列、「牛鍋屋のおやじ」が興した火葬場業、「有髪の僧」として葬送に携わった「三昧聖」など、豊富なエピソードで日本人の宗教観を描き出す
- 本の長さ252ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2004/6/21
- ISBN-104061497243
- ISBN-13978-4061497245
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商品の説明
出版社からのコメント
古代の「モガリ葬」から現代の「エンバーミング」まで「お葬式」の風俗誌
行基、空也を祖と仰ぐ中世の俗聖たち、大名行列を葬列に転用した明治の奇漢、戦後の「野焼き」……葬祭業のルーツから現代お葬式事情までを活写する「弔いの文化誌」。
行基、空也を祖と仰ぐ中世の俗聖たち、大名行列を葬列に転用した明治の奇漢、戦後の「野焼き」……葬祭業のルーツから現代お葬式事情までを活写する「弔いの文化誌」。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2004/6/21)
- 発売日 : 2004/6/21
- 言語 : 日本語
- 新書 : 252ページ
- ISBN-10 : 4061497243
- ISBN-13 : 978-4061497245
- Amazon 売れ筋ランキング: - 426,910位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
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2006年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
故伊丹十三氏の『お葬式』という映画がメディアを通じお葬式を自由に表現できる突破口開いた作品だとすれば、その後数多く追随する作品の中で著書は
現在の葬儀業界・火葬場における社会現状を問題提起され、丁寧にフィールドされた結果が綴られており興味深い内容でまとめられている。
まさに良書である。
現在の葬儀業界・火葬場における社会現状を問題提起され、丁寧にフィールドされた結果が綴られており興味深い内容でまとめられている。
まさに良書である。
2013年7月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大名行列のような葬祭の様子が絵で描かれ説明されています。葬祭はその表示のように「祭り」の様相であつたのがよくわかります。
2006年12月30日に日本でレビュー済み
読み始めた時は葬祭業界の話かと思ったのですが・・・
近代の葬祭の始まりから、葬祭に関わる色々な話、各地に残る葬祭風俗と話が深まっていき、近世の墓所聖や毛坊主と言った俗聖、時宗や禅宗と葬祭の関わりと日本人の葬祭観・宗教観といった所にまで話が広がっていく。
著述の展開の仕方も内容も非常に面白い。
葬式仏教とは仏教の堕落した姿でなく、日本人の宗教観に根ざした仏教の形であることを葬祭という側面からここまで判然と描き出す管見ながら未見である。
近代の葬祭が大名行列から着想したものであること、事業としての明治期の葬祭業界の開拓者たちの事績、現在の仏式の葬式は禅宗の形式であることなどということも風俗史からの観点から興味深く感じた。
また、火葬場の事情や納棺の方法、エンバーミングといった現代の葬祭業者の努力と工夫、そして死者への畏敬の念を持った活動は、誰しも最後はお世話になる葬式のこと、知っておいて損はないだろうと思った。最も、その時には死んでいるが。
近代の葬祭の始まりから、葬祭に関わる色々な話、各地に残る葬祭風俗と話が深まっていき、近世の墓所聖や毛坊主と言った俗聖、時宗や禅宗と葬祭の関わりと日本人の葬祭観・宗教観といった所にまで話が広がっていく。
著述の展開の仕方も内容も非常に面白い。
葬式仏教とは仏教の堕落した姿でなく、日本人の宗教観に根ざした仏教の形であることを葬祭という側面からここまで判然と描き出す管見ながら未見である。
近代の葬祭が大名行列から着想したものであること、事業としての明治期の葬祭業界の開拓者たちの事績、現在の仏式の葬式は禅宗の形式であることなどということも風俗史からの観点から興味深く感じた。
また、火葬場の事情や納棺の方法、エンバーミングといった現代の葬祭業者の努力と工夫、そして死者への畏敬の念を持った活動は、誰しも最後はお世話になる葬式のこと、知っておいて損はないだろうと思った。最も、その時には死んでいるが。
2004年9月1日に日本でレビュー済み
葬式関係の書物ではひさびさの良書です。『霊柩車の誕生』(井上章一)以降で最高のおもしろさではないでしょうか。ジャーナリスティックな現代の葬儀事情(エンバーミングなど)の取材報告と、民俗学風の歴史的なルーツ発見の手法とが、実にバランスよく配合されています。「あの世」と「この世」がつながる「葬祭=死者の祭」をめぐって、過去と現在の様々な風景が描かれています。
日本の葬祭儀礼は、死者を安全にあの世に送る成仏儀礼と死のケガレを清める儀礼との二重構造になっていますが、本書では主に後者の役割を担う人々にスポットライトがあてられています。著者は知り合いの葬儀屋さんたちについて、彼らはときに差別的な扱いをうけながらも、なにか「宗教的」な雰囲気をかもしだしていると感じ、彼らを「現代の毛坊主(庶民生活に密着した半僧半俗の宗教者)」と称します。その主張を裏づけるためにも多くの歴史研究を参照していくのですが、それらを現代社会にひきつけて解釈していくスタイルには、とてもすばらしいものがあります。、
日本の葬祭儀礼は、死者を安全にあの世に送る成仏儀礼と死のケガレを清める儀礼との二重構造になっていますが、本書では主に後者の役割を担う人々にスポットライトがあてられています。著者は知り合いの葬儀屋さんたちについて、彼らはときに差別的な扱いをうけながらも、なにか「宗教的」な雰囲気をかもしだしていると感じ、彼らを「現代の毛坊主(庶民生活に密着した半僧半俗の宗教者)」と称します。その主張を裏づけるためにも多くの歴史研究を参照していくのですが、それらを現代社会にひきつけて解釈していくスタイルには、とてもすばらしいものがあります。、