主人公の『クズっち』は人並みの生活を送る
平凡な女子高生である、と自身は認識している。
しかし、その生活がトラブルで崩れ去った時に
自分が生きていた社会という名の『世界』と闘う事になってしまう。
更に厄介な事に『ハズレ君』なる人形を
操り、クズっちの生きていた世界をつつき回す
シャーマン・シンプルハートだか、
イェンセン・イェーガーだかが出てきて、
更に混乱させていく……。
ハンナ・アレントは悪を『陳腐』である、
と書いたがこの作品を読むと
正義、正しさというものも同じく陳腐なのではないかという疑いが生じる。
登場人物の滝口ミランダなる人物は
ハズレ君を邪悪、と決めつけ、自らは
正義としている。
実に知的に怠惰である。
自己の正義に対する批判が無い。
世の中、そんなに簡単に分かれてはいない。
世界は色んな点で矛盾していたり、歪んでいたりしている。それ自体は悪ではない。
それから、眼を逸らすことが悪であり、
知的に怠惰なのである。
面倒でも、一人一人が考えていかなければ、
世の中は良くなる訳がない。
現在の社会は『専門化』が進み、
今、私が手にしているスマホだって、
操作のしかたは分かるが仕組みは分からない。
説明されても分からない。
便利な世界とはある部分が
闇に包まれている事を許容する世界でもある。
だからといって、今さら原始的な社会には
もう戻れない。それが正しいとも思えない。
ならば、せめて闇がある事は踏まえて
生きていかねばならないのではないか。
と、自説を語って、中途半端に終ることにする。この著者の作品のレヴューでは許されるだろう。

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私と悪魔の100の問答 Questions & Answers of Me & Devil in 100 (講談社ノベルス) 新書 – 2013/10/8
上遠野 浩平
(著)
親の事業が失敗し、マスコミに叩かれ、学校にも行けなく
なった葛葉紅葉、十七歳。世界中を敵に回した女子高生に、
悪魔が契約を持ちかける。その条件とは命を捧げること――
ではなく、そいつの「100の質問」に答えることだった……。
追い詰められた少女と、尻尾の掴めない男が出逢うときに
生まれる、奇妙で不思議な対話の先に待つものは……?
セカイの深淵に謎かけを挑む――。上遠野ワールドの真骨頂!
なった葛葉紅葉、十七歳。世界中を敵に回した女子高生に、
悪魔が契約を持ちかける。その条件とは命を捧げること――
ではなく、そいつの「100の質問」に答えることだった……。
追い詰められた少女と、尻尾の掴めない男が出逢うときに
生まれる、奇妙で不思議な対話の先に待つものは……?
セカイの深淵に謎かけを挑む――。上遠野ワールドの真骨頂!
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2013/10/8
- ISBN-104061828924
- ISBN-13978-4061828926
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商品の説明
著者について
上遠野 浩平
1968年生まれ。
『ブギーポップは笑わない』(電撃文庫)でデビューし、ライトノベルブームの礎を築き、以後、多くの作家に影響を与える。同シリーズは、アニメ化、実写映画化など、多くのメディアミックス展開を果たす。
主な著書に、『殺龍事件』『紫骸城事件』などの「事件シリーズ」、『しずるさんと偏屈な使者たち』などの「しずるさんシリーズ」、『ぼくらは虚空に夜を視る』などの「ナイトウォッチシリーズ」などがある。
1968年生まれ。
『ブギーポップは笑わない』(電撃文庫)でデビューし、ライトノベルブームの礎を築き、以後、多くの作家に影響を与える。同シリーズは、アニメ化、実写映画化など、多くのメディアミックス展開を果たす。
主な著書に、『殺龍事件』『紫骸城事件』などの「事件シリーズ」、『しずるさんと偏屈な使者たち』などの「しずるさんシリーズ」、『ぼくらは虚空に夜を視る』などの「ナイトウォッチシリーズ」などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2013/10/8)
- 発売日 : 2013/10/8
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4061828924
- ISBN-13 : 978-4061828926
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,038,584位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1968年生まれ。98年『ブギーポップは笑わない』で第4回電撃ゲーム小説大賞を受賞しデビュー(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 クリプトマスクの擬死工作 (ISBN-13: 978-4396208721 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上遠野先生の作品というと、独特の文章や思考、他作品との関連の深さから、新規の方には受け入れにくい作品も多いと思う。 しかし、今回は他作品との繋がりが全く分からなくても問題なく読めるし、作中で用意されている100の問いかけも実に上遠野先生らしい問題提起なので、初めての方にもおすすめです。 問答の中身としては、私達が普段、当たり前の事として当然のように受け入れてしまっている事に対する疑問が多いです。 なぜ、それを当たり前のものとして、何の疑問もなく、根拠も知らず、考えずに受け入れているのか。 根拠も基準もわからないのに、人を見下したり、自分は普通だと信じ込んでいたりしているけれど、それはとても曖昧で、矛盾にみちているものだと教えてくれます。
2015年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上遠野さんの世界観はそのままですが、いまいちもの足りない感じでした。
2015年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ストーリーに意味なんてないが、考えることを大切にする人なら、ストーリーを引き換えにしても価値のある作品になっている。
何かを考えさせられる作品は多いが、本当に考えてほしい対象に届くように配慮されており、その結果としてストーリーが、少年少女向け作品でよくある、典型的な少女の冒険譚(ちょっと非日常の出来事に遭遇する)となっている。
「作家はやはり全ての人を対象とするべきなのだから、作品は全て”子供向け”に書いている。子供でなかった人はいないのだから」と作者が以前に語った意図が端的に表れている。
単行本と新書版が存在するが、後書きが異なる。新たに書き下ろされた新書版の後書きは、後書きで終わらせてしまうには勿体無いほどにキレがあるものに仕上がっているため、どちらかといえば新書版をおすすめする。
何かを考えさせられる作品は多いが、本当に考えてほしい対象に届くように配慮されており、その結果としてストーリーが、少年少女向け作品でよくある、典型的な少女の冒険譚(ちょっと非日常の出来事に遭遇する)となっている。
「作家はやはり全ての人を対象とするべきなのだから、作品は全て”子供向け”に書いている。子供でなかった人はいないのだから」と作者が以前に語った意図が端的に表れている。
単行本と新書版が存在するが、後書きが異なる。新たに書き下ろされた新書版の後書きは、後書きで終わらせてしまうには勿体無いほどにキレがあるものに仕上がっているため、どちらかといえば新書版をおすすめする。
2015年1月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もう少し、奇をてらった話かと思い、嫌煙していたけど楽しめた。
戦車に近い印象を受けた。ボリュームとしてはちょっと少なめに感じたけど、面白かった。
戦車に近い印象を受けた。ボリュームとしてはちょっと少なめに感じたけど、面白かった。
2013年11月3日に日本でレビュー済み
本書は、悪魔の質問というか会話に変な女子高生が応えていく話です。上遠野浩平の他作品を読んでいると、あの人物やあの組織が出て来ていることに気づきますが、それらは本書の本質には関係ないので知らなくてもまったく問題ないです。
問題は、やはり悪魔の出す100の質問です。質問の内容はバラエティに富んでいて、哲学系や社会学系や心理学系など多岐に渡っています。しかも、質問のジャンルがバラバラな順序で、会話形式でポンポンと飛び出て来るのです。そのレベルも、けっこうな高水準だと思われます。
ここには神も悪魔もいない。救済もなければ堕落もない。あるのはただ、百の問いだけだ。これはそのための物語でもある。ただ――百の答えがあるのかどうか、残念ながらそれは保障の限りではない。
とある哲学者の影響があるのかもしれませんが、私は、問いと答えは一対一の関係にはないのかもしれない、と思うようになっています。その理由はいくつかありますが、一つだけ言うと、問いには原理的に答えが付随するものと、そうではないものがあると思われるからです。
本書で提示されている100の質問のうち、興味を惹かれた質問を10という数に絞って、私なりに哲学してみようと思います。
【Q01 青空と聞いて連想することは?】
水色の色鉛筆。
幼い頃によく絵を描きました。そのとき、水色の色鉛筆で青空を表現していました。「青空」という言葉なのに、青色の色鉛筆ではなく、水色の色鉛筆を使っていました。それは、信号の青を表現するのに、緑色の色鉛筆を用いるようなもので。
つまり、言葉の対応関係によって色鉛筆の選択を決定していたのではなく、色そのもの(色のクオリア)の類推によって選択を決定していたということです。青空という名の水色。何か、詩的な感じのする表現ですね。
クオリアという質感と言葉のズレ。そのズレが、ズレていない状態とは違った意味を産み出すのです。青空という名の水色。そのズレによって、世界は意味を産み出すのです。
【Q25 何を頑張ればいいのか】
まず、何を頑張れば良いのかを問うことを頑張るべきなのです。
そのために、思想や哲学という営みが必要になります。
その後は、頑張るべきことを頑張るだけです。もちろん問い直しは常に必要ですが。
その後は、頑張れたか否かが、社会学的な観点や実存的な立場から、個人に重くのしかかることになるのです。
【Q30 やる気とは、結局なんなのか】
世界で最も確実だと思われる仮説の一つ。
束縛されていないことを意味する非常にくだらない用語としての「自由」ではなく、自分の理由という意味での「自由」という用語に関わるもの。端的に、この世界の神秘に関わってしまいます。
具体的に論じるのなら、自分の理由の否定の否定によって導かれる存在理由。一つ目の否定は因果律の乱用によって、二つ目の否定は心理学の乱用によって可能になります。
【Q31 自覚することに深い意味はあるか】
あります。
しかし、その肯定的な答えは、自覚した者の一部にしか為され得ないため、普遍性を持ちえません。分かりやすくするため大仰な例を述べるなら、オリンピックで金メダルを取った者が、努力すれば夢は必ず叶うと言ったときのような不健全性が漂うのです。
さらに、まずいことに、自覚するということには不可逆性があります。つまり、一度自覚してしまうと、容易には自覚していなかった状態には戻れません。一種のテクニックとして、その不可逆性ゆえに自覚することは善いことだと思い込むという心理学的な防衛反応があります。しかし、そのテクニックを様々な意味で使いこなせない者もいて、主に社会学的な領域での問題を複雑にしてしまいます。
ただし、一部の特殊な人間、例えば私のような人間は、自覚することの重要性を他人にも説くでしょう。それは危険なことであり、それゆえ、その危険性を察知する者は、その危険な人物から距離を取ることになるでしょう。
【Q35 目的のための手段は目的たりうるか】
たりうることもありえます。
一つだけ言うなら、短期的目的を達成するための手段が長期的な目的に至ることがありえるのです。
【Q36 人間は何からできているか】
「人間」の意味するところによって、その答えは違ったものとなります。そのため、本書の会話を参照してみます。
「人間は何からできていると思うか、という質問だが?」
「何から、って――」
「おっと、タンパク質と水分とか揚げ足を取るなよ。もちろんこれは抽象的な意味で、だ。人間は何からできている? 夢と希望か? 愛と真実か? それとも怒りと憎しみか? 女の子はみんなふわふわした甘いモノでできている妖精の類なのか?」
ここでの「人間」の意味を、ハイデッガーのいう現存在の同類型として考えてみます。つまり、他の惑星の知的生命体を含むような広範な意味として「人間」を定義している場合、答えは次のようになります。
人間は世界からできています。そして、世界は人間からできています。
この包含関係の対構造は、世界の神秘なのです。
【Q37 他人に対する敵意の源はなにか】
他人ゆえの分からなさ。
この「他人に対する敵意の源はなにか」という問いの立て方は、あまり良くないと思われます。まずは、「敵意の源はなにか」と問うべきだと思います。その答えの一つは、「分からなさ」だと言えます。そこには、自分自身への分からなささえもが含まれます。
しかし、「他人に対する敵意の源はなにか」という問いでは、その答えは自分と他人の差異に基づく分からなさへと単純化されてしまいます。
【Q52 歴史上でもっとも流行したものは】
この問いについては、本書で見事な答えが提示されています。また、悪魔と変な女子高生の会話から、考えてみるべき論点を挙げることができそうです。女子高生は、〈だから流行ってのは、すぐに飽きられて消えちゃうようなもので〉と述べています。
確かに、流行と飽きというのは無視できない相関関係があるように思えます。そうだとしたら、"それ"は、ずっと続く流行であり続けたというより、飽きられることによって、ずっと続く流行になった、ということになるのではないでしょうか?
つまり、ここには、一種の堕落が生じているのかもしれないのです。
【Q66 神は悪魔と本当に戦っているのか】
この問いも、本書内で面白い議論が展開されています。その議論に蛇足を付け加えるなら、神は悪魔と本当に戦っているのです。ただ、悪魔を殲滅させることを先延ばし続けているのです。神は、悪魔と戦っているという事実を常に示し続けなければならないため、悪魔の殲滅という約束を、永遠に遅延し続けるしかないのです。
そういった意味で、神は悪魔と「本当に」戦っているのです。
【Q85 矛盾はどこまで矛盾か】
設定された論理空間のルールに違反したものが矛盾と呼ばれます。
ある論理空間での矛盾は、他の論理空間では矛盾でないことがありえます。
そうであるならば、どの論理空間を設定するかという判断レベルにおいて、(意識的か無意識的かに関わらず)何を矛盾として思考可能性から排除するかという操作が為されているのです。
問題は、やはり悪魔の出す100の質問です。質問の内容はバラエティに富んでいて、哲学系や社会学系や心理学系など多岐に渡っています。しかも、質問のジャンルがバラバラな順序で、会話形式でポンポンと飛び出て来るのです。そのレベルも、けっこうな高水準だと思われます。
ここには神も悪魔もいない。救済もなければ堕落もない。あるのはただ、百の問いだけだ。これはそのための物語でもある。ただ――百の答えがあるのかどうか、残念ながらそれは保障の限りではない。
とある哲学者の影響があるのかもしれませんが、私は、問いと答えは一対一の関係にはないのかもしれない、と思うようになっています。その理由はいくつかありますが、一つだけ言うと、問いには原理的に答えが付随するものと、そうではないものがあると思われるからです。
本書で提示されている100の質問のうち、興味を惹かれた質問を10という数に絞って、私なりに哲学してみようと思います。
【Q01 青空と聞いて連想することは?】
水色の色鉛筆。
幼い頃によく絵を描きました。そのとき、水色の色鉛筆で青空を表現していました。「青空」という言葉なのに、青色の色鉛筆ではなく、水色の色鉛筆を使っていました。それは、信号の青を表現するのに、緑色の色鉛筆を用いるようなもので。
つまり、言葉の対応関係によって色鉛筆の選択を決定していたのではなく、色そのもの(色のクオリア)の類推によって選択を決定していたということです。青空という名の水色。何か、詩的な感じのする表現ですね。
クオリアという質感と言葉のズレ。そのズレが、ズレていない状態とは違った意味を産み出すのです。青空という名の水色。そのズレによって、世界は意味を産み出すのです。
【Q25 何を頑張ればいいのか】
まず、何を頑張れば良いのかを問うことを頑張るべきなのです。
そのために、思想や哲学という営みが必要になります。
その後は、頑張るべきことを頑張るだけです。もちろん問い直しは常に必要ですが。
その後は、頑張れたか否かが、社会学的な観点や実存的な立場から、個人に重くのしかかることになるのです。
【Q30 やる気とは、結局なんなのか】
世界で最も確実だと思われる仮説の一つ。
束縛されていないことを意味する非常にくだらない用語としての「自由」ではなく、自分の理由という意味での「自由」という用語に関わるもの。端的に、この世界の神秘に関わってしまいます。
具体的に論じるのなら、自分の理由の否定の否定によって導かれる存在理由。一つ目の否定は因果律の乱用によって、二つ目の否定は心理学の乱用によって可能になります。
【Q31 自覚することに深い意味はあるか】
あります。
しかし、その肯定的な答えは、自覚した者の一部にしか為され得ないため、普遍性を持ちえません。分かりやすくするため大仰な例を述べるなら、オリンピックで金メダルを取った者が、努力すれば夢は必ず叶うと言ったときのような不健全性が漂うのです。
さらに、まずいことに、自覚するということには不可逆性があります。つまり、一度自覚してしまうと、容易には自覚していなかった状態には戻れません。一種のテクニックとして、その不可逆性ゆえに自覚することは善いことだと思い込むという心理学的な防衛反応があります。しかし、そのテクニックを様々な意味で使いこなせない者もいて、主に社会学的な領域での問題を複雑にしてしまいます。
ただし、一部の特殊な人間、例えば私のような人間は、自覚することの重要性を他人にも説くでしょう。それは危険なことであり、それゆえ、その危険性を察知する者は、その危険な人物から距離を取ることになるでしょう。
【Q35 目的のための手段は目的たりうるか】
たりうることもありえます。
一つだけ言うなら、短期的目的を達成するための手段が長期的な目的に至ることがありえるのです。
【Q36 人間は何からできているか】
「人間」の意味するところによって、その答えは違ったものとなります。そのため、本書の会話を参照してみます。
「人間は何からできていると思うか、という質問だが?」
「何から、って――」
「おっと、タンパク質と水分とか揚げ足を取るなよ。もちろんこれは抽象的な意味で、だ。人間は何からできている? 夢と希望か? 愛と真実か? それとも怒りと憎しみか? 女の子はみんなふわふわした甘いモノでできている妖精の類なのか?」
ここでの「人間」の意味を、ハイデッガーのいう現存在の同類型として考えてみます。つまり、他の惑星の知的生命体を含むような広範な意味として「人間」を定義している場合、答えは次のようになります。
人間は世界からできています。そして、世界は人間からできています。
この包含関係の対構造は、世界の神秘なのです。
【Q37 他人に対する敵意の源はなにか】
他人ゆえの分からなさ。
この「他人に対する敵意の源はなにか」という問いの立て方は、あまり良くないと思われます。まずは、「敵意の源はなにか」と問うべきだと思います。その答えの一つは、「分からなさ」だと言えます。そこには、自分自身への分からなささえもが含まれます。
しかし、「他人に対する敵意の源はなにか」という問いでは、その答えは自分と他人の差異に基づく分からなさへと単純化されてしまいます。
【Q52 歴史上でもっとも流行したものは】
この問いについては、本書で見事な答えが提示されています。また、悪魔と変な女子高生の会話から、考えてみるべき論点を挙げることができそうです。女子高生は、〈だから流行ってのは、すぐに飽きられて消えちゃうようなもので〉と述べています。
確かに、流行と飽きというのは無視できない相関関係があるように思えます。そうだとしたら、"それ"は、ずっと続く流行であり続けたというより、飽きられることによって、ずっと続く流行になった、ということになるのではないでしょうか?
つまり、ここには、一種の堕落が生じているのかもしれないのです。
【Q66 神は悪魔と本当に戦っているのか】
この問いも、本書内で面白い議論が展開されています。その議論に蛇足を付け加えるなら、神は悪魔と本当に戦っているのです。ただ、悪魔を殲滅させることを先延ばし続けているのです。神は、悪魔と戦っているという事実を常に示し続けなければならないため、悪魔の殲滅という約束を、永遠に遅延し続けるしかないのです。
そういった意味で、神は悪魔と「本当に」戦っているのです。
【Q85 矛盾はどこまで矛盾か】
設定された論理空間のルールに違反したものが矛盾と呼ばれます。
ある論理空間での矛盾は、他の論理空間では矛盾でないことがありえます。
そうであるならば、どの論理空間を設定するかという判断レベルにおいて、(意識的か無意識的かに関わらず)何を矛盾として思考可能性から排除するかという操作が為されているのです。
2010年12月23日に日本でレビュー済み
講談社創業100周年記念出版 書き下ろし100冊 のひとつ
ハズレ君と自称するものと主人公の女子高生が問答を行う
といった展開で話は進みます
少し実験的な作品で、
その分、物語性は少し薄いように感じました
世の中は曖昧模糊で、灰色である
状況や立場が変れば、答えも変る
なぜ、こんな世界になってしまったのか
問答を繰り返すことにより、その答えを探求する
いつもの著者の作品どおり、
他の作品ともリンクしている模様です
ハズレ君と自称するものと主人公の女子高生が問答を行う
といった展開で話は進みます
少し実験的な作品で、
その分、物語性は少し薄いように感じました
世の中は曖昧模糊で、灰色である
状況や立場が変れば、答えも変る
なぜ、こんな世界になってしまったのか
問答を繰り返すことにより、その答えを探求する
いつもの著者の作品どおり、
他の作品ともリンクしている模様です
2011年10月17日に日本でレビュー済み
悪魔との問答なので、基本的に「当たり前だと思っていた価値観が崩れていく」感を味わうお話になります。
そのようなお話といえば、マーク・トウェインの「 不思議な少年 (岩波文庫) 」。山下和美の「 不思議な少年 」シリーズも、ここから触発されての作品だと思いますが、本作もこの流れを踏襲した、王道的な「悪魔との対話」ものになります。
で、本作。何と言ってもこの「悪魔との対話」ものの王道を踏襲していて、なおかつ「ズルをしていない」事が最大の魅力です。「悪魔との対話」ものは入り口は楽なのですが、ちゃんと話を続ける/ネタを考え続けるのが難しいジャンルで、話の途中でネタをぶん投げたり、天使を呼び出して根拠のない良識論に回帰してしまったりと、ガッカリすることがすごく多い。
本作は最後まで常識に牙を剥いており、その点、安心です。
特に十代の人達向け。あなたの持っている世間に対するイライラの一部がはっきりするでしょう。答までは出ませんけどね。
そのようなお話といえば、マーク・トウェインの「 不思議な少年 (岩波文庫) 」。山下和美の「 不思議な少年 」シリーズも、ここから触発されての作品だと思いますが、本作もこの流れを踏襲した、王道的な「悪魔との対話」ものになります。
で、本作。何と言ってもこの「悪魔との対話」ものの王道を踏襲していて、なおかつ「ズルをしていない」事が最大の魅力です。「悪魔との対話」ものは入り口は楽なのですが、ちゃんと話を続ける/ネタを考え続けるのが難しいジャンルで、話の途中でネタをぶん投げたり、天使を呼び出して根拠のない良識論に回帰してしまったりと、ガッカリすることがすごく多い。
本作は最後まで常識に牙を剥いており、その点、安心です。
特に十代の人達向け。あなたの持っている世間に対するイライラの一部がはっきりするでしょう。答までは出ませんけどね。