吉本隆明絶賛の伝説の高橋源一郎デビュー作。
これは何度も読み返すべき作品だと思う。
一度じゃ全ては理解できない。
いや、何度読み返しても完全に理解することは出来ないんじゃないだろうか?
全てが長大な詩のようで、全てがメタファーのようで。
ただ、高橋源一郎が紡いだ「言葉」は、繊細で、情緒的で、美しい、それだけは確かだ。
以前、阿部和重が高橋源一郎との対談において、
「『さようなら、ギャングたち』以後に小説を書かなければならない僕らの立場になってくれ」
的な発言をしていたが、その意味がわかる。
この小説は、小説と言うジャンルにおいて革命的な役割を果たしている。
僕らは生きていくうえで、「言葉」からは逃れられない。
その「言葉」についてもっと繊細に、もっと思慮深くならなきゃなぁと思わせてくれた大切な一冊。
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さようなら、ギャングたち (講談社文庫 た 38-1) 文庫 – 1985/3/1
高橋 源一郎
(著)
- 本の長さ313ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1985/3/1
- ISBN-104061834398
- ISBN-13978-4061834392
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1985/3/1)
- 発売日 : 1985/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 313ページ
- ISBN-10 : 4061834398
- ISBN-13 : 978-4061834392
- Amazon 売れ筋ランキング: - 291,003位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1951年、広島県生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、02年、『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞を受賞。著書に『いつかソウル・トレインに乗る日まで』『一億三千万人のための小説教室』『ニッポンの小説―百年の孤独』他多数ある。10年5月には、『「悪」と戦う』も刊行された。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
〇 読み始めてびっくりした。これが小説か?
〇 読み終わって考えた。書いてあることはナンセンスなのだが、それなりに推進力があって何かを意味していそうだ。どう理解すればよいのだろう? どう楽しめば良いのだろう? 良い小説は再読したくなるものだが、この作品を再読することに意味はあるだろうか? 単なる時間の無駄か? あるいはこの本を読むことに費やした時間がそもそも無駄だったのではないか?
〇 要するに、この小説の勘所も良さもさっぱりわからないのだが、何となく面白かったような気もしている。私には謎の作品です。
〇 読み終わって考えた。書いてあることはナンセンスなのだが、それなりに推進力があって何かを意味していそうだ。どう理解すればよいのだろう? どう楽しめば良いのだろう? 良い小説は再読したくなるものだが、この作品を再読することに意味はあるだろうか? 単なる時間の無駄か? あるいはこの本を読むことに費やした時間がそもそも無駄だったのではないか?
〇 要するに、この小説の勘所も良さもさっぱりわからないのだが、何となく面白かったような気もしている。私には謎の作品です。
2023年7月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
"わたしはギャングだったんだ。わたしは詩人なんかではなかった。わたしは生まれてからずっとギャングだったんだ。わたしは今からそれを証明しようとしている"1982年発刊の本書は著者デビュー作、断章形式の独創的なポップ文学。
個人的には主宰する読書会の課題図書として手にとりました。
さて、そんな本書は詩の学校で詩を教えている講師『わたし』を主人公に、アメリカ合衆国の大統領たちが次々と暗殺されてしまうほどギャングたちが暗躍している世界を舞台にした(著者曰く)『一部と二部は身体で書き、三部は頭で書いた』三部構成の作品で。人々が親からもらった名前を捨てて、名前をめぐって諍いも起きる中、『わたし』は自分の恋人に『中島みゆきソング・ブック』(SB)という名前を与え、彼女は『わたし』に『さようなら、ギャングたち』という名前を与えて、猫の『ヘンリー四世』と一緒に暮らしているのですが。。
まず数行で終わるような章があったりの断章形式で(ポルトガルの国民的作家、フェルナンド・ペソアを思い出す)また詩的というか【現実の描写から離れたような言葉も多く】読み始めた当初は戸惑ったのですが、読み通してみると普遍的な『小説』としてまとまっていて面白かった。
また、著者の本は初めて読みましたが。読み終えた後に著者の経歴。学生運動に関わって逮捕、勾留され一種の『失語症』に陥った後【リハビリのために断片的な文書を書き始めた】ことを知ると、本書に著者の実体験の反映、また『執筆当時の時代』を感じることもでき、三部のギャングたちには『あさま山荘事件』を色濃く感じてしまった。
断章形式、独創的な文体が好きな方へ。また『言葉』にこだわりがある表現者の方にもオススメ。
個人的には主宰する読書会の課題図書として手にとりました。
さて、そんな本書は詩の学校で詩を教えている講師『わたし』を主人公に、アメリカ合衆国の大統領たちが次々と暗殺されてしまうほどギャングたちが暗躍している世界を舞台にした(著者曰く)『一部と二部は身体で書き、三部は頭で書いた』三部構成の作品で。人々が親からもらった名前を捨てて、名前をめぐって諍いも起きる中、『わたし』は自分の恋人に『中島みゆきソング・ブック』(SB)という名前を与え、彼女は『わたし』に『さようなら、ギャングたち』という名前を与えて、猫の『ヘンリー四世』と一緒に暮らしているのですが。。
まず数行で終わるような章があったりの断章形式で(ポルトガルの国民的作家、フェルナンド・ペソアを思い出す)また詩的というか【現実の描写から離れたような言葉も多く】読み始めた当初は戸惑ったのですが、読み通してみると普遍的な『小説』としてまとまっていて面白かった。
また、著者の本は初めて読みましたが。読み終えた後に著者の経歴。学生運動に関わって逮捕、勾留され一種の『失語症』に陥った後【リハビリのために断片的な文書を書き始めた】ことを知ると、本書に著者の実体験の反映、また『執筆当時の時代』を感じることもでき、三部のギャングたちには『あさま山荘事件』を色濃く感じてしまった。
断章形式、独創的な文体が好きな方へ。また『言葉』にこだわりがある表現者の方にもオススメ。
2020年10月7日に日本でレビュー済み
書店で購入させていただきました。
「発表時、吉本隆明が「現在までのところポップ文学の最高作品だと思う。村上春樹があり糸井重里があり、村上龍があり、それ以前には筒井康隆があり栗本薫がありというような優れた達成が無意識に踏まえられてはじめて出てきたものだ」と絶賛した高橋源一郎のデビュー作」と本書カバーにはあります。
文藝評論家の斎藤美奈子さんが『日本の同時代小説』(岩波新書、2018)のなかで、「『さようなら、ギャングたち』は名前を探す物語です。もっともわかりやすい解釈は、高橋源一郎の私小説である、というものでしょう。「ギャングたち」とは若き日に作者が体験し、暴走して自滅した政治闘争のことなのか、あるいはテロリスト一般か。ただ、村上春樹が無数の謎解き本を生んだのに対し、高橋源一郎の謎解きに挑む批評はほとんど見あたりません。簡単には尻尾をつまかせないようになっているのです」(p.108)と書いていらっしゃるように、ぼくも何度も読み返している小説ですが結局何が言いたいのかはあまり理解出来ずーー理解出来るとしたら、この作品は生と死を描いている、ということぐらいでしょうかーーその伝でいくと、この小説は現代詩とおなじで意味をつかむというよりはその文体を/文章を楽しむ作品ではないか、つまり(一種の)散文詩ではあるまいか、ということが暫定的な結論です。
あるいはこうも言えるかもしれません。
タイトルから想像するに、本書は、アメリカのポップ文学の旗手であるフィリップ・ロスの『われらのギャング』を下敷きにしているのではないかーー同様に、高橋さんの『優雅で感傷的な日本野球』がロスの『素晴らしいアメリカ野球』を下敷きにしているように。
斎藤さんが上述の『日本の同時代小説』の第3章の題名を、「一九八○年代/遊園地化する純文学」としているように、1980年代はまさしくポストモダン時代の幕開けだったのでーーその現れの1つがニュー・アカデミズムのブームでしょうーー、辛気臭い<大きな物語>について語るより<表層との戯れ>を志向したのが80年代文学だったのですから、意味という<大きな物語>から<逃走>することが高橋さんの目的だったのかもしれません。
とはいえ、行間からはそこはかとなくリリシズムの匂いが立ち込めて来ますし、村上春樹さんの作品と同様、ポップな意匠にくるんだ私小説なのかもしれません(つまりは、全共闘世代の喪失感とメランコリー)。
いずれにせよ、多様な読みを誘発する傑作です。
オススメです。
「発表時、吉本隆明が「現在までのところポップ文学の最高作品だと思う。村上春樹があり糸井重里があり、村上龍があり、それ以前には筒井康隆があり栗本薫がありというような優れた達成が無意識に踏まえられてはじめて出てきたものだ」と絶賛した高橋源一郎のデビュー作」と本書カバーにはあります。
文藝評論家の斎藤美奈子さんが『日本の同時代小説』(岩波新書、2018)のなかで、「『さようなら、ギャングたち』は名前を探す物語です。もっともわかりやすい解釈は、高橋源一郎の私小説である、というものでしょう。「ギャングたち」とは若き日に作者が体験し、暴走して自滅した政治闘争のことなのか、あるいはテロリスト一般か。ただ、村上春樹が無数の謎解き本を生んだのに対し、高橋源一郎の謎解きに挑む批評はほとんど見あたりません。簡単には尻尾をつまかせないようになっているのです」(p.108)と書いていらっしゃるように、ぼくも何度も読み返している小説ですが結局何が言いたいのかはあまり理解出来ずーー理解出来るとしたら、この作品は生と死を描いている、ということぐらいでしょうかーーその伝でいくと、この小説は現代詩とおなじで意味をつかむというよりはその文体を/文章を楽しむ作品ではないか、つまり(一種の)散文詩ではあるまいか、ということが暫定的な結論です。
あるいはこうも言えるかもしれません。
タイトルから想像するに、本書は、アメリカのポップ文学の旗手であるフィリップ・ロスの『われらのギャング』を下敷きにしているのではないかーー同様に、高橋さんの『優雅で感傷的な日本野球』がロスの『素晴らしいアメリカ野球』を下敷きにしているように。
斎藤さんが上述の『日本の同時代小説』の第3章の題名を、「一九八○年代/遊園地化する純文学」としているように、1980年代はまさしくポストモダン時代の幕開けだったのでーーその現れの1つがニュー・アカデミズムのブームでしょうーー、辛気臭い<大きな物語>について語るより<表層との戯れ>を志向したのが80年代文学だったのですから、意味という<大きな物語>から<逃走>することが高橋さんの目的だったのかもしれません。
とはいえ、行間からはそこはかとなくリリシズムの匂いが立ち込めて来ますし、村上春樹さんの作品と同様、ポップな意匠にくるんだ私小説なのかもしれません(つまりは、全共闘世代の喪失感とメランコリー)。
いずれにせよ、多様な読みを誘発する傑作です。
オススメです。
2010年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書の3分の1は空白と改行で構成されている、スカスカの本だ。
「これは小説じゃない」と言われたら、それで終わりかもしれないが
私は小説として紹介され、これを買ったので小説を読んだとして感想を書かせてもらいます。
とにかく読む人を選びます。
書かれている言葉も、想像力豊かな中学生が書いたようだと感じさせるような内容。
(読むとそれは違うことは分かるが、そういった印象を与えるような感性や文章)
繰り返しになりますが本は分厚いが、内容は何もなく、空白だらけ。そのくせ沢山刷っている文庫本のくせに価格も高い。
改行や空白も小説や表現の一部だとは思うが、この本に関しては内容がないので、
意味ないと思う部分も多く、やりすぎ。
感性的には80年代の本で、まだ新しさを感じる部分もあります。
そういった意味では古くなっていないと思えますし、とても優れている本だとは思いますが、
誰かに進められるか? と聞かれたら。「いいえ」と答えます。私は買って後悔しました。
誰かに借りるか、立ち読みで少し内容を見てから買うか決めることをお勧めします。
「これは小説じゃない」と言われたら、それで終わりかもしれないが
私は小説として紹介され、これを買ったので小説を読んだとして感想を書かせてもらいます。
とにかく読む人を選びます。
書かれている言葉も、想像力豊かな中学生が書いたようだと感じさせるような内容。
(読むとそれは違うことは分かるが、そういった印象を与えるような感性や文章)
繰り返しになりますが本は分厚いが、内容は何もなく、空白だらけ。そのくせ沢山刷っている文庫本のくせに価格も高い。
改行や空白も小説や表現の一部だとは思うが、この本に関しては内容がないので、
意味ないと思う部分も多く、やりすぎ。
感性的には80年代の本で、まだ新しさを感じる部分もあります。
そういった意味では古くなっていないと思えますし、とても優れている本だとは思いますが、
誰かに進められるか? と聞かれたら。「いいえ」と答えます。私は買って後悔しました。
誰かに借りるか、立ち読みで少し内容を見てから買うか決めることをお勧めします。
2021年11月22日に日本でレビュー済み
30年近く前に買って読みましたが好きな小説の上位に入る作品です。
意味の解らないばらついた小説に見られがちですが根底に深い悲しみが見られます
主人公の「わたし」は娘を失い、女と書かれているおそらく主人公の妻を失い、後にできた恋人を失い、その死をTVで飼い猫と観ます。
その後飼い猫を失い、自分自身を見失ってしまいます。
読む人を選ぶかもしれませんが良い小説です
意味の解らないばらついた小説に見られがちですが根底に深い悲しみが見られます
主人公の「わたし」は娘を失い、女と書かれているおそらく主人公の妻を失い、後にできた恋人を失い、その死をTVで飼い猫と観ます。
その後飼い猫を失い、自分自身を見失ってしまいます。
読む人を選ぶかもしれませんが良い小説です
2021年2月19日に日本でレビュー済み
数ページどころか数行で頭がザワザワしだす。
これはヤバいやつや…
視覚芸術よりもダイレクトに分かりやすく自
分の三半規管を揺さぶってきやがる…
分かって破壊しているのか…
それともナチュラルにそうなのか…
これはヤバいやつや…
視覚芸術よりもダイレクトに分かりやすく自
分の三半規管を揺さぶってきやがる…
分かって破壊しているのか…
それともナチュラルにそうなのか…
2018年11月20日に日本でレビュー済み
まったくタイプではない作品に手を出してしまった。
読んでいて、船酔いを覚えた。
発表された1981年時点で、まさに既存の文学を破壊しているのだろうが37年後のいま読んでも、保守的な自分にはついていけなかった。
知識の量そのものが、自分ごときとは開き過ぎているのだが、果たしてこれが芸術というものであろうか?
手が届かない。
ハイブローな方たちにお任せする。
読んでいて、船酔いを覚えた。
発表された1981年時点で、まさに既存の文学を破壊しているのだろうが37年後のいま読んでも、保守的な自分にはついていけなかった。
知識の量そのものが、自分ごときとは開き過ぎているのだが、果たしてこれが芸術というものであろうか?
手が届かない。
ハイブローな方たちにお任せする。