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勘の研究 (講談社学術文庫) 文庫 – 1980/9/8

3.7 5つ星のうち3.7 17個の評価

古来東洋においては、たとえば禅の悟りや剣法の極意、芸能における名人芸などにみられる、ある普遍的なものを「いわく言いがたし」とか「名状すべからず」とか称しつつ伝えてきた。本書において著者は、この普遍的な“何か”を「勘」という概念によって捉え、その学問的体系づけを試みている。本書は「勘」という前人未踏の研究領域における唯一の心理学的研究であり、日本人の精神の働きと構造を立体的に解剖した古典的名著である。

商品の説明

著者について

黒田 亮
1890年新潟県生まれ。一高を経て、東京帝国大学文学部卒業。京城帝国大学教授。文学博士。文学、文献学、動物心理学、東洋心理学など幅広い分野で活躍した。1949年没。著書に『心理学概論』『徒然草分類索引』『動物心理学』『続勘の研究』『朝鮮旧書考』などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (1980/9/8)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1980/9/8
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 366ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061585126
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061585126
  • カスタマーレビュー:
    3.7 5つ星のうち3.7 17個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.7つ
5つのうち3.7つ
17グローバルレーティング

この商品をレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2023年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
不朽の名作で素晴らしい本です。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
“勘がいい”とか“菅が働く”と言った言葉はよく耳にしますが、この本のタイトルを見て、“勘”ってなんなんだろうと疑問に思い購入しました。あまり意識せずに使っていた言葉を深掘るのは不思議な経験で、最後まで楽しく読むことができました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
たくさんの視点を学べる
2018年2月1日に日本でレビュー済み
わが国心理学の古典的名著といわれる『勘の研究』ならびにその続編にあたる『続 勘の研究』。後者は、前者で展開された「勘」に関わる著者の独自理論をさらに発展、深耕させたもの。両書はぜひとも併せて読むことをお薦めしたいので、ここでも、まとめてレビューする。

「勘」とは、俗に「勘が働く」とか「勘がいい/悪い」といった言葉として私たちが日常的に使っている、まさにあの「勘」。そして、その何気なく使っている「勘」とはいったい何なのかを明らかにしようというのが、本書の主旨だ。

勘とは、私たちの感情や判断、意思決定や行為との関係において、どのように位置づけられる知覚なのか? その本質を捉えることができれば、それを基点に、私たちは自分自身の存在のみならず、自分と家族や友人、組織や社会などとの関係の在り様をより的確に知り掴むことができる――そうした信念のもと著者は「勘」の意味を、独自の概念を駆使しながら丹念に読み解いていく。

その内容は、決して易しいとはいえないが、「わが国心理学の古典的名著」の高評は伊達ではない。初刊から80年を経た今でも、私たちに、人間のこと、社会のことを読み解くための、この上なく素晴らしい鍵を授けてくれる。

中でもカギを握る鍵中の鍵は、「識と覚」「那一点と直指」という2つの概念。その意味を、私なりの理解できわめて大雑把に語ってみると――。

私たちの知覚には「識」と「覚」の2つがある。「識」は、従来「意識」の語によって示されものとだいたい同じ意味と考えて差し支えないが、問題は「覚」。この「覚」がほぼイコール、本書のタイトルである「勘」に相当するわけだが、この何たるかの解説は一筋縄ではいかない。そこで、ここでは便宜的に馴染みのある近似の言葉に置き換えて簡便な説明を試みると、識は「左脳的知覚」、覚は「右脳的知覚」といってよいのではないか。つまり識は、言語、文字の認識や計算と算数・数理的推理、論理的思考などを担当する知覚。覚は、いわゆる五感を通じてイメージ的に感じ取る知覚だといえる。また、さらに別の言葉を当てはめてみると、識は「形式知」、覚は「暗黙知」に近い概念ともいえる――ひとまず、そう理解しておこう。

次に「那一点(ないってん)」。これまた著者の独創的なアイデアに基づく概念だが、この言葉こそが、本書のいちばんのキモだといえよう。その意味は「ある限定された意味における通俗の急所であり、対象の全体はこの中に凝集されるとともに、これによって全体を支持し、全体を動かす支点となっている、いわば対象の機能的中心である」と記される。また「直指(じきし)」は、「特定の対象をその那一点において把捉する働きそれ自身」と説かれている。分かりやすい言葉に置き換えれば、「勘どころを押さえる」という日常語の「勘どころ」が那一点に相当し、「勘どころを押さえる」ことが直指だと理解して差支えないだろう。

ゴルフのクラブやテニスのラケットなどで、ボールを打つのに最適の個所を意味する言葉に「スイート・スポット」があるが、この喩えでいえば、スイート・スポットが那一点で、そこをジャストミートすることが直指だとイメージすることができる。

一見、何の変哲もないように思われるこの概念が、なぜそれほどまでに重要な意味を持つのか。それは、私たちが普段、何ら意識することなく行っている、物事の認識や他者とのコミュニケーションといったものの、おそらくすべてが、実はこの「那一点を直指する」ことの連続的反応として行われている、あるいは行おうとしている、と考えられるからだ。

私たちは普段、つどつど膨大な情報処理を行いながら日々の生活を営んでいる。的確な情報処理を行い続けないと、例えば他者とのコミュニケーション活動に大きな支障をきたすからだ。この情報処理をより円滑に行うためには、目の前に次々と展開される事象をできるだけ効率よく把握し、判断していく必要があるわけだが、それを可能ならしめているのが「那一点」とその「直指」というメカニズムだと考えられる。

つまり、目の前に次々と現れるモノや概念やメッセージやらを、それぞれの全体ではなく「勘どころ」で掴むことにより、情報の処理効率を飛躍的に高め、それによってスムーズなコミュニケーションを成り立たせている、というわけだ。

「那一点」は、「識」ではなく「覚」によって捉えられる。そしてその「覚」には、低次のものから高次のものまで、さまざまな「質」のレベルがあると著者はいう。つまり、私の目の前にある、ある対象の那一点は、私がより「高次の覚」をもって臨めば、より的確に把握(直指)することができる。つまりは、より良い「勘が働く」ことにより、より円滑なコミュニケーションが可能になるのである。

「那一点」から派生する重要な概念に「学習」がある。意味は、私たちが日常的に使う「学ぶ」ということに他ならないが、その本質を著者は次のように説く。「学習は直指を究境の目的としてなされなければならない。これを学習の対象についていえば、対象は学習の完成とともに、その那一点において直指されるにいたるのだ。問題解決の秘鍵は、一に繋って問題そのものの那一点を見届けることにあるからである」。

著者が考える「学習」とは、私たちが対象に対して、自ら主体性をもってその那一点を見出していくプロセスということになるが、これは、野中郁次郎氏が唱える「知識創造理論」における「知識」の定義、すなわち「個人の全人的な信念/思いを『真・善・美』に向かって社会的に正当化していくダイナミックなプロセス」とも符合する。両者に共通するポイントは、知識(学習)は、個人が対象(環境)から受動的に得るものではなく、個人が対象(環境)に対して主体的に/積極的に働きかけていく過程で得られるもの、とする点にある。

「那一点」の概念を、例えば組織経営の領域に適用してみると、それぞれの組織における那一点は通常「経営理念」という形で示されるもの、ということができる。もっとも現実の組織経営にあっては、本来那一点を言語化したものとして示されるべき経営理念が、的外れな形で掲げられれていることも多く、こうしたケースにあっては、言語化された「経営理念」の表現の見直しが早急に望まれる。的外れな表現のままでは、社員が自身の「覚」を通じて感じ取る会社のあるべき姿や方向性と会社が掲げる経営理念との間に乖離が生じ、「経営理念を那一点として共有する」という理想状態には到底たどりつくことができない。社員の心のバラバラ状態は、日を追うごとに悪化するに違いない。

一方、適切な経営理念が掲げられている組織にあって、これを社員の視点から見た場合、社員にはその言語化された「経営理念」を、単に字面だけで追うのではなく、自らの「覚」の質を磨くことによって、その字面の背後に潜む深い意味を把捉し、より高次の那一点を直指できるよう努めることが望まれる。

日本には俳句という素晴らしい伝統がある。そして私たちは、自らの感性を高める(=「覚」の高次化を図る)ことを通じて、17文字の言葉の背後に広がる深い世界を理解する能力を磨いてきた。この俳句に対するのと同じ構えをもって自社の「経営理念」に向き合い、そのより高次の那一点を社員間で共有する――これこそが、理念を組織に浸透させてゆく最善のアプローチだといえよう。

「直指」は、禅宗の祖師達磨の根本精神である「直指人心(じきしにんしん)」という言葉に由来する。この禅語における「直指」の意味は、直接的に指し示すこと。また「人心」は、生まれながらにもつ不生不滅の仏心(仏の心)のこと。そして「直指人心」は、自分の奥底に秘在する心を凝視して、本当の自分、すなわち仏心、仏性を直接端的にしっかり把握することをいう。つまり本書の著者は、この禅宗の根本精神である「直指人心」に習って、対象をその那一点において把捉する心の働き、その全般を「直指」という言葉で示そうとしたのである。

著者は、本書の末尾を『中庸』に説かれてある「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」の言葉をもって結んでいる。これらから察するに「勘」とは、詰まるところ、私たちに無限の智慧を与えてくれる、目には見えない宇宙からの授かり物、と解されるべきもののようにも思えてくる。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年9月14日に日本でレビュー済み
正当に評価されることを望みます。