化粧、眉、お歯黒、装身具など、古代から現代に至るまでの変遷をつづった本書。個人的には近代・現代の化粧についてよりも古代から江戸時代くらいまでの歴史を知りたかったので、本の前半部分が興味深かった。
縄文時代から古墳時代までは装身具が使われていたが、その後、律令時代からは装身具が消失したという記述を読んで、「そういえばそうだ!!」とあらためて気づいた。平安時代は絵巻物でおなじみのように、眉を剃り落として額のかなり上の方に描いていた。また、時代劇では女性は現代風の化粧で描かれているが、江戸時代の女性は結婚すると歯はお歯黒にし、子供が出来ると眉もそり落としていた。現代の私たちが見ると「ぎょっ」とするような形相だったのだろうが、当時はそれが美意識だった。
現代に入っても、バブルの頃は太い眉が全盛だったが、その後細い眉が流行り、今はどちらかと言うと自然な眉に戻りつつある、というように、化粧の移り変わりは大変に早い。ごく自然に移り変わっていくのであまり気にしていなかった化粧の歴史だが、この本を読むことで時代時代の移り変わりに目が向けられるようになった気がする。
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顔の文化誌 (講談社学術文庫) 文庫 – 2007/2/9
村澤 博人
(著)
顔・化粧の文化にみる日本的美意識の深層。日本人は「顔隠しの文化」など独特の美意識をもつ。どのような顔が美とされ、なぜそれが選ばれたのか。綿密な考証と実験から、「日本人らしさ」を追究する。
- 本の長さ285ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2007/2/9
- ISBN-10406159804X
- ISBN-13978-4061598041
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2007/2/9)
- 発売日 : 2007/2/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 285ページ
- ISBN-10 : 406159804X
- ISBN-13 : 978-4061598041
- Amazon 売れ筋ランキング: - 380,524位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 854位文化人類学一般関連書籍
- - 1,211位講談社学術文庫
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年10月31日に日本でレビュー済み
「顔に対する美意識や化粧観はその時代における顔のありようによって規定される。
その顔のありようはまた、その人個人のありようによって規定され、人のありようは社会や
その時代の文化によって規定される。顔、からだ、人、社会、すべてが有機的に
つながっているのである。……第1章から第4章では、日本における顔の美の歴史を
時代順に扱っている。とかくありがちな、単なる化粧史の羅列は避け、なぜそのような
化粧だったのか、なぜそのような美意識を選んだのか、あるいは選ばざるをえなかった
のかに対する考察も逐次いれながら、日本人の顔の美意識に対する特徴を明確にし、
化粧と顔のあり方の二本柱でそれぞれの時代を書きすすめ、その変遷を追究している。
……第5章、第6章では、1980年代後半以降の、現代日本人の顔やからだに対する
美意識と個性、社会性、などとの関係を調査結果をまじえて紹介しながら、現代日本人に
おける顔やからだ文化の特徴に言及した。また日本人の顔の文化について大きく二つの
文化の存在を提示しながら、これからのあり方について私見を述べた」。
見えるからといって、それをじっと見つめていい、という話ではない。
似たような観察を読んだことがあると思ったら、例えば混浴文化の可能と、その規範を
逸脱するものとしての「ヌード」を指摘する宮下規久朗『 刺青とヌードの美術史 』だった。
刺青がむしろ身体を「隠す」ものとして機能するように、例えば歌舞伎における化粧も
また、その顔を「隠す」ことをその意義に持つ。
「絵巻物に描かれた貴族階級の顔が様式化されて引目鉤鼻に表現されたのも、その
根底に顔を見せない=見ない=隠す文化が存在したためと解釈できる。……日本の顔の
文化史を研究しはじめると、その根底に『顔隠し』の存在を感じざるをえない」。
とはいえ、本書はそうした「顔」の系譜史をなぞることに終始するものではない。むしろ
筆者の議論の力点は、ある時代における特異性ではなく、現代との共通項として例えば
この「顔隠し」を指摘することにこそある。曰く、日本においてとりわけ特徴的な「正面顔
文化」が「歌舞伎の白塗り化粧で顔を真っ白くすると顔のもつ凹凸感が不鮮明になる
ように、『顔やからだの凹凸を減らし、存在感を(隠して)無にする』」のに比して、
その対立概念としての「横顔文化」は「立体感を出そうとするメイクアップのように、
『顔やからだの凹凸を強調して、存在感を(表して)明確にする』というまったく逆の
発想」を持つ。そして現代、グローバリゼーション下での「多様性」に鑑みたときに、
「『正面顔文化』よりは『横顔文化』が望ましい」のではなかろうか、とするのが論旨。
人間とかいうコンテンツの底の浅さに少しでも思い至れば、そもそも顔など記号に
過ぎず、もしくは記号ですらなく、一顧だにも値しない、そんな知的まともさを具現した
世界に先行する「正面顔文化」の一体どこに否定すべきものがあるというのか、
少なくとも私には全く以て意味不明。
むしろ本書の美質を探れば、眉をはじめとしたパーツの記号的意味、象徴性を
極めてコンパクトに提示して見せた点に存する。日本における身体のフェティシズムの
系譜学としてみれば、非常に興味深い一冊。
個人的に最も記憶に焼きついたのは「お歯黒」をめぐる描写。なぜ時に「鉄漿」との
字を当てて表現されるのかすらも知らなかった私には恐ろしく刺激的。筆者の議論に
共鳴できる点がたとえなかろうとも、好奇心をかき立ててくれたその一点で快著。
その顔のありようはまた、その人個人のありようによって規定され、人のありようは社会や
その時代の文化によって規定される。顔、からだ、人、社会、すべてが有機的に
つながっているのである。……第1章から第4章では、日本における顔の美の歴史を
時代順に扱っている。とかくありがちな、単なる化粧史の羅列は避け、なぜそのような
化粧だったのか、なぜそのような美意識を選んだのか、あるいは選ばざるをえなかった
のかに対する考察も逐次いれながら、日本人の顔の美意識に対する特徴を明確にし、
化粧と顔のあり方の二本柱でそれぞれの時代を書きすすめ、その変遷を追究している。
……第5章、第6章では、1980年代後半以降の、現代日本人の顔やからだに対する
美意識と個性、社会性、などとの関係を調査結果をまじえて紹介しながら、現代日本人に
おける顔やからだ文化の特徴に言及した。また日本人の顔の文化について大きく二つの
文化の存在を提示しながら、これからのあり方について私見を述べた」。
見えるからといって、それをじっと見つめていい、という話ではない。
似たような観察を読んだことがあると思ったら、例えば混浴文化の可能と、その規範を
逸脱するものとしての「ヌード」を指摘する宮下規久朗『 刺青とヌードの美術史 』だった。
刺青がむしろ身体を「隠す」ものとして機能するように、例えば歌舞伎における化粧も
また、その顔を「隠す」ことをその意義に持つ。
「絵巻物に描かれた貴族階級の顔が様式化されて引目鉤鼻に表現されたのも、その
根底に顔を見せない=見ない=隠す文化が存在したためと解釈できる。……日本の顔の
文化史を研究しはじめると、その根底に『顔隠し』の存在を感じざるをえない」。
とはいえ、本書はそうした「顔」の系譜史をなぞることに終始するものではない。むしろ
筆者の議論の力点は、ある時代における特異性ではなく、現代との共通項として例えば
この「顔隠し」を指摘することにこそある。曰く、日本においてとりわけ特徴的な「正面顔
文化」が「歌舞伎の白塗り化粧で顔を真っ白くすると顔のもつ凹凸感が不鮮明になる
ように、『顔やからだの凹凸を減らし、存在感を(隠して)無にする』」のに比して、
その対立概念としての「横顔文化」は「立体感を出そうとするメイクアップのように、
『顔やからだの凹凸を強調して、存在感を(表して)明確にする』というまったく逆の
発想」を持つ。そして現代、グローバリゼーション下での「多様性」に鑑みたときに、
「『正面顔文化』よりは『横顔文化』が望ましい」のではなかろうか、とするのが論旨。
人間とかいうコンテンツの底の浅さに少しでも思い至れば、そもそも顔など記号に
過ぎず、もしくは記号ですらなく、一顧だにも値しない、そんな知的まともさを具現した
世界に先行する「正面顔文化」の一体どこに否定すべきものがあるというのか、
少なくとも私には全く以て意味不明。
むしろ本書の美質を探れば、眉をはじめとしたパーツの記号的意味、象徴性を
極めてコンパクトに提示して見せた点に存する。日本における身体のフェティシズムの
系譜学としてみれば、非常に興味深い一冊。
個人的に最も記憶に焼きついたのは「お歯黒」をめぐる描写。なぜ時に「鉄漿」との
字を当てて表現されるのかすらも知らなかった私には恐ろしく刺激的。筆者の議論に
共鳴できる点がたとえなかろうとも、好奇心をかき立ててくれたその一点で快著。