・人間模様の記述が巧みに感じた。
・映画紹介「秘境ヒマラヤ」があったが、現在DVDもVHSテープも入手できない。
販売されれば-----と思った。
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鳥葬の国: 秘境ヒマラヤ探検記 (講談社学術文庫 1033) 文庫 – 1992/7/1
川喜田 二郎
(著)
- 本の長さ378ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1992/7/1
- ISBN-104061590332
- ISBN-13978-4061590335
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1992/7/1)
- 発売日 : 1992/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 378ページ
- ISBN-10 : 4061590332
- ISBN-13 : 978-4061590335
- Amazon 売れ筋ランキング: - 153,898位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年8月1日に日本でレビュー済み
1960年にカッパ・ブックスとして出たものの復刊。
『ネパール王国探検記-日本人 世界の屋根を行く』の続編にあたり、できれば合わせて読んだ方がいいだろう。
1953年のマナスル登山隊に科学班の一員として参加した際の紀行文/調査記録。
まずは計画の発端からはじまり、インドを経てネパールにたどりつくまでの苦労が語られている。そのなかで参加メンバーの個性もあきらかになっていくところがおもしろい。
村での民族学的調査の箇所は、『ネパール王国探検記』に比べると、物足りない。
あえて2冊に分けて出す必要があったのだろうか。あるいは『ネパール王国探検記』がよく売れたので、続編を要請されたのか。
『ネパール王国探検記-日本人 世界の屋根を行く』の続編にあたり、できれば合わせて読んだ方がいいだろう。
1953年のマナスル登山隊に科学班の一員として参加した際の紀行文/調査記録。
まずは計画の発端からはじまり、インドを経てネパールにたどりつくまでの苦労が語られている。そのなかで参加メンバーの個性もあきらかになっていくところがおもしろい。
村での民族学的調査の箇所は、『ネパール王国探検記』に比べると、物足りない。
あえて2冊に分けて出す必要があったのだろうか。あるいは『ネパール王国探検記』がよく売れたので、続編を要請されたのか。
2015年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
発送が素早くて、本の状態もとてもいいです。スムーズな購入でした。
2018年9月13日に日本でレビュー済み
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今から60年近く前に京都大学生物誌研究会と日本民族協会の後援のもとに行なわれたチベット探険の記録。「鳥葬」という奇習を敢えてタイトルに入れているが、それは出版社側の要望であり内容的には本書のごく一部分。鳥葬のみを興味本位で読むと肩透かしとなる。
本質的には人間味溢れるフィールド調査の記録であり、そこで得た体験から著者は後にパーティー学(もちろん宴会の意味ではない)から独自の発想法にまで発展する。確かに関係性の捉え方などは学術の分野だけでなく日常生活や仕事の場でも活用できるヒントを本書を読んでいてると感じましたね。
本質的には人間味溢れるフィールド調査の記録であり、そこで得た体験から著者は後にパーティー学(もちろん宴会の意味ではない)から独自の発想法にまで発展する。確かに関係性の捉え方などは学術の分野だけでなく日常生活や仕事の場でも活用できるヒントを本書を読んでいてると感じましたね。
2013年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1958年、著者を含めて日本人8人でトルボ地方を探検した記録。
ツァルカ村に滞在。
メンバーの中には後にブータンへ行く、小方全弘氏、西岡京治氏も参加。
行きの飛行機ではブータン行きの中尾佐助氏と同じという偶然も。
あとがきで、学術探検から技術協力へ気持ちの変化が書かれている。
ツァルカ村に滞在。
メンバーの中には後にブータンへ行く、小方全弘氏、西岡京治氏も参加。
行きの飛行機ではブータン行きの中尾佐助氏と同じという偶然も。
あとがきで、学術探検から技術協力へ気持ちの変化が書かれている。
2009年9月29日に日本でレビュー済み
未読の人は、内容紹介にあるドーラギリ峰と言うのは、どこの山だと疑問に思うかもしれないが、現在は通常、ダウラギリ峰と表記される8000m峰である。
また、「京都大学生物誌研究会と日本民族協会の後援のもとに行なわれた探険の記録」とあるが、字面から受ける印象ほど堅苦しいものではない。どちらも単なる後援組織で、「探検隊」自体は、当時30代であった隊長の川喜田を除くと、全員が20代。出身大学も所属もバラバラで、川喜田の計画を聞いて、参加させてくれと申し出た人達である。
本書の特徴は、探検隊内部の人間の葛藤やその解決のプロセスを隠すことなく書いていることであると言ったことが、裏表紙に書かれており、もっともなことだと思うのだが、癖があるとは言え、やはり隊員全員、基本的に知性も理性も十分にある人達なので、ゲラゲラ笑うと言う類の面白さとは無縁である。
やはり、本書がこれからも読まれるべき理由は、チベット二郎こと川喜田二郎のチベットとの関わりということになるだろう。「鳥葬」の国が、なんでネパールなのかと思う人は多いだろうが、川喜田がチベット文化圏で一番、未開な地域と考えていた東チベットが入国禁止であったため、代わりとして選んだのが、ネパールのトルボと言うところだったということで、川喜田のチベットへの関心は当時から生半可なものではない。もちろん本書に政治的な主張は皆無だが、探検隊の隊員からは、ブータンに持続的に関わった西岡京治のような人も出ており、彼らの志の原点とも言える探検記録だからだ。
現在、川喜田が書いたチベットについての啓蒙的著作は、安価には入手できないため、知らない人は、全く知らないだろうが、1980年代にチベットへの一般立ち入りが中国政府によって解禁されるまで、川喜田とその周辺の人々以外、チベットが中国と独立した文化圏であると言うことを主張する人は全くいなかった。そして、また、この事情も忘れられつつあるだろうが、チベットに対して、一般に貧弱極まりない認識しかなかったのは、単に、皆がチベットに対して無関心だったからだ。中国支配下のチベット自治区に、一般の旅行者が入れないにしろ、ラダックやネパール等のチベット文化圏の地域とは往来できたのであるが、チベットに対する政治的な関心はほとんどなかったと言っていい。
進歩的文化人が、中国のチベット弾圧に対し、見てみぬふりをしているとか、よく言われるが、私の見た範囲では、川喜田の次にチベットについて、中国に責任があると大きな声で主張したのは、当時の進歩的文化人のチャンピオン級の論客であった色川大吉である。去年のオリンピック騒動の時に、あまりに色川が無視されていたので、そう考えているのは、私だけなのかと思っていたら、ペマ・ギャルポがネットで色川に言及して、1980年代後半に至っても珍しかった色川のチベット擁護の発言に勇気づけられたという記事を見たから、単に「めんどくさい進歩派に蓋」と言うことだったのだろう。
昔の事情はどうでもいいと言う方も多かろうから、別の著作から川喜田の主張を引こう。こういえば読者は腰抜かすだろうと前置きしてこう述べる。
「だがアジアに現存する成熟した文明のパターンといえば、多分、中国、ヒンズー、イスラム、チベットの四つしかない」(チベット潜行十年/木村肥佐生の中公文庫版解説)。
現在、外国人の書いたチベット関係本の必読書と言われる「チベット 受難と希望」の著書であるフランス人ジャーナリストのドネはこう書く。川喜田と比較したら差は歴然だろう。川喜田の主張の背後には、モンゴルを含めた広大な「ラマ教」文化圏の存在がある。
「チベットは、消滅させないためには、われわれが鍾愛せねばならない小さな宝物である」(チベット 受難と希望/ピエール=アントワーヌ・ドネの岩波現代文庫版まえがきより)。
私は川喜田に「同じ仏教国だからチベットを支援するべき」とか言う、無内容な葬式仏教徒にあるはずもない迫力を感じる。その迫力は実は、色川の著作から感じるものと同じ質のものなのだが、川喜田はチベット問題においても、過去の人では決してない。今だからこそ読まれるべきなのである。
また、「京都大学生物誌研究会と日本民族協会の後援のもとに行なわれた探険の記録」とあるが、字面から受ける印象ほど堅苦しいものではない。どちらも単なる後援組織で、「探検隊」自体は、当時30代であった隊長の川喜田を除くと、全員が20代。出身大学も所属もバラバラで、川喜田の計画を聞いて、参加させてくれと申し出た人達である。
本書の特徴は、探検隊内部の人間の葛藤やその解決のプロセスを隠すことなく書いていることであると言ったことが、裏表紙に書かれており、もっともなことだと思うのだが、癖があるとは言え、やはり隊員全員、基本的に知性も理性も十分にある人達なので、ゲラゲラ笑うと言う類の面白さとは無縁である。
やはり、本書がこれからも読まれるべき理由は、チベット二郎こと川喜田二郎のチベットとの関わりということになるだろう。「鳥葬」の国が、なんでネパールなのかと思う人は多いだろうが、川喜田がチベット文化圏で一番、未開な地域と考えていた東チベットが入国禁止であったため、代わりとして選んだのが、ネパールのトルボと言うところだったということで、川喜田のチベットへの関心は当時から生半可なものではない。もちろん本書に政治的な主張は皆無だが、探検隊の隊員からは、ブータンに持続的に関わった西岡京治のような人も出ており、彼らの志の原点とも言える探検記録だからだ。
現在、川喜田が書いたチベットについての啓蒙的著作は、安価には入手できないため、知らない人は、全く知らないだろうが、1980年代にチベットへの一般立ち入りが中国政府によって解禁されるまで、川喜田とその周辺の人々以外、チベットが中国と独立した文化圏であると言うことを主張する人は全くいなかった。そして、また、この事情も忘れられつつあるだろうが、チベットに対して、一般に貧弱極まりない認識しかなかったのは、単に、皆がチベットに対して無関心だったからだ。中国支配下のチベット自治区に、一般の旅行者が入れないにしろ、ラダックやネパール等のチベット文化圏の地域とは往来できたのであるが、チベットに対する政治的な関心はほとんどなかったと言っていい。
進歩的文化人が、中国のチベット弾圧に対し、見てみぬふりをしているとか、よく言われるが、私の見た範囲では、川喜田の次にチベットについて、中国に責任があると大きな声で主張したのは、当時の進歩的文化人のチャンピオン級の論客であった色川大吉である。去年のオリンピック騒動の時に、あまりに色川が無視されていたので、そう考えているのは、私だけなのかと思っていたら、ペマ・ギャルポがネットで色川に言及して、1980年代後半に至っても珍しかった色川のチベット擁護の発言に勇気づけられたという記事を見たから、単に「めんどくさい進歩派に蓋」と言うことだったのだろう。
昔の事情はどうでもいいと言う方も多かろうから、別の著作から川喜田の主張を引こう。こういえば読者は腰抜かすだろうと前置きしてこう述べる。
「だがアジアに現存する成熟した文明のパターンといえば、多分、中国、ヒンズー、イスラム、チベットの四つしかない」(チベット潜行十年/木村肥佐生の中公文庫版解説)。
現在、外国人の書いたチベット関係本の必読書と言われる「チベット 受難と希望」の著書であるフランス人ジャーナリストのドネはこう書く。川喜田と比較したら差は歴然だろう。川喜田の主張の背後には、モンゴルを含めた広大な「ラマ教」文化圏の存在がある。
「チベットは、消滅させないためには、われわれが鍾愛せねばならない小さな宝物である」(チベット 受難と希望/ピエール=アントワーヌ・ドネの岩波現代文庫版まえがきより)。
私は川喜田に「同じ仏教国だからチベットを支援するべき」とか言う、無内容な葬式仏教徒にあるはずもない迫力を感じる。その迫力は実は、色川の著作から感じるものと同じ質のものなのだが、川喜田はチベット問題においても、過去の人では決してない。今だからこそ読まれるべきなのである。
2005年7月30日に日本でレビュー済み
だいぶ昔の本です
民俗学とかをかじった人はおもしろいのではないでしょうか。
生きることに
楽しみを感じ
余計なストレスと感じないところに
文明の奥深さが感じられます
全部アメリカナイズも
長生き尊重も
ちっぽけに見えます
人間はいろんなところでいろんな生き方を
していて
グローバリズムを感じて
うまくやっていこう
出し抜いていこう
など考えました。
民俗学とかをかじった人はおもしろいのではないでしょうか。
生きることに
楽しみを感じ
余計なストレスと感じないところに
文明の奥深さが感じられます
全部アメリカナイズも
長生き尊重も
ちっぽけに見えます
人間はいろんなところでいろんな生き方を
していて
グローバリズムを感じて
うまくやっていこう
出し抜いていこう
など考えました。