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存亡の条件 (講談社学術文庫 394) 文庫 – 1979/5/1

4.3 5つ星のうち4.3 6個の評価

西欧・アメリカ・中ソ――我々には常に先達があり、その模倣こそが我々の生きる唯一の方法論であった。しかし模倣ですむ幸福な時代は去った。苛烈な国際社会を自らの思考と方法で生きねばならぬ今日、一等必要なのは明確な自己把握とその他国への伝達である。そのような視点か試みられた日本再認識の企てが本書である。ここでは著者の犀利な筆によって思いがけない日本文化の基本型が明らかにされ、鮮烈な自己規定が実現されている。

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商品の説明

著者について

1921年東京に生まれる。1942年青山学院卒業即日入営。1944年ルソン島に派遣される。1947年帰国。1958年山本書店を創立。著書、『ある異常体験者の偏見』『比較文化論の試み』『私の中の日本軍』『無所属の時間』。訳書、W・ケラー『歴史としての聖書』、F・ジェイムズ『旧訳聖書の人々』、J・ライト『概説聖書考古学』。1991年12月10日没。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (1979/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1979/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 197ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061583948
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061583948
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 6個の評価

著者について

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山本 七平
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カスタマーレビュー

星5つ中4.3つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2013年12月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
迅速でご丁寧な対応、有難うございました。
これからも宜しくお願い致します。
白石
2011年5月12日に日本でレビュー済み
個人的意見であるのでご容赦頂きたい。
本とは人の意見の集約であるので、友人を選ぶのと同じく本には相性がある。
最初は命題に対する答えがここに書かれているのだ、といった期待を胸に購入したのだが、残念ながら読後の今は、山本氏の書籍と私は相性が悪いと思うようになった。

現代に生きる我々はこの本を読むべきではないと私は思っている。
読んでも良いのだが、後述する通りこの本を読む事は時間の無駄である。

私はこの本の購入時に次の事をタイトルから期待した。
存亡の条件とは何か、存亡の定義とは何か、存亡の危機に対し、日本は何をすれば良いのか、そうした事を教えてくれる書籍と期待し購入した。

読み進めていくうちに、歴史の事例をかいつまんで紹介している。
こうした書籍に期待するのは、広範な歴史の事例をピックアップした場合に、どこの世界でも普遍的に見られる人間社会の法則をいくつかの例題から見出し、そこから集約した社会的ロジック(この場合には、存亡の条件が何か)を言語化して提示している事である。

しかしこの書籍では、何が「存亡の条件」であるかという命題に関し、思考のヒントになりそうな歴史的事例の引用に留まっており、結論や著者の意見が無い。
もう少し具体的に言うと、この書籍の第7章で著者自身のまとめ、意見、結論が存在しない事を表明している。具体的な事例は提示したから、あとは読者で考えて下さい、という事だ。
私としては、命題に対する答えが書いてなかったので落胆した。
著者としては読者は著述を丸呑みにする事に伴う思索の放棄をすべきでないので、結論はあえて出さないというスタンスをとって著述しているようである。
昔は知的興味を与えられて、そこから思索を行う事が好き、という知識層にこの書籍は受けたのでしょう。ただ、私としては人の結論に対して同調、反対意見を出して思索をするのが好きなので、結論が無いこの書籍には閉口した。
読み進めれば、途中で教育が関連するという記述なども見られるが、それすらも最後で放棄する。

私の期待していた文章は次のようなものだった。
「存亡にはいくつかのタイプがある。国家の存亡、民族の存亡、社会の存亡、宗教の存亡などだ。国家の存亡の定義とは、自己の勢力圏内で生産された富の再配分の決定権の有無である。これは租界での行政権を他国に取られた事例を考えれば理解が深まる。民族の存亡とは、岡 義武氏の国際政治史から定義を引用すれば、民族とは文化を同じくする人間集団社会のこととなるので、この側面から考えた場合、文化の崩壊と生成がキーファクターとなる。これはプロイセン人がプロイセン語を話さなくなり、ドイツ語を話すようになった時、あっという間にドイツに同化したという事例がある。社会の存亡は、その社会でのモラルの崩壊がキーとなる。宗教の存亡とは・・・。」
「それではそれぞれの存亡を事例を通して細かく分析し、そこに通底する法則を見出してから、現代ではこれらの法則をどのように適用すれば良いのか、そして何を具体的に危惧し、どのように対策を立てれば良いのか、拙著において力不足かもしれないが私なりの意見を述べてみる事にする。・・・」

私自身は「積ん読」の人間なのでまだ読んでいない本が100冊くらいあると思われるが、その中で山本氏のタイトルがあと3冊はあったかと記憶している。
山本氏の書籍を読んだのは「存亡の条件」が初めてであったが、残り三冊の本に関しては、「存亡の条件」の読後に、読む順番リストの最後列に加えられた。

思えば、文体も少々読みにくい。まとめの意見も無いので、最終的に著者の意図がどこへ行くのかも掴めない。こうした不満を持つのはおかしいのでしょうか。

余談ですが、読後に清涼院流水の「コズミック」、映画「死霊の盆踊り」を連想したがこれに続く、壮大な時間泥棒として私は認定したい。
ちなみに清涼院流水の「コズミック」の読後にこの本を床へ叩きつけた事を思えば、この著作「存亡の条件」は深くため息をついてシワを寄せた眉間へ手にやっただけなので、ある意味マシだとも言えます。

[追記]
テーマは違うながらも、「こうした書籍に期待するのは、広範な歴史の事例をピックアップした場合に、どこの世界でも普遍的に見られる人間社会の法則をいくつかの例題から見出し、そこから集約した社会的ロジック(この場合には、存亡の条件が何か)を言語化して提示している事である。」に成功している書籍として、「繁栄(マット・リドレー)」を挙げさせて頂きます。

また批判も過ぎたものだったと反省しています。
上記「繁栄」のレビュー内容から引用させて頂きます。

「しかしこれはちょっと言いすぎだった。山本氏の主張は結論にあたるものが無いものの、その山本氏の言っている事例に対して、日本の事例はどうなのだろうという日本の事情を良く知っているという素養・バックグラウンドが必要だったのかもしれない。
(謎かけだけを数時間一方的に喋って去っていく友人と、もう一回会いたいと思うだろうか? 共通する時代感覚・皮膚感覚がある人間ならその謎はここへ繋がるのだな、と判断できるのでしょうが、これは最初に言った通り相性の問題なのです。) 」

[更に追記]
これを書いている現時点で「7 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 」との事、皆様ありがとうございます。

一般的に評価の高い山本氏を木っ端微塵に批判した事で、このような投票数になったのは理解できるのですが、ただ私の中でもやもやしているのが、私自身が山本氏の魅力に気付かなかったり、あるいは読むべき点、用意すべき思考の補助線が不足しているが為に読み損をしているのではないのかとも思っているのです。
ですので、時間のある方がいらっしゃいましたらコメントなどで「事前にこれを読むべき」「日本ではこの問題が社会的問題として通底しているので、参考図書としてこれを読んでおくべき」などとご指摘・ご教授頂きたいのです。

宜しくお願い致します。

[更に更に追記]
これを書いている現時点で「8 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 」との事、皆様ありがとうございます。

この本の役割が見えてきました。戦後の日本国家の行き先を見定めたい時にこの本がある種のメルクマールになったのだと予想しています。

ですが、現在は物資も豊かになり、思想的にはまだでも、社会物資的には戦後レジュームから脱し、なおかつそれでいて地震、津波、原発事故などの困窮に見舞われている日本にはこの書籍から社会的問題を解決する思想は抽出できないと考えています。
よって、戦後の日本にとっての書物としては求め得られるものだったのでしょうが、やはり現在の日本における問題解決には完全にマッチしない部分があるのだと思います。

また、この本を読む前の問題意識に、私の中で何が不足していたのかというのも考察中です。これが分かれば、「8 人中、7人の方」が大切にされている思想が分かるのではないかと。
是非これもできれば理解したい。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年4月20日に日本でレビュー済み
雑誌記事を除けば、著者の日本論第一作『 存亡の条件 』の再刊である。ダイヤモンド社再刊の姉妹本(『 「日本人」原論 』)との関連や再刊の経緯は不明。はっきり言って、主張を汲み取るのが容易でない読みにくい本である。

■あえて民族論を採るのは、
本書はその後の著作などと同様、
日本人とユダヤ人 の対比を分析の切り口にしているからである。ユダヤ人の“死亡診断書”であるヨセフス『滅亡について』が、本書の議論のベースである。終章だけ抽出すれば、山本学フリークにとっては『 「空気」の研究 』でおなじみの「臨在感的認識」批判である。日本民族という言葉にアレルギーがあるなら(『 あいまいな日本の私 』など)、単純に日本国と読み替えても良いかも知れないが、「民族の存亡条件」という本書の通奏低音を忘れるおそれがある。

■構成
“経済社会情勢の激変による男女の社会的役割の転換”を進歩と呼ぶことを『「進歩」という名の幻想』と第1章で誡めたのち、ユダヤ民族の滅亡過程を『滅亡について』で追い(第2章)、これが戦前日本にまる写しになっていることを論じている(第3章)。この2つの章がメインであり、ページ数も多く難解である。
他の題材を「ダシ」にして「私は正しい」と主張する”自己義認”のプロセス、”自己義認”行動と社会の統合との関係、そして対立概念という西欧的対象把握に対し一枚岩的対象と見たがる日本人の傾向を、それぞれ4・5・6の各章で論じる。終章で、以下のように「自己改革」の提言をする。

■“他力本願”にとどまっている限り、思索も探索も一切ありえない
「では一体どうしろと言うのか」という言葉は、…「私は人間ではなく奴隷である」と宣言しているに等しい。……それ(=自己規定を明確に他国民にしらせること)をする以外に「信用」という言葉はあり得ない。……その(=将来への脱却)一歩は、対立概念による対象の把握であろう。いうまでもなく私は、…「対立概念で対象を把握しろ」と言っているのではない。そういえば、対立概念そのものが臨在感的に把握されて絶対化されてしまうであろうから、…無意味な言葉になってしまう。(224p〜232p)
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対象把握方法を常に相対的に捉え、さらにその相対化思考自体を相対化し、さらに…、とメタ相対思考は無限に続く。相対化のプロセスに終わりはない。終わった時点で「臨在感的把握」になってしまう。だから著者は、「ではどうすればいいのか」に答えない。

■「まことに一民族を滅ぼすものがあるとすれば、それは『教育』」(2章、85p)
「神かカエサルか」(聖書の律法かローマ経済圏か)という外装的体制と被統治意識の間のアンビバレントを、ユダヤ民族は“口伝”という「その社会の実態に即して創造的な」(by日本共産党宮本顕治氏)形で解決しようとした(3章)。今日の"平和憲法口伝"を続ければそのうち身動きがとれなくなるのではないか、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」で無理やり清算した昭和前期の再来ではないか、という著者の危機感が、本書の主題としてかろうじて伺える。
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