戦前、天皇や皇族に対する不敬罪を犯した人間に対して政府が意図的に「精神異常者」扱いするということが行われていた。
本書が扱うのはこのような、「王権による狂気の捏造」である。
膨大な資料の読み込みと、わからないことはわからないで決して断定はしない(これが逆に読者に信頼感を持たせるのかも)という著者の特徴が本書にもよく出ている。
個別に見ればあまり関係のなさそうな事件・事例を、「精神鑑定のポリティクス」というコンセプトで繋げたところにオリジナリティがあるとあとがきで著者自身書いているように、同じようなテーマの本は他になかなか無いのではないかと思う。
個人的には相当面白かったので☆5。
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狂気と王権 (講談社学術文庫) 文庫 – 2008/2/7
井上 章一
(著)
元女官長の不敬事件、虎ノ門事件、田中正造直訴事件、あるいは明治憲法制定史、昭和天皇「独白録」の弁明など、近代天皇制をめぐる事件に「精神鑑定のポリティクス」という補助線を引くと、いったい何が見えてくるか。「反・皇室分子=狂人」というレッテル貼り。そして、「狂気の捏造」が君主に向けられる恐れはなかったのか? 独自の視点で読み解くスリリングな近代日本史。(講談社学術文庫)
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2008/2/7
- ISBN-104061598600
- ISBN-13978-4061598607
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2008/2/7)
- 発売日 : 2008/2/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 352ページ
- ISBN-10 : 4061598600
- ISBN-13 : 978-4061598607
- Amazon 売れ筋ランキング: - 615,407位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2008年12月6日に日本でレビュー済み
天皇不敬事件が起きた時、なぜか犯行に及んだものが「狂気」の名の下に処理されていく。権力者側は、華族であった元女官長の不敬事件を「狂気」として葬り去る事で事なかれに終始しようとした。だが、虎ノ門事件の犯人であったアナーキストの難波大助は、一環として狂気として処理されるのを拒否してしまう。
国家権力が、権力者に逆らうものを狂気として処理するのは日本だけだはなく、旧ソビエト時代の精神病理も粛清対象に狂気を利用している。
著者は膨大な参考文献を引用しつつ、狂気を利用する権力機構にユニークな観察を行なっている。特に権力者側の天皇すら、時の政権に逆らう態度を見せると、天皇自身を発病者(狂気となった)として権力側も葬り去るという事体に怯えていたという考察はなかなかおもしろい。この部分は、 主君「押込」の構造―近世大名と家臣団 (講談社学術文庫) に詳しく描かれているが、筆者もそのことに触れている。
但し、全てがそうかというと甚だ疑問である。迂闊な判断は「陰謀史観」に嵌りやすく、それが古河家の騒動として引用されているものの、これを狂気を利用したと断定するのは危険である。筆者は誘導をおこなっているものの、自己責任を回避したいのか、断定的口調を避けている。これでは狐の威を借りる文章とも見られかねない。
読み進めて行いけばいくほど、読者を誘導していくものの、筆者がどんどん逃げてく様子が見えるようであまり共感しがたい。
国家権力が、権力者に逆らうものを狂気として処理するのは日本だけだはなく、旧ソビエト時代の精神病理も粛清対象に狂気を利用している。
著者は膨大な参考文献を引用しつつ、狂気を利用する権力機構にユニークな観察を行なっている。特に権力者側の天皇すら、時の政権に逆らう態度を見せると、天皇自身を発病者(狂気となった)として権力側も葬り去るという事体に怯えていたという考察はなかなかおもしろい。この部分は、 主君「押込」の構造―近世大名と家臣団 (講談社学術文庫) に詳しく描かれているが、筆者もそのことに触れている。
但し、全てがそうかというと甚だ疑問である。迂闊な判断は「陰謀史観」に嵌りやすく、それが古河家の騒動として引用されているものの、これを狂気を利用したと断定するのは危険である。筆者は誘導をおこなっているものの、自己責任を回避したいのか、断定的口調を避けている。これでは狐の威を借りる文章とも見られかねない。
読み進めて行いけばいくほど、読者を誘導していくものの、筆者がどんどん逃げてく様子が見えるようであまり共感しがたい。