ものすごく、ゆっくり、確実に読んでおりました。福田和也➡生ける屍の死=山口雅也のファン、になっており、作家のねうちの世代の文学好きです。
この作品は、内容は濃いし、じっくり面白い。慌てて読もうとすると萎えるので(この手のは、ほんとに長さに怯む。京極作品については分厚くてもすぐ読んでしまうのだが、それ以外は慣れてないせいか、萎える)理解の為にも
じっくりゆっくりが楽しいです。
ずっと読みながら、色んな知識の連鎖とかあれこれ、
夢野久作のドグラマグラを思い出しました。かなり近いと思います。同時にその読んでいた時の学生時代も。飲み会で読んでて先輩に叱られました。
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奇偶 (講談社ノベルス) 新書 – 2005/9/6
山口 雅也
(著)
- 本の長さ570ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2005/9/6
- ISBN-104061824481
- ISBN-13978-4061824485
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2005/9/6)
- 発売日 : 2005/9/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 570ページ
- ISBN-10 : 4061824481
- ISBN-13 : 978-4061824485
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,145,350位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年9月21日に日本でレビュー済み
《偶然》を定義する、この直感的には簡単そうな命題がかくも存在の原理まで広がるものだとは思ってもいず、自分の人間としての存在意義が揺さぶられる感慨が残りました。
本作の主題としては『宇宙消失』グレッグ・イーガン(著)などからくる既視感が大きいのですが、グレッグ・イーガン氏が試みたような人間宇宙論への開き直りではなく、地に足を付けたままで更に洞察を深められています。その理由の多くが、現代の量子力学との共通な視点までもが散見される『易経』についての洞察に寄せられると思います。
そういう意味では、本著でも記述があるとおり「作品の背景と前景とがまったく転倒」しているというように、推理小説としてのスタイルをとりながらも《偶然》に対する形而上的な議論が主題として浮上しています。
では推理小説として低レベルであるという訳ではなく、《偶然》が形而上的に議論されることで、密室トリックの蓋然性が一点に集約されていく様は圧巻といって良いでしょう。
少なくとも、これまでに読んだことの無いミステリーが味わえる名著であることは疑いのないことだと思います。
本作の主題としては『宇宙消失』グレッグ・イーガン(著)などからくる既視感が大きいのですが、グレッグ・イーガン氏が試みたような人間宇宙論への開き直りではなく、地に足を付けたままで更に洞察を深められています。その理由の多くが、現代の量子力学との共通な視点までもが散見される『易経』についての洞察に寄せられると思います。
そういう意味では、本著でも記述があるとおり「作品の背景と前景とがまったく転倒」しているというように、推理小説としてのスタイルをとりながらも《偶然》に対する形而上的な議論が主題として浮上しています。
では推理小説として低レベルであるという訳ではなく、《偶然》が形而上的に議論されることで、密室トリックの蓋然性が一点に集約されていく様は圧巻といって良いでしょう。
少なくとも、これまでに読んだことの無いミステリーが味わえる名著であることは疑いのないことだと思います。
2003年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ドグラマグラ、黒死館殺人事件、虚無への供物、匣の中の失楽。
四大(アンチ)ミステリーと呼ばれている作品がありますが、
この奇偶も、それらの作品に、優るとも劣らぬ作品だと思います。
というより、ミステリーらしくないミステリーである点など、
四大ミステリーの作品と、似た印象があるので、
この作品を含めて、五大ミステリーと言われる日も、
遠くないかもしれません。
その意味で、コアなミステリーファンなら、この作品は、
一読の価値があると思います。また、量子力学や、人間原理など、
色々な蘊蓄がちりばめられているので、ウンベルト・エーコ辺りの、
衒学趣味的な作品の好きな方にも、オススメできそうです。
四大(アンチ)ミステリーと呼ばれている作品がありますが、
この奇偶も、それらの作品に、優るとも劣らぬ作品だと思います。
というより、ミステリーらしくないミステリーである点など、
四大ミステリーの作品と、似た印象があるので、
この作品を含めて、五大ミステリーと言われる日も、
遠くないかもしれません。
その意味で、コアなミステリーファンなら、この作品は、
一読の価値があると思います。また、量子力学や、人間原理など、
色々な蘊蓄がちりばめられているので、ウンベルト・エーコ辺りの、
衒学趣味的な作品の好きな方にも、オススメできそうです。
2002年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「生ける屍の死」以来、作者のファンです。でも、すいません。易経やらユングやら南方熊楠やら量子力学やら・・・難しくてよくわかりません。原発も類人猿も福助も・・・福助といえば續・日本殺人事件にも出てきましたが・・・あれはフクスケだったっけ・・・やっぱりキッド・ピストルズとかトウキョー・サムの方がいいな・・・と思う今日この頃です。でも一気に読んでしまうのは作者の魅力なんですかね。
2004年2月9日に日本でレビュー済み
あの大傑作「生ける屍の死」に続いての長編ということで期待して読んだが、がっかり。偶然という事象の薀蓄が延々とつづられていて、それはそれで興味ぶかかったが、この終わり方は無いでしょう。著者ならではの、従来の推理小説に対するアンチテーゼの思いはさすがだと思うけど、それだけで600ページは相当辛い。この作品を面白かったと評価する人を尊敬します。
2003年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分の身に降りかかった不測の事態の因果関係を検証しようとすると、必ず理屈では解明できないものにぶち当たる。そこで「なぜ?」とか「どうして」とか考えるのは、ナンセンスなのだろうか?
作者はこの本でこの因果関係を深く追求した。読むとその苦悩の様子が伝わってくるような気がする。運命論者的に、「偶然」の名の下に処理してしまうのが一番安易な方法だ。しかし作者としては、それでは納得できなかったのだろう。
これは、推理小説ではないと思う。かといってピッタリと収まるようなジャンル分けはできないと思う。この本を読んだ後、他の本の中に、「偶然」という言葉出てくるたびにこの本のことを思い出す。
作者はこの本でこの因果関係を深く追求した。読むとその苦悩の様子が伝わってくるような気がする。運命論者的に、「偶然」の名の下に処理してしまうのが一番安易な方法だ。しかし作者としては、それでは納得できなかったのだろう。
これは、推理小説ではないと思う。かといってピッタリと収まるようなジャンル分けはできないと思う。この本を読んだ後、他の本の中に、「偶然」という言葉出てくるたびにこの本のことを思い出す。
2014年11月1日に日本でレビュー済み
「どんな内容なんだ?」
「一種の推理小説仕立てになっている。奇妙な連続死は出てくるし、犯人探しの推理も出てくる。だがこれは、通常の推理小説とは、かなり違った感触を与える作品だよ」
「どこが特異なんだ?」
「連続する人の死に絡めて、偶然事象が頻発する――というような不可解な出来事が描かれていて、登場人物たちが、事件そっちのけで、蜿蜒と抽象的な議論を交わすんだ。《偶然》を俎上に載せて、あらゆる分野からの見当がなされる。背景と前景がまったく転倒していて、犯人が誰かということよりも、もっぱら、《偶然》というテーマの追求に血道を上げているようなのだ。いかようにも読める小説と言うか――」
「――で、その大作の結末はどうなっているんだい?」
「
-----*システムがビジー状態になっています。-----
徹頭徹尾、《偶然》のタブーに挑戦したメタフィクショナルな小説。
あなたがこのレヴューを読む気になったのは、間違いなく《偶然》だろう。その《偶然》に、意味の有無を考えたことはあるだろうか。
このサイトに来たのが《偶然》なら、ブラウザを開いたのも《偶然》。コンピュータを起動させたのも《偶然》なら、今起きているのも《偶然》だ。
どの《偶然》に意味があり、どの《偶然》に意味がないのか。
暇ができた時、この小説で《偶然》の迷宮を楽しんでみてはいかがだろうか。
「一種の推理小説仕立てになっている。奇妙な連続死は出てくるし、犯人探しの推理も出てくる。だがこれは、通常の推理小説とは、かなり違った感触を与える作品だよ」
「どこが特異なんだ?」
「連続する人の死に絡めて、偶然事象が頻発する――というような不可解な出来事が描かれていて、登場人物たちが、事件そっちのけで、蜿蜒と抽象的な議論を交わすんだ。《偶然》を俎上に載せて、あらゆる分野からの見当がなされる。背景と前景がまったく転倒していて、犯人が誰かということよりも、もっぱら、《偶然》というテーマの追求に血道を上げているようなのだ。いかようにも読める小説と言うか――」
「――で、その大作の結末はどうなっているんだい?」
「
-----*システムがビジー状態になっています。-----
徹頭徹尾、《偶然》のタブーに挑戦したメタフィクショナルな小説。
あなたがこのレヴューを読む気になったのは、間違いなく《偶然》だろう。その《偶然》に、意味の有無を考えたことはあるだろうか。
このサイトに来たのが《偶然》なら、ブラウザを開いたのも《偶然》。コンピュータを起動させたのも《偶然》なら、今起きているのも《偶然》だ。
どの《偶然》に意味があり、どの《偶然》に意味がないのか。
暇ができた時、この小説で《偶然》の迷宮を楽しんでみてはいかがだろうか。
2010年3月20日に日本でレビュー済み
本格ミステリにおいては、事件の解決は、そこに論理の飛躍があったとしても、ある種の演繹法によって必然的に決まるものとの暗黙の了解がある。それを破った作品は、"トリックに蓋然性がない"、と言った批判を受ける。本作はその常識を打ち破って、徹底的に「偶然」に拘った物語展開で、ミステリにおける「偶然」と「必然」の問題を問い掛けたもの。各節の冒頭には、作家や音楽家の引用が付いているが、その他にも本文中にB.ディラン「All Along the Watchtower」、ポー「The Raven」等の引用を潜ませている。
一応の主人公は作家の火渡で、一連の"偶然"な出来事の中で片方の目が塞栓による視野欠損となっており、精神状態も不安定。物語は、火渡の現実の手記とも、妄想とも取れる体裁で書かれている。物語の一つのモチーフになっているのは骰子。物語の発端も三つの骰子を振った時の確率論(一部、誤りがあると思う)から始まる。火渡にとって偶然過ぎる邂逅や体験の連続、邂逅した人間達の偶然過ぎる関係、事件現場に必ず顔を出す骰子、表紙にもある太極模様、数年前に起こった原発事故に係る偶然、ボノボが叩いたキーボードの文字が意味を成す偶然、背後にある「奇偶」という宗教集団。この他、火渡の境遇に対応しての柳田国男を引用した欠損神論、南方熊楠・ユングの因果論、ゲーデルの不完全性定理、シュレーディンガーの猫を初めとする素粒子論、二進法などが縦横無尽に語られる。火渡の愛人シルフィーを含め、全ては「奇偶」に通じ、焦点は「奇偶」の跡目争いに見える。そして物語の終盤になって、密室に篭った教祖がシルフィーと共に殺される...。
一応面白い趣向ではあるが、新しい"必然的"トリック創造に行き詰ったミステリ作家の開き直りとも取れる作品。私の業界でも次の様な格言がある。「失敗する可能性のあるプロジェクトは必ず失敗する」。
一応の主人公は作家の火渡で、一連の"偶然"な出来事の中で片方の目が塞栓による視野欠損となっており、精神状態も不安定。物語は、火渡の現実の手記とも、妄想とも取れる体裁で書かれている。物語の一つのモチーフになっているのは骰子。物語の発端も三つの骰子を振った時の確率論(一部、誤りがあると思う)から始まる。火渡にとって偶然過ぎる邂逅や体験の連続、邂逅した人間達の偶然過ぎる関係、事件現場に必ず顔を出す骰子、表紙にもある太極模様、数年前に起こった原発事故に係る偶然、ボノボが叩いたキーボードの文字が意味を成す偶然、背後にある「奇偶」という宗教集団。この他、火渡の境遇に対応しての柳田国男を引用した欠損神論、南方熊楠・ユングの因果論、ゲーデルの不完全性定理、シュレーディンガーの猫を初めとする素粒子論、二進法などが縦横無尽に語られる。火渡の愛人シルフィーを含め、全ては「奇偶」に通じ、焦点は「奇偶」の跡目争いに見える。そして物語の終盤になって、密室に篭った教祖がシルフィーと共に殺される...。
一応面白い趣向ではあるが、新しい"必然的"トリック創造に行き詰ったミステリ作家の開き直りとも取れる作品。私の業界でも次の様な格言がある。「失敗する可能性のあるプロジェクトは必ず失敗する」。