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偽りの大化改新 (講談社現代新書) 新書 – 2006/6/21
中村 修也
(著)
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天智天皇は蘇我入鹿殺害に関わっていない!クーデター後、権力掌握のため邪魔者を次々に謀殺した冷血漢とする日本書紀の天智天皇像を疑い、数々の事件の謎を解きながら大化の改新の実像に迫る興奮の一冊!
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2006/6/21
- ISBN-104061498436
- ISBN-13978-4061498433
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対象商品: 偽りの大化改新 (講談社現代新書)
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2006/6/21)
- 発売日 : 2006/6/21
- 言語 : 日本語
- 新書 : 238ページ
- ISBN-10 : 4061498436
- ISBN-13 : 978-4061498433
- Amazon 売れ筋ランキング: - 624,809位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年7月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私たちは、「歴史書」には真実が書かれていると思い込んでいました。しかし、どんな本にも作者・編者の意図が隠されているものですね。歴史は常に勝者によって都合よく書き換えられた。その真実を暴き出した1冊です。
2006年12月7日に日本でレビュー済み
大化の改新で不思議なことがあった。
蘇我氏を打倒したはずなのに、蘇我倉山田石川麻呂がすぐに重用されていることだ。
本書でも触れているが蘇我赤兄という人物も高い位についている。
蘇我氏の勢力を打ち破ったなら蘇我氏が権力の中枢に残ることがあるのか?
それ以前の物部氏が政治の表舞台から去ったように・・・
また、大化の改新と仰々しい名前の割には政治の実績がない・・・
何を「改新」したのかよくわからない。
この書を読んでそんな疑問も氷解した。
なるほど、大化の改新を巡る日本書紀の記述にはそのような裏が隠されていたとは。
本書をこれから読む人のためにタネあかしは避けるが、改新というほど大仰なものではなく、「乙巳の変」と言う程度の政変に過ぎなかったのだ。
道理で大化の改新には具体的な成果がないはずだ。
題名からみると大化の改新が中心の命題のように思える。
しかし、この書を読み終わればわかるが、本当の対象は日本書紀という歴史書である。
歴史書、それも正史には政治的な意図がまとわりついている。
中国史の世界では、それは当然の前提として読まれている。
だが、日本史の世界ではこれまでそういった考えはなく、ナイーブに日本書紀を読んでいたようだ。何のために、誰のためにという当然の疑問を持てば、テキストの意図や裏が読めて来るという当然のことが新鮮に見える。
蘇我氏を打倒したはずなのに、蘇我倉山田石川麻呂がすぐに重用されていることだ。
本書でも触れているが蘇我赤兄という人物も高い位についている。
蘇我氏の勢力を打ち破ったなら蘇我氏が権力の中枢に残ることがあるのか?
それ以前の物部氏が政治の表舞台から去ったように・・・
また、大化の改新と仰々しい名前の割には政治の実績がない・・・
何を「改新」したのかよくわからない。
この書を読んでそんな疑問も氷解した。
なるほど、大化の改新を巡る日本書紀の記述にはそのような裏が隠されていたとは。
本書をこれから読む人のためにタネあかしは避けるが、改新というほど大仰なものではなく、「乙巳の変」と言う程度の政変に過ぎなかったのだ。
道理で大化の改新には具体的な成果がないはずだ。
題名からみると大化の改新が中心の命題のように思える。
しかし、この書を読み終わればわかるが、本当の対象は日本書紀という歴史書である。
歴史書、それも正史には政治的な意図がまとわりついている。
中国史の世界では、それは当然の前提として読まれている。
だが、日本史の世界ではこれまでそういった考えはなく、ナイーブに日本書紀を読んでいたようだ。何のために、誰のためにという当然の疑問を持てば、テキストの意図や裏が読めて来るという当然のことが新鮮に見える。
2010年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「日本書紀」における中大兄皇子(と鎌足も)についての記載は、通説の華やかさに比べて相当にアヤしい、ということを論証してくれた中心部にはまったく文句なし。本当にアヤしいんです。というか、自分が思っていた以上に徹底していかがわしいんだなあ、ということが納得できました。
ただ、この論証部分が多めに見て全体の三分の一程度なんですね。残りは、その論証結果から出発して著者が推理した「真実の」古代史像です。その部分は……うーん、大変僭越ではありますが、ちょっとどうかなあ、と。
まず、著者自身が「日本書紀の記述は簡単に信じられない」と述べておきながら、基本的にその記述のみに頼って「真実」を再構成しているところにムリがある。系譜はノーチェックで信頼してらっしゃるようですし、記事部分も何だか自説と都合の合わないところだけ「作為」とされているようにも読めてしまう。中心論考部分と違い、何をもって「作為」とするのかの考証がされていないのです。
ですので、読む側は論証のできている中心部分と、失礼ながら推論に過ぎない部分とは、注意して分けておく必要があるかと思います。
記紀の系譜についてはいろいろ研究がされており、かなり怪しい部分があることも分かっている。この本で扱っている時代の直前である聖徳太子についても、既にいろいろなことが言われていますよね。著者自身も、皇極の継嗣が相当アヤしいことを明らかにされていますので、この部分もっとつっこんでくれたら面白かった気がします。
蘇我氏についても、聖徳太子と絡めて様々な研究がなされていますから、その辺についての言及がないのもさびしい。
天武天皇の企画に始まったとはいえ、「天智の娘」持統・元明の時代を経て完成したはずの日本書紀でその「天智=中大兄皇子」がどうしてここまで悪役をふられているのか、というのも本書が提起する新たな謎となるはずです。
この本は皇極継嗣から斉明の重咋の部分に、かなり編者の意図が反映されていることを明らかにしていると思います。それなのに、「日本書紀」の枠内で真犯人を探すという矛盾したことをやってしまったのが残念。
もう少し広い視野で考えを進めてくれたら、推理の部分ももっと面白かったのでは、と思ってしまったので、ちょっとキビしめですが☆を減らさせていただきました。(もし端数があれば、☆は3.5くらいでした。)
ただ、この論証部分が多めに見て全体の三分の一程度なんですね。残りは、その論証結果から出発して著者が推理した「真実の」古代史像です。その部分は……うーん、大変僭越ではありますが、ちょっとどうかなあ、と。
まず、著者自身が「日本書紀の記述は簡単に信じられない」と述べておきながら、基本的にその記述のみに頼って「真実」を再構成しているところにムリがある。系譜はノーチェックで信頼してらっしゃるようですし、記事部分も何だか自説と都合の合わないところだけ「作為」とされているようにも読めてしまう。中心論考部分と違い、何をもって「作為」とするのかの考証がされていないのです。
ですので、読む側は論証のできている中心部分と、失礼ながら推論に過ぎない部分とは、注意して分けておく必要があるかと思います。
記紀の系譜についてはいろいろ研究がされており、かなり怪しい部分があることも分かっている。この本で扱っている時代の直前である聖徳太子についても、既にいろいろなことが言われていますよね。著者自身も、皇極の継嗣が相当アヤしいことを明らかにされていますので、この部分もっとつっこんでくれたら面白かった気がします。
蘇我氏についても、聖徳太子と絡めて様々な研究がなされていますから、その辺についての言及がないのもさびしい。
天武天皇の企画に始まったとはいえ、「天智の娘」持統・元明の時代を経て完成したはずの日本書紀でその「天智=中大兄皇子」がどうしてここまで悪役をふられているのか、というのも本書が提起する新たな謎となるはずです。
この本は皇極継嗣から斉明の重咋の部分に、かなり編者の意図が反映されていることを明らかにしていると思います。それなのに、「日本書紀」の枠内で真犯人を探すという矛盾したことをやってしまったのが残念。
もう少し広い視野で考えを進めてくれたら、推理の部分ももっと面白かったのでは、と思ってしまったので、ちょっとキビしめですが☆を減らさせていただきました。(もし端数があれば、☆は3.5くらいでした。)
2007年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
説としては視点を評価できる。でもその裏付けを行う段階で作者がそう「思う」という点から抜けきれず、文献引用も稚拙と感じる。文脈も同じところをぐるぐる回っているばかりと感じてしまった。視点は決して悪くない話なのだが、浅い「お話」になってしまった。
このような説がでてきてあわてて執筆出版したという経緯なのだろうか。歴史ファンは手を出さない事です。他の著者でしっかりとしたものがありますから。
このような説がでてきてあわてて執筆出版したという経緯なのだろうか。歴史ファンは手を出さない事です。他の著者でしっかりとしたものがありますから。
2006年9月16日に日本でレビュー済み
今年に入り、古代史の空白を埋め、また通説・定説をくつがえす注目すべき作品が新書で次々と出版されている。文春新書から水谷千秋『謎の豪族 蘇我氏』、ちくま新書から武澤秀一『法隆寺の謎を解く』、そして講談社現代新書から出た本書。
これらは同時代を扱っており、互いにリンクしている。特に本書が主張する新説と『法隆寺の謎を解く』の内容が期せずして整合している点が大変興味深い。かたや古代史家、かたや建築家、異なるアプローチでありながら両者の説が噛み合っていることは、それだけ信頼度が高いといえるだろう。両書を併読することによって相互に補強しあう関係が生まれ、理解は立体的になる。
これらの説はいずれも根拠を内にもつ水準の高いものであり、浮かんでは消える珍説・奇説などとは違う。むしろ、従来定説とされてきたものがいかに根拠のない思い込みであったのかを教えてくれる良書である。学界における相当なリスクを背負っての出版であったと推測する。頭が下がる思いだ。
これらは同時代を扱っており、互いにリンクしている。特に本書が主張する新説と『法隆寺の謎を解く』の内容が期せずして整合している点が大変興味深い。かたや古代史家、かたや建築家、異なるアプローチでありながら両者の説が噛み合っていることは、それだけ信頼度が高いといえるだろう。両書を併読することによって相互に補強しあう関係が生まれ、理解は立体的になる。
これらの説はいずれも根拠を内にもつ水準の高いものであり、浮かんでは消える珍説・奇説などとは違う。むしろ、従来定説とされてきたものがいかに根拠のない思い込みであったのかを教えてくれる良書である。学界における相当なリスクを背負っての出版であったと推測する。頭が下がる思いだ。
2006年9月24日に日本でレビュー済み
下の方々も言われているように「乙巳の変の首謀者は中大兄である」という定説を覆す新説である。乙巳の変における6つの疑問を元に、これまでの定説の矛盾点とそれに対する著者の新説が分かりやすく書かれており、その疑問点も定説の粗探しではなく、言われてみれば確かにおかしいというもので定説を妄信的に信じていた自分としては足元をすくわれたような思いだ。
真犯人(首謀者)についてもいきなり「誰々である」というのではなく、他の容疑者を十分な論考の上で消去法で消していき、最後に残った「彼」しか考えられないと思わせるその筆(論)技は、さながら推理小説を読んでいるかのごとき錯覚に陥らせる。そして、ではなぜ中大兄が首謀者として書かれていたのか?また、なぜそのような必要性があったのか?という別の犯人像が出てきたと同時に誰もが気になるであろう疑問にもきちんと答えを導き出している。
歴史を学んでいる人もそうでない人も是非一度読まれることをお勧めする。
真犯人(首謀者)についてもいきなり「誰々である」というのではなく、他の容疑者を十分な論考の上で消去法で消していき、最後に残った「彼」しか考えられないと思わせるその筆(論)技は、さながら推理小説を読んでいるかのごとき錯覚に陥らせる。そして、ではなぜ中大兄が首謀者として書かれていたのか?また、なぜそのような必要性があったのか?という別の犯人像が出てきたと同時に誰もが気になるであろう疑問にもきちんと答えを導き出している。
歴史を学んでいる人もそうでない人も是非一度読まれることをお勧めする。
2013年10月15日に日本でレビュー済み
中大兄皇子とは、政治的手腕は優れているが、冷徹で目的のためには手段を選ばない。
私自身、これまで、その事実を疑ったことがなかった。
しかし、現存している史料が、大海人皇子=天武天皇が編纂したものであることを考慮すると、中大兄皇子=天智天皇への見方を変える必要があるだろう。
本書では、史料の不自然な点や矛盾点を洗い出し、中大兄皇子と大化の改新の“真実”に迫ろうとしている。
他の方も記載されているように、本書の主張は推測の域を出ていないものが多い。
しかし、このような考察を積み重ねることで“真実”が見えてくるのだと思う。
私自身、これまで、その事実を疑ったことがなかった。
しかし、現存している史料が、大海人皇子=天武天皇が編纂したものであることを考慮すると、中大兄皇子=天智天皇への見方を変える必要があるだろう。
本書では、史料の不自然な点や矛盾点を洗い出し、中大兄皇子と大化の改新の“真実”に迫ろうとしている。
他の方も記載されているように、本書の主張は推測の域を出ていないものが多い。
しかし、このような考察を積み重ねることで“真実”が見えてくるのだと思う。
2006年9月15日に日本でレビュー済み
あまりにも刺激的なタイトルに、著者の気概が感じられる。通常このようなタイトルで今までの通説を覆すような内容が一般書として出てきたのであれば、それは誰とも知らぬ在野の歴史研究者であったり、歴史好きの小説家辺りが書いた正に「珍説」と呼ぶしかないような本が多い。しかし、この本は現役の大学教授の作品で、きちんとした論考である。であるのに非常に読み易い。 乙巳の変(大化の改新)で中大兄が蘇我入鹿を殺した。という「常識」に潜む不自然さについて、きちんと一つ一つ納得のいく解答を与えてくれている。そもそも、天皇の眼前で殺人を犯しまでしたのにすぐに皇位につくことはなく、なおかつクーデターによって退位したはずの天皇が重祚するといった構造には以前から疑問を感じていた。それが、孝徳の傀儡政権というイメージで納得させられていたということを実感させられた。もちろん歴史のノンフィクションであるのにまるで歴史小説を読んでいるかのようにこれでもかこれでもかと新しい視点が提示されるところが、新しい歴史論考の形であろう。先鋭的である意味「冒険」であるかもしれないが、単なる「珍説・奇説」の類とは一線を画しているということだけは断言できる。