先に読んだ半藤一利氏と佐藤優氏の対談本『21世紀の戦争論』で「昭和史を武器に変える14冊」のなかで半藤一利氏が挙げていた山田風太郎著『戦中派不戦日記』を読むことにした。
山田風太郎氏の小説は若いころ何冊か読んだのが何を読んだか記憶が定かではない。
が、この『戦中派不戦日記』は、いつか読もうと思っていた本である。
日本が敗戦した1945年1月1日より12月31日までの山田誠也(風太郎)青年の日記である。
肋膜炎のために徴兵検査で丙種合格とされ、入隊を免れた山田青年は、沖電気に働きながら受験勉強ののち1944年(昭和19年)22歳の時に旧制東京医学専門学校(後の東京医科大学)に合格して医学生となった。
故郷(山田医院開業医の叔父)から仕送りを受けながらの学生生活も、東京では毎夜のようにB29の空襲で明日にも死をむかえるるかも知れない日々を当たり前のように暮らしながら、その情景や心象を淡々と書いている。
下宿先の下目黒の高須さんの家が空襲で焼け落ちて阿鼻叫喚の状態で逃げる描写も冷静な筆致で書かれているから、この長文を、本当にその夜に書いたのかしらと驚くしかない。
とにかく、毎日、毎日、この混乱した世情のなかで、ここまで文章に長けた日記を書き続けることに、後年の作家「山田風太郎」の姿を予感することができた。
そして、この日記を書き続けることに、山田青年の執念のようなものさえ感じてしまった。
東京の酸鼻を極めた情景描写から、学校が飯田に疎開したあと、静かな田舎の自然に感動しながら描写する山田青年の姿には、同じようなことを経験したものでないと理解することなどできないだろう。
私ごとになるが、評者も幼きころ名古屋の家を焼け出されて長野県上田市へ疎開したとき、浅間山を眺めながら別世界へ来たように感じたことを幼心に記憶しているからである。
この日記を読み進みながら、とにかく山田青年の読書量の多さに呆然としてしまいます。
「あとがき」で山田風太郎氏は、下の・・・・・内のように書いてるのですこし長くなるが転載したい。
・・・・・
この日記の出版が決まったとき(昭和46年番長書房刊)私の心に浮かんだのは、無用な記述が多過ぎるから相当削除する必要がありはしないかということであった。今から考えて、正気の沙汰ではない思想もあるし、見当ちがいの滑稽な判断もあるし、前後に矛盾撞着もあるし、「日記は自分との対話」だとはいうものの、青くさい、そのくせショッた、ひとさまから見れば噴飯物の観察や意見もある。特に自分でも閉口するのは、中に妙に小説がかった書き方をした部分もある。<後文略>
・・・・・
このあとがきを読みながら、評者はなぜかホッとしたのです。
もし、山田青年が学徒出陣で出征していたときに書かれた『戦中派出征日記』ならば、まったく様相の異なる内容になっていただろうと想像することができたからです。
山田風太郎氏のあとがき後半の一部を下の・・・・・内に転載したい。
・・・・・
<中文略>しかし、それよりなによりなお忸怩たらざるを得ないのは、結局これはドラマの通行人どころか、「傍観者」の記録ではなかったかということであった。むろん国民のだれもが自由意思を持って傍観者であることを許されなかった時代に、私がそうであり得たのは、みずから選択したことではなく偶然の運命にちがいないが、それにしても――例えば私の小学校の同級生男子34人中14人が戦死したという事実を想うとき、かかる日記の空しさをいよいよ痛感せずにはいられない。それに「死にどき」の世代のくせに当時傍観者であり得たということは、或る意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ。<後文略>
・・・・・
この風太郎氏の述懐のように、とくに、あの時代には、なにごとも「運」で決まってしまったのです。
昭和20年3月の名古屋大空襲時に、評者も母親と2人で父親が病気で入院している鉄筋コンクリート建のB病院に付添いとして泊まっていなかったら、我が家もろとも母親と2人で焼け死んでいただろうと思ってしまったからです。
この『戦中派不戦日記』には、「視野狭窄」にされた一青年の姿が赤裸々に描かれていて、「傍観者」であるからこその貴重な戦時体験記録になっている書だと思いながら読み終えたのです。
巻末、橋本治氏の正鵠を得た山田青年像についての解説も、なかなか興味深く読ませてくれたことも附記しておきたい。
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戦中派不戦日記 (講談社文庫 や 5-3) 文庫 – 1985/8/1
山田 風太郎
(著)
連日のように続く空襲、人類初の原爆体験、無条件降伏、終戦直後の異常な混乱と進駐軍の上陸……日本への憂情と青春の鬱屈をかかえた1人の医学生がかつてないドラマチックな年、昭和20年1年間の体験を克明に記録した日記。歴史の激動の中を懸命に貪欲に生きる庶民の生活史としても貴重な資料である。
- 本の長さ541ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1985/8/1
- ISBN-104061836129
- ISBN-13978-4061836129
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1985/8/1)
- 発売日 : 1985/8/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 541ページ
- ISBN-10 : 4061836129
- ISBN-13 : 978-4061836129
- Amazon 売れ筋ランキング: - 547,997位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,193位日本文学(日記・書簡)
- - 7,689位講談社文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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1922年、兵庫県生まれ。東京医科大学卒業。47年、「宝石」新人募集に応募した「達磨峠の事件」がデビュー作。48年「眼中の悪魔」で第2回探偵作家 クラブ賞短編賞を受賞。その後「甲賀忍法帖」を始めとした忍法帖シリーズなどを精力的に発表した。2000年、日本ミステリー文学大賞受賞。01年7月死 去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 八犬傳 下(新装版) (ISBN-13: 978-4331614044)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
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2019年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いろいろな値段がありましたが、あえて改版前のを購入しました。
今から24年前の文庫本なので年代相応の変色はありますが、紙自体はまだしっかりしており
大切に扱われてきたのがわかります。最近の文庫本のように字体も大きくありません。
戦中時代の面影をなんとなく感じて良いです。
今から24年前の文庫本なので年代相応の変色はありますが、紙自体はまだしっかりしており
大切に扱われてきたのがわかります。最近の文庫本のように字体も大きくありません。
戦中時代の面影をなんとなく感じて良いです。
2015年5月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
状態はあらかじめ知らされていたより汚れが少なく、破れもないので自然に読めます。
2011年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3年前、山田風太郎著「戦中派不戦日記」をアルバイトで来ていたDrの卵に貸した。我々が住む飯田の街の昭和20年の話が文中に記載されている、おまけに勤め先の出来事も書かれているので、おススメ!と貸した。
この本、あれから随分年月が経ったのに、返ってこない。諦めて、この8月再度購入してしまった。
昭和20年1月から12月までの1年間出来事を。
山田風太郎、細部に亘って戦禍に戸惑う街の人々の様子を書く…。
文中…「中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。……そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで、《ねぇ……また、きっといいこともあるよ。……》と呟いたのが聞こえた。……
すばらしい!!
そして、あの戦禍の中、逃げ惑いながら、防空壕に忍びながら、国の内外を問わず、あらゆる分野の本をよく「読む」。ただ、ただ感心するのみ。
この本、あれから随分年月が経ったのに、返ってこない。諦めて、この8月再度購入してしまった。
昭和20年1月から12月までの1年間出来事を。
山田風太郎、細部に亘って戦禍に戸惑う街の人々の様子を書く…。
文中…「中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。……そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで、《ねぇ……また、きっといいこともあるよ。……》と呟いたのが聞こえた。……
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そして、あの戦禍の中、逃げ惑いながら、防空壕に忍びながら、国の内外を問わず、あらゆる分野の本をよく「読む」。ただ、ただ感心するのみ。
2011年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
家出後、何とか東京医学専門学校(現 東京医科大学)に入学し、医者の卵としての勉学に励む若き日の山田風太郎。勉学の傍らの読書量には正直驚きました。ページの裏側に重く張り付いている”時代”。焼け野原となった東京から東京医学専門学校が疎開したのは、信州の”山都”飯田。しばらく前から度々足を運んでいる町です。そして何と、山田風太郎が玉音放送を聞いたのは、私の定宿の前身の食堂!驚きを通して、山田風太郎がぐっと身近に感じられるようになりました。
2001年12月18日に日本でレビュー済み
戦中派虫けら日記の昭和19年までの日記を引き継いだカタチのこの戦中派不戦日記は、昭和20年という激動の日々を書き綴っている。もちろん東京大空襲や東京に住む作者自身の空襲の体験も書かれているのだが、それは他の戦争体験記から比べると驚くほど淡々としている。そして日記に書かれた他の人々も驚くほど落ち着いているように思われる。空襲の体験だけを書けば私達が想像するようなものになるのかもしれない。けれどこれは戦争体験というより日常の中に戦争があるというまさに当時のひとりの人間の純粋な『日記』なのだ。当時の日本人の日常パターンのひとつが見えてくる。そしてまた作者山田風太郎ファンの方にもお薦めしたい。彼の青春期がここにある。他の人の日記もあれば読みたいと思った。本当に興
2020年6月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私はこの作家を、忍者物などを書いた泡沫的な小説家だと甘く見ていました。
読んで吃驚しましたが、誠に克明に昭和20年の体験が書かれた日記です。
戦争体験のない私達にも実感として伝わる記録で、貴重な資料だと思います。
山田青年と一緒に一年間を生活し、一緒に戦争を考えるという不思議な経験を
させてもらいました。
読んで吃驚しましたが、誠に克明に昭和20年の体験が書かれた日記です。
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山田青年と一緒に一年間を生活し、一緒に戦争を考えるという不思議な経験を
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