「私の個人主義」において漱石は、英国留学中の苦悩からの脱出について、
「私は始めて文学とはどんなものであるか、そのの概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救う道はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍のように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気が付いたのです。」(133~4頁)
と語っている。
そして、「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。」(136頁)と、それまでの「他人本位」の生き方から「自己本位」の生き方へ自らを転換し、主体的な生を回復したのである。
これが近代的自我に目覚めた漱石における個の確立であった。
またこれを現代の精神医学的な見地から言えば、神経衰弱(うつ病)からの回復過程とも言えるだろう。
漱石は聴衆である学習院の学生たちに向かって、
「ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう間投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が出来るのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。」(139頁)
という言葉を投げかけているが、これは正しく「自己本位」を確立した漱石自身の心の叫びでもあったに違いない。
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私の個人主義 (講談社学術文庫) 文庫 – 1978/8/8
夏目 漱石
(著)
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文豪漱石は、座談や講演の名手としても定評があった。身近の事がらを糸口に、深い識見や主張を盛り込み、やがて独創的な思想の高みへと導く。その語り口は機知と諧謔に富み、聴者を決してあきさせない。漱石の根本思想たる近代個人主義の考え方を論じた「私の個人主義」、先見に富む優れた文明批評の「現代日本の開化」、他に「道楽と職業」「中味と形式」「文芸と道徳」など魅力あふれる5つの講演を収録。
- ISBN-104061582712
- ISBN-13978-4061582712
- 出版社講談社
- 発売日1978/8/8
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 0.7 x 14.8 cm
- 本の長さ170ページ
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商品の説明
著者について
1867〜1916 作家。本名金之助。江戸牛込の生まれ。東京大学英文科を卒業。1900年文部省留学生として渡英、帰国後東京大学にて「文学論」「十八世紀英文学」を講ずる。まもなく朝日新聞社に入り、以後多くの名作を残す。主著に『吾輩は猫である』『こころ』『明暗』など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1978/8/8)
- 発売日 : 1978/8/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 170ページ
- ISBN-10 : 4061582712
- ISBN-13 : 978-4061582712
- 寸法 : 10.8 x 0.7 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 9,991位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12位講談社学術文庫
- - 1,855位ビジネス・経済 (本)
- - 2,802位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1867-1916)1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。
帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。
翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月23日に日本でレビュー済み
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およそ百年近く前の講演録とは思えないほど、個人主義の本質を突いた名書。現代の左翼は、個性尊重だとか多様性だとかさも分かった様なことをいいながら、やってることと言えば、本来相対的なものに過ぎない個性の価値とやらを押し売りしているだけです。現に、自分たちの価値観に合わない人間の言うことは毫も認めないばかりか、よってたかって叩いて排斥し、それを恰も正義の様に振りかざすから始末が悪い。現代の状況は、漱石が生きていた時代と何ら変わらないと思いました。表面的な価値観の変化に人が追いつけないのはいつの時代も同じなんですね
2023年8月1日に日本でレビュー済み
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当時の、聴衆の聞き取るレベルを計りながら、聞く話として分かりやすく語るために考えられた結果か、常々に考えられていた傾向か、講演として話されるまでの、漱石さんの頭の中での経緯は分かりませんが、小説を書かれるまでに考えられていたことが、良く分かる記録だと思いました。
2016年7月8日に日本でレビュー済み
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わたしの頭ではちょっと難しい
でも頑張って味わえるよう自分を磨きます
でも頑張って味わえるよう自分を磨きます
2023年9月30日に日本でレビュー済み
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あの夏目漱石が語った内容です。
小説家としての夏目漱石でなく
すべて的を得た講義のような内容。
また読みます。
小説家としての夏目漱石でなく
すべて的を得た講義のような内容。
また読みます。
2012年11月22日に日本でレビュー済み
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漱石はその文筆力だけでなく、座談や講演の名人でもあったそうです。
この本にはその漱石の講演を5つ収録した本になっています。
その中で私が特に感銘を受けた2つの話について書きたいと思います。
まず1つ目は「現代日本の開化」というテーマです。
ここで漱石は、日本の近代化、文明の発展の構造を批判します。
この講演が行われたのは1911年のことです。
当時日本は1905年に日露戦争で勝利し、1910年に韓国を植民地として併合するなど帝国主義国家として欧米列強に肩を並べるほどの力を持つ国になっていました。
このように日本が近代化に成功し、力をつけていった時期にあえて漱石は日本の発展に異議を唱えたのです。
それはどのような異議、批判だったか。
端的に言えば、「日本の改革は全て外発的である」ということです。
つまり日本の近代化、改革というものは全て欧米のものを外から取り入れただけのものに過ぎないことを指摘したのです。
漱石曰く、西洋の近代化というものは自分たちの力で長い年月をかけ、内発的に行われた改革である。それに対して日本はそのような西洋の近代化、改革を短期間で表面的にマネただけに過ぎない、と断じたのです。
これ指摘は全くもって正しいのではないでしょうか。
確かに西洋の産業革命は、ヨーロッパで数多くの戦争、侵略が繰り返された結果もたらされた正に内発的なものだと言えます。
それに対して日本の近代化の期限として思い出されるのは、もちろん黒船来航といった典型的な「外圧」であると思います。
さらに漱石は、このような表面的な上滑りの改革を続けていけば神経衰弱のような状態に陥り失敗に至ってしまうだろう、とも発言をしています。
この予想も的確だと言えます。その後日本は帝国主義の様相をますます強め、あの無謀な戦争に突入し敗戦しました。そして戦後も西洋近代に追いつけ追い越せで経済繁栄に明け暮れた結果、バブル崩壊を経験し長期にわたる経済低迷に陥り、2011年には震災、そして近代化の産物である原子力発電の爆発事故を経験しました。
漱石の心配は残念ながら現実のものになってしまったようです。
この講演の中で漱石は日本の歩む道として、無闇矢鱈に外からの改革を取り入れるのではなく、西洋のように自らの手で内発的な改革の道を行くべきであると論じています。この言葉は100年の時を経た、今日の私たちの耳にも新鮮に響くものだと思います。今こそ先人の貴重な意見に習うべきなのだという気を新たにします。
最後のテーマは、本のタイトルの通り「私の個人主義」です。
「私の個人主義」の講演は学習院で行われたものです。この中で漱石は題目通り個人主義を説きます。しかし当時の学習院という場所で個人主義の重要性を説くことは、勇気の要る試みだったのではないでしょうか。
なぜならば、当時は戦争以前の家政国家の時代でしたし、なにより学習院は皇室と関係の深い上流子弟の学生が多い学び舎だったのです。しかし、そのような状況であったからこそあえて漱石は個人主義を語ったのです。
それは学習院の生徒たちが将来権力や金力を持って人々を支配する地位に就くであろうことを踏まえての言葉でした。とかく利己主義と誤認されがちな個人主義をこの場で演説する漱石の覚悟には敬意を表するしかありません。
さて、漱石の説いた個人主義についてですが、これは漱石の英国留学の体験を抑えずしては語れないのではないでしょうか。
文学とは何か、そのテーマに基づき様々な思考を巡らせていた漱石が英国留学を通じて東西の考え方の違うところから、他人本位を「人真似」とし、個人の意志を基盤とする個人主義を通じて自己の立脚地を固めていったのです。
この他人本位の姿勢を人真似であると批判する姿勢は漱石の論理的な一貫性を感じさせます。前述の「現代日本の開化」でも、他人本位の外発的な改革を厳しく評価していたことを思い出させます。
この本を通じて考えさせられたのは、漱石の言説には徹頭徹尾、筋が通っているということでした。
この姿勢というものは人としての基本であると思いますし、その心構えを自分の主義主張に活かしていたからこそ、漱石の作品や講演は多くの人々をひきつけ、支持されてきたのではないでしょうか。
このようなことを学び取れる有益な一冊でした。
この本にはその漱石の講演を5つ収録した本になっています。
その中で私が特に感銘を受けた2つの話について書きたいと思います。
まず1つ目は「現代日本の開化」というテーマです。
ここで漱石は、日本の近代化、文明の発展の構造を批判します。
この講演が行われたのは1911年のことです。
当時日本は1905年に日露戦争で勝利し、1910年に韓国を植民地として併合するなど帝国主義国家として欧米列強に肩を並べるほどの力を持つ国になっていました。
このように日本が近代化に成功し、力をつけていった時期にあえて漱石は日本の発展に異議を唱えたのです。
それはどのような異議、批判だったか。
端的に言えば、「日本の改革は全て外発的である」ということです。
つまり日本の近代化、改革というものは全て欧米のものを外から取り入れただけのものに過ぎないことを指摘したのです。
漱石曰く、西洋の近代化というものは自分たちの力で長い年月をかけ、内発的に行われた改革である。それに対して日本はそのような西洋の近代化、改革を短期間で表面的にマネただけに過ぎない、と断じたのです。
これ指摘は全くもって正しいのではないでしょうか。
確かに西洋の産業革命は、ヨーロッパで数多くの戦争、侵略が繰り返された結果もたらされた正に内発的なものだと言えます。
それに対して日本の近代化の期限として思い出されるのは、もちろん黒船来航といった典型的な「外圧」であると思います。
さらに漱石は、このような表面的な上滑りの改革を続けていけば神経衰弱のような状態に陥り失敗に至ってしまうだろう、とも発言をしています。
この予想も的確だと言えます。その後日本は帝国主義の様相をますます強め、あの無謀な戦争に突入し敗戦しました。そして戦後も西洋近代に追いつけ追い越せで経済繁栄に明け暮れた結果、バブル崩壊を経験し長期にわたる経済低迷に陥り、2011年には震災、そして近代化の産物である原子力発電の爆発事故を経験しました。
漱石の心配は残念ながら現実のものになってしまったようです。
この講演の中で漱石は日本の歩む道として、無闇矢鱈に外からの改革を取り入れるのではなく、西洋のように自らの手で内発的な改革の道を行くべきであると論じています。この言葉は100年の時を経た、今日の私たちの耳にも新鮮に響くものだと思います。今こそ先人の貴重な意見に習うべきなのだという気を新たにします。
最後のテーマは、本のタイトルの通り「私の個人主義」です。
「私の個人主義」の講演は学習院で行われたものです。この中で漱石は題目通り個人主義を説きます。しかし当時の学習院という場所で個人主義の重要性を説くことは、勇気の要る試みだったのではないでしょうか。
なぜならば、当時は戦争以前の家政国家の時代でしたし、なにより学習院は皇室と関係の深い上流子弟の学生が多い学び舎だったのです。しかし、そのような状況であったからこそあえて漱石は個人主義を語ったのです。
それは学習院の生徒たちが将来権力や金力を持って人々を支配する地位に就くであろうことを踏まえての言葉でした。とかく利己主義と誤認されがちな個人主義をこの場で演説する漱石の覚悟には敬意を表するしかありません。
さて、漱石の説いた個人主義についてですが、これは漱石の英国留学の体験を抑えずしては語れないのではないでしょうか。
文学とは何か、そのテーマに基づき様々な思考を巡らせていた漱石が英国留学を通じて東西の考え方の違うところから、他人本位を「人真似」とし、個人の意志を基盤とする個人主義を通じて自己の立脚地を固めていったのです。
この他人本位の姿勢を人真似であると批判する姿勢は漱石の論理的な一貫性を感じさせます。前述の「現代日本の開化」でも、他人本位の外発的な改革を厳しく評価していたことを思い出させます。
この本を通じて考えさせられたのは、漱石の言説には徹頭徹尾、筋が通っているということでした。
この姿勢というものは人としての基本であると思いますし、その心構えを自分の主義主張に活かしていたからこそ、漱石の作品や講演は多くの人々をひきつけ、支持されてきたのではないでしょうか。
このようなことを学び取れる有益な一冊でした。
2018年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ここに書かれた内容を読んで、なるほどそういうことかと思う人は恐らくいないだろう。
それだけこの本書に書かれていることは、現代にとっては当たり前のことである。
新しい発見など一つもない。
これは褒めているのである。
現代にとって当たり前だと思わしめる言説を当時既に述べているということは、すなわち予言の書と言って差し支えない、まさに言い得て妙とはこのことである。
つまり現代においても整理されたノートとしては非常に有用で、ここまで分かりやすく説明できる人は今でも少ないと思われる。
読む価値は大いにある。
そして、ここに書かれていることは未だに現代においても問題になっていることが甚だ多い。
当たり前だが実現することは難しい。
まぎれもない名著。当時さぞ名公演であったろう。実際に聴けないのが残念である。
この本の素晴らしさ、面白さにすこんと頭を叩かれて、このようにレビューの書き方が明治風に古めかしくなるほどである。
一読をお勧めする。
それだけこの本書に書かれていることは、現代にとっては当たり前のことである。
新しい発見など一つもない。
これは褒めているのである。
現代にとって当たり前だと思わしめる言説を当時既に述べているということは、すなわち予言の書と言って差し支えない、まさに言い得て妙とはこのことである。
つまり現代においても整理されたノートとしては非常に有用で、ここまで分かりやすく説明できる人は今でも少ないと思われる。
読む価値は大いにある。
そして、ここに書かれていることは未だに現代においても問題になっていることが甚だ多い。
当たり前だが実現することは難しい。
まぎれもない名著。当時さぞ名公演であったろう。実際に聴けないのが残念である。
この本の素晴らしさ、面白さにすこんと頭を叩かれて、このようにレビューの書き方が明治風に古めかしくなるほどである。
一読をお勧めする。
2016年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
漱石の講演は、明治44年(1911年)8月に、明石、和歌山、堺、大阪の四市で行われた。
本書は、その講演を筆記改稿したもので構成されている。
本書のタイトルの『私の個人主義』のみ大正3年(1914年)11月に、学習院輔仁会で講演されたものを筆記改稿されたものである。
漱石は、シャイな人だと思い込んでいたが、この講演録を読んでいてなかなか話上手なので興味深く読み進んでしまった。
堺の講演、『中身と形式』のなかでユモアーも交えて聞き手の心をつかむところなど心にくいから下の・・・内に転載したい。
・・・<前文略>高原君(前に講演した人)は頻りに聴衆諸君に向かって厭になったら遠慮なく途中でお帰りなさいといわれたようですが私は厭になっても是非聴いていて戴きたいので、その代わり高原君ほど長くは遣りません。この暑いのにそう長く遣っていては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですから出来るだけ縮めてさっさと片付けますから、その間は帰らずに、暑くても我慢をして、終わった時に拍手喝采をして、そうして目出たく閉会をして下さい。・・・(P68)
と、まあ人を食ったようなこのような話しぶりなのだが、ここで聴衆が大笑いしただろうと評者は想像してしまった。
しかし、この各地での講演で漱石は、自身が思っていることを聴衆者に理解してもらおうと言葉を選んで暑いさなかに長時間懸命に語っている姿が目に浮かぶようである。
修善寺の大患からわずか一年後の講演旅行だから、漱石はなにかしら心に期すものがあったのかも知れない。
特に印象的なのは、やはり学習院での『私の個人主義』をテーマにした講演であった。
大正の初めころの学習院の生徒たちは恵まれた上流階級の若者たちばかりであったことを意識して漱石はテーマを選んだのであろう。
一言でいえば、「ノブレス・オブリージュ= noblesse oblige」ということを生徒たちに理解してほしかったのではないだろうか。
漱石は、この講演のなかで個人主義が国家主義に対立することも断固否定している。
本書の解説者瀬沼茂樹氏が解説の最後に記述されたところが評者の思いと重なったので下の・・・内に転載したい。
・・・「国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家といって恰も国家に取りつかれたような真似」をする狂信者を斥け、明確に「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと低いもの」だといいきった。私はここらに漱石の面目を見る思いがするとともに、なお今日にも有用な忠言を含むというべきであろう。・・・
評者は、平成の今日もなんだか国家主義が跋扈し始めた様相を呈してきていることを危惧しながら本書を読み終えたのです。
本書は、その講演を筆記改稿したもので構成されている。
本書のタイトルの『私の個人主義』のみ大正3年(1914年)11月に、学習院輔仁会で講演されたものを筆記改稿されたものである。
漱石は、シャイな人だと思い込んでいたが、この講演録を読んでいてなかなか話上手なので興味深く読み進んでしまった。
堺の講演、『中身と形式』のなかでユモアーも交えて聞き手の心をつかむところなど心にくいから下の・・・内に転載したい。
・・・<前文略>高原君(前に講演した人)は頻りに聴衆諸君に向かって厭になったら遠慮なく途中でお帰りなさいといわれたようですが私は厭になっても是非聴いていて戴きたいので、その代わり高原君ほど長くは遣りません。この暑いのにそう長く遣っていては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですから出来るだけ縮めてさっさと片付けますから、その間は帰らずに、暑くても我慢をして、終わった時に拍手喝采をして、そうして目出たく閉会をして下さい。・・・(P68)
と、まあ人を食ったようなこのような話しぶりなのだが、ここで聴衆が大笑いしただろうと評者は想像してしまった。
しかし、この各地での講演で漱石は、自身が思っていることを聴衆者に理解してもらおうと言葉を選んで暑いさなかに長時間懸命に語っている姿が目に浮かぶようである。
修善寺の大患からわずか一年後の講演旅行だから、漱石はなにかしら心に期すものがあったのかも知れない。
特に印象的なのは、やはり学習院での『私の個人主義』をテーマにした講演であった。
大正の初めころの学習院の生徒たちは恵まれた上流階級の若者たちばかりであったことを意識して漱石はテーマを選んだのであろう。
一言でいえば、「ノブレス・オブリージュ= noblesse oblige」ということを生徒たちに理解してほしかったのではないだろうか。
漱石は、この講演のなかで個人主義が国家主義に対立することも断固否定している。
本書の解説者瀬沼茂樹氏が解説の最後に記述されたところが評者の思いと重なったので下の・・・内に転載したい。
・・・「国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家といって恰も国家に取りつかれたような真似」をする狂信者を斥け、明確に「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと低いもの」だといいきった。私はここらに漱石の面目を見る思いがするとともに、なお今日にも有用な忠言を含むというべきであろう。・・・
評者は、平成の今日もなんだか国家主義が跋扈し始めた様相を呈してきていることを危惧しながら本書を読み終えたのです。