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自由とは何か (講談社現代新書) 新書 – 2004/11/19
佐伯 啓思
(著)
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「自由に倦んだ」時代に問う、渾身の論考! 自己責任や援助交際、殺人を巡る議論など、自由にまつわる問題に様々な角度から切り込み、現代社会・思想が陥っている「自由のジレンマ」を乗り越える方法を探る。(講談社現代新書)
「自由に倦んだ」時代に問う、渾身の論考! 自己責任や援助交際、殺人を巡る議論など、自由にまつわる問題に様々な角度から切り込み、現代社会・思想が陥っている「自由のジレンマ」を乗り越える方法を探る。
「自由に倦んだ」時代に問う、渾身の論考! 自己責任や援助交際、殺人を巡る議論など、自由にまつわる問題に様々な角度から切り込み、現代社会・思想が陥っている「自由のジレンマ」を乗り越える方法を探る。
- ISBN-104061497499
- ISBN-13978-4061497498
- 出版社講談社
- 発売日2004/11/19
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 1.3 x 17.4 cm
- 本の長さ288ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2004/11/19)
- 発売日 : 2004/11/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 288ページ
- ISBN-10 : 4061497499
- ISBN-13 : 978-4061497498
- 寸法 : 10.6 x 1.3 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 90,045位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1949(昭和24)年、奈良県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。東京大学経済学部卒。同大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞受賞。著作に『隠された思考』(サントリー学芸賞)、『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)、『反・幸福論』等多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『日本の宿命 (ISBN-10: 4106105020)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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上位レビュー、対象国: 日本
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2011年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そもそも何のための自由か。
仮に自由になりえた時に、目指すべき価値とはなんなのか。
生きる目的ともいえるこの価値は、語り得ぬものである。
それゆえ、我々は、この語り得ぬものに対して沈黙してきた。
そして目的を忘れ、いつしか手段である自由や民主主義が、目的となった。
私は、なぜ自由に生きられないのかと感じながら閉塞感のうちに日々を暮らしていた。
しかし本書を読んで、私は実は既に自由だった、そしてそのうえで目的が無かったということ
らしいということに気付かされた。
これは、本書の一部の内容に過ぎない。
読者はそれぞれ、本書から感じ取ることが様々あると思う。
第6章第2節以降は、語り得ぬものを果敢に語ろうという試みになる。
著者は、共同体を形成してきた犠牲者(死者)に対する責任を果たすことを義として
これを自由の目的という。これは相対的な価値ではないという。
正直、これに与するほどには、議論に説得力が無い。
これは、著者が引用した
『自己の確信の相対的であることを自覚し、しかもひるむことなくその信念を表明すること』が
文明人であるという言葉に応えたものだろう。
これに関して賛否両論あるのは当然で、著者も自分の義が自由の目的であるということが
唯一絶対ではないことを自覚しているだろう。
そのうえで、信念として、相対的ではない価値として論じている。
他人の信念は主観主義(趣味の問題)に吸収される。
そして、自分の信念もまた同じである。
そのうえで、我々は自由を得ていかに生きるかを問われている。
より練られた続編を期待する。
仮に自由になりえた時に、目指すべき価値とはなんなのか。
生きる目的ともいえるこの価値は、語り得ぬものである。
それゆえ、我々は、この語り得ぬものに対して沈黙してきた。
そして目的を忘れ、いつしか手段である自由や民主主義が、目的となった。
私は、なぜ自由に生きられないのかと感じながら閉塞感のうちに日々を暮らしていた。
しかし本書を読んで、私は実は既に自由だった、そしてそのうえで目的が無かったということ
らしいということに気付かされた。
これは、本書の一部の内容に過ぎない。
読者はそれぞれ、本書から感じ取ることが様々あると思う。
第6章第2節以降は、語り得ぬものを果敢に語ろうという試みになる。
著者は、共同体を形成してきた犠牲者(死者)に対する責任を果たすことを義として
これを自由の目的という。これは相対的な価値ではないという。
正直、これに与するほどには、議論に説得力が無い。
これは、著者が引用した
『自己の確信の相対的であることを自覚し、しかもひるむことなくその信念を表明すること』が
文明人であるという言葉に応えたものだろう。
これに関して賛否両論あるのは当然で、著者も自分の義が自由の目的であるということが
唯一絶対ではないことを自覚しているだろう。
そのうえで、信念として、相対的ではない価値として論じている。
他人の信念は主観主義(趣味の問題)に吸収される。
そして、自分の信念もまた同じである。
そのうえで、我々は自由を得ていかに生きるかを問われている。
より練られた続編を期待する。
2014年12月11日に日本でレビュー済み
2004年刊行。
自由という身近でありふれた概念をその思想的な根拠から問い直している。今の日本であまりにも当然のものになりすぎて、切実感の失われた自由というものに対して、いかにその意味を問い直すかが本書の主題だ。
著者はまず自由という概念が現れた歴史的背景から検討している。近代的な自由の概念は、絶対王政下における身分的抵抗の中から現れた。その後、この自由という概念は、さまざまな思想家の議論の中で彫琢され、社会や国家から自立した自由な個人という理念へと発展していった。近代的な意味における自由は、拘束、障害、抑圧からの自由を第一義とする。そのため、近代思想の文脈の中では、自由は本質的に道徳に対立し、政治的には権力に対立することになる。
しかし、人が社会の中で生きる以上、道徳や権力は不可欠なものだ。ホッブスの社会契約論やカントの道徳律の議論は、人間の自由を絶対的な条件として認めた上で、いかにして権力や道徳を正当化させるのかという試みだったと言ってもいいだろう。だが、カントの時代のような宗教的な背景を当てにすることが出来なくなった現代では、リベラリズムは、功利主義的な方法でしか権力や道徳を正当化する方法を持っていない。
ここに現代リベラリズムが陥るディレンマがある。最大多数の最大幸福を原理として掲げると、大多数のものにとって有益と判断されさえすれば、差別や虐殺も正当化されかねない。また合理的な判断せず、自己利益すら否定して行動するものを批判する根拠がない。つまり、今のリベラリズムには、多数者の圧制や破滅型の個人を拘束する思想的根拠が存在しないのだ。
その結果が、今のアメリカにおけるイラク戦争の正当化や宗教原理主義の台頭などに現れている。一方、日本におけるリベラリズムの限界は、教育の問題として端的に現れた。子供たちが、殺人や売春を個人の自由と言ってしまったとき、それを諭す大人の側にはそれを反論する論拠が何もなかったのだ。
佐伯氏の問題意識は、この点に根ざしている。リベラリズムの限界をどう乗り越えるべきなのか。ここで佐伯氏はバーリンの消極的自由の再評価を試みるが、「‾からの自由」という消極的自由によって、私的領域の確保と社会的多元性が保障されたとしても、それでも価値と価値の抗争は残るとしている。
そこで著者は、個人に先立つものとしての社会、具体的には国家を個人が引き受ける必要があるという。個人は無条件に存在し、自立するものではなく、その前に社会というものに支えられて存在している。そのような端的な事実をまず認めることから始めるべきだという。
結局、リベラリズムのディレンマを乗り越えるためには、個人を超える存在を持ち出さなくてはならない。それが著者にとっての国家が持つ意味だ。この議論は、見方によれば、カントの道徳律と非常に似た理論構成をとっている。しかし、非常に世俗的な形をとってはいるが。
著者の議論はここからかなり雑駁な展開になる。国家を持ち出すことで、この議論を一気に乗り越えようとする著者の議論は少し性急過ぎる印象を受ける。確かに、現代では国家が唯一、個人の存在を保証し拘束する正当性を有している。だが、個人を超える存在として国家だけを認めるその態度自体が、歴史的な偶然に基づいた便宜的なものでしかなく、功利主義的に認められているに過ぎないとも言い得る。本来ならリベラリズムの限界を止揚するためには、この点を理論的に正当化できなくてはならないはずだ。だが、著者の議論はリベラリズムの限界を示して国家の必要性を示唆したにとどまる。本書の主題はここまでといったところだろう。あとは、リベラリズムをめぐるさまざまな逸話にページが割かれている。話題が多岐に渡りすぎていて、若干まとまりも無いように感じる。個人的には、ケインズを中心とした20世紀初頭のケンブリッジサークルの話は非常に興味深かった。国家の正当性をめぐる議論は別の機会にといった感じだ。
著者が個人を超える存在を示唆している点は、現代の人命尊重の観点からは多くの異論が出るかもしれない。個人を超える存在というと非常に性急で極論といった印象を与えかねないが、それでも日本の教育問題やアメリカの外交政策への違和感より始まる著者の思索は、何よりも地に足の付いた議論だと感じる。西欧の人権思想を表層的に受け入れ、思想史を紹介注釈をしているだけの議論とは明らかに一線を画している。本来、生きた思想というのはこういうものを言うのだろう。その意味で学問的議論に関心のない人にとっても非常に意味のある議論だと思う。一度は身近でありふれた自由というものを疑ってみることも必要なのだと感じた。
自由という身近でありふれた概念をその思想的な根拠から問い直している。今の日本であまりにも当然のものになりすぎて、切実感の失われた自由というものに対して、いかにその意味を問い直すかが本書の主題だ。
著者はまず自由という概念が現れた歴史的背景から検討している。近代的な自由の概念は、絶対王政下における身分的抵抗の中から現れた。その後、この自由という概念は、さまざまな思想家の議論の中で彫琢され、社会や国家から自立した自由な個人という理念へと発展していった。近代的な意味における自由は、拘束、障害、抑圧からの自由を第一義とする。そのため、近代思想の文脈の中では、自由は本質的に道徳に対立し、政治的には権力に対立することになる。
しかし、人が社会の中で生きる以上、道徳や権力は不可欠なものだ。ホッブスの社会契約論やカントの道徳律の議論は、人間の自由を絶対的な条件として認めた上で、いかにして権力や道徳を正当化させるのかという試みだったと言ってもいいだろう。だが、カントの時代のような宗教的な背景を当てにすることが出来なくなった現代では、リベラリズムは、功利主義的な方法でしか権力や道徳を正当化する方法を持っていない。
ここに現代リベラリズムが陥るディレンマがある。最大多数の最大幸福を原理として掲げると、大多数のものにとって有益と判断されさえすれば、差別や虐殺も正当化されかねない。また合理的な判断せず、自己利益すら否定して行動するものを批判する根拠がない。つまり、今のリベラリズムには、多数者の圧制や破滅型の個人を拘束する思想的根拠が存在しないのだ。
その結果が、今のアメリカにおけるイラク戦争の正当化や宗教原理主義の台頭などに現れている。一方、日本におけるリベラリズムの限界は、教育の問題として端的に現れた。子供たちが、殺人や売春を個人の自由と言ってしまったとき、それを諭す大人の側にはそれを反論する論拠が何もなかったのだ。
佐伯氏の問題意識は、この点に根ざしている。リベラリズムの限界をどう乗り越えるべきなのか。ここで佐伯氏はバーリンの消極的自由の再評価を試みるが、「‾からの自由」という消極的自由によって、私的領域の確保と社会的多元性が保障されたとしても、それでも価値と価値の抗争は残るとしている。
そこで著者は、個人に先立つものとしての社会、具体的には国家を個人が引き受ける必要があるという。個人は無条件に存在し、自立するものではなく、その前に社会というものに支えられて存在している。そのような端的な事実をまず認めることから始めるべきだという。
結局、リベラリズムのディレンマを乗り越えるためには、個人を超える存在を持ち出さなくてはならない。それが著者にとっての国家が持つ意味だ。この議論は、見方によれば、カントの道徳律と非常に似た理論構成をとっている。しかし、非常に世俗的な形をとってはいるが。
著者の議論はここからかなり雑駁な展開になる。国家を持ち出すことで、この議論を一気に乗り越えようとする著者の議論は少し性急過ぎる印象を受ける。確かに、現代では国家が唯一、個人の存在を保証し拘束する正当性を有している。だが、個人を超える存在として国家だけを認めるその態度自体が、歴史的な偶然に基づいた便宜的なものでしかなく、功利主義的に認められているに過ぎないとも言い得る。本来ならリベラリズムの限界を止揚するためには、この点を理論的に正当化できなくてはならないはずだ。だが、著者の議論はリベラリズムの限界を示して国家の必要性を示唆したにとどまる。本書の主題はここまでといったところだろう。あとは、リベラリズムをめぐるさまざまな逸話にページが割かれている。話題が多岐に渡りすぎていて、若干まとまりも無いように感じる。個人的には、ケインズを中心とした20世紀初頭のケンブリッジサークルの話は非常に興味深かった。国家の正当性をめぐる議論は別の機会にといった感じだ。
著者が個人を超える存在を示唆している点は、現代の人命尊重の観点からは多くの異論が出るかもしれない。個人を超える存在というと非常に性急で極論といった印象を与えかねないが、それでも日本の教育問題やアメリカの外交政策への違和感より始まる著者の思索は、何よりも地に足の付いた議論だと感じる。西欧の人権思想を表層的に受け入れ、思想史を紹介注釈をしているだけの議論とは明らかに一線を画している。本来、生きた思想というのはこういうものを言うのだろう。その意味で学問的議論に関心のない人にとっても非常に意味のある議論だと思う。一度は身近でありふれた自由というものを疑ってみることも必要なのだと感じた。
2014年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これまでに「自由」を取り扱う書物は幾らか読んできたが、「自由」の意味よりも、その意味を考える背景・視座を与えてくれる。
「積極的視座」と「消極的視座」とに分けて考えることから始まり、「なぜ人を殺していけないか」「ケンブリッジサークルでの議論」「援助交際」など幅広い観点から自由を考え、「リベラリズム」をめぐる試行錯誤から生まれてきた市場経済主義。
個人的には、リベラリズムにおける4つの主義(市場中心主義・能力主義・福祉主義・是正主義)の考え方、特にロールズやセンの唱える正義の考え方がより深めることができた。
「自由を成り立たせる何か」について、これまでの歴史的な経緯・市場経済・共同体・義などを踏まえた視座があってこそ、「自由」の観念を見つめていくことができる。
「積極的視座」と「消極的視座」とに分けて考えることから始まり、「なぜ人を殺していけないか」「ケンブリッジサークルでの議論」「援助交際」など幅広い観点から自由を考え、「リベラリズム」をめぐる試行錯誤から生まれてきた市場経済主義。
個人的には、リベラリズムにおける4つの主義(市場中心主義・能力主義・福祉主義・是正主義)の考え方、特にロールズやセンの唱える正義の考え方がより深めることができた。
「自由を成り立たせる何か」について、これまでの歴史的な経緯・市場経済・共同体・義などを踏まえた視座があってこそ、「自由」の観念を見つめていくことができる。
2019年4月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
身の回りにある自由、観念として頭の中にある自由のことを考えるのにいいかも。
2011年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
乱用される自由と言う概念、これに居心地の悪さを感じていた自分には、非常に腑に落ちることが多い本であった。日本に伝わる「義」の概念が参考になった。
本書では、イラク戦争の時に人質にされた左巻き3人への自己責任論に始まり、近代国家を作り上げた「自由」の概念が陥っているパラドクスについて、近代哲学や古代ギリシャのアリストテレスの思想を対比させ、自由について論じている。
一見回り道をしているようだが、一歩ずつ著者の考える自由とそれを担保する「義」という存在に近づいていく過程は、私には分かりやすかった。哲学や自由民主主義のあり方を考えたいのだが、本格的に哲学や社会学に身を投じるわけでもない程度の人間にも分かりやすく噛み砕いてくれた著者に感謝したい。
近代哲学者としてカント、バーリン、ケインズ、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、ニーチェらを登場させている。識者にとっては、彼らの著作のほんの一部だけを切りだして著者が解釈を試みているあたりは突込みどころ満載なのかもしれない。著者もそれは覚悟の上だろう。しかし、私には分かりやすく、本当にありがたかった。世間に流布している「自由」や「リベラリズム」は至上のものかのか、それは個人の命や国家共同体よりも大切なのか、自由とは無条件に与えられるものなのか、そのような疑問を自分で考えていくための出発点として非常にいい本であると思う。
人を殺してはいけない理由を答えられない「自由」の病理、援助交際は誰にも迷惑をかけないから個人の自由として容認せざるを得ない「リベラリズム」に疑問を持つ方におすすめしたい。
本書では、イラク戦争の時に人質にされた左巻き3人への自己責任論に始まり、近代国家を作り上げた「自由」の概念が陥っているパラドクスについて、近代哲学や古代ギリシャのアリストテレスの思想を対比させ、自由について論じている。
一見回り道をしているようだが、一歩ずつ著者の考える自由とそれを担保する「義」という存在に近づいていく過程は、私には分かりやすかった。哲学や自由民主主義のあり方を考えたいのだが、本格的に哲学や社会学に身を投じるわけでもない程度の人間にも分かりやすく噛み砕いてくれた著者に感謝したい。
近代哲学者としてカント、バーリン、ケインズ、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、ニーチェらを登場させている。識者にとっては、彼らの著作のほんの一部だけを切りだして著者が解釈を試みているあたりは突込みどころ満載なのかもしれない。著者もそれは覚悟の上だろう。しかし、私には分かりやすく、本当にありがたかった。世間に流布している「自由」や「リベラリズム」は至上のものかのか、それは個人の命や国家共同体よりも大切なのか、自由とは無条件に与えられるものなのか、そのような疑問を自分で考えていくための出発点として非常にいい本であると思う。
人を殺してはいけない理由を答えられない「自由」の病理、援助交際は誰にも迷惑をかけないから個人の自由として容認せざるを得ない「リベラリズム」に疑問を持つ方におすすめしたい。