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歴史認識を乗り越える (講談社現代新書) 新書 – 2005/12/1
小倉 紀蔵
(著)
不毛な議論は、これ一冊で乗り越えられる!これまでの歴史認識議論を一望し、その根源的な問題点、限界を明解に分析。中国、韓国との真の対話を可能にする、未来志向の歴史認識のあり方を、大胆に提示する
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2005/12/1
- ISBN-104061498193
- ISBN-13978-4061498198
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2005/12/1)
- 発売日 : 2005/12/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 237ページ
- ISBN-10 : 4061498193
- ISBN-13 : 978-4061498198
- Amazon 売れ筋ランキング: - 219,426位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 299位日本の思想(一般)関連書籍
- - 913位国際政治情勢
- - 1,394位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
韓国哲学者:小倉紀蔵氏のファンで、さすがと思わせる歴史観満載で満足した一冊です。
2019年2月17日に日本でレビュー済み
朝鮮民族は朱子学の虚妄の「理」で、歴史を「都合の良い様に摘まみ食い」で創造する。
だから、日本の実証的な歴史研究とは、相容れないのが、この本で良く解った。
現在でも、日本の「天皇」を、「日王」と侮辱するのを止めない。国会の議長も新聞社も。
歴史的事実から、愚かな行為である。しかし韓国は、決して正さない。
事実は、日本は、西暦600年から、中国の臣下から抜けて、中国と独立・対等の外交を展開した。
中国は「皇帝」、日本は「天皇」。他方、朝鮮民族は中国の臣下であり「王」である。
そして、日本は、儒教の朱子学は根付かなかった。
役人の「科挙の試験」が、「朱子学での洗脳の道」であるが、日本は「科挙」を採用しなかった。道教も同様。
仏教も、日本の神道に取り込み、飲み込んだ。神仏習合!
そして、天皇も、武士たちも、この仏教の信者である。徳川家は浄土宗であり、南無阿弥陀仏である。
江戸時代の後期には、民衆の新興の神道も活発に活動する。
だから、日本人は、そもそも、儒教・朱子学の「理」など信じていない。
ご先祖様が見守り導く。お天道様に愧じない生き方、徹頭徹尾、人間万歳の世界である。
著者小倉氏は、東大ドイツ文学、ドイツ精神のキリスト教世界、韓国の大学で朱子学の観念論にどっぷりだから、肝腎の日本人の精神が理解できていない。
だから、強引に、日本も朱子学の「理」の世界だと、こじつけて論じる。
韓国と中国では、歴史を捏造する仕組みが良く解る。その点からは、貴重な本である。
要は、人間万歳の、神でさえ人間と同じに見る日本人は、抽象的な「理」に騙されずに、実証的に歴史を研究するから、当然、韓国のものとは正反対になる。
更に「新しい歴史教科書」を造る勢力と比較しているのは愚かである。
日本には、まともな保守の歴史研究家が大勢いる。それを基準に考察すべきである。
中国との「日中歴史共同研究」の成果は素晴らしい。
安倍首相、麻生外相の時期に行い、まともな保守の歴史家が、中国の歴史家と研究を進めた。
日中両国が、併記して論文を記述している。違いが、歴然している。日本の方が実証的である。
出版もされているが、外務省のHPから、無料でダウンロードし、読むことができる。
これと同じことを韓国とも行うべきである。
そうすれば、韓国側の捏造を暴露できる。
日本軍「慰安婦」も、本人の証言、家族、親戚、近所の人々の膨大な証言を集め事実の追求が必要である。
中国では、1985年以降に、南京大虐殺の膨大な証言、2000人近く収集して、実証的な研究に使っている。
韓国は、日本軍「慰安婦」を政治の道具に使用している。先ず、事実の追求が必要である。個々のケースの裏付けをとる必要がある。戦前の朝鮮半島の問題点がそこで明らかになる。
だから、日本の実証的な歴史研究とは、相容れないのが、この本で良く解った。
現在でも、日本の「天皇」を、「日王」と侮辱するのを止めない。国会の議長も新聞社も。
歴史的事実から、愚かな行為である。しかし韓国は、決して正さない。
事実は、日本は、西暦600年から、中国の臣下から抜けて、中国と独立・対等の外交を展開した。
中国は「皇帝」、日本は「天皇」。他方、朝鮮民族は中国の臣下であり「王」である。
そして、日本は、儒教の朱子学は根付かなかった。
役人の「科挙の試験」が、「朱子学での洗脳の道」であるが、日本は「科挙」を採用しなかった。道教も同様。
仏教も、日本の神道に取り込み、飲み込んだ。神仏習合!
そして、天皇も、武士たちも、この仏教の信者である。徳川家は浄土宗であり、南無阿弥陀仏である。
江戸時代の後期には、民衆の新興の神道も活発に活動する。
だから、日本人は、そもそも、儒教・朱子学の「理」など信じていない。
ご先祖様が見守り導く。お天道様に愧じない生き方、徹頭徹尾、人間万歳の世界である。
著者小倉氏は、東大ドイツ文学、ドイツ精神のキリスト教世界、韓国の大学で朱子学の観念論にどっぷりだから、肝腎の日本人の精神が理解できていない。
だから、強引に、日本も朱子学の「理」の世界だと、こじつけて論じる。
韓国と中国では、歴史を捏造する仕組みが良く解る。その点からは、貴重な本である。
要は、人間万歳の、神でさえ人間と同じに見る日本人は、抽象的な「理」に騙されずに、実証的に歴史を研究するから、当然、韓国のものとは正反対になる。
更に「新しい歴史教科書」を造る勢力と比較しているのは愚かである。
日本には、まともな保守の歴史研究家が大勢いる。それを基準に考察すべきである。
中国との「日中歴史共同研究」の成果は素晴らしい。
安倍首相、麻生外相の時期に行い、まともな保守の歴史家が、中国の歴史家と研究を進めた。
日中両国が、併記して論文を記述している。違いが、歴然している。日本の方が実証的である。
出版もされているが、外務省のHPから、無料でダウンロードし、読むことができる。
これと同じことを韓国とも行うべきである。
そうすれば、韓国側の捏造を暴露できる。
日本軍「慰安婦」も、本人の証言、家族、親戚、近所の人々の膨大な証言を集め事実の追求が必要である。
中国では、1985年以降に、南京大虐殺の膨大な証言、2000人近く収集して、実証的な研究に使っている。
韓国は、日本軍「慰安婦」を政治の道具に使用している。先ず、事実の追求が必要である。個々のケースの裏付けをとる必要がある。戦前の朝鮮半島の問題点がそこで明らかになる。
2006年1月9日に日本でレビュー済み
書店には扇情的な右派の本がズラリと並び、一方でアカデミズムは残存左派の巣窟と化している中、私を含め本来は圧倒的多数であろう中間派のための最適な書物である。
中間派は右には「反日」と罵られ、左には「右翼だ」と罵倒される。しかし、何らかの運動になど関わっていない圧倒的多数の人々は、「戦争では日本はやっぱり悪いことをしたと思う、でも、だからといって中韓がいつまでもそのことを持ち出してくるのは腹が立つ」という「穏当」な主張を持っているのだと思う。今のように、「右じゃないなら、左だ」という二者択一を迫る世情には、ほとほとうんざりしているのではないか。
同書で展開されている理論は「中道右派」ぐらいの位置づけになるだろうか。儒教理解など多少アヤシイ部分もあるが(著者のそもそもの専門がドイツ文学なので、仕方がないかもしれないが)、しかし今では珍しい、正真正銘の「中間派」の本であると思う。
中間派は右には「反日」と罵られ、左には「右翼だ」と罵倒される。しかし、何らかの運動になど関わっていない圧倒的多数の人々は、「戦争では日本はやっぱり悪いことをしたと思う、でも、だからといって中韓がいつまでもそのことを持ち出してくるのは腹が立つ」という「穏当」な主張を持っているのだと思う。今のように、「右じゃないなら、左だ」という二者択一を迫る世情には、ほとほとうんざりしているのではないか。
同書で展開されている理論は「中道右派」ぐらいの位置づけになるだろうか。儒教理解など多少アヤシイ部分もあるが(著者のそもそもの専門がドイツ文学なので、仕方がないかもしれないが)、しかし今では珍しい、正真正銘の「中間派」の本であると思う。
2009年3月8日に日本でレビュー済み
近年、中国・韓国(北朝鮮)に対して理性的に批判するのではなく感情的に反発するだけの発言が増えていることに違和感を感じていた(明治期と冷戦期に日本にとって最大の敵だったロシア・ソ連に対する批判はこれほど感情的ではなかったと思う)が、本書によれば、他の成員と倫理・道徳面でたえず「序列」を競い合い、ランク付けしあう儒教的世界観を日本人も含めた東アジア諸国の人間が共有しているがゆえに、日・中・韓が互いに嫌悪感を持つのだ。
江戸時代の日本では、儒教理念を行動指針にしていたのは武士階級に限られたが、明治以降、国民すべてが儒教的意味での主体を形成し、出世競争に参加出来るようになると、国家間にも序列意識が投影されるようになった。さらに日清・日露戦争に従軍した兵士が朝鮮・中国の後進性や清潔感覚の違いを実見したことも重なって、近代化に成功した日本を頂点とする国家間の序列意識、中国・朝鮮に対する優位感情が広がる。これに対して、中国・韓国(北朝鮮)では、日本統治期(中国では抗日戦争期)になってはじめて、儒教思想+ナショナリズムが一般大衆レベルにまで普及したため、日本による統治・侵略を、儒教的観点から道徳的悪行として糾弾することが求められ、日本を倫理・道徳的に劣った存在として下位に位置づける序列意識、日本に対する優位感情が広がったという。
著者は、日本人が近代化の成功という過去の歴史によって、中国・韓国への優位感情を維持しようとするのではなく、彼らの歴史観をより自由度の高い日本の方へ引き寄せていく努力をするべきで、東アジア各国民が持っている他国への優位感情をなくし「序列」のない対等な関係を築くよう努力すべきだと述べていて同感させられる。
江戸時代の日本では、儒教理念を行動指針にしていたのは武士階級に限られたが、明治以降、国民すべてが儒教的意味での主体を形成し、出世競争に参加出来るようになると、国家間にも序列意識が投影されるようになった。さらに日清・日露戦争に従軍した兵士が朝鮮・中国の後進性や清潔感覚の違いを実見したことも重なって、近代化に成功した日本を頂点とする国家間の序列意識、中国・朝鮮に対する優位感情が広がる。これに対して、中国・韓国(北朝鮮)では、日本統治期(中国では抗日戦争期)になってはじめて、儒教思想+ナショナリズムが一般大衆レベルにまで普及したため、日本による統治・侵略を、儒教的観点から道徳的悪行として糾弾することが求められ、日本を倫理・道徳的に劣った存在として下位に位置づける序列意識、日本に対する優位感情が広がったという。
著者は、日本人が近代化の成功という過去の歴史によって、中国・韓国への優位感情を維持しようとするのではなく、彼らの歴史観をより自由度の高い日本の方へ引き寄せていく努力をするべきで、東アジア各国民が持っている他国への優位感情をなくし「序列」のない対等な関係を築くよう努力すべきだと述べていて同感させられる。
2005年12月25日に日本でレビュー済み
本書で著者が主義としているのは、反戦・平和主義を軸として、アジアとの連帯を目指していく方向性であり、すなわちそれは「アジア主義」の一支流であるように思われる。ところが現実の東アジアに目を向ければ、中国は軍備をどんどん拡張して東シナ海の覇権を虎視眈々と狙っているし、北朝鮮は核保有を宣言しミサイルの射程に日本をとらえ、「打撃目標は明確だ」とする宣伝画も一時期話題となった。この両国は元より反日政策で一貫してきた「同志」的関係であるわけだが、近年は韓国までがこの陣営に参画し迷走している。彼の国とのルートを持つと看做されている盧武鉉大統領の取り巻きや、与党議員たちが北朝鮮との共闘を謀っているのだ。このような時流にあって冷静に判断すれば、日本が反戦・平和主義を貫く最善の選択肢は、もはや東アジアでの孤立しかないというのは明白であろう。だが筆者は、それでも東アジアと連帯せよと訴えかけるのである。
私は中国留学経験があるが、ハバーマスの言うような自由に議論する「市民」などいなかった。そこにいたのは外国人に対しては政治的話題を避け、それは<領導>のする事だからと政策には口をつぐむ用心深い知識人たちと、政府の「文明化」というスローガンも空しく響き、缶ビールの開け方も分からぬ田舎の農民、違法商売もなんのそのと無秩序に蠢動する大衆たちである。このような国と果たして対話は成立するだろうか。厳然と存在する民度の格差をしかと認識すべきである。
著者の言う甘美な理想に裏打ちされたその言葉の論旨は既に引き裂かれていて、無惨このうえなく、『韓国は一個の哲学である』を読んで大いに感動した私としては悲しみすら感じてしまう。読者が本書をどう見るかという配慮についても無神経であり、ただただ自分の思い込みだけで突っ走る著者の筆の先には、暗澹たる日本の左翼人士の未来を見る思いがするのは私だけではなかろう。
私は中国留学経験があるが、ハバーマスの言うような自由に議論する「市民」などいなかった。そこにいたのは外国人に対しては政治的話題を避け、それは<領導>のする事だからと政策には口をつぐむ用心深い知識人たちと、政府の「文明化」というスローガンも空しく響き、缶ビールの開け方も分からぬ田舎の農民、違法商売もなんのそのと無秩序に蠢動する大衆たちである。このような国と果たして対話は成立するだろうか。厳然と存在する民度の格差をしかと認識すべきである。
著者の言う甘美な理想に裏打ちされたその言葉の論旨は既に引き裂かれていて、無惨このうえなく、『韓国は一個の哲学である』を読んで大いに感動した私としては悲しみすら感じてしまう。読者が本書をどう見るかという配慮についても無神経であり、ただただ自分の思い込みだけで突っ走る著者の筆の先には、暗澹たる日本の左翼人士の未来を見る思いがするのは私だけではなかろう。
2005年12月25日に日本でレビュー済み
朱子学的枠組みにおける、理の役割とか、客体的主体と主体的主体の関係はともかくとして、著者は、日本の永久謝罪論を説き、中・韓の被害者意識に擦り寄る所謂「サヨク」的態度も、日本を儒教的序列で中韓の上位に位置づけ、日本の永久無罪論を説く所謂「ウヨク」の何れも外に対して閉じた思考であり、東アジアの安定化に寄与しないと説く。その上で、日本の民主主義的価値観を共有するための積極的交流を、日本が主導で、韓国当たりと連携しつつ行うべきと著者は言う。彼はそれを「センター」としての「主体」呼んでいる。考えてみれば当たり前のことで、私などそういう立場で新聞やミニコミなどの各メディアで発言してきているが、なぜか所謂「ネットウヨ」によって、亡国反日分子にされてしまっているのである。それは、親日的態度を持つ同国人を、ともすれば「裏切り」の如くに扱う、韓国の社会風土と同じでしょうに、彼らはそのことに気づかない。著者の靖国や歴史教科書に関する考え方には私自身異論もあるが、ここでは述べない。要は、右と左の偏狭性を超越した議論を打ち立てたいというのが著者の意図であろう。さて、実際にやるとなるとなかなか大変だが、方向性自体は間違っていないと思う。ま、頑張りましょうかね。
2005年12月25日に日本でレビュー済み
靖国問題に象徴される中国・韓国の反日感情やナショナリズムに対し、それに単純に反発する形で、ひとり中国や韓国の問題点のみをあげつらうような本が書店に山積みになっているような現在、そのような現在の日本人の閉じた心性にあきたらない人びとや、また、日本人として今後アジアや世界にどう向き合ってよいかと真剣に思い悩んでいる人びとにとって、明快な指針を与えてくれる。著者と同年代の人間として、冷戦構造やモダンをいまだ引きずっているような、左派・右派といった二項対立的で国論が二分しているような言論空間(右派が攻撃するような純正左派なとどもはや存在しないのだけれど)に対して日頃感じていた違和感から自由な主張を、左派・右派といったタームを用いながらも、ここまで整理して明快に提示してくれている点はうれしい限りである。本書の朱子学的「主体」論もそれだけで興味深いが、これを難しいと感じる読者は飛ばし読みをしてもよい。日本人として「歴史認識をのりこえる」解決法を早急に手に入れたいと思う人びとにとって、自分なりの解決法を見いだすよききっかけとなるだろう。
2006年1月4日に日本でレビュー済み
私はこれまで、歴史認識に関する議論に接するたびに、左右双方から発せられる、えもいわれぬ違和感・嫌悪感を感じてきたが、本書はその正体を見事に解き明かしてくれた。著者が解き明かしてくれた、論争や対話の前にある「歪み」を克服することは容易ではないと思うが、この「歪み」の存在を認識することこそ、出口の見えない泥仕合を真の「論争」へと前進させる第一歩となるであろう。