村上龍、村上春樹、阿部和重など僕の好きな作家たちを批評した新書を見つけたので読んでみました。
著者は40前半で気鋭の文芸批評家。
なるほど文体にはなかなかキレがありました。
村上龍に対する彼の評価=『ガイド』的文学。
そして説教くさいのが玉に瑕。
著者はその説教臭さを嫌っているというか呆れている様だ。
まぁ確かに彼の小説は見方によっては説教臭い。でもおれは好きだ。そこは好みだろう。
著者によればその説教臭さで一気に文学的価値を下げているとのことだが。
そして春樹に関して著者は『海辺のカフカ』を非常に高く評価している。
逆に、同じく春樹の大作として世間では評価されている『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞受賞)に関しては、阿部和重を用いて批判的な見方をしている。
そこら辺なかなかおもしろい。
ねじまき鳥もカフカも昔読んだけど、あんまり覚えてないから、もう一度読み返そうと改めて思わせてくれた。
阿部和重に対しての批評は非常に新鮮で良かった。僕が好きな阿部和重を筆者も認めているようなので、そういうのって何か嬉しい。
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現代小説のレッスン (講談社現代新書) 新書 – 2005/6/17
石川 忠司
(著)
- 本の長さ231ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2005/6/17
- ISBN-10406149791X
- ISBN-13978-4061497917
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2005/6/17)
- 発売日 : 2005/6/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 231ページ
- ISBN-10 : 406149791X
- ISBN-13 : 978-4061497917
- Amazon 売れ筋ランキング: - 676,343位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2006年6月8日に日本でレビュー済み
文章がかたくて読みにくいところもあるが、まったくわからないというようなところはない。考えればわかる。説明が足りなくてわかりにくいというところはちとあったけど、それも許容範囲。W村上についてはあまり面白く思わなかったが、舞城、森、いしいしんじなど現代の若手作家の実力を論じたところは面白く思った。若い作家を論じる評論って、どうしてもただの紹介になりがちだけれど、彼らの手法の新しさを面白く、たぶん正当に論じているということはなかなか貴重で、そこだけでもタイトルに偽りなしという感じで、好感を持った。
2005年11月1日に日本でレビュー済み
この本でいちばん面白そうに見えるのは、
日本語の圧倒的な「ペラさ」を根拠に
阿部和重や舞城王太郎の文体を分析している部分だろう。
著者によれば、きわめて表層的な言語としての日本語は、
現実世界の厚みを湛えた具体的な事物に到達しようと思えば、
力み返った言葉をトートロジカルに重ねざるを得ないという、
どうにも「ペラい」特質を持っているらしい。
その上で、彼らの文体に典型的にみられる、
・筆圧が高く、妙に力み返った言葉遣いの夜郎自大性
・それゆえの痛快なドライブ感や、饒舌な勢い
・胎児のように肥大した自己の全能感と、観念的な領土拡張意欲
といった特徴を挙げ、
これらは日本語の「ペラさ」と深く結び合っているとするのだが、
一見、なかなか説得力がありそうなこの議論も、
かつての大日本帝国との同質性を云々するあたりになると、
ほとんど思いつきと言っていいようなレベルに堕してしまう。
そもそも、日本語は「ペラい」という主張自体、
中国学者の加地伸行の受け売りに過ぎないようだし、
「中国語の漢字が完全な表意文字であるのに対し、
表音的な使用の性格が強い日本語では、
漢字が本来持っている意味合いが低下している」
という加地の議論の流れからすれば、
「じゃあ、表音文字だけの欧米語はどうなるの?」
という疑問が湧き上がるのをいかんともし難いのだが、
中国語以外との比較がなされる気配はなく、
いかんせん論証が貧弱過ぎて、真に受ける気にはなれない。
単なる思いつきをそのまま活字化したかのような論証の甘さは
この手の文芸批評にはつきものなのだから、
あまり突っ込んでも仕方がないのかもしれないし、
いくつか刺激的な指摘もないではなかったので、
☆三つの評価とした。
日本語の圧倒的な「ペラさ」を根拠に
阿部和重や舞城王太郎の文体を分析している部分だろう。
著者によれば、きわめて表層的な言語としての日本語は、
現実世界の厚みを湛えた具体的な事物に到達しようと思えば、
力み返った言葉をトートロジカルに重ねざるを得ないという、
どうにも「ペラい」特質を持っているらしい。
その上で、彼らの文体に典型的にみられる、
・筆圧が高く、妙に力み返った言葉遣いの夜郎自大性
・それゆえの痛快なドライブ感や、饒舌な勢い
・胎児のように肥大した自己の全能感と、観念的な領土拡張意欲
といった特徴を挙げ、
これらは日本語の「ペラさ」と深く結び合っているとするのだが、
一見、なかなか説得力がありそうなこの議論も、
かつての大日本帝国との同質性を云々するあたりになると、
ほとんど思いつきと言っていいようなレベルに堕してしまう。
そもそも、日本語は「ペラい」という主張自体、
中国学者の加地伸行の受け売りに過ぎないようだし、
「中国語の漢字が完全な表意文字であるのに対し、
表音的な使用の性格が強い日本語では、
漢字が本来持っている意味合いが低下している」
という加地の議論の流れからすれば、
「じゃあ、表音文字だけの欧米語はどうなるの?」
という疑問が湧き上がるのをいかんともし難いのだが、
中国語以外との比較がなされる気配はなく、
いかんせん論証が貧弱過ぎて、真に受ける気にはなれない。
単なる思いつきをそのまま活字化したかのような論証の甘さは
この手の文芸批評にはつきものなのだから、
あまり突っ込んでも仕方がないのかもしれないし、
いくつか刺激的な指摘もないではなかったので、
☆三つの評価とした。
2005年7月8日に日本でレビュー済み
どうして、そんなことを知ったのかは、忘れてしまいましたが、たしかそうでしたので、この本も読みました。
そしたら、面白いですよぉ、この本。
いままで面白い小説を読んで、わだかまっていた気持ちが晴れました!!!
そしたら、面白いですよぉ、この本。
いままで面白い小説を読んで、わだかまっていた気持ちが晴れました!!!
2006年9月1日に日本でレビュー済み
わざとチャート式に整理していないためか
話がそこここに飛んでやや判りにくい。
しかしながら、最近の小説を小気味よく料理していく手腕は
ブックガイドとして決して悪くないのだ。
江国香織をはじめとして女性作家の分析も
もう少しほしいところだが。
話がそこここに飛んでやや判りにくい。
しかしながら、最近の小説を小気味よく料理していく手腕は
ブックガイドとして決して悪くないのだ。
江国香織をはじめとして女性作家の分析も
もう少しほしいところだが。