「すみわけ」の概念を発見し、サルの個体識別によりサル山の社会を分析した「サル学」の創設や、自然学を提唱した稀代の生物学者による、人類含めた生物の「進化」について語った6つのエッセイ集です。
人類の進化史を振り返りつつ、ダーウィン進化論とは異なる「今西進化論」を説明することが主題であり、著者の全体論的(ホーリズム)な自然観が全編にわたって読み取ることができます。
まず、”種社会”とは「同種の個体が集まった全体を一つの存在として把握し、個体よりも一段上のレベルの構造的機能的ユニット」と定義し、”種社会”とそれを構成する”個体”は「二にして一のもの」と表現しています。
そして、種社会に備わる”自己完結性”と、環境への”主体的”な対応(体のつくりかえ)によって生物は進化するのであり、「ダーウィン進化論(ネオダーウィニズム)の二本柱である”個体の突然変異”と”自然淘汰”は進化に寄与していない」と、具体事例も交えながら論じています。
例えばコウモリの手は、「自然淘汰によって翼になってゆくのではなく、どの個体の手も同じように翼に変わってゆく」すなわち「どの個体が死にどの個体が生きのびても、手が翼に変わることが種全体で進んでいく」とのことです。
分子生物学についても、「遺伝のメカニズムを分子レベルで解明したものの、要するに種の規格を逸脱しないよう仕組まれているのが分子レベルでも分かったというだけで、突然変異により新種ができる根拠にはなっていない」と指摘しています。
ダーウィンが生物が進化(変化)する要因として、宗教の教義から理論的に逃れるために「(神の)見えざる手」に相当するものを「(環境による)自然淘汰」としましたが、著者によれば「見えざる手」は「(生物自身による)自己完結性」となるわけですね。
ちなみに、生物種の多様性が増していくのは、「種社会がその占める地域を拡大し、気候など環境条件の異なるところを含むようになると、この大きくなった種社会に属するすべての個体を元の枠組みに入れて統一することができなくなり、種社会そのものが自ら分裂する」という”分化”(広い意味での”棲み分け”)であると考えています。
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進化とはなにか (講談社学術文庫 1) 文庫 – 1976/6/7
今西 錦司
(著)
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突然変異と自然淘汰説により理論武装された正統派進化論に対し、著者は名著『生物の世界』以来、生物の進化とは種社会を単位とした生物の世界の歴史的発展であるとの立場から、一貫して疑義を提起している。豊富な踏査探検と試練の上にはじめて構築された今西進化論は正統派進化論を凌駕する今世紀最大の理論の1つである。進化論はあらゆる問題にまたがる本質的認識であるがゆえに、本書に要約された今西進化論こそ必読の文献である。
- 本の長さ220ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1976/6/7
- 寸法10.8 x 1 x 14.8 cm
- ISBN-104061580019
- ISBN-13978-4061580015
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商品の説明
著者について
1902年京都市生まれ。京都帝国大学農学部卒業。京大人文研究所員、同大教授、岐阜大学長などを歴任。1972年文化功労者に選ばれる。京都大学名誉教授、元日本山岳会会長。理学博士。主著に『生物の世界』『山岳省察』『生物社会の論理』『日本山岳研究』『私の進化論』など多数。また『今西錦司全集』(全14巻)がある。1992年6月15日没。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1976/6/7)
- 発売日 : 1976/6/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 220ページ
- ISBN-10 : 4061580019
- ISBN-13 : 978-4061580015
- 寸法 : 10.8 x 1 x 14.8 cm
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年8月19日に日本でレビュー済み
書棚を整理していたら、『進化とはなにか』(今西錦司著、講談社学術文庫)が目に留まり、懐かしさが込み上げてきて、到頭、最後まで読み通してしまった。
今西進化論は、「棲み分け」と「種社会」を中心概念とする独創的な進化論であり、個体レヴェルの自然淘汰が種の進化をもたらすというダーウィン進化論の基本的な原理を否定している。あくまで種が進化の基本単位だというのである。例えば鳥の翼であるが、ダーウィン流に言えば、ある環境下では爬虫類の中で肢が翼のようなものに変わっていった個体は生き残るチャンスが大きいため、その子孫が増えていき、そのうち全部の個体が鳥になってしまったということになる。一方、今西は、爬虫類のある種はどの個体も一斉に肢が翼に変わってきたので、空を飛ぶことになったというのである。個体レヴェルでは多少の前後があっても、長い目で見れば種の全個体がある定まった方向へ変化していくというのだ。
しかしながら、その定向進化の個体レヴェル、さらには遺伝子レヴェルのミクロなメカニズムまでは、今西進化論も明らかにしていない。
それにしても、進化論には、いつもワクワクさせられるなあ。
今西進化論は、「棲み分け」と「種社会」を中心概念とする独創的な進化論であり、個体レヴェルの自然淘汰が種の進化をもたらすというダーウィン進化論の基本的な原理を否定している。あくまで種が進化の基本単位だというのである。例えば鳥の翼であるが、ダーウィン流に言えば、ある環境下では爬虫類の中で肢が翼のようなものに変わっていった個体は生き残るチャンスが大きいため、その子孫が増えていき、そのうち全部の個体が鳥になってしまったということになる。一方、今西は、爬虫類のある種はどの個体も一斉に肢が翼に変わってきたので、空を飛ぶことになったというのである。個体レヴェルでは多少の前後があっても、長い目で見れば種の全個体がある定まった方向へ変化していくというのだ。
しかしながら、その定向進化の個体レヴェル、さらには遺伝子レヴェルのミクロなメカニズムまでは、今西進化論も明らかにしていない。
それにしても、進化論には、いつもワクワクさせられるなあ。
2015年4月9日に日本でレビュー済み
本書は「今西進化論」と称される一連の著作6編の集積である。
以前から今西進化論のことは噂には聞いていたが、今日まで直接触れる機会を逃してきた。
こうした学説の評価は、又聞きに相当する他人の解説のような二次文献ではなく、本人の著した一次文献に当たることが肝要である。
その意味で、噂として聞こえる巷の評は聞き流して保留してきたが、遅すぎるかもしれないが、ようやく今頃になって今西錦司博士の手になる文献を読むことができた。
著者は、(1970年代半ばから見て)50年後に自分の主張を理解してくれる研究者が増えていることを願いつつ本書を編集してようである。
しかし、今その時代に近づいた今日、本書を読み終えて私には今西氏の繰返す、従来の進化学説に対する批判に違和感を感じている。
一つは、著者が自ら叛逆するとする相手、旧来のダーウィニズムに基づく「進化の総合学説」が色あせている現時点で、今西博士の追及する点が空しく感じられるのである。
今西博士は、自分の反逆の焦点が「自然淘汰」と「突然変異」の進化における役割の否定にあることを力説してる。
今西博士の認識では「自然淘汰」と「最適者生存」が等しい意味合いで語られている。
博士の批判の論点は、自然淘汰で最適者のみが生き残り他は取り除かれ生存競争から脱落して子孫を残せないという認識の上で、常に最適者のみが淘汰によって生き残り繁栄するという図式では種内変異の壁を越えて新しい種をつくり出す進化は起こらないという。
そして、その壁を突き破るためにダーウィニズムの信奉者たちは”苦肉の策”として「突然変異」を持ち出し、理論の二本柱としたとみなした。
そして、多くの突然変異が「最適者」であるよりも標準個体より劣ることが圧倒的に多いことが進化の総合説の矛盾なのだと批判している。
つまり、ほとんどが標準個体より劣る突然変異個体は最適者になどに成り得ないから、種の枠を飛び越える進化の説明に「突然変異」は何の説得力もなく、理論の柱になど成り得ないというのだ。
また、たとえ突然変異で最適者が現れても、世代を重ねるうちにその適者としての特徴は拡散してしまい、その他大勢の標準個体の中に飲み込まれ希薄化してしまい、突然変異個体が拡がって新しい種を生み出すに至らないとも言っている。
また、その最適者の突然変異個体が、不慮の事故などで生殖可能にまで成長する前に死んでしまうこともあるだろうから、最適な突然変異固体が他を圧倒して個体数を増して新たな種として進化に至ることは考えられないとも言っている。
このような今西博士の批判は、ごく初期の進化の総合説を、さらに極端な形で表して、その極端な部分を取り上げて行われている。
本書に収録された、一連のこうした主張は、分子生物学の成果が進化学に及んできた70年代半ばの記述にさえそのまま書かれている。
その時までの遺伝学の成果や、分子生物学の成果を精査せずに、それを科学研究の微細化・精密化の偏狭な領域にこもった大局的な視野を持たない研究とみなし、物理学のような還元主義に毒された研究だと言い捨ててしまっている。
著者の批判する進化の総合説の方が、こうした研究成果を取り込み、今西博士の批判する学説から大きく脱皮していることを、まるで知らないように従来の批判を繰り返している。
この点に関しては、今西博士が叛逆相手の変貌をどれだけ認識していたのか定かでないが、相手が変化しているのに批判の論調が変わっていないという点で、その主張が空しく感じられるのである。
今西博士は、分子生物学も還元主義的で全体を見渡す視野を持たないつまらない研究分野だと考えているようである。
しかし実際は、当時すでに木村資生博士の集団遺伝学と分子進化学の成果から生まれた「中立進化説」のように、「突然変異」=「最適者」の図式を陳腐化する概念が世に出ていたことを考えれば、敵を知らずして思い込みで決めつけていたことを免れない。
それが、分子生物学を過小評価してしまった今西博士の盲点であろう。
今西博士の批判の論点が、批判相手の中には既に過去のものとなっていて、批判の矛先がかみ合わなくなってしまっていたのである。
これが私がこの著作から感じられた、今西博士の追及の空しさの原因である。
しかし、今西錦司博士の主張は既存の進化の総合説への批判だけではない。
既存の進化論に対する批判だけではなく、進化に関する博士オリジナルの概念が導入されている。
一言で要約するなら「種社会」という概念とその棲み分け、そして種社会を構成する同種の個体すべてに内在的な「定向進化」の要因があるという点である。
種はそれを構成する同じ種の個体すべてが、「変わるべくして変わる」ことで新しい種に進化するという。
残念ながら、本書に収録された各編を読んでも、その詳しいメカニズムに関する記載はない。
ただ、ダーウィン流の「自然選択」が「見えざる手」に左右されるという表現になぞらえてか、定向進化の要因も見えざる手の為す技なのかもしれぬという趣旨の表現がみられるのみである。
これらの今西博士の主張する点について、本書を読んだ段階で私には批評をするだけの用意は無い。
この点を著者の他の著書にも尋ねてみて、もう少し今西博士の主張をより深く認識したいと思う。
ただ、「種社会」の棲み分けの概念は、生態学者としての今西博士の代表的業績である生態学における「棲み分け理論」の発想が根底にあるように感じる。
科学史上の認識としては今西進化論の評価は私の中ではまだ保留と云ったところであるが、今西博士の糾弾した初期の「進化の総合説」は、高等学校の旧課程の生物の進化論の定説として記載されていたものであるから、この著作の博士の批判の論点が、その問題点を明らかにしてくれていることについては、教育的な意味で有用である。
高校の教科書で進化の定説とされて教えられ続けてきたものの問題点を認識するためには、個人的に有益であったことを述べておく。
そして、集団遺伝学や分子進化学の成果がどのように、その問題点の是正に係わっているのかの理解にも、別の視点からの理解を深めるきっかけとなった。
その意味では高校の理科教育に係わるものとして個人的に有用な書籍であった。
評価の☆3つというのはこのような、まだ評価を保留中であるという意味である。
以前から今西進化論のことは噂には聞いていたが、今日まで直接触れる機会を逃してきた。
こうした学説の評価は、又聞きに相当する他人の解説のような二次文献ではなく、本人の著した一次文献に当たることが肝要である。
その意味で、噂として聞こえる巷の評は聞き流して保留してきたが、遅すぎるかもしれないが、ようやく今頃になって今西錦司博士の手になる文献を読むことができた。
著者は、(1970年代半ばから見て)50年後に自分の主張を理解してくれる研究者が増えていることを願いつつ本書を編集してようである。
しかし、今その時代に近づいた今日、本書を読み終えて私には今西氏の繰返す、従来の進化学説に対する批判に違和感を感じている。
一つは、著者が自ら叛逆するとする相手、旧来のダーウィニズムに基づく「進化の総合学説」が色あせている現時点で、今西博士の追及する点が空しく感じられるのである。
今西博士は、自分の反逆の焦点が「自然淘汰」と「突然変異」の進化における役割の否定にあることを力説してる。
今西博士の認識では「自然淘汰」と「最適者生存」が等しい意味合いで語られている。
博士の批判の論点は、自然淘汰で最適者のみが生き残り他は取り除かれ生存競争から脱落して子孫を残せないという認識の上で、常に最適者のみが淘汰によって生き残り繁栄するという図式では種内変異の壁を越えて新しい種をつくり出す進化は起こらないという。
そして、その壁を突き破るためにダーウィニズムの信奉者たちは”苦肉の策”として「突然変異」を持ち出し、理論の二本柱としたとみなした。
そして、多くの突然変異が「最適者」であるよりも標準個体より劣ることが圧倒的に多いことが進化の総合説の矛盾なのだと批判している。
つまり、ほとんどが標準個体より劣る突然変異個体は最適者になどに成り得ないから、種の枠を飛び越える進化の説明に「突然変異」は何の説得力もなく、理論の柱になど成り得ないというのだ。
また、たとえ突然変異で最適者が現れても、世代を重ねるうちにその適者としての特徴は拡散してしまい、その他大勢の標準個体の中に飲み込まれ希薄化してしまい、突然変異個体が拡がって新しい種を生み出すに至らないとも言っている。
また、その最適者の突然変異個体が、不慮の事故などで生殖可能にまで成長する前に死んでしまうこともあるだろうから、最適な突然変異固体が他を圧倒して個体数を増して新たな種として進化に至ることは考えられないとも言っている。
このような今西博士の批判は、ごく初期の進化の総合説を、さらに極端な形で表して、その極端な部分を取り上げて行われている。
本書に収録された、一連のこうした主張は、分子生物学の成果が進化学に及んできた70年代半ばの記述にさえそのまま書かれている。
その時までの遺伝学の成果や、分子生物学の成果を精査せずに、それを科学研究の微細化・精密化の偏狭な領域にこもった大局的な視野を持たない研究とみなし、物理学のような還元主義に毒された研究だと言い捨ててしまっている。
著者の批判する進化の総合説の方が、こうした研究成果を取り込み、今西博士の批判する学説から大きく脱皮していることを、まるで知らないように従来の批判を繰り返している。
この点に関しては、今西博士が叛逆相手の変貌をどれだけ認識していたのか定かでないが、相手が変化しているのに批判の論調が変わっていないという点で、その主張が空しく感じられるのである。
今西博士は、分子生物学も還元主義的で全体を見渡す視野を持たないつまらない研究分野だと考えているようである。
しかし実際は、当時すでに木村資生博士の集団遺伝学と分子進化学の成果から生まれた「中立進化説」のように、「突然変異」=「最適者」の図式を陳腐化する概念が世に出ていたことを考えれば、敵を知らずして思い込みで決めつけていたことを免れない。
それが、分子生物学を過小評価してしまった今西博士の盲点であろう。
今西博士の批判の論点が、批判相手の中には既に過去のものとなっていて、批判の矛先がかみ合わなくなってしまっていたのである。
これが私がこの著作から感じられた、今西博士の追及の空しさの原因である。
しかし、今西錦司博士の主張は既存の進化の総合説への批判だけではない。
既存の進化論に対する批判だけではなく、進化に関する博士オリジナルの概念が導入されている。
一言で要約するなら「種社会」という概念とその棲み分け、そして種社会を構成する同種の個体すべてに内在的な「定向進化」の要因があるという点である。
種はそれを構成する同じ種の個体すべてが、「変わるべくして変わる」ことで新しい種に進化するという。
残念ながら、本書に収録された各編を読んでも、その詳しいメカニズムに関する記載はない。
ただ、ダーウィン流の「自然選択」が「見えざる手」に左右されるという表現になぞらえてか、定向進化の要因も見えざる手の為す技なのかもしれぬという趣旨の表現がみられるのみである。
これらの今西博士の主張する点について、本書を読んだ段階で私には批評をするだけの用意は無い。
この点を著者の他の著書にも尋ねてみて、もう少し今西博士の主張をより深く認識したいと思う。
ただ、「種社会」の棲み分けの概念は、生態学者としての今西博士の代表的業績である生態学における「棲み分け理論」の発想が根底にあるように感じる。
科学史上の認識としては今西進化論の評価は私の中ではまだ保留と云ったところであるが、今西博士の糾弾した初期の「進化の総合説」は、高等学校の旧課程の生物の進化論の定説として記載されていたものであるから、この著作の博士の批判の論点が、その問題点を明らかにしてくれていることについては、教育的な意味で有用である。
高校の教科書で進化の定説とされて教えられ続けてきたものの問題点を認識するためには、個人的に有益であったことを述べておく。
そして、集団遺伝学や分子進化学の成果がどのように、その問題点の是正に係わっているのかの理解にも、別の視点からの理解を深めるきっかけとなった。
その意味では高校の理科教育に係わるものとして個人的に有用な書籍であった。
評価の☆3つというのはこのような、まだ評価を保留中であるという意味である。
2013年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今西がコンピュータの恩恵を受けていたならと思う。それは分子生物学を知らないと言うよりは、情報化の進展が人間の思考パラダイムに与える恩恵を享受していないと言うことでである。私は、ダーウィン流の進化論ですべてを説明出来るとは思わない点では筆者と共感できるが、ダーウィン流の効果もあると思っている。
2007年7月19日に日本でレビュー済み
大学の大大大先輩。
ある意味、「イカ京」。
学会発表で世界中から???と評されたとき
ホテルに戻り、この本を読み
自分を奮い立たせてくれる元気の素。
ある意味、「イカ京」。
学会発表で世界中から???と評されたとき
ホテルに戻り、この本を読み
自分を奮い立たせてくれる元気の素。
2018年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
突然変異と自然淘汰によって生物の進化を説明しようとするダーウィンの進化論には納得できないことは
100%同意できる。
ただ、最終章で「ダーウィンは造物主とか神とかいったものには一切色気をみせないで、
彼の進化論をまとめあげたが、そのかわり自然淘汰という「見えざる手」のみちびきを仮定しなければ
ならなかった。自然淘汰を否定した私は、ある種のサルが人類になるべくしてなったのだといったけれども、これを
ある種のサルが「見えざる手」にみちびかれて人類になったのだ、というように変えてみても、結局同じことで
あるかもしれない。種の個体も種社会も、あるいは生物全体社会も地球の全ても、ある順序をふんで現在まで
進化してきたことは事実である。しかし、この進化ははじめから「見えざる手」によってみちびかれていた、と
考えられないこともない。
(中略)
「見えざる手」はおそらく生物の外にも生物のなかにもひそんでいるであろう。地球のすべてがはじめから
「見えざる手」にみちびかれて進化してきた、というかわりに、地球のすべてがはじめから自己完結性にみちびかれて進化
してきたといっても、けっきょくは同じことであるかもしれない。そうだとしたら「見えざる手」というような誤解を
招く恐れのある言葉を使うよりも、自己完結性といっておいたほうがいくらか無難であるのかもしれない。」
* ある種のサルが人類に進化したということも、生物全体社会がその自己完結性をめざすうえで、いつかは
実現されねばならない問題だったのかもしれない。
上記を読んでずっこけてしまった。「見えざる手」とか「自己完結性」とか、これはキリストとか神とかいっているのと
同じではないか!! 思想・哲学とか、あるいは宗教と言うなら話はわかる。ただ科学でないことは確かだ。
100%同意できる。
ただ、最終章で「ダーウィンは造物主とか神とかいったものには一切色気をみせないで、
彼の進化論をまとめあげたが、そのかわり自然淘汰という「見えざる手」のみちびきを仮定しなければ
ならなかった。自然淘汰を否定した私は、ある種のサルが人類になるべくしてなったのだといったけれども、これを
ある種のサルが「見えざる手」にみちびかれて人類になったのだ、というように変えてみても、結局同じことで
あるかもしれない。種の個体も種社会も、あるいは生物全体社会も地球の全ても、ある順序をふんで現在まで
進化してきたことは事実である。しかし、この進化ははじめから「見えざる手」によってみちびかれていた、と
考えられないこともない。
(中略)
「見えざる手」はおそらく生物の外にも生物のなかにもひそんでいるであろう。地球のすべてがはじめから
「見えざる手」にみちびかれて進化してきた、というかわりに、地球のすべてがはじめから自己完結性にみちびかれて進化
してきたといっても、けっきょくは同じことであるかもしれない。そうだとしたら「見えざる手」というような誤解を
招く恐れのある言葉を使うよりも、自己完結性といっておいたほうがいくらか無難であるのかもしれない。」
* ある種のサルが人類に進化したということも、生物全体社会がその自己完結性をめざすうえで、いつかは
実現されねばならない問題だったのかもしれない。
上記を読んでずっこけてしまった。「見えざる手」とか「自己完結性」とか、これはキリストとか神とかいっているのと
同じではないか!! 思想・哲学とか、あるいは宗教と言うなら話はわかる。ただ科学でないことは確かだ。
2002年4月6日に日本でレビュー済み
私は生物学の専門家ではないので、本書の学問的価値はわからない。しかし、本書が非常に面白い本であるということは言える。
私にとってとりわけ印象的であったのは、欧米の進化論の、環境に対する適応としての自然淘汰の仮説に対しての今西の反論である。今西は言う。「生物に主導性を置くことが目的論になるのであったらどうして環境に主導性を置くことも目的論にならないのだろうか?」と。そして、生物・環境の両者の要請の一致に進化が現れるという。
文章もわかりやすく書かれており、生物学・進化論に興味のあるという方には是非読んでいただきたい。
私にとってとりわけ印象的であったのは、欧米の進化論の、環境に対する適応としての自然淘汰の仮説に対しての今西の反論である。今西は言う。「生物に主導性を置くことが目的論になるのであったらどうして環境に主導性を置くことも目的論にならないのだろうか?」と。そして、生物・環境の両者の要請の一致に進化が現れるという。
文章もわかりやすく書かれており、生物学・進化論に興味のあるという方には是非読んでいただきたい。
2015年10月19日に日本でレビュー済み
人を惑わす疑似科学。崇拝者が多いので感染しない様ご注意ください。