本書が文庫化されたものを読んだのは、1980年代の後半。だから、評者は原発が抱える問題点の一つを知っていた。単行本と文庫本で、どれほどの人の目に触れたのかはしらないが、原発労働者の問題は隠されていたわけではない。原発の危険性も同様だ。
ある種の真実というものは、往々にしてそういうものかもしれない。見えているけど、みんなが見えないふりをしているだけなのだろう。だから、だまされたという言葉は、ウソなのだ。
これは原発に限らないことだろうけど。
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原発ジプシー (講談社文庫 ほ 5-1) 文庫 – 1984/10/1
堀江 邦夫
(著)
- 本の長さ387ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1984/10/1
- ISBN-104061833545
- ISBN-13978-4061833548
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1984/10/1)
- 発売日 : 1984/10/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 387ページ
- ISBN-10 : 4061833545
- ISBN-13 : 978-4061833548
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,005,383位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12,497位講談社文庫
- - 87,388位科学・テクノロジー (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年6月22日に日本でレビュー済み
2011年3月21日に日本でレビュー済み
原発はダメ、絶対ダメ!!
イジメもネグレクトも戦争も全部ダメ!!
でも、原発で職を得ている人たちがいる。
その人たちはどこからやって来て、
どうやって働いているのか?
それを自ら潜入取材した、苦悩と汗にまみれた
ノンフィクションです。
ほとんどホームレス対策化している
原発内部の低技術労働者。
要するに釜ヶ崎や山谷のおっちゃんたちが、
嫌々たどりつく職場なワケですよ。
原発事故の起きた今こそ復刊!!再読!!
イジメもネグレクトも戦争も全部ダメ!!
でも、原発で職を得ている人たちがいる。
その人たちはどこからやって来て、
どうやって働いているのか?
それを自ら潜入取材した、苦悩と汗にまみれた
ノンフィクションです。
ほとんどホームレス対策化している
原発内部の低技術労働者。
要するに釜ヶ崎や山谷のおっちゃんたちが、
嫌々たどりつく職場なワケですよ。
原発事故の起きた今こそ復刊!!再読!!
2011年4月1日に日本でレビュー済み
ここに社会の底辺、その一角を垣間見る事ができます。
ずさんな管理体制、と巧みな隠蔽、そして人間疎外、電力会社の実態に怒りが止まりません。
電力会社の今に続く体質、それを知ってか知らずか享受する私たち。
今だからこそ読み、知って、想像し、そして深く深く考えてほしい一冊です。
ずさんな管理体制、と巧みな隠蔽、そして人間疎外、電力会社の実態に怒りが止まりません。
電力会社の今に続く体質、それを知ってか知らずか享受する私たち。
今だからこそ読み、知って、想像し、そして深く深く考えてほしい一冊です。
2011年4月8日に日本でレビュー済み
この本を買ったのはかなり昔のことだ。内容は当時の私にとって本当に驚くべきものばかりだった。原発での被爆管理のずさんさ。線量計を渡されはするが、実はそれはアラームが鳴らないようにされている、あるいはアラームが鳴る数値を変えられているという話。ひとつの原発で1年間の被曝許容量限界まで働いた作業員たちが、その年のうちに他の原発に行き、さらに被曝する実態。今もそうなのだろうか。
今回の福島第一の事故で、3月末に後出しじゃんけんのように出てきたのが、「線量計が320個しかなくて、作業員一人一人に行き渡らず、一緒にいる管理の人間だけが線量計を持っている」という話。「そのため、個人個人の被曝線量の管理ができていない」と。それについては、元々は5000個あった線量計が、津波で使い物にならなくなり、320個しかないという公式のコメントが出たと思う。
その話を耳にして、私はこの本のことを思い出した。「本当に、元々線量計は全員に渡されていたのだろうか。本当に5000個もあったのだろうか。」と。もしあったのなら、他の原発にも数千個の在庫があるはずだ。そして、手配してそちらからすぐに取り寄せることはできたはずだ。後にやっと手配して揃ったのは数百個だった。…「本当に、元々5000個もあったのだろうか。嘘ではないのか。元々個別に管理する習慣がなかったのではないか。だから、3月末まで事態を放置できたのではないか」。私にはその疑惑をぬぐい去ることができない。
話は戻る。この本に書かれているのは、想像をはるかに超える現場の実態だ。今、現実に事故を起こしている原発のニュースを前に、戦慄を禁じ得ない。
今回の福島第一の事故で、3月末に後出しじゃんけんのように出てきたのが、「線量計が320個しかなくて、作業員一人一人に行き渡らず、一緒にいる管理の人間だけが線量計を持っている」という話。「そのため、個人個人の被曝線量の管理ができていない」と。それについては、元々は5000個あった線量計が、津波で使い物にならなくなり、320個しかないという公式のコメントが出たと思う。
その話を耳にして、私はこの本のことを思い出した。「本当に、元々線量計は全員に渡されていたのだろうか。本当に5000個もあったのだろうか。」と。もしあったのなら、他の原発にも数千個の在庫があるはずだ。そして、手配してそちらからすぐに取り寄せることはできたはずだ。後にやっと手配して揃ったのは数百個だった。…「本当に、元々5000個もあったのだろうか。嘘ではないのか。元々個別に管理する習慣がなかったのではないか。だから、3月末まで事態を放置できたのではないか」。私にはその疑惑をぬぐい去ることができない。
話は戻る。この本に書かれているのは、想像をはるかに超える現場の実態だ。今、現実に事故を起こしている原発のニュースを前に、戦慄を禁じ得ない。
2011年6月22日に日本でレビュー済み
1970年代の本である。著者自身が、原発労働者として美浜原発、福島第一原発、敦賀原発に入り込み、その現場を書き記している。「X月X日・・した」という日記調で書かれているのだが、読み物として十分に「読ませる」。2011年6月現在も未解決状態である福島第一原発の大事故のおかげで、この本を余計にリアルに感じることができるせいかもしれない。以下は、この本に書いてあることが真実である、と前提した上での感想。
原発から原発を日雇い仕事として渡り歩く人のことを「原発ジプシー」と呼んでいる。原発労働者は地元の兼業農家や兼業漁師の場合もあるし、西成区などから流れて来る場合もある。彼らは健康診断を受けてセーフでなければ原発で働けない。働けないと死活問題になるので、ウソの申告をしてでも働こうとする人もいる。原発の定期検査のときに多くの原発労働者が必要になる。原発設計者が定期検査をしやすいように原発を設計していないため、作業がいつも難航し、結果的に無駄に被曝量を増加させているらしい。このあたりの「配慮のなさ」にデスクワーカーと原発作業者(現場)の乖離感が垣間見える。ロボットでもできそうな単純な作業も多々あるらしいが、ほとんど「人力」である。その点は2011年現在でもあまり変わっていないような(?)。
クリーンで安全なイメージを守るために、煙を出さないようにわざわざゴミを敷地外に持ち出して燃やすところなどルポならではのリアルな描写である。けが人が出ても救急車は呼ばずに会社の車で病院に運ぶという慎重さ。下請け会社も労災申請をして電力会社から仕事をもらえなくなるのがこわいので、労災も隠す。原発も「システム」である以上、故障も怪我も失敗もあることは当然なのだが、「クリーンで安全」という虚構を守ろうとするあまり、過度に閉鎖的になってしまうようである。また、外人が日本人の10倍の許容被曝量の設定で働いていたところなど、テロ対策はほんとうにできているのか疑問を感じる。
1970年ごろの原発草創期においては、「地震でも平気」「生活革命」「観光資源にも」のように肯定的なフレーズが新聞に並んでいたらしい。当時の原発は「日本の希望」だっのかもしれない。ちょうど著者が敦賀原発で働いているときにスリーマイル島の事故が起こるのだが、原発労働者だけでなく敦賀市民も無関心だったという。それは原発と共存することを選択した以上、もはや「考えても、悩んでも仕方のないこと(一種のアパシー)」になっていたのかもしれない。
「原発ジプシー」を前提として成り立っている原子力発電所、そしてその原子力発電所が産み出す電気で成り立つのが現代社会であるが、原発作業者は「被害者」ともいえない。健康とカネのトレードではあるが、共存している。原発を容認するのなら、原発のリスクとダークサイド(原発ジプシーなどの実態)をしっかりと認識した上で容認すべきなのかもしれないし、それを踏まえて原発の運営や設計をしていく必要がある。とはいえ、リスクを意識し続けることは強い自律心が必要でもある。いろいろなことを考えさせられる本である。
原発から原発を日雇い仕事として渡り歩く人のことを「原発ジプシー」と呼んでいる。原発労働者は地元の兼業農家や兼業漁師の場合もあるし、西成区などから流れて来る場合もある。彼らは健康診断を受けてセーフでなければ原発で働けない。働けないと死活問題になるので、ウソの申告をしてでも働こうとする人もいる。原発の定期検査のときに多くの原発労働者が必要になる。原発設計者が定期検査をしやすいように原発を設計していないため、作業がいつも難航し、結果的に無駄に被曝量を増加させているらしい。このあたりの「配慮のなさ」にデスクワーカーと原発作業者(現場)の乖離感が垣間見える。ロボットでもできそうな単純な作業も多々あるらしいが、ほとんど「人力」である。その点は2011年現在でもあまり変わっていないような(?)。
クリーンで安全なイメージを守るために、煙を出さないようにわざわざゴミを敷地外に持ち出して燃やすところなどルポならではのリアルな描写である。けが人が出ても救急車は呼ばずに会社の車で病院に運ぶという慎重さ。下請け会社も労災申請をして電力会社から仕事をもらえなくなるのがこわいので、労災も隠す。原発も「システム」である以上、故障も怪我も失敗もあることは当然なのだが、「クリーンで安全」という虚構を守ろうとするあまり、過度に閉鎖的になってしまうようである。また、外人が日本人の10倍の許容被曝量の設定で働いていたところなど、テロ対策はほんとうにできているのか疑問を感じる。
1970年ごろの原発草創期においては、「地震でも平気」「生活革命」「観光資源にも」のように肯定的なフレーズが新聞に並んでいたらしい。当時の原発は「日本の希望」だっのかもしれない。ちょうど著者が敦賀原発で働いているときにスリーマイル島の事故が起こるのだが、原発労働者だけでなく敦賀市民も無関心だったという。それは原発と共存することを選択した以上、もはや「考えても、悩んでも仕方のないこと(一種のアパシー)」になっていたのかもしれない。
「原発ジプシー」を前提として成り立っている原子力発電所、そしてその原子力発電所が産み出す電気で成り立つのが現代社会であるが、原発作業者は「被害者」ともいえない。健康とカネのトレードではあるが、共存している。原発を容認するのなら、原発のリスクとダークサイド(原発ジプシーなどの実態)をしっかりと認識した上で容認すべきなのかもしれないし、それを踏まえて原発の運営や設計をしていく必要がある。とはいえ、リスクを意識し続けることは強い自律心が必要でもある。いろいろなことを考えさせられる本である。
2011年3月13日に日本でレビュー済み
福島原発での作業も書かれている。
再読すべき必読書。
ルポルタージュの最高峰の一つ。
ここから多くのことが見えてくる。
再読すべき必読書。
ルポルタージュの最高峰の一つ。
ここから多くのことが見えてくる。
2008年5月9日に日本でレビュー済み
この本は、鎌田慧の「自動車絶望工場」とともに、潜入型ルポルタージュの金字塔で、日本ノンフィクション史に残る問題作。
その本が絶版になっているというのが、とにかく異常事態。
原発というところが、いかに、劣悪な労働環境か、ということ、それ以上に、その労働現場を選択せざるを得ない人々…
とにかく必読書。
その本が絶版になっているというのが、とにかく異常事態。
原発というところが、いかに、劣悪な労働環境か、ということ、それ以上に、その労働現場を選択せざるを得ない人々…
とにかく必読書。