全てが難解です。
奥義書という何千年もあーでもないこーでもないと言い続けてきた終わりのない善と悪の戦いが一冊の文庫本にみっちり詰まっており、自分を見失っていない時間がほとんどありません。
文章表現も難解。「晦渋ならしめるーーー」ってそれこの本のことだよね?とツッコまざるを得ない。漢検一級クラスの漢字表現がブンブン飛んでくるのでホンモノの文の者か、お寺さんでなければこの日本語をスラスラ読むことはまず出来ないでしょう。
私のような素人だと文章を解読するのに1週間、内容を理解するのに無限の時間が必要です。読むのが目的ならおすすめしませんが、感じるのが目的なら星5です。
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ウパニシャッド (講談社学術文庫 934) 文庫 – 1990/7/5
辻 直四郎
(著)
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「ウパニシャッド」とは、紀元前7世紀に遡る古代インドで著された哲学書の総称。その内容は、宇宙の根本原理・輪廻転生・解説・カルマ(業)等々多岐にわたり、輝やかしいインド精神文化の源泉として不滅の価値をもつ。膨大かつ難解な原典の中から碩学辻直四郎博士が、理解のための核心となる精髄を摘出して平明に解説した。インドを知り、哲学を学ぶ上で欠かすことのできない比類のない名著である。
- 本の長さ236ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1990/7/5
- 寸法10.8 x 1 x 14.8 cm
- ISBN-104061589342
- ISBN-13978-4061589346
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著者について
1899年、東京生まれ。東京帝国大学文学部卒。元東京大学教授。文学博士。専攻は梵語・梵文学。東大文学部長、同教養学部長、東洋文庫理事長などを歴任。日本学士院会員。文化功労者(昭53)。主著に『ヴェーダ学論集』『インド文明の曙』『バガヴァッド・ギーター』など。『辻直四郎著作集』四巻がある。1979年没。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1990/7/5)
- 発売日 : 1990/7/5
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 236ページ
- ISBN-10 : 4061589342
- ISBN-13 : 978-4061589346
- 寸法 : 10.8 x 1 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 110,610位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3位ウパニシャッド
- - 28位インドの思想(一般)関連書籍
- - 178位東洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、インド古来の宗教文化の奥義書にあたるヴェーダ聖典などの哲学体系を、
その本質が分かるように、解説をこころみたものであり、この薄さ(!)に比して、かなりの内容を含んでいるとは思われますが、
ざっと印象に残った点は、この教えがブラフマン(梵)とアートマン(個我)の究極合一を志向するものである点であり、
それはいわば大宇宙(マクロコズム)と小宇宙(ミクロコズム)の融合といったことを想起させます。
実有(sad→that?)あるいは現象界は、おそらく秩序としては、梵あるいは彼岸的な世界のもとで、
一見限りなく広がっており、一方で後者にもまた不可避的に原初であることにつき競合するある種の不可思議な秩序(?)があり、
ひいては数的世界に敷衍されるのではあるまいか。
…恒河沙、アソーギ、那由多、不可思議、大数、無量大数…と無限∞に向かうインド数字を髣髴させます。
この意味で、ブラフマンとアートマンとは根本的に似ており、いかなる意味で一如か、と言われれば、
答えに窮してしまいそうですが、その不可測性は一つ挙げられるようにみえ、
またいずれから探究したとしても、結果内発的に他方のすがたが垣間見えてくる、と言い換えることも可能でしょうか。
この点は、おそらく現象界においても基本的に同様にみえ、そうした構造的相似性こそが本源的同一性の根拠たりうるのか、
と問い直すことも可能でしょう。幼少時ひもといた『茶の間の数学』(⇒新訂版が出ている)は、
今思えば、インド数学の概説書でもあり、子ども心ながら不思議に思っていたことの一つが、
この本で少し解けたようにも思われます。
内的構造の本質的相関性…。このことは、いわゆる教義研究などには欠かせない視点にも思われ、
哲学的相違なのか、言語学的相違なのか…という点は、2千年前とあまり変わらぬことを本書で実感するとともに、
現代の教理研究は少しは進歩したのかもしれない、という思いも出てきました。
本書は厳密な意味での翻訳書とはいえませんが、むしろそうした諸点を踏まえてひもとくことで、
古代インド王国期〜仏教興隆期〜統一王朝期〜インドイスラム王朝期〜現代、というインド哲学史と重ねても、
理解がすすむ点も多々あるのでは、と推察されます。
因みに、本書は昭和17年著とかなり古いものゆえに、格調高い文語文は現代語訳があれば、とも思いますが、
漢語訳が付いている、と思えば、かえって原義の解釈を学ぶよすがにもなるでしょうか。
本書と併せたおすすめとしては、原典注釈にあたる『ウパデーシャ・サーハスリー』(シャンカラ著、岩波文庫)や、
聖書的なものとして『バガヴァッド・ギーター』(上村訳、同)などもあります。
その本質が分かるように、解説をこころみたものであり、この薄さ(!)に比して、かなりの内容を含んでいるとは思われますが、
ざっと印象に残った点は、この教えがブラフマン(梵)とアートマン(個我)の究極合一を志向するものである点であり、
それはいわば大宇宙(マクロコズム)と小宇宙(ミクロコズム)の融合といったことを想起させます。
実有(sad→that?)あるいは現象界は、おそらく秩序としては、梵あるいは彼岸的な世界のもとで、
一見限りなく広がっており、一方で後者にもまた不可避的に原初であることにつき競合するある種の不可思議な秩序(?)があり、
ひいては数的世界に敷衍されるのではあるまいか。
…恒河沙、アソーギ、那由多、不可思議、大数、無量大数…と無限∞に向かうインド数字を髣髴させます。
この意味で、ブラフマンとアートマンとは根本的に似ており、いかなる意味で一如か、と言われれば、
答えに窮してしまいそうですが、その不可測性は一つ挙げられるようにみえ、
またいずれから探究したとしても、結果内発的に他方のすがたが垣間見えてくる、と言い換えることも可能でしょうか。
この点は、おそらく現象界においても基本的に同様にみえ、そうした構造的相似性こそが本源的同一性の根拠たりうるのか、
と問い直すことも可能でしょう。幼少時ひもといた『茶の間の数学』(⇒新訂版が出ている)は、
今思えば、インド数学の概説書でもあり、子ども心ながら不思議に思っていたことの一つが、
この本で少し解けたようにも思われます。
内的構造の本質的相関性…。このことは、いわゆる教義研究などには欠かせない視点にも思われ、
哲学的相違なのか、言語学的相違なのか…という点は、2千年前とあまり変わらぬことを本書で実感するとともに、
現代の教理研究は少しは進歩したのかもしれない、という思いも出てきました。
本書は厳密な意味での翻訳書とはいえませんが、むしろそうした諸点を踏まえてひもとくことで、
古代インド王国期〜仏教興隆期〜統一王朝期〜インドイスラム王朝期〜現代、というインド哲学史と重ねても、
理解がすすむ点も多々あるのでは、と推察されます。
因みに、本書は昭和17年著とかなり古いものゆえに、格調高い文語文は現代語訳があれば、とも思いますが、
漢語訳が付いている、と思えば、かえって原義の解釈を学ぶよすがにもなるでしょうか。
本書と併せたおすすめとしては、原典注釈にあたる『ウパデーシャ・サーハスリー』(シャンカラ著、岩波文庫)や、
聖書的なものとして『バガヴァッド・ギーター』(上村訳、同)などもあります。
2023年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もっと深く読みたくなった
2011年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、昭和17年に出版されたものであるため、文章の格調は高いのですが、文語と旧字体の漢字が注釈なしに書かれていますので、内容の完全な理解には国語辞典その他を座右にする必要があります。内容はまずヴェーダやウパニシャッドの文献的考察からはじまり、本論として梵我一如などのウパニシャッドの主題が書かれています。ウパニシャッドの一般の人のための入門書としては難解で不適。むしろ、日本におけるウパニシャッド研究史として、昭和17年当時どのように著者が研究に従事していたのかを知るという意味で、専門家には有用と思われます。その点、文章中には文献が引用されているのも本書の学術的価値を高めています。後半80ページほどには著者の訳になるウパニシャッドの抜粋がありますが、完全に文語であり、一切注はなく、書かれている内容の理解は困難で、日本語訳でありながら、この部分の現代語訳が欲しいと感じる人が多いのではと思われます。ただ、ウパニシャッドの原典に何が書かれてあったのか、概ね感じることはできます。以下の引用などは覚えておきたいところ。
“危ういかな、無知に蔽われ自ら賢明にして学識ありと妄想する者は。かかる愚人は盲者に導かれる盲者に異ならない(p101)。”
“東流西行の諸川の海に注いで大洋をなす時、われはこれなり、われはこれなりの区別はない(p108)”
“危ういかな、無知に蔽われ自ら賢明にして学識ありと妄想する者は。かかる愚人は盲者に導かれる盲者に異ならない(p101)。”
“東流西行の諸川の海に注いで大洋をなす時、われはこれなり、われはこれなりの区別はない(p108)”
2023年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は比較的、精神世界の本を読んだりしているので難しくは感じませんでしたが、ウパニシャッド自体の内容が素晴らしく、何度も読もうと思う本です!買って良かったです!
2017年5月5日に日本でレビュー済み
ウパニシャッドに説くところは
「汝はそれなり」
である。
人間の本質についての教師の言葉は、これ以上教えるものは無いというぐらい完璧である。
人間の本質は無形無属性の魂たるアートマンひいてはブラフマンである。
これはいずれ「誰でも必ず」悟るところの自己の本性である。
修行しようが修行すまいが、いずれすべての人間がこれを悟るべく運命づけられている。
なぜか?
自己の本性以外のあらゆる事象、現象は生じては崩壊し滅する。
が、しかし本性そのものは永遠に普遍にして変化しないし、決して変化しなかったものである。
もし、我々がアートマンであるならば我々の自己はおのずといずれ本性をあらわすだろう。
それは、輪廻転生の果てしない生死の繰り返しのうち、おそらく何万生涯先になるかはわからないが、必ず本質は同じアートマンの顕現を迎える日が来る。
普通、我々は明日アートマンを悟るかも知れないし、何万生涯先になるかも知れないが、
このアートマン顕現のスピードを飛躍的に早める方法がある。
それがいわゆるヨーガの教えである。
さまざまな宗教が形式は異なれど同じ本質を求めていろいろな方法論を提供している。
それらの教えの中で一番素晴らしい道は瞑想の道であろう。
本書が何らかの形で読者諸賢の真我顕現に貢献するなら迷うことなく、古代ウパニシャッドの叡智を学ぶべきだろう
「汝はそれなり」
である。
人間の本質についての教師の言葉は、これ以上教えるものは無いというぐらい完璧である。
人間の本質は無形無属性の魂たるアートマンひいてはブラフマンである。
これはいずれ「誰でも必ず」悟るところの自己の本性である。
修行しようが修行すまいが、いずれすべての人間がこれを悟るべく運命づけられている。
なぜか?
自己の本性以外のあらゆる事象、現象は生じては崩壊し滅する。
が、しかし本性そのものは永遠に普遍にして変化しないし、決して変化しなかったものである。
もし、我々がアートマンであるならば我々の自己はおのずといずれ本性をあらわすだろう。
それは、輪廻転生の果てしない生死の繰り返しのうち、おそらく何万生涯先になるかはわからないが、必ず本質は同じアートマンの顕現を迎える日が来る。
普通、我々は明日アートマンを悟るかも知れないし、何万生涯先になるかも知れないが、
このアートマン顕現のスピードを飛躍的に早める方法がある。
それがいわゆるヨーガの教えである。
さまざまな宗教が形式は異なれど同じ本質を求めていろいろな方法論を提供している。
それらの教えの中で一番素晴らしい道は瞑想の道であろう。
本書が何らかの形で読者諸賢の真我顕現に貢献するなら迷うことなく、古代ウパニシャッドの叡智を学ぶべきだろう
2021年10月18日に日本でレビュー済み
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インド哲学の萌芽的位置にあるウパニシャッドの思想を、文献の翻訳を交えて提示した古典的名著。辻直四郎ならではの重厚で格式高い筆致のもと、古代インド人たちの精神世界にどっぷりつかることができる。知的な刺激を得るところ大である。日本語表現の勉強にもなる。
2020年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
画家のゴーギャンの「我々は、何処からきて、何処へ行くのか」これって、ウパニシャッドの問だったんですね。
現実に実存する人間、形而上に実存する神、これらすべての実存という不思議な現象の根源についての知識、つまり梵知。
この究極の知の問題は、ブッダ「悪魔との対話」(中村元)の中でも、釈迦とブラフマー達(この時空間のオーナーのブラフマーではなく、釈迦に批判的な他のブラフマー達)でも出てきます。釈迦は答えられず、辛うじて、「(その究極の知も)、我が因果の法に従う」と、ポアンカレ予想みたいなことを言うにとどまっています。
思索するに梵知を知らぬ者全ては、本質的に無知(他の如何なる知も本質的に根拠を持たない)、いわば、我々は全て障碍者です。その程度にドングリの背比べ的な差が有るだけですね。
思うに、それは、いわば、「悪人」と言えるかもしれません。もしかすると、そのことだけは知っている人が心から人に対して優しく、謙虚で、誠実になれるのかもしれません。
現実に実存する人間、形而上に実存する神、これらすべての実存という不思議な現象の根源についての知識、つまり梵知。
この究極の知の問題は、ブッダ「悪魔との対話」(中村元)の中でも、釈迦とブラフマー達(この時空間のオーナーのブラフマーではなく、釈迦に批判的な他のブラフマー達)でも出てきます。釈迦は答えられず、辛うじて、「(その究極の知も)、我が因果の法に従う」と、ポアンカレ予想みたいなことを言うにとどまっています。
思索するに梵知を知らぬ者全ては、本質的に無知(他の如何なる知も本質的に根拠を持たない)、いわば、我々は全て障碍者です。その程度にドングリの背比べ的な差が有るだけですね。
思うに、それは、いわば、「悪人」と言えるかもしれません。もしかすると、そのことだけは知っている人が心から人に対して優しく、謙虚で、誠実になれるのかもしれません。