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私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書) 新書 – 2004/10/19

4.2 5つ星のうち4.2 55個の評価

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私はなぜ「今ここにいる、この私」なのか。古来より数多くの哲学者が最大の関心を寄せてきた「神、私、今」の問題について、まったく独自の考察を展開。自分の言葉だけでとことん哲学する、永井均の新境地。(講談社現代新書)


私はなぜ「今ここにいる、この私」なのか。古来より数多くの哲学者が最大の関心を寄せてきた「神、私、今」の問題について、まったく独自の考察を展開。自分の言葉だけでとことん哲学する、永井均の新境地
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2004/10/19)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/10/19
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 232ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061497456
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061497450
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.5 x 1.1 x 17.5 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 55個の評価

著者について

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永井 均
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上位レビュー、対象国: 日本

2017年4月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまりにもあたりまえのことを自覚し、自分の何かが変わったと感じ、何も変わっていないことに気づいた。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「カント的問題にライプニッツ的問題を接続する」(本書P.185)とは、

「驚天動地」(同P.141)で「空前絶後」(同P.141)の「生成の奇跡の連続(私の言葉です)」というこの事態と、

可能世界からこの(この、この、この‥‥)現実世界へ、そして必然世界へと移行していく事態を、「時間」という概念を発明し、説明しているだけに過ぎないのに、その事実が隠蔽下にあるこの事態を、

(いったい誰が発明したのか、隠蔽しているのは誰か、を説明するのに、「神」という概念は必要ないと思います。「発明者」「隠蔽者」「発明者兼隠蔽者」という概念で充分だと思います)

「つなげる」ということでしょうか‥‥。
(そうでなければいったい何の作業なのか、私にはわかりません)

また、その作業に、言語は必ずしも必要でしょうか?
言語以外でこの作業はできない、と言い切れるでしょうか?
わたしは、言い切れないと思います。
(と、言語でしか現せないもどかしさ。隔靴掻痒の感、です)

いつでも編集可能なインターネット上のレビューという性質上、私は後に、最後の「言い切れないと思います」の「思います」を、「感じます」と編集してしまう、自分で自分を「あの時(!)は『思った』のではなく、「感じた」んだよ」と説得(洗脳)してしまう、ように(私は)予見しました。
すなわち、記憶の「編集」(!)。
それを防ぐために、今(「厳密には『この今』では、ありません」)この部分を書いています。

「感じ」=知覚(すること)の問題、に、すりかえたくないのです。

上記の文章はすべて、私の持つ本書、初版第一刷のものに基づいて書かれました。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年7月29日に日本でレビュー済み
 夏の間の、自分への課題図書として、
 永井均先生の、『私・今・そして神』(講談社現代新書)
 無事、読み終えたので、次の課題図書は、同じく
 永井均先生の、『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)
 https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/7/0281570.html 
 です。
 誰が選定したわけでもなく、自分で選定するのがミソです。
     *
 いくら暑くても、夏はやっぱり、楽しい。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
永井さんの哲学には総じて否定的になってしまうが、この本を読むと、笑えるほどばかばかしい哲学を求めているとあり、なるほどもっと肩の力を抜いて頭の体操を楽しむべきなんだと思った

とはいえ、それでも、こういう言い方で伝わるかどうかわからないが、存在論と認識論を区別しないで論じ、時々言語の作用だけで飛躍してしまうという、とても納得いかない理屈建てになっているという点は払拭しがたいなあ
これもたとえ話的になってしまうが、想像の中で私は飛行できるから重力なんてナンセンスだと主張しているようなところがある

神という概念を媒介にして、「私」という存在が時空関係なくどこにでも「開闢」し得るような論じ方をしているけど、むしろそんなことがなぜできないのかと問うことが大事だと思うのだ。そこから「私」に迫るしかないのではないかなあ
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
平たく言うと「語る私を含んだ世界を語る私…」という自己循環的な問い
の構造を持つ哲学的思考。無根拠であるがゆえに問いの足場を自明なもの
と思い込むため巧妙に避けてきた「開闢」について真正面から格闘した本。
「私」と「今」も「神」も、世界を語ろうとする時に何かを隠蔽するの
痕跡、陽炎のようなもの。
語りずらいものを語らねばならない「身もだえ」感と、思索途中の荒削り
感もあり、非常によみづらく、新書らしからぬ難解さを感じるはず。
ただ、「世界について思考するその思考のあり様」について思索した経験が
がある方には、著者のこだわりに割とすんなり付き合えると思います。
記述の束に還元しえない「固有名」の過剰性は、言語が例外的に「この」性
の痕跡をまとった特異性にあるのでは?なんてネ。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年4月7日に日本でレビュー済み
永井の著書を読んで思うのは、星五つをつけたくなるくらい、ほとんど完璧に間違っている、という感じがしてしまうところ。しかし、完璧に間違っていることと、完璧に正しいことって、どう違うのだろう。

この後に出た『なぜ意識は実在しないのか』では、もっと上手いこと説明されているように感じたのだが、永井の言うことはことごとく、この「完璧に間違い--完璧に正しい」の間の揺れに発してると言っていいんじゃなかろうか。

---以下引用(P157)---

デカルトは、言葉の上で彼とまったく同じ方法的懐疑を実践し、言葉のうえで彼とまったく同じ結論に達した、彼ではない人物がいたら、その人物の「私」の存在も自分の存在と同じように疑いえないと言うだろうか。デカルトは、その人の思索を「その人思うゆえにその人あり」とは捉えずに、「我思うゆえに我あり」と捉えるだろうか。デカルト自身のテクストは両様の解釈をゆるすと私は思うが、彼のこの揺れはきわめて本質的な問題と関連しているだろう。

---引用終わり---

永井の言う「デカルトの揺れ」というのは、私にとっては永井の記述が「完璧に間違い--完璧に正しい」の間を揺れ動いていることに相当するとしか思えない。

それから、89ページに『・・・現実に存在するということは他のあらゆる事実とまったくちがう種類の事実である・・・・。だから、現実のこの世界は、現実に存在するという性質を奪われても、内容的にはまったくそのまま、神の知性の中に存在することができるわけである。』、と書かれているけど、「現実に存在する」ということが、他のあらゆる事実とはまったく違う種類の事実であるにもかかわらず、与えたり奪ったりすることのできる性質を持っているという点では、他の平凡な事実と違わないというのは、いかにも都合が良すぎる気がする。

「現実に存在する」ということは(「現実に存在する」という性質であれなんであれ)“性質”を持っているんだろうか?ここには、なんだか、重大な問題が潜んでいる、という気がしないではない。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年7月4日に日本でレビュー済み
平易な語り口で極めて質の高い哲学的問いに挑む、永井氏の新著。「開闢」とは「私」の事であり、さらに「今」の別称でもある。言葉によって「私」を理解したとたん、「私」はその本質を失ってしまうというパラドキシカルな「私」の構造。或いは、言葉の持つ共通理解という本質的機能が唯一無二の「私」と言う存在の理解を阻むと言う矛盾。永井氏がひねもすたれながす哲学的思索は、私がその言わんとするところを捉まえたと思った瞬間、まさにパラドキシカルな「私」の構造と同じように、私の手から零れ落ちてゆくようだ。かなり難解な問いも含むまれるが、知的誠実さを貫く哲学者永井均氏の最新の思索の痕をたどれる好著だ。小さいながら相当に歯ごたえのある本で、その点心して読まれたい(H19.4.11)。
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2004年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本当に哲学を愛している人だ。この本は別のところでの連載に加筆訂正したものなので、猫とかが出てくる他の作品よりも遊びが足りないので少し不満だが、やはりいつも通りおもしろい。「神」とか書いてあるので、ちょっと面食らうが、これはあの有名な〈私〉を切り開く何ものかの、いわばメタファーである。本書でも少し語られているように、使い方しだいでは「脳」とか「偶然」に置き換えてもいいわけだ。ちなみに「開闢」というのもこの部分に関係してくることは、勘がいい人なら即座に気づくことであろう。
私はこの著者から、哲学というものは、①自分の世界にこもって、②自分の頭で考えることだ、ということを教わった。①については仕方なく放棄したが、②については今も信条とするよう心がけている。けれど今回の著作を読んで、また自分の考えがゆらいだ。やがて「死」や、あるいは「神、のようなもの」に向き合うことになる時、やはり①も受け入れるべきだよなあ、と。
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