"菊作りに秘術を尽くす国民に関する本を書く時、同じ国民が刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する事実を述べるなど(中略)普通はないことである"戦時中に日本分析の為に卓越したアメリカ人女性文化人類学者によって書かれた本書は"日本に一度も来た事がないにも関わらず"その分析の深さに驚かされる。
個人的にも、著者の圧倒的な知性にショックを受けて、読書にしばし言葉を失った。もちろん自国びいきであったり、多少の誤解はあるとも感じたが【そんな些細な事より】歴史はもちろん、文学、宗教、教育といったあらゆる方向から日本人は【(善悪といった)罪ではなく恥を最重視している】と述べているところは鋭く刺さった。
そして降伏後に理解できない"180度転向した"日本について"多くの日本人は何事によらずあなたまかせの態度を取ることが【目的達成の最も安全な道】であると考えている(=無気力が広がっていく)"との指摘に"近代の日本人をアメリカ人が分析した本を【現代の日本人】として"眺めていたはずが、まるで当時から未来すら予見されていた様な恐ろしさを感じました。
タイトルこそ思想的な誤解をされそうですが、日本人理解に、そして一級の研究書として読むべき名著。何より私たち日本人がいかに西洋文明から、そしてアジア各国と比較しても【異質な島国であり】そして占領後の盲目的なアメリカ追随で【何を失ったか】がよくわかります。この国を愛する全ての人にオススメ。
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菊と刀 (講談社学術文庫) 文庫 – 2005/5/11
ルース・ベネディクト
(著),
長谷川 松治
(翻訳)
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第二次大戦中の米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、後の日本人論の源流となった不朽の書。日本人の行動や文化の分析からその背後にある独特な思考や気質を解明、日本人特有の複雑な性格と特徴を鮮やかに浮き彫りにする。“菊の優美と刀の殺伐”に象徴される日本文化の型を探り当て、その本質を批判的かつ深く洞察した、第一級の日本人論。(講談社学術文庫)
菊の優美と刀の殺伐。今も輝く不朽の日本論日本人の精神生活と文化を通し、その行動の根底にある独特な思考と気質を抉剔。「恥の文化」を鋭く分析し、日本人とは何者なのかを鮮やかに書き出した古典的名著
菊の優美と刀の殺伐。今も輝く不朽の日本論日本人の精神生活と文化を通し、その行動の根底にある独特な思考と気質を抉剔。「恥の文化」を鋭く分析し、日本人とは何者なのかを鮮やかに書き出した古典的名著
- ISBN-104061597086
- ISBN-13978-4061597082
- 出版社講談社
- 発売日2005/5/11
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 1.7 x 14.8 cm
- 本の長さ432ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2005/5/11)
- 発売日 : 2005/5/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 432ページ
- ISBN-10 : 4061597086
- ISBN-13 : 978-4061597082
- 寸法 : 10.8 x 1.7 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 11,579位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9位日本論
- - 10位講談社学術文庫
- - 24位文化人類学一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2022年8月29日に日本でレビュー済み
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本題と少しズレますが、字が小さいので読むと疲れます。中身は大変面白いですが、戦前の日本人の性質かなと思います。三島由紀夫的に本当は優雅さの影に凶暴さを隠していると言う趣旨は今の自分の中にはあまりないかなと思いながら読みました。描写は細かくてとても興味深いです。
2020年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者の菊と日本刀の意味するところは、我々日本人にもなかなか気付かない点だと思う。
2020年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
外国人の日本論は愉快です。前半部分は違うんじゃないかなあという感じ。日本の歴史的事件を題材に「義理」という第二義的に大事な概念が、日本人を敗戦のショックから和らげると看過されています。(中盤はそれの連呼)
ただ第5部以下の仏教や古典の造詣の深さには驚かされました。わたしも仏教関係は何冊か読んでいますが簡潔にして妙という箇所がありました。しかし「何事にも集団的な共感を求められ異なる波長の人間を排除する」という記述には背筋が寒くなりました。
ただ第5部以下の仏教や古典の造詣の深さには驚かされました。わたしも仏教関係は何冊か読んでいますが簡潔にして妙という箇所がありました。しかし「何事にも集団的な共感を求められ異なる波長の人間を排除する」という記述には背筋が寒くなりました。
2017年6月26日に日本でレビュー済み
圧倒されました。
日本人の特性、行動・思考・生活様式・習慣・文化・食生活・伝統・死生観・宗教・礼儀作法・恥・名誉・家族観・元首、天皇を丸裸にした見事な日本人解体新書です。
この本が書かれたのは、71年前の昭和21年です。
当時の日本は、敗戦ショックと生活困窮に打ちのめされ、日本の文化と歴史への自信を完全に失って、日本への懐疑と不信の空気が漂っていました。
そんな中で出版された「菊と刀」は、日本に衝撃を与えました。
以来、多くの日本論、日本人論が書かれましたが、いまだに版を重ね、新訳がでたりで読み継がれています。
私が読んだ中ではイザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」が日本人論の中ではベストでした。
しかし、全体的・総合的・体系的、資料の多さでは「菊と刀」が圧倒しています。
著者は、アメリカの戦時情報局極東部の依頼を受けてこの本を書きました。
終戦後の日本占領政策の一助にしようという狙いからです。
手法は文化人類学ですが、著者は一度も日本を訪れていません。
当時のアメリカで入手できる資料と在米の日本人へのインタビューのみで、この本を書きました。
膨大な資料が使われています。
当時の行政的な数値資料は勿論ですが、日本を理解するのに読み込まれている歴史的な本の多さに圧倒されます。
日本書紀、古事記から始まり源氏物語、中世の軍記物、仏典、道元、日蓮、法然、親鸞、世阿弥、仮名手本忠臣蔵、江戸時代の読み物、氷川清話、夏目漱石、森鴎外、ハーン、鈴木大拙、明治の外国留学生たちの手記、軍国主義礼賛小説、左翼文学などなどです。
本だけではなく能、歌舞伎、和歌、俳句、映画、流行歌についても参考資料として使っています。
欧米人の価値観の根底には「神の目」に対峙する罪の意識が強くあり、日本人の価値観の根底には「世間の目」に自分がどう映るかを気にする恥の意識が強いです。
日本人にとって世間とは、方丈記にあるように「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で移ろいやすいものです。
まわりを海に囲まれ多民族との交流も少なく2000年に渡って米作り中心の閉鎖的な農業国の日本は、協同作業が不可欠で集団主義、序列意識が発達しました。
否が応でも周囲の評判、仲間はずれを怖れる人間関係が定着しました。
日本人の考え方、行動のキーワードは、忠・孝・義理・人情が中心です。
キーワードに基づく実例が豊富で納得できるものです。
これは現代でも変わることのない価値観であり、世間の目となる物差しです。
戦後の民法改正で、家族制度は「家」中心から「個人」中心に改正され、その影響はかなり浸透しています。
著者の描く昭和の戦前の家族関係、婚姻、嫁姑、家督、乳幼児の育児などは随分と変わっています。
それでもお盆、お正月の帰省ラッシュを見ると家族制度も変わっていない部分も大きいと感じます。
アメリカ人は、南太平洋、フィリピン、硫黄島、沖縄の日本兵の死に物狂いの抵抗をみて日本本土上陸後もゲリラ、テロなどの抵抗、反撃があると信じていました。
殆どのアメリカの日本研究専門家も、そう考えていました。
ところが抵抗はなく、アメリカ進駐軍はすんなりと占領政策をすすめることが出来て、キョトンとしました。
これは当時の日本人の「忠」の対象である天皇陛下の玉音放送があったからです。
明治の王政復古前の800年間は武士が日本の実権者で、天皇は名目だけの儀式担当者で権威も権限もありませんでした。
明治の政治家が天皇を頂点とした欧米列強国にするために権威付けに奔走して明治以降、日本人は天皇を尊ぶ気持ちを植え付けられました。
江戸時代は徳川幕府の監視、コントロールもあり武士や一部の僧侶以外は天皇を知りませんでした。
明治政府は、天皇告知キャンペーンをやり、明治天皇は何と93回も全国に行幸しました。
天皇皇族も、明治政府の意向に沿って国家神道を重視して皇室にあった歴代天皇野位牌を菩提寺である京都の泉涌寺へ戻しました。
天皇も泉涌寺へ訪れることはなくなりました。
国家神道の頂点の象徴なのでお寺へ行くのは憚れるのでしょう。
日本人の行動の基準は「世間様」ですから、世間の風向きが変われば、それに応じて自分の考え行動を変えるという現実的な柔軟性があります。
西欧の一神教徒の目から見れば、無原則で変わり身の早く信用できない日本人とも映る場合があります。
幕末に尊王攘夷運動の旗手だった薩摩藩、長州藩は、外国嫌いの孝明天皇の後押しもあり薩英戦争、下関戦争を起こしましたが、イギリス、フランスなどに反撃され敗北しました。
これで目が覚めた薩摩滁州は尊王攘夷から尊王開国にアッサリと思想信条、スローガンを捨てて、「昨日の敵は今日の友」とばかりに方針を変更したのは、大東亜戦争後、日本がそれまでの鬼畜英米が自由と民主主義をもたらしてくれた友好国だと歓迎したのと同じように映ります。
寄らば大樹の陰は、処世訓としては有益です。
この先の大樹はどこになるのか、気になるところです「。
ネットをみると「菊と刀」には色んな批判がありますが、いずれも重箱の隅を突っつくような枝葉末節な内容です。
当時の日本の社会学者は「菊と刀」に匹敵するようなアメリカ論を書く学問的な力はありませんでした。
「鬼畜英米」「神州不滅」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」など空疎で誇大妄想狂的なスローガンに満ちていただけでした。
日本人の特性、行動・思考・生活様式・習慣・文化・食生活・伝統・死生観・宗教・礼儀作法・恥・名誉・家族観・元首、天皇を丸裸にした見事な日本人解体新書です。
この本が書かれたのは、71年前の昭和21年です。
当時の日本は、敗戦ショックと生活困窮に打ちのめされ、日本の文化と歴史への自信を完全に失って、日本への懐疑と不信の空気が漂っていました。
そんな中で出版された「菊と刀」は、日本に衝撃を与えました。
以来、多くの日本論、日本人論が書かれましたが、いまだに版を重ね、新訳がでたりで読み継がれています。
私が読んだ中ではイザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」が日本人論の中ではベストでした。
しかし、全体的・総合的・体系的、資料の多さでは「菊と刀」が圧倒しています。
著者は、アメリカの戦時情報局極東部の依頼を受けてこの本を書きました。
終戦後の日本占領政策の一助にしようという狙いからです。
手法は文化人類学ですが、著者は一度も日本を訪れていません。
当時のアメリカで入手できる資料と在米の日本人へのインタビューのみで、この本を書きました。
膨大な資料が使われています。
当時の行政的な数値資料は勿論ですが、日本を理解するのに読み込まれている歴史的な本の多さに圧倒されます。
日本書紀、古事記から始まり源氏物語、中世の軍記物、仏典、道元、日蓮、法然、親鸞、世阿弥、仮名手本忠臣蔵、江戸時代の読み物、氷川清話、夏目漱石、森鴎外、ハーン、鈴木大拙、明治の外国留学生たちの手記、軍国主義礼賛小説、左翼文学などなどです。
本だけではなく能、歌舞伎、和歌、俳句、映画、流行歌についても参考資料として使っています。
欧米人の価値観の根底には「神の目」に対峙する罪の意識が強くあり、日本人の価値観の根底には「世間の目」に自分がどう映るかを気にする恥の意識が強いです。
日本人にとって世間とは、方丈記にあるように「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で移ろいやすいものです。
まわりを海に囲まれ多民族との交流も少なく2000年に渡って米作り中心の閉鎖的な農業国の日本は、協同作業が不可欠で集団主義、序列意識が発達しました。
否が応でも周囲の評判、仲間はずれを怖れる人間関係が定着しました。
日本人の考え方、行動のキーワードは、忠・孝・義理・人情が中心です。
キーワードに基づく実例が豊富で納得できるものです。
これは現代でも変わることのない価値観であり、世間の目となる物差しです。
戦後の民法改正で、家族制度は「家」中心から「個人」中心に改正され、その影響はかなり浸透しています。
著者の描く昭和の戦前の家族関係、婚姻、嫁姑、家督、乳幼児の育児などは随分と変わっています。
それでもお盆、お正月の帰省ラッシュを見ると家族制度も変わっていない部分も大きいと感じます。
アメリカ人は、南太平洋、フィリピン、硫黄島、沖縄の日本兵の死に物狂いの抵抗をみて日本本土上陸後もゲリラ、テロなどの抵抗、反撃があると信じていました。
殆どのアメリカの日本研究専門家も、そう考えていました。
ところが抵抗はなく、アメリカ進駐軍はすんなりと占領政策をすすめることが出来て、キョトンとしました。
これは当時の日本人の「忠」の対象である天皇陛下の玉音放送があったからです。
明治の王政復古前の800年間は武士が日本の実権者で、天皇は名目だけの儀式担当者で権威も権限もありませんでした。
明治の政治家が天皇を頂点とした欧米列強国にするために権威付けに奔走して明治以降、日本人は天皇を尊ぶ気持ちを植え付けられました。
江戸時代は徳川幕府の監視、コントロールもあり武士や一部の僧侶以外は天皇を知りませんでした。
明治政府は、天皇告知キャンペーンをやり、明治天皇は何と93回も全国に行幸しました。
天皇皇族も、明治政府の意向に沿って国家神道を重視して皇室にあった歴代天皇野位牌を菩提寺である京都の泉涌寺へ戻しました。
天皇も泉涌寺へ訪れることはなくなりました。
国家神道の頂点の象徴なのでお寺へ行くのは憚れるのでしょう。
日本人の行動の基準は「世間様」ですから、世間の風向きが変われば、それに応じて自分の考え行動を変えるという現実的な柔軟性があります。
西欧の一神教徒の目から見れば、無原則で変わり身の早く信用できない日本人とも映る場合があります。
幕末に尊王攘夷運動の旗手だった薩摩藩、長州藩は、外国嫌いの孝明天皇の後押しもあり薩英戦争、下関戦争を起こしましたが、イギリス、フランスなどに反撃され敗北しました。
これで目が覚めた薩摩滁州は尊王攘夷から尊王開国にアッサリと思想信条、スローガンを捨てて、「昨日の敵は今日の友」とばかりに方針を変更したのは、大東亜戦争後、日本がそれまでの鬼畜英米が自由と民主主義をもたらしてくれた友好国だと歓迎したのと同じように映ります。
寄らば大樹の陰は、処世訓としては有益です。
この先の大樹はどこになるのか、気になるところです「。
ネットをみると「菊と刀」には色んな批判がありますが、いずれも重箱の隅を突っつくような枝葉末節な内容です。
当時の日本の社会学者は「菊と刀」に匹敵するようなアメリカ論を書く学問的な力はありませんでした。
「鬼畜英米」「神州不滅」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」など空疎で誇大妄想狂的なスローガンに満ちていただけでした。
2022年5月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
考察の深さに驚かされれた。他人の評価は気にせず読んでおくべき。日本人として必読の古典のひとつに加えたい。ただ、最後の評価と批判は読む価値がない。
2017年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昨日言ったことが翌朝には変わっている。マッカーサーは歓迎の嵐だったそうだが、東條英機、牟田口廉也はいまだに悪く言われる。結果、人の顔色伺う者が勝ち残る。広島ではキューバのチェゲバラに「なぜ、あなたたちは何も言わないのですか?」と言われても、何も言わない。こないだはオバマ大統領が広島に来て黙祷したが、アメリカ人のほうが人格が格段に上なのではと思ってしまう。カーター元大統領も紛争地域での調停に動く。やっぱりキリスト教の国だと思う。
2018年4月23日に日本でレビュー済み
既に多く指摘されているが本書「菊と刀」は米国の戦時情報局に勤めていた著者により書かれ、終戦直後に翻訳され出版されたプロパガンダ性を帯びた本である。
現代に至るまで版を重ね続ける、外国人の書いた日本人論のベストセラーでありロングセラーでもある。
しかし日本では30万部を超えるベストセラーになったが、米国ではあまり注目されず、発売20年で2万8千部ほどしか売れなかったらしい。
読んでみて思ったが本書は新渡戸稲造の「武士道」と真逆のスタイルで構成されている。
「武士道」は西欧の文学や哲学を引用して日欧の道徳的類似性を強調する内容だったのに対し、
ベネディクトの「菊と刀」は、日本の慣習や文学、言語を列挙し、日欧の異質性を強調し道徳的な劣等性を指摘するものである。
新渡戸の「武士道」も武士の実態からかけ離れたフィクションでしかなかったが、「菊と刀」で提示される日本人像と日本人論もフィクションでしかない。
正直導入部の3章あたりまでは割と真っ当な事を言ってると思うし、耳が痛いなと思う指摘があったりしてなかなか良く書けているかもなと思ったのだが、
読み進めていくうちに、ベネディクトが提示する資料と解釈によりステロタイプな日本人像を作り上げ、その偏狭な日本人像の異質性を次々に指摘してゆく藁人形論法に変化し、プロパガンダ書としての様相を強めてくる。
しかし本書内の訳注でも度々指摘されている通り、肝心の引用されるテクストにに明らかな間違いや意味の取り違えが大量にあり、論の前提から破綻している部分が多く見るも無残である。
文学作品やことわざ、慣習などを拡大解釈して、日本人とはこういうものであると次々と断定していくが、ここで提示される日本人像は、時代の違いを考慮しても日本人の私にも理解不能なものが多く、洋画などに出てくる「なんか違う日本人や日本文化」以外の何物でもない。
はっきり言って本書の内容の半分ほどは無知からくる誤解曲解またはこじつけである。
ベネディク自身は日本研究者でもなく日本語も読めず、来日したこともなく、本書の元となったレポートも1年ほどの間に急ごしらえで書かれたためにこのようになったのだろう。
多くの人が指摘するように「日本に来たこともないのにこのような精密な分析ができるとは」と言った評価は贔屓がすぎると思う。
本書はベネディクトが提唱した「文化の型」という比較概念に基づいて執筆されている。
本書内では日本を「恥の文化」という型に分類し、西欧を「罪の文化」として分類し書かれている。
既にベネディクトは前著でこの文化の型という概念を使い未開部族を、「ディオニュソス型社会」「アポロン型社会」という具合に分類している。
これはニーチェが「悲劇の誕生」で分類した「ディオニュソス的なもの」「アポロン的なもの」という概念を援用したもので、
非文明的な「ディオニュソス型社会」文明的な「アポロン型社会」という具合に、人類に普遍的に見られる感情や慣習の一面や、野蛮な非文明的な部分、理性的で文明的な部分を、部分的に切り取って過剰に修飾し現代の心理学用語で言うバーナム効果を利用するようして分類すれば、いくらでもディオニュソス型社会だろうがアポロン型社会にだろうが当てはめてしまえるというようなものだ。
恥の文化罪の文化論というのもその延長上にあたる。
文化の型による分類という、主観的で使用者によっていくらでも好きなように恣意的な分別が可能な悪い説明は、今日ではもはや学問的価値も無く、使う人物もほぼいない廃れた概念である。
現在の人類学の社会比較などでは、社会の特性を自由度など指針となるいくつかのカテゴリに分け、それぞれを数値化して定量的に比較するような手法が取られていて、ある程度マシな客観性を保てるようになっている。
本書内では自民族中心的(エスノセントリズム)に基づいた文化分析は良くないとこと指摘されているが、その実本書内の分析はキリスト教哲学と西欧中心主義に基づいており、ベネディクト自信がそれらから脱することが全くできていない。
本書で非常に優れているのは「菊と刀」というタイトルである。
ベネディクトは詩で章を取ったこともあり優れた詩人であったというが、本書内で日本人の二面性を菊と刀に例える所や、詩的なタイトルはいかにも日本人に好まれそうなものである。
本書が誤りだらけにも関わらず版を重ね続ける理由は、敗戦後の虚無感に対して日本人に偽りの指針を与えた事と、耳目を引くこのタイトルなどにある。
本書のストーリーはいかにもそれっぽくうまく語られているため、こういった前提知識が無く物事を判断できない人間が読むと簡単に著者の話に飲まれて本書の日本人論を至極まっとうなものとして受け入れ、恥の文化は劣ったものであり罪の文化を礼賛する出羽守になってしまうのだろう。
日本に来たこともない人物の日本人論を読んで、「日本の文化」や「伝統」など様々な再発見をしたりしている人が多いのは皮肉でしか無い。
・・・とまあ後知恵で考えて本書の内容だけを評価すると非常に辛いものになってしまうが、
当時のアメリカの世論調査では、日本人を絶滅させるべきであるという意見が15%以上にものぼったという。
アメリカの対日プロパガンダの基準で考えれば、日本人は道徳を持ち合わせていない野蛮な猿であり殲滅するべきである。という過激なものが多かったなかで、本書の日本人論や提言は控えめに言っても日本人に対して、大甘だったに違いない。
事実当時のタイム誌などは当て擦りで「ベネディクトが天皇を救った」と書いたほどであったという。
本書とその元となったレポートはGHQの占領政策にも反映されたたことであろうし、実は日本に対する歴史的な影響は非常に大きかったのかもしれない。
現代に至るまで版を重ね続ける、外国人の書いた日本人論のベストセラーでありロングセラーでもある。
しかし日本では30万部を超えるベストセラーになったが、米国ではあまり注目されず、発売20年で2万8千部ほどしか売れなかったらしい。
読んでみて思ったが本書は新渡戸稲造の「武士道」と真逆のスタイルで構成されている。
「武士道」は西欧の文学や哲学を引用して日欧の道徳的類似性を強調する内容だったのに対し、
ベネディクトの「菊と刀」は、日本の慣習や文学、言語を列挙し、日欧の異質性を強調し道徳的な劣等性を指摘するものである。
新渡戸の「武士道」も武士の実態からかけ離れたフィクションでしかなかったが、「菊と刀」で提示される日本人像と日本人論もフィクションでしかない。
正直導入部の3章あたりまでは割と真っ当な事を言ってると思うし、耳が痛いなと思う指摘があったりしてなかなか良く書けているかもなと思ったのだが、
読み進めていくうちに、ベネディクトが提示する資料と解釈によりステロタイプな日本人像を作り上げ、その偏狭な日本人像の異質性を次々に指摘してゆく藁人形論法に変化し、プロパガンダ書としての様相を強めてくる。
しかし本書内の訳注でも度々指摘されている通り、肝心の引用されるテクストにに明らかな間違いや意味の取り違えが大量にあり、論の前提から破綻している部分が多く見るも無残である。
文学作品やことわざ、慣習などを拡大解釈して、日本人とはこういうものであると次々と断定していくが、ここで提示される日本人像は、時代の違いを考慮しても日本人の私にも理解不能なものが多く、洋画などに出てくる「なんか違う日本人や日本文化」以外の何物でもない。
はっきり言って本書の内容の半分ほどは無知からくる誤解曲解またはこじつけである。
ベネディク自身は日本研究者でもなく日本語も読めず、来日したこともなく、本書の元となったレポートも1年ほどの間に急ごしらえで書かれたためにこのようになったのだろう。
多くの人が指摘するように「日本に来たこともないのにこのような精密な分析ができるとは」と言った評価は贔屓がすぎると思う。
本書はベネディクトが提唱した「文化の型」という比較概念に基づいて執筆されている。
本書内では日本を「恥の文化」という型に分類し、西欧を「罪の文化」として分類し書かれている。
既にベネディクトは前著でこの文化の型という概念を使い未開部族を、「ディオニュソス型社会」「アポロン型社会」という具合に分類している。
これはニーチェが「悲劇の誕生」で分類した「ディオニュソス的なもの」「アポロン的なもの」という概念を援用したもので、
非文明的な「ディオニュソス型社会」文明的な「アポロン型社会」という具合に、人類に普遍的に見られる感情や慣習の一面や、野蛮な非文明的な部分、理性的で文明的な部分を、部分的に切り取って過剰に修飾し現代の心理学用語で言うバーナム効果を利用するようして分類すれば、いくらでもディオニュソス型社会だろうがアポロン型社会にだろうが当てはめてしまえるというようなものだ。
恥の文化罪の文化論というのもその延長上にあたる。
文化の型による分類という、主観的で使用者によっていくらでも好きなように恣意的な分別が可能な悪い説明は、今日ではもはや学問的価値も無く、使う人物もほぼいない廃れた概念である。
現在の人類学の社会比較などでは、社会の特性を自由度など指針となるいくつかのカテゴリに分け、それぞれを数値化して定量的に比較するような手法が取られていて、ある程度マシな客観性を保てるようになっている。
本書内では自民族中心的(エスノセントリズム)に基づいた文化分析は良くないとこと指摘されているが、その実本書内の分析はキリスト教哲学と西欧中心主義に基づいており、ベネディクト自信がそれらから脱することが全くできていない。
本書で非常に優れているのは「菊と刀」というタイトルである。
ベネディクトは詩で章を取ったこともあり優れた詩人であったというが、本書内で日本人の二面性を菊と刀に例える所や、詩的なタイトルはいかにも日本人に好まれそうなものである。
本書が誤りだらけにも関わらず版を重ね続ける理由は、敗戦後の虚無感に対して日本人に偽りの指針を与えた事と、耳目を引くこのタイトルなどにある。
本書のストーリーはいかにもそれっぽくうまく語られているため、こういった前提知識が無く物事を判断できない人間が読むと簡単に著者の話に飲まれて本書の日本人論を至極まっとうなものとして受け入れ、恥の文化は劣ったものであり罪の文化を礼賛する出羽守になってしまうのだろう。
日本に来たこともない人物の日本人論を読んで、「日本の文化」や「伝統」など様々な再発見をしたりしている人が多いのは皮肉でしか無い。
・・・とまあ後知恵で考えて本書の内容だけを評価すると非常に辛いものになってしまうが、
当時のアメリカの世論調査では、日本人を絶滅させるべきであるという意見が15%以上にものぼったという。
アメリカの対日プロパガンダの基準で考えれば、日本人は道徳を持ち合わせていない野蛮な猿であり殲滅するべきである。という過激なものが多かったなかで、本書の日本人論や提言は控えめに言っても日本人に対して、大甘だったに違いない。
事実当時のタイム誌などは当て擦りで「ベネディクトが天皇を救った」と書いたほどであったという。
本書とその元となったレポートはGHQの占領政策にも反映されたたことであろうし、実は日本に対する歴史的な影響は非常に大きかったのかもしれない。