この本は2006年に書かれているのですが、2014年の今現在、この本のタイトルに対する回答をするのなら、
この当時よりも、はっきりと「愛国者は信用できない」と断言できます。
当時の著者は、安倍晋三氏を指して「信用できない愛国者」の代表として書いたわけではないのでしょうが、
2014年の今、まさに安倍氏は内閣総理大臣として愛国を謳い、人々を欺き、戦争のできる国へと突き進んでいます。
著者が2006年時点から、「愛国を謳う人たち」に危機意識を感じていたことは、先見の明であり、
著者の持っていた危機感はそのまま現実問題となってしまっています。
今この本を読んだとき「信用できない愛国者」とは、そのまま安倍総理と置き換えて読むことができます。
愛国心=自己愛であるという著者の指摘は、まさに安倍総理の行動原理と直結しています。
サミュエル・ジョンソンの有名な「愛国心はならず者の最後の避難場所である」という言葉は、
まさに理屈を無視して、とんでもない執政を行う安倍総理、つまりかつてのブッシュジュニアそのものの在り方です。
著者は長年生粋の右翼団体に所属してきたのですが、右翼=愛国者ではないという指摘は目から鱗でした。
国が荒んでいる状況であれば、右翼は本来、憂国者になるのが筋であるという主張です。
右翼と左翼は正反対と思われがちですが、現体制を変革したいという意味では、実は憂国の右翼と左翼は
近い存在であると分かりました。逆に左翼でも自己愛をベースに、ヘイトスピーチに対するカウンター行動で
「何を言っても我々は許される」としている人たちは、むしろ愛国の右翼に近い存在なのです。
パレスチナでのイスラエルの一般市民の大量虐殺の様子を見ていると、愛国の恐ろしさを感じずにはおられません。
どうも愛国を謳う人々には、根本的な生命への愛というものがすっぽり抜け落ちているようです。
また愛国といっても、その本質は自己愛でしかないため、本当は国を支える柱であるはずの国民すらも大事にはされません。
とにかく自分を愛してくれる人々だけが、愛国者にとってのかけがえのない存在になってしまっています。
平和憲法が蔑ろにされる事を憂いた天皇に対し、天皇を最も尊ぶはずの安倍首相のブレーンが「天皇陛下は安倍政権を批判するな」
と、天皇批判をしています。これなどは現在の日本にいる愛国者がどのような人たちかを、はっきりと示していると感じます。
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愛国者は信用できるか (講談社現代新書) 新書 – 2006/5/19
鈴木 邦男
(著)
愛国者は偉いか? 愛国者は信用できるか!? 三島由紀夫が「愛国心は嫌いだ」といった意味は何だったのか? そして意外にも女帝賛成論だったという事実! 新右翼の大物が書き下ろす全く新しい天皇制と国家論! (講談社現代新書)
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2006/5/19
- ISBN-104061498428
- ISBN-13978-4061498426
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2006/5/19)
- 発売日 : 2006/5/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 200ページ
- ISBN-10 : 4061498428
- ISBN-13 : 978-4061498426
- Amazon 売れ筋ランキング: - 182,724位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年8月23日に日本でレビュー済み
右翼活動40年の著者が日本式愛国心を提唱する。賛同できない部分も多いが「愛国」の歴史を振り返る上で有益な本。
玄洋社のような戦前の愛国者は民権を守ることがメインテーマだった。だから朝鮮や中国の活動かも支援した。しかし戦後右翼は「反共」の旗の下、政府の補助機関に過ぎなくなった。そして過激は左翼がいなくなった今日、右翼は内輪で女帝問題でもめている。要するに矮小化したというのだ。
また著者独自の日本論や天皇論も展開される。現在の若者も愛国心は持っているがその認識はかなり偏っている。その見識を広げる意味でもお勧めできる本。
玄洋社のような戦前の愛国者は民権を守ることがメインテーマだった。だから朝鮮や中国の活動かも支援した。しかし戦後右翼は「反共」の旗の下、政府の補助機関に過ぎなくなった。そして過激は左翼がいなくなった今日、右翼は内輪で女帝問題でもめている。要するに矮小化したというのだ。
また著者独自の日本論や天皇論も展開される。現在の若者も愛国心は持っているがその認識はかなり偏っている。その見識を広げる意味でもお勧めできる本。
2014年3月24日に日本でレビュー済み
いま話題の人、鈴木邦男氏の唱える「愛国心」とはどんなものだろう、との関心から読み出した本である。正直言って良く解らない。文章は慎重で回りくどく、大勢の知識人たちの「引用」で飾り立ててはいるが、どこが氏の本心かがつかみにくいのである。それでは批評にならないので、氏の言わんとするところを、叱責を恐れずに要約してみる。
愛国心の源泉は、「私が住んでいるこの地が好き」といった素朴な郷土意識である。幕藩体制時の「おらがくに」意識だ。西南戦争では西郷隆盛のカリスマ性とその郷土愛に、戊辰戦争で負けた会津の郷土愛と怨念とを戦わせて辛うじて勝った。これに懲りた明治政府は、「雅びな」天皇を国権の中心に押し立ててカリスマ性を付与し、天皇を中心とする国家建設を強要した。つまり「愛国心」は始めから「上から」押しつけられたものだった、と鈴木氏は述べる。
それに抵抗したのが「下からの愛国心」の創造を期す当時の右翼であった。例えば右翼の源流「玄洋社」は「皇室を戴いて民権運動をやる」をモットーにしたが、その第一義は「民権を固守する」ことにあり、「天皇」は「国を愛する」具象として意識されていたに過ぎない。主宰者の遠山満は、ボースや孫文をかくまうなど、国際主義者であり、偏狭な国粋主義者ではなかった。だが昭和に入ると、右翼は「憂国」の情から要人暗殺などの直接行動に奔ったために徹底的に弾圧され、「上からの愛国心」に呑み込まれてしまった。
戦後は、右翼の認識では、日本は共産革命の瀬戸際にあった。右翼の主要な目的は「国を売り渡す」左翼勢力と闘うこととなり、「右翼」は「反共」と同意語になった。その目立った活動は、サミュエル・ジョンソンの有名な言葉「愛国心はならず者の最後の避難場所」にもあるように、時として暴力団の隠れ蓑にも使われた。「愛国心」は自己申告であり、一時はこれ見よがしに愛国心を唱えながら簡単に投げ出してしまう右翼がいかに多かったことか。40年に及ぶ「筋書き入り右翼」鈴木氏には、そういった愛国者を信用できないものに感じるようだ。
ソビエト崩壊以後、共産主義は画餅にすらならなくなった。現在は、敵を失って宛のない憎悪が新たな対象を求めて、無目標に暴走する「ネトウヨ」などの「御時世右翼」(私の命名)がいるだけだ。
もう一つ、右翼が擁護してやまない「天皇制」がある。鈴木氏の観念では「2600年以上の歴史を持つ「万世一系」の天皇制は「日本の文化」そのものであり、国民がどんどん洋風化されていくときに、日本的なものの担い手として存在していることに、国民が「やましさ」を感じているそのことが、天皇制を存続させているのではないかという。天皇は歴史的にも、西洋の君主のようにピラミッドの頂点にあったことはなく、日本という「円の中心」であった。円が動けばそれに従って天皇も動く。この無原則性が本来の天皇制であって、「天皇は神聖にして犯すべからず」といった無謬性も西洋の王政からの輸入であり真似だ、という。
唯一残念なのは、愛国心を巡るもう一つの問題、靖国についての言及がないことだが、とにあれこの要約に大方誤りが無いとすれば、鈴木邦男氏の見解は私たち「無定見派」と全く違いがない。少なくとも私は、中国・韓国への侵略の歴史は認めざるを得ず、彼らの申し立てに大仰な物言いがあったとしても、それをことさらに上げ連ねて、彼らの憤激を増長したくはないし、まして戦争にまで持ち込むなどは論外だ。天皇制にしても、天皇御一家の御辛労に同情しつつも、「国民の象徴」と「文化の結び目」として末永く存続して頂きたいと勝手に望んでいる。もし天皇が再び「国家の象徴」として担ぎ出されるような時には、「朕はその任にあらず」と御聖断を下して欲しい。天皇が厭だと言うことを押しつけるのはまこと「非国民」に違いない。
だが鈴木氏の寛大な右翼ぶりには一抹の不安を感じざるを得ない。右翼ってそんなにものわかり良くていいのだろうか。鈴木氏が言うように「右翼」が「国権」や「左翼」との対立概念であったように、今も何かへの鋭い対立概念でなければならないのではないか。鈴木氏は三島由紀夫の思想を高く評価するが、その三島は御時世右翼との間で奪い合いになっている。大衆社会が行き詰まっていると誰もが考えているこの時期に、三島を超える、最も強硬で万人を震撼ならしめる、新しい政治理論の構築を是非ともお願いしたいものである。
愛国心の源泉は、「私が住んでいるこの地が好き」といった素朴な郷土意識である。幕藩体制時の「おらがくに」意識だ。西南戦争では西郷隆盛のカリスマ性とその郷土愛に、戊辰戦争で負けた会津の郷土愛と怨念とを戦わせて辛うじて勝った。これに懲りた明治政府は、「雅びな」天皇を国権の中心に押し立ててカリスマ性を付与し、天皇を中心とする国家建設を強要した。つまり「愛国心」は始めから「上から」押しつけられたものだった、と鈴木氏は述べる。
それに抵抗したのが「下からの愛国心」の創造を期す当時の右翼であった。例えば右翼の源流「玄洋社」は「皇室を戴いて民権運動をやる」をモットーにしたが、その第一義は「民権を固守する」ことにあり、「天皇」は「国を愛する」具象として意識されていたに過ぎない。主宰者の遠山満は、ボースや孫文をかくまうなど、国際主義者であり、偏狭な国粋主義者ではなかった。だが昭和に入ると、右翼は「憂国」の情から要人暗殺などの直接行動に奔ったために徹底的に弾圧され、「上からの愛国心」に呑み込まれてしまった。
戦後は、右翼の認識では、日本は共産革命の瀬戸際にあった。右翼の主要な目的は「国を売り渡す」左翼勢力と闘うこととなり、「右翼」は「反共」と同意語になった。その目立った活動は、サミュエル・ジョンソンの有名な言葉「愛国心はならず者の最後の避難場所」にもあるように、時として暴力団の隠れ蓑にも使われた。「愛国心」は自己申告であり、一時はこれ見よがしに愛国心を唱えながら簡単に投げ出してしまう右翼がいかに多かったことか。40年に及ぶ「筋書き入り右翼」鈴木氏には、そういった愛国者を信用できないものに感じるようだ。
ソビエト崩壊以後、共産主義は画餅にすらならなくなった。現在は、敵を失って宛のない憎悪が新たな対象を求めて、無目標に暴走する「ネトウヨ」などの「御時世右翼」(私の命名)がいるだけだ。
もう一つ、右翼が擁護してやまない「天皇制」がある。鈴木氏の観念では「2600年以上の歴史を持つ「万世一系」の天皇制は「日本の文化」そのものであり、国民がどんどん洋風化されていくときに、日本的なものの担い手として存在していることに、国民が「やましさ」を感じているそのことが、天皇制を存続させているのではないかという。天皇は歴史的にも、西洋の君主のようにピラミッドの頂点にあったことはなく、日本という「円の中心」であった。円が動けばそれに従って天皇も動く。この無原則性が本来の天皇制であって、「天皇は神聖にして犯すべからず」といった無謬性も西洋の王政からの輸入であり真似だ、という。
唯一残念なのは、愛国心を巡るもう一つの問題、靖国についての言及がないことだが、とにあれこの要約に大方誤りが無いとすれば、鈴木邦男氏の見解は私たち「無定見派」と全く違いがない。少なくとも私は、中国・韓国への侵略の歴史は認めざるを得ず、彼らの申し立てに大仰な物言いがあったとしても、それをことさらに上げ連ねて、彼らの憤激を増長したくはないし、まして戦争にまで持ち込むなどは論外だ。天皇制にしても、天皇御一家の御辛労に同情しつつも、「国民の象徴」と「文化の結び目」として末永く存続して頂きたいと勝手に望んでいる。もし天皇が再び「国家の象徴」として担ぎ出されるような時には、「朕はその任にあらず」と御聖断を下して欲しい。天皇が厭だと言うことを押しつけるのはまこと「非国民」に違いない。
だが鈴木氏の寛大な右翼ぶりには一抹の不安を感じざるを得ない。右翼ってそんなにものわかり良くていいのだろうか。鈴木氏が言うように「右翼」が「国権」や「左翼」との対立概念であったように、今も何かへの鋭い対立概念でなければならないのではないか。鈴木氏は三島由紀夫の思想を高く評価するが、その三島は御時世右翼との間で奪い合いになっている。大衆社会が行き詰まっていると誰もが考えているこの時期に、三島を超える、最も強硬で万人を震撼ならしめる、新しい政治理論の構築を是非ともお願いしたいものである。
2013年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
久し振りに本を新品で買いました。
数日前にたまたま鈴木さんの公演を聴く機会が有り、そこから興味を持ち購入に至りました。
それまでの右翼に対する見方が180度変わってしまいました。
勿論、世の中にはイメージ通りの右翼の方々も大勢居らっしゃるのでしょうが…
最近あらゆる所で目にする、ネトウヨや嫌韓、朝鮮人差別等に対して持っていた疑問を、まさか右翼の大物にその答えを教えて貰うことになるとは思ってもいませんでした。
まず読んで損は無い本です。
数日前にたまたま鈴木さんの公演を聴く機会が有り、そこから興味を持ち購入に至りました。
それまでの右翼に対する見方が180度変わってしまいました。
勿論、世の中にはイメージ通りの右翼の方々も大勢居らっしゃるのでしょうが…
最近あらゆる所で目にする、ネトウヨや嫌韓、朝鮮人差別等に対して持っていた疑問を、まさか右翼の大物にその答えを教えて貰うことになるとは思ってもいませんでした。
まず読んで損は無い本です。
2014年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とにかく鈴木邦男さんはフェアに物事を見る人だなあと感心します。
尊敬できます。
尊敬できます。
2013年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鈴木邦男氏は愛国者として素晴らしい人です。
多くの人に読んでもらいたい。
多くの人に読んでもらいたい。
2006年7月17日に日本でレビュー済み
著者は70年代初頭に右翼団体「一水会」を立ち上げた、その世界の大立者。
今年は特に教育基本法の改正論議で「愛国心」を盛り込むか否かが盛んに語られましたが、そうした時期にあってタイムリーな出版物といえるでしょう。
全体的に至極全うな内容だというのが、率直な読後感です。
国家運営のひとつの装置として天皇が前面に押し出されるようになったきっかけが西郷どんの西南戦争だったというくだりは頷きながら読みました。不平士族をまとめあげていった西郷が持つカリスマ性に立ち向かうため、明治政府が天皇というカリスマを担ぎ上げたというのです。
さらには、愛国心とは人民の権利を守るという思想のもとに始まったはずのものが、国家に乗っ取られ、やがて利用されていったという歴史的変遷にも触れていますが、これもまた大変興味深く読みました。
最後に著者は綴ります。
愛国心とは声高に叫ぶものではなく、「国民一人一人が、心の中に持っていればいい。口に出して言ったら嘘になる。また他人を批判するときの道具になるし、凶器になりやすい。だから、胸の中に秘めておくか、どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい」と。
右翼の大物というプロフィールをもつ著者からは、偏狭で教条主義的な論理が展開されるのではないかとおそれていたのですが、そんな私の想像をあざ笑うかのような内容に驚かされました。
と同時に、この著者にこうした内容の書を執筆させるという出版社の編集センスにも注目したいと思います。
今年は特に教育基本法の改正論議で「愛国心」を盛り込むか否かが盛んに語られましたが、そうした時期にあってタイムリーな出版物といえるでしょう。
全体的に至極全うな内容だというのが、率直な読後感です。
国家運営のひとつの装置として天皇が前面に押し出されるようになったきっかけが西郷どんの西南戦争だったというくだりは頷きながら読みました。不平士族をまとめあげていった西郷が持つカリスマ性に立ち向かうため、明治政府が天皇というカリスマを担ぎ上げたというのです。
さらには、愛国心とは人民の権利を守るという思想のもとに始まったはずのものが、国家に乗っ取られ、やがて利用されていったという歴史的変遷にも触れていますが、これもまた大変興味深く読みました。
最後に著者は綴ります。
愛国心とは声高に叫ぶものではなく、「国民一人一人が、心の中に持っていればいい。口に出して言ったら嘘になる。また他人を批判するときの道具になるし、凶器になりやすい。だから、胸の中に秘めておくか、どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい」と。
右翼の大物というプロフィールをもつ著者からは、偏狭で教条主義的な論理が展開されるのではないかとおそれていたのですが、そんな私の想像をあざ笑うかのような内容に驚かされました。
と同時に、この著者にこうした内容の書を執筆させるという出版社の編集センスにも注目したいと思います。
2013年10月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
愛国者は信用できるかとの標題は驚愕的であった。読んだら、ごく普通の常識的な内容で安心した。本書の中で、清水幾太郎の「愛国心」に触れていたので早速購入した。左翼思想の人たちの「空想的な考えには飽き飽きしています。