Thomas Kuhnの『科学革命の構造』は随分昔に読みました。Kuhnのいうparadigmは感覚的には共感できるのですが、具体的に定義をしようとすると何となく雲を掴むような感じになってしまいます。翻訳を疑う癖のある私はその後にThe Structure of Scientific Revolutionsを買いました。しかしそれでも良くわかりません。
この本はThe Structure of Scientific Revolutionsの解説書ではありません。むしろ何故Kuhnがそのような発想に導かれたかの背景の説明だと私は感じます。Kuhnが説明しきれていない部分、それは私の理解力の問題かもしれませんが、そこを補ってくれました。この本を読んで初めてparadigmの意味を理解できました。
Kuhnを読んだ後にKarl Popperを読みThe Logic of Scientific Discoveryの明解さに魅了されました。更にPopperの否定した論理実証主義のHans ReichenbachのRise of Scientific Philosophyを読み、すっかりReichenbachのファンになってしまうというように、歴史を逆に辿ってきました。
Popperの反証主義という科学と非科学の線引きは確かに単純明解です。しかしその明解さはいわば現実の気体に対する理想気体のような、現実の科学の営みのどろどろした部分を抽象化してしまった実在しない理想科学の上に作られたものなのではないか、という疑問も生じました。対象を単純化すれば理論も単純化されて美しくなります。Kuhnのparadigmの捉え所の無さは現実の科学をそのままに理論を構築しようとした所にある、とこの本を読んで初めて気付きました。
ちなみにReichenbachは科学の中で活動して来た人には非常に魅力的に感じられるはずです。論理実証主義は終わった学説だと哲学系の人たちは思うかもしれませんが、科学の中にいる人には共感が得やすいと思います。形而上学を徹底して否定したこと、哲学を科学化しようとしたけれど、その科学が何であるかを当時はまだ的確に捉えられなかったことが哲学系の人たちには我慢ならないのかもしれませんが、ドイツ語圏の論理実証主義は英語圏の分析哲学へと発展しました。
Reichenbachは今読んでも十分に思索の材料を提供してくれます。Rise of Scientific Philosophyの和訳の『科学哲学の形成』は論理実証主義に興味がある方にお勧めします。その本は古い版が新しい版と内容が同じで安く買えます。論理実証主義と言えばAlfred AyerのLanguage, Truth, and Logicがあります。Ayerが26歳で書いた本を吉田夏彦さんが26歳のときに『言語・真理・論理』というタイトルで訳しました。Deletion of metaphysicsという勇ましい題名の章があります。
更にtheory-ladennessという新しい考えを科学哲学にもたらしたNorwood Russell HansonのPatterns of DiscoveryとPerception and Discoveryも一読に値します。前者は村上陽一郎さんが『科学的発見のパターン』というタイトルで、後者はこの本の著者の野家啓一さんが渡辺博さんとともに『知覚と発見』というタイトルでそれぞれ訳出しています。この本を読んでいて、その翻訳で野家さんがPerception and Discoveryから得たものも活かされているように感じました。
Kuhnのparadigmはビジネス書で取り上げられて有名ですが、Hansonのtheory-ladennessも科学を志す学生や既に科学の中で活動している研究者や技術者に科学研究とは何かを考えてみるきっかけを与えてくれると思います。
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パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879) 文庫 – 2008/6/10
野家 啓一
(著)
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「考え方の枠組」を表す言葉の本当の意味。 クーンが「発明」し流行語となった「パラダイム」。科学革命は知の連続的進歩ではなくパラダイムの転換によって起こるとする常識破りの新概念を面白く丁寧に解説
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2008/6/10
- 寸法10.8 x 1.4 x 14.8 cm
- ISBN-104061598791
- ISBN-13978-4061598799
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著者について
1949年生まれ。東北大学名誉教授。専攻は科学哲学。著書に、『言語行為の現象学』『無根拠からの出発』『科学の解釈学』『物語の哲学』『科学の哲学』『歴史を哲学する』など、訳書にローティ『哲学と自然の鏡』、マッハ『時間と空間』などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2008/6/10)
- 発売日 : 2008/6/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 336ページ
- ISBN-10 : 4061598791
- ISBN-13 : 978-4061598799
- 寸法 : 10.8 x 1.4 x 14.8 cm
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2019年3月16日に日本でレビュー済み
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2019年1月29日に日本でレビュー済み
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この本の初出は、同じ講談社から出版されていた「現代思想の冒険者たち」の第24巻『クーン/パラダイム』です。いい本だから文庫化するのは大賛成ですが、「現代思想の冒険者たち」を全巻文庫化して、元の題名で出版するほうがよいと思います。
自社のシリーズで企画した本を全巻文庫化している講談社ですから、ぜひお願いします。
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2016年5月15日に日本でレビュー済み
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参考文献を見ないとこの本を評価できませんが、
この分野に興味がある人にはおすすめです。
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2010年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は,科学革命の原動力となる「パラダイム」とは何か,日常的にも使われるようになった「パラダイムの転換」とは何なのかを,背景知識を含めて,丁寧に解説するものです。
本書は,通常の解説書とは異なり,科学の「連続的な進歩性」を否定したクーンが,科学の連続的な進歩性を信奉する人々によって,神聖な科学像を破壊した「殺人犯」として法廷に立たされたと想定するところから始まります。
この方法は,カントが『純粋理性批判』 (上) (中) (下) で人間の理性を俎上に載せ,「テーゼ」と「アンチテーゼ」とを対立させて,「真の法廷」で決着させたという方法にヒントを得たものだと思われます。
この法廷において,著者は,被告人であるクーンの弁護人としてクーンのパラダイム論を弁護をするというのが,本書の特色となっています。
本来は難解な「パラダイム論争」が,本書では,正確さを損なうことなく,しかも,興味深い法廷劇として構成されているため,素人でも,一気に読み通せるものとなっています。
本書の解説の中心となっている クーン『科学革命の構造』 の 原作 は,100万部を超えるミリオン・セラーであり,その上,25カ国語に翻訳されているとのことですから,これを法廷劇のシナリオとして再構成した本書が映画化されれば,十分に採算がとれるように思います。
本書を手にした映画関係者によって,本書が「映画化されたらどんなに素晴らしいだろうか」というのが,本書を一気に読み終えて,著者の力量に感服した私の感想です。
本書は,通常の解説書とは異なり,科学の「連続的な進歩性」を否定したクーンが,科学の連続的な進歩性を信奉する人々によって,神聖な科学像を破壊した「殺人犯」として法廷に立たされたと想定するところから始まります。
この方法は,カントが『純粋理性批判』 (上) (中) (下) で人間の理性を俎上に載せ,「テーゼ」と「アンチテーゼ」とを対立させて,「真の法廷」で決着させたという方法にヒントを得たものだと思われます。
この法廷において,著者は,被告人であるクーンの弁護人としてクーンのパラダイム論を弁護をするというのが,本書の特色となっています。
本来は難解な「パラダイム論争」が,本書では,正確さを損なうことなく,しかも,興味深い法廷劇として構成されているため,素人でも,一気に読み通せるものとなっています。
本書の解説の中心となっている クーン『科学革命の構造』 の 原作 は,100万部を超えるミリオン・セラーであり,その上,25カ国語に翻訳されているとのことですから,これを法廷劇のシナリオとして再構成した本書が映画化されれば,十分に採算がとれるように思います。
本書を手にした映画関係者によって,本書が「映画化されたらどんなに素晴らしいだろうか」というのが,本書を一気に読み終えて,著者の力量に感服した私の感想です。
2008年6月23日に日本でレビュー済み
「現代思想の冒険者たち」シリーズの文庫化。
科学哲学者、トマス・クーンの思想の教科書的解説。
この本を読むと、「パラダイム」という概念がどのような誤解にさらされてきたか、そして現在一般に使われている「パラダイム」という語の用いられ方が概念の拡大解釈にもとづいていることが分かる。
クーンにとってパラダイムとは「ある特定の学問領域において典型例=モデルとなる研究のあり方」であって、いわゆる「ものの見方、とらえ方一般」というようなものではない。
ある分野においてパラダイムの変更=科学革命が起こると、その後また新たなパラダイムの変更が起こらない限りは、そのモデルに則ったルーチンワーク的な通常研究が続くことになる。
そしてクーンは、科学の本質をそのような通常研究の累積にあると見ていた。
華々しいパラダイムの変更はむしろ科学における「異常事態」でしかなく、通常研究が積み重ねられていく「地味」な期間の方が科学にとっては本来的なあり方だというのである。
結果クーンは、旧来の科学史家からは「科学の真理性を科学者の集団心理に還元したアナーキスト」とみなされ、クーン以降に登場してくるラディカルな相対主義者からは「旧来の科学真理主義になおも固執する保守主義者」とみなされてしまった。
確かに、クーンの主張はややもすると中途半端な印象を与える。
彼によれば、異なるパラダイム同士は「どちらがより真実に近似しているか」といった共通の尺度を持ちえず、それどころか両者には通約不可能性=コミュニケーション不全が生じてしまうという。つまりパラダイム・シフトはなんら「進歩」ではなく、せいぜい「価値観の転換」にしかなりえない。
そうしながらも一方では、例えばファイヤーベントの「知のアナーキズム」のような見解、つまり「何らかのパラダイムに無前提に依拠せざるをえない(なにしろパラダイム自体の正当性は当の科学が扱いうる範疇ではないのだから)科学は結局のところ「神話」の一種にすぎず、「知」はつねに相対的なものでしかない」という立場は厳しく批判している。
科学実証主義のような極端な真理実在主義は採らないけれど、知そのものの否定にもなりかねない放埒な相対主義もまた退けるのである。
だが、やはり私にはファイヤーベントのようなラディカリズムに魅力を感じてしまう。クーンの思想には「健全なバランス感覚」というものが備わっているが、およそ「哲学」に必要なのはそうした穏健さではないだろう。クーンの常識人ぶりはどこかカントに似ている。偉大ではあるが、物足りないのだ。
科学哲学者、トマス・クーンの思想の教科書的解説。
この本を読むと、「パラダイム」という概念がどのような誤解にさらされてきたか、そして現在一般に使われている「パラダイム」という語の用いられ方が概念の拡大解釈にもとづいていることが分かる。
クーンにとってパラダイムとは「ある特定の学問領域において典型例=モデルとなる研究のあり方」であって、いわゆる「ものの見方、とらえ方一般」というようなものではない。
ある分野においてパラダイムの変更=科学革命が起こると、その後また新たなパラダイムの変更が起こらない限りは、そのモデルに則ったルーチンワーク的な通常研究が続くことになる。
そしてクーンは、科学の本質をそのような通常研究の累積にあると見ていた。
華々しいパラダイムの変更はむしろ科学における「異常事態」でしかなく、通常研究が積み重ねられていく「地味」な期間の方が科学にとっては本来的なあり方だというのである。
結果クーンは、旧来の科学史家からは「科学の真理性を科学者の集団心理に還元したアナーキスト」とみなされ、クーン以降に登場してくるラディカルな相対主義者からは「旧来の科学真理主義になおも固執する保守主義者」とみなされてしまった。
確かに、クーンの主張はややもすると中途半端な印象を与える。
彼によれば、異なるパラダイム同士は「どちらがより真実に近似しているか」といった共通の尺度を持ちえず、それどころか両者には通約不可能性=コミュニケーション不全が生じてしまうという。つまりパラダイム・シフトはなんら「進歩」ではなく、せいぜい「価値観の転換」にしかなりえない。
そうしながらも一方では、例えばファイヤーベントの「知のアナーキズム」のような見解、つまり「何らかのパラダイムに無前提に依拠せざるをえない(なにしろパラダイム自体の正当性は当の科学が扱いうる範疇ではないのだから)科学は結局のところ「神話」の一種にすぎず、「知」はつねに相対的なものでしかない」という立場は厳しく批判している。
科学実証主義のような極端な真理実在主義は採らないけれど、知そのものの否定にもなりかねない放埒な相対主義もまた退けるのである。
だが、やはり私にはファイヤーベントのようなラディカリズムに魅力を感じてしまう。クーンの思想には「健全なバランス感覚」というものが備わっているが、およそ「哲学」に必要なのはそうした穏健さではないだろう。クーンの常識人ぶりはどこかカントに似ている。偉大ではあるが、物足りないのだ。
2016年10月9日に日本でレビュー済み
ちょこっと
興味がある
そんな人が
読み始めたら
グイグイ
引き込まれる
と
思います
興味がある
そんな人が
読み始めたら
グイグイ
引き込まれる
と
思います
2008年10月19日に日本でレビュー済み
本書は、「『科学』の成立時点および『科学史・科学哲学』という学問の形成過程にまで筆を遡らせ、
そこからクーンに至る道のりをたどり直す」、そして、「クーンの主張を科学史・科学哲学とは無縁の
一般読者に理解していただくために、クーンを『〈科学〉殺人事件』の嫌疑をかけられた被告に見立てる
という劇的プロットを叙述全体を貫く筋として設定することを試みた」一冊である。
この「科学」の殺人者をめぐる刑事法廷の寓意がうまく作用しているかどうか、に関しては
あえて論評を避けるが、この手の本としては難解な語彙・ジャーゴンの使用もかなり抑えられており、
そしてまた、クーンへの無批判な礼賛に堕することもなく、氏のパラダイム論を非常に巧みに正確に
解説した書であることには違いない。
ポパーとの対比などはベタではあるが極めて鮮やかなものだし、カントとの類似の指摘については
個人的にはまさに目から鱗が落ちるような感を得たところ。
そして同時に、科学哲学などの入門書としても有用。
「クーンがもたらしたのは、既成の科学像の破壊であると同時に新たな科学像の創造であった」との
結論はお見事、クーンのテクストともども、広く読まれて然るべき一冊。
そこからクーンに至る道のりをたどり直す」、そして、「クーンの主張を科学史・科学哲学とは無縁の
一般読者に理解していただくために、クーンを『〈科学〉殺人事件』の嫌疑をかけられた被告に見立てる
という劇的プロットを叙述全体を貫く筋として設定することを試みた」一冊である。
この「科学」の殺人者をめぐる刑事法廷の寓意がうまく作用しているかどうか、に関しては
あえて論評を避けるが、この手の本としては難解な語彙・ジャーゴンの使用もかなり抑えられており、
そしてまた、クーンへの無批判な礼賛に堕することもなく、氏のパラダイム論を非常に巧みに正確に
解説した書であることには違いない。
ポパーとの対比などはベタではあるが極めて鮮やかなものだし、カントとの類似の指摘については
個人的にはまさに目から鱗が落ちるような感を得たところ。
そして同時に、科学哲学などの入門書としても有用。
「クーンがもたらしたのは、既成の科学像の破壊であると同時に新たな科学像の創造であった」との
結論はお見事、クーンのテクストともども、広く読まれて然るべき一冊。
2008年8月2日に日本でレビュー済み
考えてみると、新科学哲学派全体を論じた著作はあっても、トマス・クーンひとりの思想とその有為転変を徹底的に掘り下げて紹介した本って案外他に見当たらないかもしれない。クーンの著作とそれが引き起こした論争の全体像を把握する最良の一冊。
クーンの科学革命論のもつ学史的意義が、ガリレオ研究のコイレや17世紀科学革命概念の提唱者バターフィールド、論理実証主義のライヘンバッハや反証主義のポパーといった科学史・科学哲学の先立つ伝統との関係から明らかにされ、また「クーン以後」の科学社会学への影響までをきちんと論じてくれるおかげで、クーンを決定的な分水嶺とする科学論史の大きな流れも見えてきます。
しかし、野家氏が科学社会学に詳しくないことと、クーン自身が科学社会学の「ストロングプログラム」を評価していないこと(本書ではその点が特に強調されて紹介されている)により、本書を読むひとは誰もが科学社会学の現代の動向を敬遠してしまう恐れがあるかもしれないなあ。実際、かく言う僕自身、哲学科の学部生だった頃、野家氏に限らず村上陽一郎氏の著作などの情報から科学社会学のストロングプログラムを「なにやら馬鹿げたもの」という風にしか思わず、直接読む労をとりませんでしたからね。
そう考えると、現在のように自分が科学社会学の勉強をするようになることは、社会理論の勉強を志して社会学の大学院に行ったことにより社会学的な物の見方を心髄まで叩き込まれることがなかったならば、つまり最初から科学論の研究を志していたのだとしたら、かなり可能性が低かったのかもしれない・・・。
クーンの科学革命論のもつ学史的意義が、ガリレオ研究のコイレや17世紀科学革命概念の提唱者バターフィールド、論理実証主義のライヘンバッハや反証主義のポパーといった科学史・科学哲学の先立つ伝統との関係から明らかにされ、また「クーン以後」の科学社会学への影響までをきちんと論じてくれるおかげで、クーンを決定的な分水嶺とする科学論史の大きな流れも見えてきます。
しかし、野家氏が科学社会学に詳しくないことと、クーン自身が科学社会学の「ストロングプログラム」を評価していないこと(本書ではその点が特に強調されて紹介されている)により、本書を読むひとは誰もが科学社会学の現代の動向を敬遠してしまう恐れがあるかもしれないなあ。実際、かく言う僕自身、哲学科の学部生だった頃、野家氏に限らず村上陽一郎氏の著作などの情報から科学社会学のストロングプログラムを「なにやら馬鹿げたもの」という風にしか思わず、直接読む労をとりませんでしたからね。
そう考えると、現在のように自分が科学社会学の勉強をするようになることは、社会理論の勉強を志して社会学の大学院に行ったことにより社会学的な物の見方を心髄まで叩き込まれることがなかったならば、つまり最初から科学論の研究を志していたのだとしたら、かなり可能性が低かったのかもしれない・・・。