発売当初に講談社ノベルスで持って読みました。
今回、久々に読み返そうと思い購入しました
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
サンプル サンプル
QED百人一首の呪 (講談社ノベルス タS- 1) 新書 – 1998/12/1
高田 崇史
(著)
《この作品には虚を衝かれました。なるほど、こういうやり方もあるのかと感心しました》――北村薫
第9回メフィスト賞受賞作
希代の天才・藤原定家が残した百人一首。その1枚を握りしめて、会社社長は惨殺された。残された札はダイイング・メッセージなのか?関係者のアリバイは証明され、事件は不可能犯罪の様相を呈す。だが、百人一首に封印された華麗なる謎が解けたとき、事件は、戦慄の真相を地上に現す!
第9回メフィスト賞受賞作
希代の天才・藤原定家が残した百人一首。その1枚を握りしめて、会社社長は惨殺された。残された札はダイイング・メッセージなのか?関係者のアリバイは証明され、事件は不可能犯罪の様相を呈す。だが、百人一首に封印された華麗なる謎が解けたとき、事件は、戦慄の真相を地上に現す!
- 本の長さ316ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1998/12/1
- ISBN-104061820443
- ISBN-13978-4061820449
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
百人一首の一枚を握り締めて、会社社長は惨殺された。残された札はダイイング・メッセージなのか。百人一首に封印された謎が解けたとき、不可能犯罪と思われた事件もまた戦慄の真相を示した。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1998/12/1)
- 発売日 : 1998/12/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 316ページ
- ISBN-10 : 4061820443
- ISBN-13 : 978-4061820449
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,391,018位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
昭和33年東京都生まれ。明治薬科大学卒。『QED 百人一首の呪』(講談社ノベルス)で、第9回メフィスト賞を受賞しデビュー(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『鬼神伝』(ISBN-10:4061827359)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
星5つ中3.7つ
5つのうち3.7つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
129グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
イメージ付きのレビュー
5 星
希代の天才藤原定家による百人一首の秘密
「QED【百人一首の呪】」高田崇史(講談社NOVELS)quod erat demonstrandum 証明終わりである。上古以来の歌仙の一首。思ひ出づるに随ひて、これを書きいだす。用捨は心に在り。自他の傍難、有るべからざるか。藤原定家。『我々が診断を下せるのは、他の誰かによって、すでに解明されている病気だけだ。それどころではない。我々に見ることができるのは、すでに他の誰かが見て理解したものだけなのだ』ハロルド・クローアンズ。呪は存在する。言葉と同じで脳に向けて発信される。丑の刻参りなど厭を受けると免疫機構が低下しマクロファージやTセルを食すことで、脳内がバースト状態となる結果、アドレナリンや副腎皮質ホルモンの多量分泌でホルモン代謝の異常を引き起こす。これが平安古代の人々が恐れた呪の正体である、と。実際、インフルエンザ・ウィルスなどは自身の目で見たことはないが、多くの人は大勢の見たという発言から信じているだけに過ぎないのだと。仮に呪も、科学的に証明は可能だと試みている。百人一首は希代の天才である藤原定家の晩年の作品である。この百人一首と百人秀歌は双方金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を示しており、承久の乱で敗れて隠岐に流されて没した後鳥羽上皇と保元の乱以降讃岐配流で没した崇徳院という二大怨霊を始め菅原道真など日本の怨霊による曼荼羅だという「織田正吉」氏や「林直道」氏の説を用いて大胆に構成されている。貿易会社社長で百人一首コレクター真榊大陸の異常な死に隠された秘密に迫る物語。また、呪としの秘密として藤原定家の百人一首による秘密を説く必要があるだけでなく、安倍晴明による陰陽五行思想への理解をはじめ第1発見者の矛盾した言説の謎であるサヴァン症候群について理解することが鍵となる。著者の高田崇史氏は、明治薬科大学卒業なので薬剤の知識が豊富であり、呪について化学的な見解を作中で提唱している。その呪が起きるには、抗鬱剤・MAO阻害薬に過剰投与とチーズ・レバー・バナナ・鰊・そら豆・ビール・ワインなどモノアミン酸化酵素阻害から副作用が倍増することで幽霊が見えるなどの幻覚作用を惹き起こすという文系と理系の知識が双方理解できる優れた一冊である。また、なぜサリンによる中毒が惹き起こされるのか、コリンエステラーゼを阻害する抗コリン薬の大量服用による神経障害が起きると人は化学的に厳格として幽霊を見る可能性があるのだ。高校生の頃からずっと読んでいる一冊。普段、小説を読まない自分だが、高校の時に家庭教師だった祖母方親戚の女子大生から貰って以降ずっとこのシリーズにハマっている。
フィードバックをお寄せいただきありがとうございます
申し訳ありませんが、エラーが発生しました
申し訳ありませんが、レビューを読み込めませんでした
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2012年8月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知り合いの紹介で読み始めたQEDシリーズ。たぶん読み始めて3冊目くらいの本だが、本来は作家のデビュー作品である。
百人一首をマンダラに並べて謎を解明する。その知力と蘊蓄には賞賛したい。
この作家のQEDシリーズは片っ端に呼んでいる最中だが、殺人事件の内容よりは、作家の蘊蓄を楽しむ作品だろう。QEDシリーズを読んで衝動にかられ、私も熊野を再訪し、神社巡りした。主人公の祟のこだわるコース通りには、参拝できなかったが、十分に熊野を堪能できた。
他のシリーズにもコメントするつもりだが、ワンパターン化された内容でも、あきはこない。
だが、小説を楽しみたい方や、推理を楽しみたい方には、お薦めしない。
百人一首をマンダラに並べて謎を解明する。その知力と蘊蓄には賞賛したい。
この作家のQEDシリーズは片っ端に呼んでいる最中だが、殺人事件の内容よりは、作家の蘊蓄を楽しむ作品だろう。QEDシリーズを読んで衝動にかられ、私も熊野を再訪し、神社巡りした。主人公の祟のこだわるコース通りには、参拝できなかったが、十分に熊野を堪能できた。
他のシリーズにもコメントするつもりだが、ワンパターン化された内容でも、あきはこない。
だが、小説を楽しみたい方や、推理を楽しみたい方には、お薦めしない。
2023年6月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
薬剤師の棚旗奈々は、先輩の代理で出席した研修会で、桑原崇、アダ名はタタルに出会う。桑原の行きつけのバーに飲みに行き、ジャーナリストの小松崎良平がやってくる。小松崎は最近あった殺人事件の詳細を語る。これが発端となり、奈々は推理のうずに巻き込まれていくのだった…主人公が薬剤師というのは珍しいと思ったら、作者の高田崇史さんが薬剤師免許保持者だった。百人一首の謎と、殺人事件の謎解きが同時進行していく。殺人事件のほうは、出生の秘密や、ある人物の記憶の欠点などで解決した。百人一首をあの並び方に配置した作者の発想と労力に感心します。まだシリーズは続いているようです。日本史ミステリーが好きな方むき。
2019年3月30日に日本でレビュー済み
「QED【百人一首の呪】」高田崇史(講談社NOVELS)
quod erat demonstrandum 証明終わりである。上古以来の歌仙の一首。思ひ出づるに随ひて、これを書きいだす。用捨は心に在り。自他の傍難、有るべからざるか。藤原定家。
『我々が診断を下せるのは、他の誰かによって、すでに解明されている病気だけだ。それどころではない。我々に見ることができるのは、すでに他の誰かが見て理解したものだけなのだ』ハロルド・クローアンズ。
呪は存在する。言葉と同じで脳に向けて発信される。丑の刻参りなど厭を受けると免疫機構が低下しマクロファージやTセルを食すことで、脳内がバースト状態となる結果、アドレナリンや副腎皮質ホルモンの多量分泌でホルモン代謝の異常を引き起こす。これが平安古代の人々が恐れた呪の正体である、と。実際、インフルエンザ・ウィルスなどは自身の目で見たことはないが、多くの人は大勢の見たという発言から信じているだけに過ぎないのだと。仮に呪も、科学的に証明は可能だと試みている。
百人一首は希代の天才である藤原定家の晩年の作品である。この百人一首と百人秀歌は双方金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を示しており、承久の乱で敗れて隠岐に流されて没した後鳥羽上皇と保元の乱以降讃岐配流で没した崇徳院という二大怨霊を始め菅原道真など日本の怨霊による曼荼羅だという「織田正吉」氏や「林直道」氏の説を用いて大胆に構成されている。
貿易会社社長で百人一首コレクター真榊大陸の異常な死に隠された秘密に迫る物語。また、呪としの秘密として藤原定家の百人一首による秘密を説く必要があるだけでなく、安倍晴明による陰陽五行思想への理解をはじめ第1発見者の矛盾した言説の謎であるサヴァン症候群について理解することが鍵となる。
著者の高田崇史氏は、明治薬科大学卒業なので薬剤の知識が豊富であり、呪について化学的な見解を作中で提唱している。その呪が起きるには、抗鬱剤・MAO阻害薬に過剰投与とチーズ・レバー・バナナ・鰊・そら豆・ビール・ワインなどモノアミン酸化酵素阻害から副作用が倍増することで幽霊が見えるなどの幻覚作用を惹き起こすという文系と理系の知識が双方理解できる優れた一冊である。また、なぜサリンによる中毒が惹き起こされるのか、コリンエステラーゼを阻害する抗コリン薬の大量服用による神経障害が起きると人は化学的に厳格として幽霊を見る可能性があるのだ。
高校生の頃からずっと読んでいる一冊。普段、小説を読まない自分だが、高校の時に家庭教師だった祖母方親戚の女子大生から貰って以降ずっとこのシリーズにハマっている。
quod erat demonstrandum 証明終わりである。上古以来の歌仙の一首。思ひ出づるに随ひて、これを書きいだす。用捨は心に在り。自他の傍難、有るべからざるか。藤原定家。
『我々が診断を下せるのは、他の誰かによって、すでに解明されている病気だけだ。それどころではない。我々に見ることができるのは、すでに他の誰かが見て理解したものだけなのだ』ハロルド・クローアンズ。
呪は存在する。言葉と同じで脳に向けて発信される。丑の刻参りなど厭を受けると免疫機構が低下しマクロファージやTセルを食すことで、脳内がバースト状態となる結果、アドレナリンや副腎皮質ホルモンの多量分泌でホルモン代謝の異常を引き起こす。これが平安古代の人々が恐れた呪の正体である、と。実際、インフルエンザ・ウィルスなどは自身の目で見たことはないが、多くの人は大勢の見たという発言から信じているだけに過ぎないのだと。仮に呪も、科学的に証明は可能だと試みている。
百人一首は希代の天才である藤原定家の晩年の作品である。この百人一首と百人秀歌は双方金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を示しており、承久の乱で敗れて隠岐に流されて没した後鳥羽上皇と保元の乱以降讃岐配流で没した崇徳院という二大怨霊を始め菅原道真など日本の怨霊による曼荼羅だという「織田正吉」氏や「林直道」氏の説を用いて大胆に構成されている。
貿易会社社長で百人一首コレクター真榊大陸の異常な死に隠された秘密に迫る物語。また、呪としの秘密として藤原定家の百人一首による秘密を説く必要があるだけでなく、安倍晴明による陰陽五行思想への理解をはじめ第1発見者の矛盾した言説の謎であるサヴァン症候群について理解することが鍵となる。
著者の高田崇史氏は、明治薬科大学卒業なので薬剤の知識が豊富であり、呪について化学的な見解を作中で提唱している。その呪が起きるには、抗鬱剤・MAO阻害薬に過剰投与とチーズ・レバー・バナナ・鰊・そら豆・ビール・ワインなどモノアミン酸化酵素阻害から副作用が倍増することで幽霊が見えるなどの幻覚作用を惹き起こすという文系と理系の知識が双方理解できる優れた一冊である。また、なぜサリンによる中毒が惹き起こされるのか、コリンエステラーゼを阻害する抗コリン薬の大量服用による神経障害が起きると人は化学的に厳格として幽霊を見る可能性があるのだ。
高校生の頃からずっと読んでいる一冊。普段、小説を読まない自分だが、高校の時に家庭教師だった祖母方親戚の女子大生から貰って以降ずっとこのシリーズにハマっている。
「QED【百人一首の呪】」高田崇史(講談社NOVELS)
quod erat demonstrandum 証明終わりである。上古以来の歌仙の一首。思ひ出づるに随ひて、これを書きいだす。用捨は心に在り。自他の傍難、有るべからざるか。藤原定家。
『我々が診断を下せるのは、他の誰かによって、すでに解明されている病気だけだ。それどころではない。我々に見ることができるのは、すでに他の誰かが見て理解したものだけなのだ』ハロルド・クローアンズ。
呪は存在する。言葉と同じで脳に向けて発信される。丑の刻参りなど厭を受けると免疫機構が低下しマクロファージやTセルを食すことで、脳内がバースト状態となる結果、アドレナリンや副腎皮質ホルモンの多量分泌でホルモン代謝の異常を引き起こす。これが平安古代の人々が恐れた呪の正体である、と。実際、インフルエンザ・ウィルスなどは自身の目で見たことはないが、多くの人は大勢の見たという発言から信じているだけに過ぎないのだと。仮に呪も、科学的に証明は可能だと試みている。
百人一首は希代の天才である藤原定家の晩年の作品である。この百人一首と百人秀歌は双方金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を示しており、承久の乱で敗れて隠岐に流されて没した後鳥羽上皇と保元の乱以降讃岐配流で没した崇徳院という二大怨霊を始め菅原道真など日本の怨霊による曼荼羅だという「織田正吉」氏や「林直道」氏の説を用いて大胆に構成されている。
貿易会社社長で百人一首コレクター真榊大陸の異常な死に隠された秘密に迫る物語。また、呪としの秘密として藤原定家の百人一首による秘密を説く必要があるだけでなく、安倍晴明による陰陽五行思想への理解をはじめ第1発見者の矛盾した言説の謎であるサヴァン症候群について理解することが鍵となる。
著者の高田崇史氏は、明治薬科大学卒業なので薬剤の知識が豊富であり、呪について化学的な見解を作中で提唱している。その呪が起きるには、抗鬱剤・MAO阻害薬に過剰投与とチーズ・レバー・バナナ・鰊・そら豆・ビール・ワインなどモノアミン酸化酵素阻害から副作用が倍増することで幽霊が見えるなどの幻覚作用を惹き起こすという文系と理系の知識が双方理解できる優れた一冊である。また、なぜサリンによる中毒が惹き起こされるのか、コリンエステラーゼを阻害する抗コリン薬の大量服用による神経障害が起きると人は化学的に厳格として幽霊を見る可能性があるのだ。
高校生の頃からずっと読んでいる一冊。普段、小説を読まない自分だが、高校の時に家庭教師だった祖母方親戚の女子大生から貰って以降ずっとこのシリーズにハマっている。
quod erat demonstrandum 証明終わりである。上古以来の歌仙の一首。思ひ出づるに随ひて、これを書きいだす。用捨は心に在り。自他の傍難、有るべからざるか。藤原定家。
『我々が診断を下せるのは、他の誰かによって、すでに解明されている病気だけだ。それどころではない。我々に見ることができるのは、すでに他の誰かが見て理解したものだけなのだ』ハロルド・クローアンズ。
呪は存在する。言葉と同じで脳に向けて発信される。丑の刻参りなど厭を受けると免疫機構が低下しマクロファージやTセルを食すことで、脳内がバースト状態となる結果、アドレナリンや副腎皮質ホルモンの多量分泌でホルモン代謝の異常を引き起こす。これが平安古代の人々が恐れた呪の正体である、と。実際、インフルエンザ・ウィルスなどは自身の目で見たことはないが、多くの人は大勢の見たという発言から信じているだけに過ぎないのだと。仮に呪も、科学的に証明は可能だと試みている。
百人一首は希代の天才である藤原定家の晩年の作品である。この百人一首と百人秀歌は双方金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を示しており、承久の乱で敗れて隠岐に流されて没した後鳥羽上皇と保元の乱以降讃岐配流で没した崇徳院という二大怨霊を始め菅原道真など日本の怨霊による曼荼羅だという「織田正吉」氏や「林直道」氏の説を用いて大胆に構成されている。
貿易会社社長で百人一首コレクター真榊大陸の異常な死に隠された秘密に迫る物語。また、呪としの秘密として藤原定家の百人一首による秘密を説く必要があるだけでなく、安倍晴明による陰陽五行思想への理解をはじめ第1発見者の矛盾した言説の謎であるサヴァン症候群について理解することが鍵となる。
著者の高田崇史氏は、明治薬科大学卒業なので薬剤の知識が豊富であり、呪について化学的な見解を作中で提唱している。その呪が起きるには、抗鬱剤・MAO阻害薬に過剰投与とチーズ・レバー・バナナ・鰊・そら豆・ビール・ワインなどモノアミン酸化酵素阻害から副作用が倍増することで幽霊が見えるなどの幻覚作用を惹き起こすという文系と理系の知識が双方理解できる優れた一冊である。また、なぜサリンによる中毒が惹き起こされるのか、コリンエステラーゼを阻害する抗コリン薬の大量服用による神経障害が起きると人は化学的に厳格として幽霊を見る可能性があるのだ。
高校生の頃からずっと読んでいる一冊。普段、小説を読まない自分だが、高校の時に家庭教師だった祖母方親戚の女子大生から貰って以降ずっとこのシリーズにハマっている。
このレビューの画像
2020年10月29日に日本でレビュー済み
時間があったので数年ぶりに再読。
初読の時も思ったが、とても読みやすく状況説明等もわかりやすい。
ただ、それに反して人物の外見的特徴に対する説明がほぼなされておらずイメージが掴みにくい。身長体重、髪型、服装やクセなどを入れてほしかった。
作品のうち、6〜7割を占めるのが「百人一首の謎」についてなのはよいのだが、それが事件解決に繋がっていないのは気にかかる。
百人一首の謎が解けても、解けなくとも犯人探しに影響がない。
京極夏彦とよく比較されるが、こちらは一見関係のないように思える人文学的与太話が最終的に事件解決に繋がっており、完成度としてはやはりこちらが上。
井沢元彦の逆説の日本史が好きな方は、この百人一首の謎について気にいると思う。
井沢元彦と京極夏彦を足して割ったと言うのは的を射た表現。
また殺人事件についても、最終段階で目撃者の特殊な事情が明かされ、それが犯人特定の妨げとなってとなっているなど、ミステリーとして不満が残る。
こう言ったことは事前に読者に開示するなり、匂わせておくべきであった。エラリークィーンではないが、探偵と読者はできるだけ同条件で事件解決に臨みたい。
再読なのでネタは知ったうえで読んだのだが、目撃者の特殊事情についてはそれを思わせる記述はないと感じた。
この本以外にも、六歌仙と伊勢を読んでいるが、ここまで殺人事件と関係のない構成ではなかったので、多少は考慮したのだと思う(六歌仙についてはトリックがちょっとアレすぎたが、それはそちらにレビューしたい)
発刊からもう20年以上経っている小説なので、新たに読まれる方も少ないだろうが、それなりにオススメ
初読の時も思ったが、とても読みやすく状況説明等もわかりやすい。
ただ、それに反して人物の外見的特徴に対する説明がほぼなされておらずイメージが掴みにくい。身長体重、髪型、服装やクセなどを入れてほしかった。
作品のうち、6〜7割を占めるのが「百人一首の謎」についてなのはよいのだが、それが事件解決に繋がっていないのは気にかかる。
百人一首の謎が解けても、解けなくとも犯人探しに影響がない。
京極夏彦とよく比較されるが、こちらは一見関係のないように思える人文学的与太話が最終的に事件解決に繋がっており、完成度としてはやはりこちらが上。
井沢元彦の逆説の日本史が好きな方は、この百人一首の謎について気にいると思う。
井沢元彦と京極夏彦を足して割ったと言うのは的を射た表現。
また殺人事件についても、最終段階で目撃者の特殊な事情が明かされ、それが犯人特定の妨げとなってとなっているなど、ミステリーとして不満が残る。
こう言ったことは事前に読者に開示するなり、匂わせておくべきであった。エラリークィーンではないが、探偵と読者はできるだけ同条件で事件解決に臨みたい。
再読なのでネタは知ったうえで読んだのだが、目撃者の特殊事情についてはそれを思わせる記述はないと感じた。
この本以外にも、六歌仙と伊勢を読んでいるが、ここまで殺人事件と関係のない構成ではなかったので、多少は考慮したのだと思う(六歌仙についてはトリックがちょっとアレすぎたが、それはそちらにレビューしたい)
発刊からもう20年以上経っている小説なので、新たに読まれる方も少ないだろうが、それなりにオススメ
2017年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
織田正吉氏が提唱した、
”百人一首の札はそれぞれの語句の結びつきを重視して選ばれている”
(『絢爛たる暗号―百人一首の謎を解く (集英社文庫) 』
および『百人一首の謎 (講談社現代新書)』参照)
という画期的なアイデアに対し、
後継者が様々なアイデアを披露してきたが、
100 = 10x10 にこだわるあまり無理な理由づけで無理がある配置を提示し、
織田正吉氏を超えられないでいた
(織田正吉氏は 19x19 の配置を提案し、余白がある分、接続に余裕がある)。
著者は新たなアイデアを提示し、
それが世間に受け入れやすいように
ミステリー仕立ての小説を作り上げた。
なので、ミステリーに無理があるのを指摘するのは的を射ない。
百人一首配置の新提案が本書の骨子である。
織田正吉氏は百人一首と百人秀歌の双方、計104首を
全て一つに並べてしまっている。
それは百人一首と百人秀歌がぞれぞれ別に存在する、という事実に背く。
そこで、著者は百人一首の配置と百人秀歌の配置をそれぞれ提示し、
それを密教の曼荼羅、金剛界と胎蔵界(本来は胎蔵生曼荼羅というべき)
の二つになぞらえた。
配置に空白がある分、接続に無理がなく、非常に理解しやすい配置を実現した。
本書の中盤で示した接続とは異なるものが完成形として示されているが、
それは最終形の配置に対して、
他の可能性も検討できることを示唆しているのかもしれない。
その新規性に対しては高く評価したいが、
百人一首を元にした胎蔵界曼荼羅では
中央、大日如来にあたる位置には後鳥羽上皇を据えるべきだろう。
それなのにそこに式子内親王を据えるのでは
後鳥羽上皇の鎮魂という最も大切な目的を果たせない。
後鳥羽上皇を据えた下段中央、虚空蔵菩薩は
その院の主尊とはいえ、大日如来には及ばない。
金剛界曼荼羅についても同様で、
せっかく百人秀歌を並べるのであれば、
百人一首と異なる四首を四隅に配置することに拘泥するのではもったいない。
たとえば、源俊頼の百人一首とは異なる首、
山桜 咲きそめしより 久方の 雲居に見ゆる 滝の白糸
を、法性寺入道前関白太政大臣の
わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波
とだけ結びつけるのではもったいな過ぎる。
久方の,滝,山桜,咲く、は全て他の首と連結可能である
(実際、織田正吉氏はきちんとその四首とつながる位置に置いている)。
他の首の配置についても
さらなる工夫が可能であると考えられる。
全体的に、提案は面白いものの、詰めの甘さが感じられた。
ただ、提案の新規性は類を見ないものであり、
さらなる改良を見てみたいと思った。
”百人一首の札はそれぞれの語句の結びつきを重視して選ばれている”
(『絢爛たる暗号―百人一首の謎を解く (集英社文庫) 』
および『百人一首の謎 (講談社現代新書)』参照)
という画期的なアイデアに対し、
後継者が様々なアイデアを披露してきたが、
100 = 10x10 にこだわるあまり無理な理由づけで無理がある配置を提示し、
織田正吉氏を超えられないでいた
(織田正吉氏は 19x19 の配置を提案し、余白がある分、接続に余裕がある)。
著者は新たなアイデアを提示し、
それが世間に受け入れやすいように
ミステリー仕立ての小説を作り上げた。
なので、ミステリーに無理があるのを指摘するのは的を射ない。
百人一首配置の新提案が本書の骨子である。
織田正吉氏は百人一首と百人秀歌の双方、計104首を
全て一つに並べてしまっている。
それは百人一首と百人秀歌がぞれぞれ別に存在する、という事実に背く。
そこで、著者は百人一首の配置と百人秀歌の配置をそれぞれ提示し、
それを密教の曼荼羅、金剛界と胎蔵界(本来は胎蔵生曼荼羅というべき)
の二つになぞらえた。
配置に空白がある分、接続に無理がなく、非常に理解しやすい配置を実現した。
本書の中盤で示した接続とは異なるものが完成形として示されているが、
それは最終形の配置に対して、
他の可能性も検討できることを示唆しているのかもしれない。
その新規性に対しては高く評価したいが、
百人一首を元にした胎蔵界曼荼羅では
中央、大日如来にあたる位置には後鳥羽上皇を据えるべきだろう。
それなのにそこに式子内親王を据えるのでは
後鳥羽上皇の鎮魂という最も大切な目的を果たせない。
後鳥羽上皇を据えた下段中央、虚空蔵菩薩は
その院の主尊とはいえ、大日如来には及ばない。
金剛界曼荼羅についても同様で、
せっかく百人秀歌を並べるのであれば、
百人一首と異なる四首を四隅に配置することに拘泥するのではもったいない。
たとえば、源俊頼の百人一首とは異なる首、
山桜 咲きそめしより 久方の 雲居に見ゆる 滝の白糸
を、法性寺入道前関白太政大臣の
わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波
とだけ結びつけるのではもったいな過ぎる。
久方の,滝,山桜,咲く、は全て他の首と連結可能である
(実際、織田正吉氏はきちんとその四首とつながる位置に置いている)。
他の首の配置についても
さらなる工夫が可能であると考えられる。
全体的に、提案は面白いものの、詰めの甘さが感じられた。
ただ、提案の新規性は類を見ないものであり、
さらなる改良を見てみたいと思った。
2021年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
延々と百人一首の歌を繋げるパズルを披露し続けている。小説として面白くない。
2022年1月17日に日本でレビュー済み
高田崇史のQEDシリーズは、現代の殺人事件の解決と歴史的事象の解釈とが平行して進められるのが特徴である。記念すべき第一作では百人一首が解釈の題材に取り上げられる。何故百人「一首」であって百人「百首」ではないのか、何故このような選別であるのか、これまで幾多の研究者がその「何故」を説明してきたが、その中でももっとも説得力を持つ解釈が繰り広げられる。問題なのは、歴史的事象の解釈の方が謎としては――歴史的であるだけに――あまりにも大きく、ために殺人事件の謎がかすみがちになってしまうことである。つまりはこうした物語では、ともすれば事件の解決が付け足しに陥ってしまいかねないし、であるならば推理小説という体裁ではなく学術論文の形式の方が相応しい、ということになる。本書はそのバランスの点で悪くはない。不可能犯罪の解決の物語としても新機軸であると思う。とはいえ、やはり歴史的事象の「重み」に関して事件の「重み」が足りないのは確かである。従って読み終えて記憶に残るのは「解釈」であって「解決」ではない。「止むに止まれぬ動機」なり「そうせざるを得ない状況」なりが事件にあればより一層読み応えのある作品になっただろう。