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主君「押込」の構造―近世大名と家臣団 (講談社学術文庫) 文庫 – 2006/10/11

4.4 5つ星のうち4.4 11個の評価

家臣団による主君廃立運動の実態と論理。 近世武家社会において君臣間の上下秩序は冒すべからざるものだったのか。主君の強制的隠居=押込の慣行に注目し、国制と家のありよう、背景としての思想を探る。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2006/10/11)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/10/11
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 320ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 406159785X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061597853
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 11個の評価

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笠谷 和比古
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2014年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
正直言って、漢字が難しかったり、文章がのみこみにくかったりで、3分の1くらいで読むのは挫折して、ぱらぱらめくって、
わかったような感想しか書けないが、、著者が多大な時間と労力をかけて書き上げた著作であることはわかるし、その迫力もある。

学問的云々はわからないが、日本の権力構造を知る上では大変勉強になった。

司馬りょうたろうや水戸黄門のテレビに洗脳されてきた、私を含めた多くの日本人は改めて、権力の仕組みが、本質的に
泥臭くて、ある意味良識的であることに驚くと思う。

現代に照らし合わせれば、ひとまず普通選挙制度がある時代とそうでない時代の政治の舵取りという比較は可能と思う。

大衆を犠牲にする権力は遅かれ早かれつぶれてしまうのである。
時代は、江戸時代、今よりは地方分権がすすんでいた時代である。
無論、テクノロジーや統治コストなどで、徳川幕府がゆるい中央集権を強いていたという事情はあるとおもうが。

それにしても、どんな組織でもそうだが、頭のおかしい奴がトップに立ったときの悲惨と没落はいつの時代でもかわらないようだ。
組織が小さいほどその影響はより早く、つよい。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 資料を元に,主君押し込めの様相を考察している。
 研究者にとって貴重な本なのだろうが,江戸好きの人にも
大変面白く読める本です。
 策略をめぐらし改革をしようとする主君,させまいとする家来達,
幕府の対処のしかたの興味深さ・・・・・
 明治維新前の、武士たちの思考に時代の変遷が現れています。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 大名と家臣の関係が必ずしも一方的な上下関係でなかったことが、十分納得できて面白かったです。
ただ、家臣が大名を抑制するのを一方的に進歩的ととらえる点など、残念ながら一定年齢以上の歴史学者は、「まだ」唯物史観の呪縛から解放されてないのが見えてしまって残念です。
 上杉鷹山が押込寸前だった事実など、ご存じないわけはないだろうし、徳川宗春の先進性に全く触れていないのはいかがなものでしょうか?
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年7月29日に日本でレビュー済み
まず一つ念を押しておきたいことがある。

本書は歴史上、実際に起こった主君押し込め事件の経緯や背景を分析する純粋な学術論文であるということである。

したがって何か「上司への反抗のやり方マニュアル本」的な関心を寄せて本書を購入する読者には残念ながら本書は期待にこたえられるものとはならないだろうと考えるのである。

何かマニュアル本,ハウトゥ本であるかのような紹介をする書評が、わりと有名な方々からも出ているように思うのでお伝えする次第である。

その上で以下

江戸時代の武家組織の根底に流れる組織秩序を探る上で、非常に貴重な研究結果を小生を含めた一般人にも比較的解りやすく説明させている良著として、現代にも通じる“和”をドグマとする日本組織秩序の実態への理解を助けてくれる良著だと思う。
当時の武家社会の共同生活単位としての各藩の運営は決して主君独裁によるものではなく、家臣団を含めた“話し合い”の秩序が働いていた。
この秩序を乱す主君に対しては、お家存亡のための家臣団による最終オプションとしての「押し込め」→強制蟄居が発動されていた。

個人的に関心を誘われたのが、「押し込め」の対象となってしまった君主のタイプである。
まず、単なる凡庸な君主タイプの(=重臣の合議結果に判を押すだけのような順従な君主)は決して押込めの対象になっていない。

押込めの対象として最も多いのが家臣の諫めを聞かず、個人的な趣味などから巨額の放蕩を繰り返して藩財政を傾けるようなタイプの君主である。これは合理的な理由に基づく押込めであって、これが容認・正当化されても不思議には感じない。

注目すべきと感じたのは、しばしば現代の判断基準に照らしても有能な経営者と評価して差し支えないような大名まで、周囲の反発を抑えて改革を断行しようとしたが故に、少なからず「押込め」の対象となっている点である。この点、本書には言及されていないが、米沢藩の財政改革を断行した上杉鷹山のような極めて有能な君主ですら、守旧派の“和”の精神や、現在よりも凄まじかったと思われる伝統遵守意識、強烈な序列意識に基づく反発に遭遇して押し込めの一歩手前というべき危機的状況に陥っていることを思い浮かべる。もっとも鷹山は守旧派より数枚上手だったが故に危機を乗り切れたに過ぎないと思う。
この辺りは平和な島国で安定を重視しドラステックな状況変化を嫌う日本人気質の表れというべきか。

江戸時代を支配した、そして現代日本をも支配している独自の“和”をドグマとした組織システムの内実に興味を持つ方に是非お勧めの一冊である。
34人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年7月9日に日本でレビュー済み
 もともと1988年に刊行された本。著者は国際日本文化研究センター教授。
 曰く・・・
 蜂須賀家(江戸時代)では、家老の権力は絶大。これに対して、中老身分の近習役たちは、家老専断体制打破を目指し、ちょうど秋田佐竹家から迎えた新藩主の重喜に旧格復帰を強く進言する。権力闘争が進行していた。やがて、主君の意のままに任免可能な官僚制が実現し、旧例にも家格秩序に制約されない、主君の意思がそのまま藩という政治機構体の意思に転化しうるような政治体制(専制)が形成されていく。重喜は無制約の権力を手にし、改革も可能になったが、やがて権力は腐敗していく。重喜はやがて失脚する。
 家老層の勢力が安定的に存在する一般的状態では、主君は容易には専制的権力行使しえない。幕府も、主君専制を暴政とみなす。家法に基づく政治運営、これを監視すべき諫言者の存在が保証される政治体制が幕府の支持するところ。ゆえに重喜の政治体制は否定されるべきものだった。専制に対する家臣団の抵抗があり、主君押し込め問題が生じ、幕府も支持する、という構造がある。
 家臣団による主君押込行為が、幕藩体制下での公式秩序たる主君絶対の君臣秩序と抵触することは明白であるがゆえに、幕府にはジレンマがある。主君押込事件が明るみに出ると幕府は関係者を処分せざるを得ない。その一方で、判決理由の面では幕府ははっきりと主君押込行為を是認している。
 尾張の徳川宗春が江戸参勤に出発したとき宗春の奢侈政策はことごとく家老たちから否定され、その股肱の臣も失脚する。クーデターみたいなもの。宗春はいったん家臣団によって押込められたが(監禁蟄居)、その後、話し合いで藩主に復帰。宗春は行状の改善を誓約したが、その誓約は守られず、幕府はついに公然と宗春の処断に踏み切る。これは幕命による処分隠居だったのではないか。
 押込めが発生する原因は、主君の不行跡、養子、特に、他姓養子(ワンポイントリリーフ)による御家横領行為、君臣間の政治路線対立。
 家老層など重臣層が常に主君押込めの主体であり、彼らの合意において執行される。主君押込めが慣行として定着した近世中期以降は家老以下重職者の職権に属する行為と見なされていたのかもしれない。諫言は家老の職権。主君押込めは諫言の延長線上にあるのかもしれない。
 主君押込めという行為は、重職者の職務権限上の正当行為であることを主君の側でも認識している。幕府も、主君押込め行為そのものを不当行為とせず、その不誠実なやり方や不適切な事後処理を処罰する、というかたちをとっている。
 主従関係は一代限りの属人的要素が希薄になると永代的な属門的関係に大きく比重が移っていく。家臣たちは自己の所領に対する独立した支配権を失い、藩権力による一元支配に服する。家臣たちは「家中」として包摂され、そのうちの実力者たちは家老として位置づけられていく。こうして、大名家という家を基軸とする秩序が形成される。御家至上主義となっていき、武士にとって第一義的価値は御家そのものの存続となる。忠義の意識は変容し、忠義の対象はパーソナルな意味での特定の大名主君より、その主君が当主である大名の御家に向けられていく。主君は重いが、御家存続にとって不都合であるときには除去せねばならないし、それは御家存続に責任を負う家老たちの義務でもある。これが御家の思想によって聖化された押込め慣行の姿だったのだろう。
 主君の権力は、それが藩領全体を覆い尽くしたとき、逆説的なことに名目化していき、藩という客観的な政治機構の中に包摂され、この機構の意思に従属せしめられる。
 機構体の組織構成は軍制的身分秩序によって強く規定され、ここに形成される官僚制は主君の恣意によって任免・昇降が思いのままという自由官僚制ではない。主君がなにか新規の事柄を行うときには家臣団の合意を取り付ける手続きが必要となる。
 山本常朝の「葉隠」にあってはまず個としての武士の完成が要求された。そして主君への忠誠は、このように完成された個としての武士の主体的で能動的な自己滅却として捉えられた。ゆえに主命への事なかれ主義的な恭順は「葉隠」のもっとも嫌悪するところである。
 赤穂義士と主君押込めは一見正反対のように見えるが、これは二つのものではなく、武士道的精神といったものの中において関連し合う。武士道は決して主君一辺倒のものではなく、もっと幅をもった精神と行動のあり方である。
 みたいな話。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年10月11日に日本でレビュー済み
私は日本史音痴なので、これが当たり前の構造なのかどうなのかは知らない。その上で見ていくと、通常のクーデターは、自分の利益を最大限にするために上司を追い出すというものだが、日本の武家の場合は徳川家に対する忠誠という形をとるようだ。となると、単純に企業での社長追放劇と重ね合わせるには若干問題がある。
しかし、これは同時に神輿の構造とよく似ており、反抗的な部下の心理状態を理解するには一部分ではあるがヒントになるのかもしれない。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年6月16日に日本でレビュー済み
旧商工ファンド、後のSFCGのパワハラ全開オーナー経営者とその一族郎党が、経営破綻直前の資産隠しの疑いにより逮捕された。バブル崩壊後の中小企業経営者を対象とした“貧困ビジネス”で財をなし、一転経営破綻となると資産を独り占めしようとする。窮極ではあるが、こういうスタンスこそ、この20年、ビジネス界で称揚されてきたものである。最近読んだクリスチャン・マラッツイの『資本と言語』(人文書院)には、こうしたスタンスの“自然史的(?)”な構造が解明されている。

ここまで行っちゃってる例はともかくも、ベアなし、ボーナスなしで、自分は海外へ遊びに出かけるという超小物経営者もいると聞く。海外のホテルでは、取り巻きどもとリストラ(首切り)選考に興じておることであろう。こんなのは序の口でかわいいほう、もっとひどいケースもあるだろう。

そういう噂や耳寄り情報に接するとき、ふと思い出すのが本書のこと。そう、「押込」だ。
どうして、現代の藩以外の何物でもない会社では、この押込ができないのだろうか?
賢者は歴史から学ぶと言うが、現代サラリーパーソンが会計や英語の前に学ぶべきは(といっても非上場中小企業だが)、この歴史上の押込ではないのだろうか?・・・・とまあ、半分本気で思う次第。
わかってますよ、経営者=株主の権力は絶大? なのですね。しかし、少なくない会社がホンモノの愚かな経営者のいるせいで業績悪化していることは間違いないな!

「御身持宜しからず御慎しみあるべし」あああ〜。

他方で、多くの真面目なオーナー経営者が、地獄の苦しみを甞めていることも厳然たる事実。年間3万人を超える自殺者のなかには、こうした経営者もいることであろう。この圧倒的非対称!!!
従業員が皆“負け組”であることが判明しつつあるが、前者のお身持ち宜しくない経営者を“勝ち組”経営者というのであろうな。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年4月2日に日本でレビュー済み
城めぐり用に古本屋で三百円で買った稲垣史生の「日本の城」(平凡社カラー新書)にだって、似たようなことは書いてある。

私のような単なる歴史も趣味と言う程度の人間にとっても、別に目新しいことではない。

学問上のことは知りませんが、この本が日本史プロパー以外の人間にとっても、画期的だとか書いてる本は信用せんでもええと言うことを、再確認するためだけに買いました。その役には立ったので三点です。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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