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室町時代の一皇族の生涯 『看聞日記』の世界 (講談社学術文庫) 文庫 – 2002/11/8
横井 清
(著)
室町前期の息づまる政局の脈動を伝える日記皇位継承をめぐる皇族間の確執、将軍義教の粛清政治。四季を彩る行事、猿楽・連歌など芸能文化の様子。後花園天皇の父、伏見宮貞成の綴った興味溢れる日記の世界
- ISBN-104061595725
- ISBN-13978-4061595729
- 出版社講談社
- 発売日2002/11/8
- 言語日本語
- 本の長さ432ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/11/8)
- 発売日 : 2002/11/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 432ページ
- ISBN-10 : 4061595725
- ISBN-13 : 978-4061595729
- Amazon 売れ筋ランキング: - 79,827位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
貞成親王による「看聞日記」を通してみる室町時代の生の歴史資料の解説書。時代背景の説明、関連解説も豊富で中世の歴史に興味がある方必見の解説書です。
2013年3月13日に日本でレビュー済み
祖父に崇光天皇をもち
子に後花園天皇を持つ貞成親王(1372年ー1456年)の
『看聞日記』を読み込む本書は
見慣れぬことば 難解な漢語で
初め読者を面食らわせるかも知れない
しかし とっつき難い最初の扉を思い切って開けてみると
実に面白く 楽しく遊べる世界が広がっていた
歴史書とも文学作品とも言い難い本書は
貞成親王という好奇心旺盛な個性と
一筋縄ではいかない著者の個性がないまぜになって
中世の夢幻世界を
伏見庄の四季と生活から京の噂話まで
また 虚名(濡れ衣)や計会(資金繰り)に苦しむ
生の厳しい現実を
そして貞成親王という人間の生身の姿を
現代の私たちのもとに届けてくれる
そこに仄かに見えてくるのは
人の一生の時間の流れとは多くの障害に充ちているけれども
またその幸福もさまざまである
という じつに凡庸な結論なのだ
子に後花園天皇を持つ貞成親王(1372年ー1456年)の
『看聞日記』を読み込む本書は
見慣れぬことば 難解な漢語で
初め読者を面食らわせるかも知れない
しかし とっつき難い最初の扉を思い切って開けてみると
実に面白く 楽しく遊べる世界が広がっていた
歴史書とも文学作品とも言い難い本書は
貞成親王という好奇心旺盛な個性と
一筋縄ではいかない著者の個性がないまぜになって
中世の夢幻世界を
伏見庄の四季と生活から京の噂話まで
また 虚名(濡れ衣)や計会(資金繰り)に苦しむ
生の厳しい現実を
そして貞成親王という人間の生身の姿を
現代の私たちのもとに届けてくれる
そこに仄かに見えてくるのは
人の一生の時間の流れとは多くの障害に充ちているけれども
またその幸福もさまざまである
という じつに凡庸な結論なのだ
2009年12月5日に日本でレビュー済み
現在の天皇家の直接の系統につながる後花園天皇の実父である後崇光院貞成親王の生涯を読み解いた好著です。
後崇光院貞成親王は「看聞日記」という実に詳しい日記を残した人で、その日記を読み解きつつ現代的視点を交えています。
不遇の伏見宮家に次男として生まれ、40歳でやっと元服、46歳で宮家相続、48歳で後の後花園天皇誕生、54歳で親王宣下、57歳の時に我が子が天皇として践祚、76歳の時に太上天皇の尊号を受け、85歳で崩御。時代はと言うと、足利義満から足利義政までと重なります。天皇に即位することなく太上天皇の尊号を贈られた4人(小一条院、後高倉院、後祟光院、陽光院)の内の1人です。(自身の実父が天皇でないのは後崇光院だけ。)
大変な時代に天皇家本来の嫡流に生まれ、ようやくのことで嫡流に天皇を取り戻したのですが天皇の実父にふさわしい処遇を受けまでに紆余曲折を経たことはよく知られています。一方で生け花(現代とは違ってずいぶんと大掛かりだったようですが)を積極的に実施したり家人も含めて茶会を催したりと、いろいろな趣向を凝らした人でもあります。
改めて再認識したのが、正長元年は天皇家と足利将軍家の両方に代変わりがあったこと。先に足利義教が足利将軍家を継ぎ、義教の段取りと後押しもあって後花園天皇が即位しています。貞成親王一家に一生懸命肩入れし一家の復権に大きな力を貸したのが義教であったことを初めて知りました。その恩人でもある義教が嘉吉の乱で横死した時に、「このような将軍の犬死は」と日記に書き残した貞成親王ですが、どのような心境でこうした表現を取ったのでしょうか。
補足:
藤原道長の時代に自発的に?東宮を辞退して院号を得た小一条院の子孫は天皇にはなっていないが、後三条天皇から白河天皇の時代に一波乱起きる原因となっています。
後高倉院:後堀河院の実父。 後崇光院:後花園院の実父。 陽光院:後陽成院の実父。
後崇光院貞成親王は「看聞日記」という実に詳しい日記を残した人で、その日記を読み解きつつ現代的視点を交えています。
不遇の伏見宮家に次男として生まれ、40歳でやっと元服、46歳で宮家相続、48歳で後の後花園天皇誕生、54歳で親王宣下、57歳の時に我が子が天皇として践祚、76歳の時に太上天皇の尊号を受け、85歳で崩御。時代はと言うと、足利義満から足利義政までと重なります。天皇に即位することなく太上天皇の尊号を贈られた4人(小一条院、後高倉院、後祟光院、陽光院)の内の1人です。(自身の実父が天皇でないのは後崇光院だけ。)
大変な時代に天皇家本来の嫡流に生まれ、ようやくのことで嫡流に天皇を取り戻したのですが天皇の実父にふさわしい処遇を受けまでに紆余曲折を経たことはよく知られています。一方で生け花(現代とは違ってずいぶんと大掛かりだったようですが)を積極的に実施したり家人も含めて茶会を催したりと、いろいろな趣向を凝らした人でもあります。
改めて再認識したのが、正長元年は天皇家と足利将軍家の両方に代変わりがあったこと。先に足利義教が足利将軍家を継ぎ、義教の段取りと後押しもあって後花園天皇が即位しています。貞成親王一家に一生懸命肩入れし一家の復権に大きな力を貸したのが義教であったことを初めて知りました。その恩人でもある義教が嘉吉の乱で横死した時に、「このような将軍の犬死は」と日記に書き残した貞成親王ですが、どのような心境でこうした表現を取ったのでしょうか。
補足:
藤原道長の時代に自発的に?東宮を辞退して院号を得た小一条院の子孫は天皇にはなっていないが、後三条天皇から白河天皇の時代に一波乱起きる原因となっています。
後高倉院:後堀河院の実父。 後崇光院:後花園院の実父。 陽光院:後陽成院の実父。
2015年6月22日に日本でレビュー済み
本書は、1979年刊行の再版で、貞成親王45歳春から77歳初夏までの日次記「看聞日記」を基に
貞成親王の生涯を読み解いた内容です。
横井氏は、「看聞日記」の行間から浮かぶ貞成親王の姿を見事に描いており、
宮家に生まれながらの不遇な前半生、幸運にも子が皇位を継いだ悦びや、
太政天皇の称号を賜りたい心情などを浮き彫りにしています。
当時の年中行事や庄民に関する記述もありますが、あくまでも親王の目を通しての内容なので
実情に沿った内容とは言いかねるかも知れません。
貞成親王の姿がありありと描かれていますので、興味のある方はご一読を
貞成親王の生涯を読み解いた内容です。
横井氏は、「看聞日記」の行間から浮かぶ貞成親王の姿を見事に描いており、
宮家に生まれながらの不遇な前半生、幸運にも子が皇位を継いだ悦びや、
太政天皇の称号を賜りたい心情などを浮き彫りにしています。
当時の年中行事や庄民に関する記述もありますが、あくまでも親王の目を通しての内容なので
実情に沿った内容とは言いかねるかも知れません。
貞成親王の姿がありありと描かれていますので、興味のある方はご一読を
2022年8月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
贈与論のところで中世の不可思議な贈り物攻勢による人物間のやりとりを知りましたが、伏見宮貞成親王はまさにこの時代の典型のような人物でした。横井先生の著作は、変に学者ぶらずこの中世人の魅力を如何なく伝えてくれた「名著」です❗