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ブッダと女の物語 (講談社文庫 せ 1-18) 文庫 – 1958/2/1
瀬戸内 寂聴
(著)
釈尊の生母は産後7日目に他界した。いわば釈尊は、自分の生と引きかえに母の命を犠牲にしたのだ。この意識は釈尊にとって大きな負い目になったのではあるまいか。釈尊の周囲の女性たちを描きながら、釈尊の教えやその姿を浮き彫りにするユニークで親しみやすい釈尊物語。
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1958/2/1
- ISBN-104061830058
- ISBN-13978-4061830059
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1958/2/1)
- 発売日 : 1958/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 222ページ
- ISBN-10 : 4061830058
- ISBN-13 : 978-4061830059
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,593,018位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1922年、徳島生まれ。本名・瀬戸内晴美。東京女子大学入学。同大学在学中に婚約、卒業後、北京で新婚生活を送り、同地で長女を出産。敗戦後の48年、 26歳のときに家族を捨てて出奔、小説家を志す。63年『夏の終わり』で第2回女流文学賞受賞。73年に得度し、法名・寂聴となる。92年『花に問え』で 第28回谷崎潤一郎賞、96年『白道』で第46回芸術選奨文部大臣賞。98年、『源氏物語』の現代語訳を完成させる。2001年、『場所』で第54回野間 文芸賞。06年、文化勲章受章。現在は執筆活動のかたわら、名誉住職を務める天台寺(岩手県二戸市)のほか、四国「ナルトサンガ」(徳島県鳴門市)、京 都・寂庵(嵯峨野)などで定期的に法話を行なっている(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 寂聴辻説法 (ISBN-13: 978-4797672046 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
星5つ中4.8つ
5つのうち4.8つ
6グローバルレーティング
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年5月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ブッダを、身近に感じられて、楽しいひとときでした!
2017年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
水野英子先生の大ファンで、娘たちとずうっと読んでいました。
ブッダをどう描くのか楽しみでしたが、予想を越える作品に感動しました。
もう一度過去の作品を探してみたいです。
ブッダをどう描くのか楽しみでしたが、予想を越える作品に感動しました。
もう一度過去の作品を探してみたいです。
2017年7月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特に6話 パターチャーラーは良かった
水野英子さんは昔から大ファン
水野英子さんは昔から大ファン
2023年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
水野英子でなければ描けない、デカダンスな雰囲気が良い。
お釈迦さまは、いつでも太陽の光に照らされているような、明朗闊達なお方でしたが、我々の生きる、この世の中は、そうでない。
煩悩の山、涙の谷、嫉妬の海。騙し騙され、殺し殺されが人の世の常。
み仏の教えは、そういった「心の闇」を照らすためにこそあります。
とは言ってみたものの、「心の闇」ってナニ?
それは、どこにあるの?
どんな姿形をしているの?
我々の日常生活に、どんな害悪を及ぼすの?
「心の闇」は人の数だけ種類があるし、同じ人の中でも、時と場合に応じて姿形を変えます。
どんなに「良い人」でも、魔がさす事はあるでしょう?
仏教マンガの描き手にとっては、この「心の闇」を、いかに生き生きと描き出せるかが勝負になります。
ここの所が手ぬるかったり、ウソ臭かったりすると、お経が指し示す「心の闇の解決編」まで、なんだか軽~い、ただのキレイ事に見えてしまいます。
描き手は読者の前でまる裸になり、みずからの「心の闇」と向き合う必要があります。そこに一点のウソもあってはいけないのです。
(これはまあ、仏教マンガに限らず、創作全般がそうですが。)
そもそも、マンガ本一冊で伝えられる情報量は、たかが知れています。
私が読みたいのは、仏教の絵解きマンガではない。欲しいのは情報ではない。
「み仏の教えは、こういったタイプの煩悩に対しては、こういう法を説いてくれます」と言うケーススタディなのです。
ネタには困りません。バリエーションは無限にあります。
水野英子の描く耽美的、唯美的な絵は、それ自体が「移ろい行く美」です。
「生まれ、老い、時には病み、そして必ず死んで行く運命の前では、どんなに美しい人の姿も、また空しい」と言う、み仏の教えが「確かに、そうだよなあ」と、逆に納得されてしまうのです。
匂い立つようなエロスは、かえって死の影を感じさせる。
「生きること」と「死ぬこと」は、うす皮一枚で接している。
それが人間ってモンじゃありませんか。
美を描くなら徹底的に。悪を描くなら徹底的に。退廃を描くのも、決して遠慮なく手加減せず。
これも一流作家だった水野だからこそ可能だった事なのでしょう。
水野英子の絵柄は、今日の読者から見れば古臭いと思われるかもしれませんが、かつては押しも押されぬ大家で、その魅力の虜になった読者は数多くいた。私もその一人です。
『ブッダと女の物語』は、そんな水野の代表作と言う訳ではありませんが、一人の仏教徒として、後代まで伝えられて欲しい名作であります。
お釈迦さまは、いつでも太陽の光に照らされているような、明朗闊達なお方でしたが、我々の生きる、この世の中は、そうでない。
煩悩の山、涙の谷、嫉妬の海。騙し騙され、殺し殺されが人の世の常。
み仏の教えは、そういった「心の闇」を照らすためにこそあります。
とは言ってみたものの、「心の闇」ってナニ?
それは、どこにあるの?
どんな姿形をしているの?
我々の日常生活に、どんな害悪を及ぼすの?
「心の闇」は人の数だけ種類があるし、同じ人の中でも、時と場合に応じて姿形を変えます。
どんなに「良い人」でも、魔がさす事はあるでしょう?
仏教マンガの描き手にとっては、この「心の闇」を、いかに生き生きと描き出せるかが勝負になります。
ここの所が手ぬるかったり、ウソ臭かったりすると、お経が指し示す「心の闇の解決編」まで、なんだか軽~い、ただのキレイ事に見えてしまいます。
描き手は読者の前でまる裸になり、みずからの「心の闇」と向き合う必要があります。そこに一点のウソもあってはいけないのです。
(これはまあ、仏教マンガに限らず、創作全般がそうですが。)
そもそも、マンガ本一冊で伝えられる情報量は、たかが知れています。
私が読みたいのは、仏教の絵解きマンガではない。欲しいのは情報ではない。
「み仏の教えは、こういったタイプの煩悩に対しては、こういう法を説いてくれます」と言うケーススタディなのです。
ネタには困りません。バリエーションは無限にあります。
水野英子の描く耽美的、唯美的な絵は、それ自体が「移ろい行く美」です。
「生まれ、老い、時には病み、そして必ず死んで行く運命の前では、どんなに美しい人の姿も、また空しい」と言う、み仏の教えが「確かに、そうだよなあ」と、逆に納得されてしまうのです。
匂い立つようなエロスは、かえって死の影を感じさせる。
「生きること」と「死ぬこと」は、うす皮一枚で接している。
それが人間ってモンじゃありませんか。
美を描くなら徹底的に。悪を描くなら徹底的に。退廃を描くのも、決して遠慮なく手加減せず。
これも一流作家だった水野だからこそ可能だった事なのでしょう。
水野英子の絵柄は、今日の読者から見れば古臭いと思われるかもしれませんが、かつては押しも押されぬ大家で、その魅力の虜になった読者は数多くいた。私もその一人です。
『ブッダと女の物語』は、そんな水野の代表作と言う訳ではありませんが、一人の仏教徒として、後代まで伝えられて欲しい名作であります。