段落ごとに――原典、次いで現代語訳、注釈、次田氏の解説という順で読むことができます。上下二段組より、この組み方が案外に読みやすい。ただし、次田氏の現代語訳は非常に慎重な訳になっていて、完全に理解できるかというと、少々難しい。けれど、そこに真の研究者の誠実さを感じました。これでいいのだと思います。氏の解説は堅苦しくなく熱がこもっていて、読み進めるのが楽しいです。
この古典は、二条(女房名)という美貌の女房の告白ですが、透けて見えるのは、後深草院の二条に対するねじくれた愛です。弟(亀山院)に両親の愛情を独り占めされたと感じて成長したらしい後深草院は、とことん自分だけを求めてくれる存在を欲していて、その存在を完全に「所有」したいと望んでいたのに、自ら抱えるコンプレックス(体格や容姿にも自信がなかったのでは、と思われる)ゆえに、その所有願望を病んだかたちでしか表現できない。二条は二条で、美貌を自覚しているし、愛人作るし、妙に冷めたところがある。二条は後深草院が欲していただろう言葉をついに口にしてくれない。院は「私は御所さまだけのもの、ほかの貴人の相手をするくらいなら身投げいたします」と泣き崩れてほしかったのだろうな、などと想像。後深草院、切ないな~~~
舞台は13世紀で、権力は朝廷から鎌倉幕府に移っている。宮廷の日々はまだまだ華やかだけれど、皇族も貴族たちも、時代の流れを意識していなかったはずはないのに、宮廷の節会や酒宴では相変わらず浪費が繰り返されます。退廃的です。やがて来る南北朝の波乱を思うと……。
後深草院、二条、有明の月(後深草院の異母弟、情熱の破戒僧、二条との愛欲の果てに急死!)という「こじらせトリオ」(「兄貴、俺にも二条を貸せよ」という亀山院も加えるとカルテットですが)に、雪の曙(西園寺実兼)というクールすぎる有能な貴人が絡みます。雪の曙のスマートな宮廷人ぶりが印象的です。二条に近づいたのも、美形の女の赤ん坊(亀山院の後宮に送りこめる、出世の道具になる)を手に入れるためだったと、わかります。
1940年、日本が太平洋戦争突入前夜に発見され、一般に知られるようになったのは戦後という、興味深い古典です。どの人物も今日現在を生きる男女のようにリアルで、人間存在の哀しさ、美しさ、さまざま感じないわけにはいきません。
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とはずがたり(上) (講談社学術文庫) 文庫 – 1987/7/6
次田 香澄
(著)
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鎌倉時代前期、武家階級に活力ある政権を奪われた京都では、古来の政治・経済の基盤を失いかけた貴族たちは退廃的な生活にひたっていた。この風潮の中で、家柄と容色と才智にめぐまれた、久我(こが)雅忠の女(むすめ)がその異常な生涯を自らの手で記したのが『とはずがたり』である。14歳の春、無理に後深草院の後宮にされて一皇子を生みながら、複数の男性とも愛欲の生活を続ける大胆・奔放な生き方・体験を露骨に記述する文学史上特異な作品。
- ISBN-104061587951
- ISBN-13978-4061587953
- 出版社講談社
- 発売日1987/7/6
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 1.8 x 14.8 cm
- 本の長さ434ページ
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商品の説明
著者について
1913年生まれ。1936年東京帝国大学文学部卒業。中世文学専攻。大東文化大学教授。文学博士。著書、『玉葉和歌集』(岩波文庫)、『とはずがたり』(日本古典全書)、共著『うたゝね・竹むきが記』『うたたね』(講談社学術文庫)など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1987/7/6)
- 発売日 : 1987/7/6
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 434ページ
- ISBN-10 : 4061587951
- ISBN-13 : 978-4061587953
- 寸法 : 10.8 x 1.8 x 14.8 cm
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- - 137位日本文学(日記・書簡)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年1月4日に日本でレビュー済み
後深草院二条『とはずがたり』は鎌倉時代の日記文学である。二条は公家・久我雅忠の娘で、4歳から後深草院の後宮に出仕する。この後深草院は持明院統の祖である。弟の亀山天皇が大覚寺統の祖であり、南北朝の対立の出発点になった。
その後、二条は14歳から後深草院の側室になるが、相思相愛の想い人「雪の曙」(西園寺実兼)がいた。その想い人とも結ばれる。非常に大胆な話である。後の世ならば不義密通になる。実際、江戸時代初期には猪熊事件が起きている。
しかし、二条を非難する気にはなれない。むしろ痛快でさえある。『源氏物語』の女三宮や浮舟も二条のような感覚があれば苦しまずに済み、それほど不幸にならなかったのにと思えてならない。出家しなくて済んだかもしれない。但し、二条も後に出家するので、遅かれ早かれの差かもしれないが、女三宮や浮舟は読んでいて、じれったくなる。
二条と女三宮や浮舟の違いはどこにあるのだろうか。『とはずがたり』は『源氏物語』を意識しているだろう。二条が4歳から後深草院の後宮で育てられたことは若紫を連想する。しかし、二条の行動は源氏物語のキャラクターと異なる。
源氏物語を意識しつつも、そのようにならないという意識の現われか。それが、あまりに光源氏に都合の良いストーリーに対する女性読者の反応だろうか。それとも平安時代と鎌倉時代の差になるか。鎌倉時代の方が女性の自由が大きかったのだろうか。鎌倉時代は女性に相続権があったことで知られている。
その後、二条は14歳から後深草院の側室になるが、相思相愛の想い人「雪の曙」(西園寺実兼)がいた。その想い人とも結ばれる。非常に大胆な話である。後の世ならば不義密通になる。実際、江戸時代初期には猪熊事件が起きている。
しかし、二条を非難する気にはなれない。むしろ痛快でさえある。『源氏物語』の女三宮や浮舟も二条のような感覚があれば苦しまずに済み、それほど不幸にならなかったのにと思えてならない。出家しなくて済んだかもしれない。但し、二条も後に出家するので、遅かれ早かれの差かもしれないが、女三宮や浮舟は読んでいて、じれったくなる。
二条と女三宮や浮舟の違いはどこにあるのだろうか。『とはずがたり』は『源氏物語』を意識しているだろう。二条が4歳から後深草院の後宮で育てられたことは若紫を連想する。しかし、二条の行動は源氏物語のキャラクターと異なる。
源氏物語を意識しつつも、そのようにならないという意識の現われか。それが、あまりに光源氏に都合の良いストーリーに対する女性読者の反応だろうか。それとも平安時代と鎌倉時代の差になるか。鎌倉時代の方が女性の自由が大きかったのだろうか。鎌倉時代は女性に相続権があったことで知られている。
2020年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主人公の波乱万丈な人生に引き込まれます。
表は強い女性で、しかし裏では繊細で弱い女性であったことを読んだ後に感じ、不思議で今までに読んだことのない本に出会いました。衝撃的な内容だったらしく禁断の本としても知られているそうです。
表は強い女性で、しかし裏では繊細で弱い女性であったことを読んだ後に感じ、不思議で今までに読んだことのない本に出会いました。衝撃的な内容だったらしく禁断の本としても知られているそうです。
2014年12月1日に日本でレビュー済み
日本の古典を出来るだけ多く読もうと、本書を購入しました。
誰に「問われる」でもなく、自分の人生を「語る」自伝のため、「とはずがたり」と名付けられたようです。
本書は、「とはずがたり」全5巻のうち、第1巻と第2巻を収録しています。
第1巻は、堂上源氏の久我家に生まれた二条が、14歳で後深草院に出仕したところから始まり、17歳までを綴っています。
作者が50歳頃に執筆されたようで、その影響もあってか、少女の話とは思えない文章です。
第2巻は、19歳と20歳の話です。
源氏物語の影響を強く受けているためか、鎌倉時代後期であるにもかかわらず、平安朝を彷彿とさせます。
現代語訳を読んでもピンと来ないのですが、次田氏の解説に助けられ、文章の裏側を理解できました。
また、当時の岩田帯の慣習は勉強になりました。
しかし、私には興味の持てない話のため、評価は3つにさせていただきました。
誰に「問われる」でもなく、自分の人生を「語る」自伝のため、「とはずがたり」と名付けられたようです。
本書は、「とはずがたり」全5巻のうち、第1巻と第2巻を収録しています。
第1巻は、堂上源氏の久我家に生まれた二条が、14歳で後深草院に出仕したところから始まり、17歳までを綴っています。
作者が50歳頃に執筆されたようで、その影響もあってか、少女の話とは思えない文章です。
第2巻は、19歳と20歳の話です。
源氏物語の影響を強く受けているためか、鎌倉時代後期であるにもかかわらず、平安朝を彷彿とさせます。
現代語訳を読んでもピンと来ないのですが、次田氏の解説に助けられ、文章の裏側を理解できました。
また、当時の岩田帯の慣習は勉強になりました。
しかし、私には興味の持てない話のため、評価は3つにさせていただきました。
2022年9月30日に日本でレビュー済み
とはずがたり・・・我国古典文学における精華であり、資料としての価値も非常に高く 観点を変え 私小説として読んでも、近代を含め 数多の国内私小説の水準を遥かに凌駕している。作品の中に横溢する、著者 後深草院二条の魅力は、拝読する者のこころを永く惹きつけてやまない。
著者・二条の執筆後 七世紀あまりの星霜を経て、英訳出版され、アメリカにおいて「1974年 全米図書賞(翻訳部門)」を受賞している。
御所生活を綴った作品としては、清少納言や紫式部による枕草子、紫式部日記があるが、それらは天皇(上皇)本人ではなく「天皇の中宮(夫人)」付き女官の御所生活であり、天皇(上皇)に直接仕え、起居を共にした著者による御所生活の記述は、例えようもなく生き生きとしている(健御前による回想録「たまきはる」も建春門院へ仕えた回想録という意味で、清少納言・紫式部と同列)。
また、「上」すなわち、お仕えする相手から「寵(ちょう)を得る」ことの意味は、著者・二条の場合は「己の人生」と「家門の名誉」を賭け、体を張った「男と女の一対一の勝負」であって、中宮付の女官のそれとは、全く迫力が違う。
本書は数世紀にわたり存在が知られていなかったが、1938年(昭和13年)に現在の宮内庁書陵部で、著名な国文学者であった山岸徳平が”発見”し(御所内の詳細な叙述であることから時勢を考慮して一般向けの出版は戦後になった)、その2年後に ”『増鏡』にも影響を与えた、『蜻蛉日記』や『更級日記』に匹敵する作品である” と発表している。
山岸教授は 単なる日記文学を超えて「人間を描く作品」として源氏物語・枕草子にも並びうる 最高峰の古典であると その炯眼を以て即時に評価したのである。
厳しく、激しい御所の生存競争の中にあって著者は天賦のうつくしさ、「歌よみ」としての卓越した能力、しして機転の利いた賢さを以て、我国の歴史上で朝廷を「南北朝」を分けた二人の天皇である後深草上皇(第89代天皇)、亀山上皇(第90代天皇)の二人、そして上皇の同母弟にあたる仁和寺法親王、若き西園寺実兼(のちの関白太政大臣)などの心を、強く捉えたのである。就中、後深草上皇からは「中宮以上」の寵愛を受け、序列No.1の女官として女御の窺う勢いがあり、まさに「時めいて」いる存在であった・・・正妻である中宮から、再三の悋気の訴えが上皇に寄せられていることは、後深草上皇の寵愛ぶりを裏書きしているとみてよいだろう)。
しかし、その愛の在り方は昨今の私利私欲に満ちた下衆な恋愛とは画然たる相違があり、実に奥ゆかしく自然で流麗であり、いわゆる彼女の作品にこと掛けて、自らの野合・交合に流された人生の自己弁護を取り繕う昨今の多くの追随者たちの「私利私欲の厭わしさ」が全く感じられない。
その生き方の潔さ、そして行間にあふれる二条の可愛いらしさ、頭脳の明晰さ、文章の燦爛たる美しさは、日本古典文学を代表する作品 として未来永劫 読み継がれるものと強く感じる。
なお、昭和13年に「発見」された、宮内庁書陵部の「とはずがたり」桂宮本5冊(天皇宸筆本、現在唯一残されている孤本)については、近時、影本(=写真版)も出版されている。
著者・二条の執筆後 七世紀あまりの星霜を経て、英訳出版され、アメリカにおいて「1974年 全米図書賞(翻訳部門)」を受賞している。
御所生活を綴った作品としては、清少納言や紫式部による枕草子、紫式部日記があるが、それらは天皇(上皇)本人ではなく「天皇の中宮(夫人)」付き女官の御所生活であり、天皇(上皇)に直接仕え、起居を共にした著者による御所生活の記述は、例えようもなく生き生きとしている(健御前による回想録「たまきはる」も建春門院へ仕えた回想録という意味で、清少納言・紫式部と同列)。
また、「上」すなわち、お仕えする相手から「寵(ちょう)を得る」ことの意味は、著者・二条の場合は「己の人生」と「家門の名誉」を賭け、体を張った「男と女の一対一の勝負」であって、中宮付の女官のそれとは、全く迫力が違う。
本書は数世紀にわたり存在が知られていなかったが、1938年(昭和13年)に現在の宮内庁書陵部で、著名な国文学者であった山岸徳平が”発見”し(御所内の詳細な叙述であることから時勢を考慮して一般向けの出版は戦後になった)、その2年後に ”『増鏡』にも影響を与えた、『蜻蛉日記』や『更級日記』に匹敵する作品である” と発表している。
山岸教授は 単なる日記文学を超えて「人間を描く作品」として源氏物語・枕草子にも並びうる 最高峰の古典であると その炯眼を以て即時に評価したのである。
厳しく、激しい御所の生存競争の中にあって著者は天賦のうつくしさ、「歌よみ」としての卓越した能力、しして機転の利いた賢さを以て、我国の歴史上で朝廷を「南北朝」を分けた二人の天皇である後深草上皇(第89代天皇)、亀山上皇(第90代天皇)の二人、そして上皇の同母弟にあたる仁和寺法親王、若き西園寺実兼(のちの関白太政大臣)などの心を、強く捉えたのである。就中、後深草上皇からは「中宮以上」の寵愛を受け、序列No.1の女官として女御の窺う勢いがあり、まさに「時めいて」いる存在であった・・・正妻である中宮から、再三の悋気の訴えが上皇に寄せられていることは、後深草上皇の寵愛ぶりを裏書きしているとみてよいだろう)。
しかし、その愛の在り方は昨今の私利私欲に満ちた下衆な恋愛とは画然たる相違があり、実に奥ゆかしく自然で流麗であり、いわゆる彼女の作品にこと掛けて、自らの野合・交合に流された人生の自己弁護を取り繕う昨今の多くの追随者たちの「私利私欲の厭わしさ」が全く感じられない。
その生き方の潔さ、そして行間にあふれる二条の可愛いらしさ、頭脳の明晰さ、文章の燦爛たる美しさは、日本古典文学を代表する作品 として未来永劫 読み継がれるものと強く感じる。
なお、昭和13年に「発見」された、宮内庁書陵部の「とはずがたり」桂宮本5冊(天皇宸筆本、現在唯一残されている孤本)については、近時、影本(=写真版)も出版されている。
2013年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
斎宮研究のために、資料として利用するために、下巻と伴の保存している。
2013年1月25日に日本でレビュー済み
高校のときの古文の授業があまりにも退屈で、それ以来古文なんて読む気しなかった。
だけど偶然この本の内容を何かで読んだとき、一気に引き込まれた。
「レイプ」「二股」「妊婦プレイ」「ストーカー被害」「コスプレ」「愛人に別の女とのセックスを見せつけて興奮」…
これ、ライトノベルの話じゃないよ。
700年前の日本で書かれた、れっきとした“古典文学”。
でも、内容はもちろん、それだけじゃない。
作者は早くに生みの母を亡くし、権力争い熾烈な父と、時の最高権力者の院との間の黙契により、14歳で院に処女を奪われる。
その父もその後すぐに早世し、作者は天涯孤独となり、まだ十代の彼女は疾風怒濤のごとく、人間の欲望の坩堝にさらされる。
院は男女関係としてだけでなく、自分の後見人でもあり、
女性として見限られることが即ち生活のすべを失うという外的な複雑さに加え、
彼女自身の権勢欲、プライド、そして恋愛感情と性的欲求がくっついたり離れたりといった彼女の内的な複雑さが絡み合う。
そのためだろうか、作者の行動基準は「自分の感情に従っているかどうか」この一点だ。
他人の言動がどうとか、他人にどう思われるかなんて、端から眼中にない。
だから、いくら院の愛人となった後、幼馴染で相思相愛だった“雪の曙”と逢引しようとも、
僧侶で聖職者のはずの“有明の月”にレイプされて、でも、贈られた歌のセンスの良さに惹かれようとも、
院に愛人である自分を他の貴族に抱かせるように仕向けられ、拒絶したものの体を奪われ、
屈辱や不信と同時に、女としてその男の余韻が忘れられず
「わが心ながらおぼつかなく侍りしか」という感情が沸き起ころうとも、
彼女にブレはない。あくまで自分の感情に素直に従った結果だ。
一方で、雪の曙との性に溺れた結果、子を授かり、生まれた女の子を抱いたその途端に手から離され生き別れになったとき、
「人知れぬ音をのみ袖に包みて(誰にも聞こえないように顔を袖で覆って声を殺して泣いて)」
という描写は、現代人の読者であっても感性に強く響くものだ。
私は男なので、作中で縷々と紡ぎ出される彼女の感情をすぐに頭で理解はできないが、
いわば心理小説を読み進めるような(もちろん仏文学のような完成度は望むべくも無いが)高揚感を感じた。
一見、日記もののようだけど、作者も実体験のありのままの記録なんて芸のないことをするつもりはなかったようで、
源氏物語を手本としつつ、自己の感情に焦点を当てることで作り物の感情描写を排した“リアルな源氏物語”を書こうとしたように思われ、
それがこの作品の文学的香気を高める結果となったのだろう。
機会あれば、この物語の解説を 荻野文子先生 から聞いてみたい。
だけど偶然この本の内容を何かで読んだとき、一気に引き込まれた。
「レイプ」「二股」「妊婦プレイ」「ストーカー被害」「コスプレ」「愛人に別の女とのセックスを見せつけて興奮」…
これ、ライトノベルの話じゃないよ。
700年前の日本で書かれた、れっきとした“古典文学”。
でも、内容はもちろん、それだけじゃない。
作者は早くに生みの母を亡くし、権力争い熾烈な父と、時の最高権力者の院との間の黙契により、14歳で院に処女を奪われる。
その父もその後すぐに早世し、作者は天涯孤独となり、まだ十代の彼女は疾風怒濤のごとく、人間の欲望の坩堝にさらされる。
院は男女関係としてだけでなく、自分の後見人でもあり、
女性として見限られることが即ち生活のすべを失うという外的な複雑さに加え、
彼女自身の権勢欲、プライド、そして恋愛感情と性的欲求がくっついたり離れたりといった彼女の内的な複雑さが絡み合う。
そのためだろうか、作者の行動基準は「自分の感情に従っているかどうか」この一点だ。
他人の言動がどうとか、他人にどう思われるかなんて、端から眼中にない。
だから、いくら院の愛人となった後、幼馴染で相思相愛だった“雪の曙”と逢引しようとも、
僧侶で聖職者のはずの“有明の月”にレイプされて、でも、贈られた歌のセンスの良さに惹かれようとも、
院に愛人である自分を他の貴族に抱かせるように仕向けられ、拒絶したものの体を奪われ、
屈辱や不信と同時に、女としてその男の余韻が忘れられず
「わが心ながらおぼつかなく侍りしか」という感情が沸き起ころうとも、
彼女にブレはない。あくまで自分の感情に素直に従った結果だ。
一方で、雪の曙との性に溺れた結果、子を授かり、生まれた女の子を抱いたその途端に手から離され生き別れになったとき、
「人知れぬ音をのみ袖に包みて(誰にも聞こえないように顔を袖で覆って声を殺して泣いて)」
という描写は、現代人の読者であっても感性に強く響くものだ。
私は男なので、作中で縷々と紡ぎ出される彼女の感情をすぐに頭で理解はできないが、
いわば心理小説を読み進めるような(もちろん仏文学のような完成度は望むべくも無いが)高揚感を感じた。
一見、日記もののようだけど、作者も実体験のありのままの記録なんて芸のないことをするつもりはなかったようで、
源氏物語を手本としつつ、自己の感情に焦点を当てることで作り物の感情描写を排した“リアルな源氏物語”を書こうとしたように思われ、
それがこの作品の文学的香気を高める結果となったのだろう。
機会あれば、この物語の解説を 荻野文子先生 から聞いてみたい。