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村上龍全エッセイ 1987~1991 (講談社文庫 む 3-14) 文庫 – 1991/12/1
村上 龍
(著)
- 本の長さ502ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1991/12/1
- ISBN-104061850415
- ISBN-13978-4061850415
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1991/12/1)
- 発売日 : 1991/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 502ページ
- ISBN-10 : 4061850415
- ISBN-13 : 978-4061850415
- Amazon 売れ筋ランキング: - 655,119位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 468位映画論・映像論
- - 9,047位講談社文庫
- - 10,450位近現代日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
著者について
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1952年長崎県生まれ。
七六年『限りなく透明に近いブルー』で第七五回芥川賞受賞。『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、『半島を出よ』では野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。『トパーズ』『KYOKO』で映画監督も務めた。最新作は『新 13歳のハローワーク』『13歳の進路』。日本の金融・政治経済の問題を考える メールマガジン『JMM』を主宰し、経済トーク番組『カンブリア宮殿』(テレビ東京)のホストも務める。
カスタマーレビュー
星5つ中4.7つ
5つのうち4.7つ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年4月2日に日本でレビュー済み
というかそんな本はそもそもないので(アプリをインストールするように本を読みたいなどと思っている人は、マンガでも読んで満足しているべきだと思います)。
「純文学に関するQ&A」というエッセイから抜粋
『Q−純文学っていったい何なのでしょう?
A−最初から大胆な質問ですね。本当に一発で定義できればいいんですけどね。でも何かを定義するというのは難しいんです。例えば「豆腐とは何か?」「テレビゲームとは何か?」「スターリニズムとは何か?」
ね?それを一発で答えるのってなかなか大変でしょう?
Q−いつ頃からその言葉が使われるようになったんでしょうか?
A−そんなこと興味がないからわかりません。
Q−でも昔はなかったんでしょう?
A−どうかな、案外あったかもしれませんよ。純文学という言葉はなくても似たようなものはあったかもしれない。
Q−江戸時代にも?
A−うん。
・・・
・・・
Q−冗談なんですか?
A−真剣ですよ。あのね、「純文学とは何か?」を考える前にね、少しものごとを整頓してみましょう。純文学という言葉は明らかなカテゴライズですよね。ではまずどうしてカテゴライズが必要なのか、それを考えてみましょう。さっき言ったような「豆腐とはいったい何か?」という問いかけを私達は必要としていません。その問いが発生するためにはある要因が必要になってきます。
まず、第一に、豆腐の類似品が出回る、という場合です。つまり豆腐にものすごくよく似ていながらはっきりと違いがある、というものが大量に出回るようになれば、豆腐の定義づけが必要となるでしょう。
第二に、「他者」に説明する場合です。・・・
Q−なるほど。それではいつの時代なのかということは一応忘れて、純文学というカテゴライズがどうして必要だったか?と問えばいいわけですね。
A−ザッツ・ライト。
Q−さっきの豆腐の話に照らし合わせると、やはり第一の要因、つまり類似品の出回り、と考えてよろしいのでしょうか?
A−そうですね。類似品というと何か変ですが、身の危険を感じたのでしょうね。
Q−え?
A−身の危険です。
Q−どういうことですか?
A−「純文学」を書いているつもりの人々が、強力な類似品の出回りで危機を感じたわけですね。・・・・(本文より)』
論理的に何かが説明されているような本でも、それをすらっと読めてしまえるのなら、それは自分より優れた「他者」から、何かを教わっているという訳では別になく、ただ自分と同類の人を見つけて喜んでいるだけであるように僕は思います。
.
エッセイ『考えぬくことー野谷文昭さんへ』より
『お手紙ありがとうございました。
私も三月の座談会が忘れることのできない、貴重なものになりました。
プイグの急死の報に触れた時、妙な言い方ですが運命的なものを感じたのです。
それは、プイグが、死の前に、(例えば「スター・ウォーズ」でルーク・スカイウォーカーがヨーダに何かを教わるのと同じように)わたしに大切な何かを教えてくれたような気がしたからです。
それはもちろん小説作法といったレベルのことではありません。キザに言えば、人間が小説家になる時間、といったようなことについてです。
「・・・わたしは、海のなかの孤島に似た、草原のなかの本当に小さな町で生まれ育ちました・・・・」
と、プイグが基調講演で話し始めた時、わたしはそれを「小説の誕生」の序章として聞き、「人類の誕生」「宇宙の誕生」に匹敵するようなスリルを覚えたものです。
言葉にすがるような人、最初から言葉に頼(よ)り親しむ人は、文筆家にはなれても、小説は書けないと思います。
・・・・(本文より)』
チャールズ・ラム(レビューに書いたのですが)の『論理はことばの知識以外の何ものでもない。』というのがもし正しいなら、論理至上主義者には小説は書けないということになりそうです。
ちなみに論理至上主義者というのは、常に今自分が持っているもので(間違うことなく)やっていけると思っているような人です。ある意味思いあがっているということですが。''
「純文学に関するQ&A」というエッセイから抜粋
『Q−純文学っていったい何なのでしょう?
A−最初から大胆な質問ですね。本当に一発で定義できればいいんですけどね。でも何かを定義するというのは難しいんです。例えば「豆腐とは何か?」「テレビゲームとは何か?」「スターリニズムとは何か?」
ね?それを一発で答えるのってなかなか大変でしょう?
Q−いつ頃からその言葉が使われるようになったんでしょうか?
A−そんなこと興味がないからわかりません。
Q−でも昔はなかったんでしょう?
A−どうかな、案外あったかもしれませんよ。純文学という言葉はなくても似たようなものはあったかもしれない。
Q−江戸時代にも?
A−うん。
・・・
・・・
Q−冗談なんですか?
A−真剣ですよ。あのね、「純文学とは何か?」を考える前にね、少しものごとを整頓してみましょう。純文学という言葉は明らかなカテゴライズですよね。ではまずどうしてカテゴライズが必要なのか、それを考えてみましょう。さっき言ったような「豆腐とはいったい何か?」という問いかけを私達は必要としていません。その問いが発生するためにはある要因が必要になってきます。
まず、第一に、豆腐の類似品が出回る、という場合です。つまり豆腐にものすごくよく似ていながらはっきりと違いがある、というものが大量に出回るようになれば、豆腐の定義づけが必要となるでしょう。
第二に、「他者」に説明する場合です。・・・
Q−なるほど。それではいつの時代なのかということは一応忘れて、純文学というカテゴライズがどうして必要だったか?と問えばいいわけですね。
A−ザッツ・ライト。
Q−さっきの豆腐の話に照らし合わせると、やはり第一の要因、つまり類似品の出回り、と考えてよろしいのでしょうか?
A−そうですね。類似品というと何か変ですが、身の危険を感じたのでしょうね。
Q−え?
A−身の危険です。
Q−どういうことですか?
A−「純文学」を書いているつもりの人々が、強力な類似品の出回りで危機を感じたわけですね。・・・・(本文より)』
論理的に何かが説明されているような本でも、それをすらっと読めてしまえるのなら、それは自分より優れた「他者」から、何かを教わっているという訳では別になく、ただ自分と同類の人を見つけて喜んでいるだけであるように僕は思います。
.
エッセイ『考えぬくことー野谷文昭さんへ』より
『お手紙ありがとうございました。
私も三月の座談会が忘れることのできない、貴重なものになりました。
プイグの急死の報に触れた時、妙な言い方ですが運命的なものを感じたのです。
それは、プイグが、死の前に、(例えば「スター・ウォーズ」でルーク・スカイウォーカーがヨーダに何かを教わるのと同じように)わたしに大切な何かを教えてくれたような気がしたからです。
それはもちろん小説作法といったレベルのことではありません。キザに言えば、人間が小説家になる時間、といったようなことについてです。
「・・・わたしは、海のなかの孤島に似た、草原のなかの本当に小さな町で生まれ育ちました・・・・」
と、プイグが基調講演で話し始めた時、わたしはそれを「小説の誕生」の序章として聞き、「人類の誕生」「宇宙の誕生」に匹敵するようなスリルを覚えたものです。
言葉にすがるような人、最初から言葉に頼(よ)り親しむ人は、文筆家にはなれても、小説は書けないと思います。
・・・・(本文より)』
チャールズ・ラム(レビューに書いたのですが)の『論理はことばの知識以外の何ものでもない。』というのがもし正しいなら、論理至上主義者には小説は書けないということになりそうです。
ちなみに論理至上主義者というのは、常に今自分が持っているもので(間違うことなく)やっていけると思っているような人です。ある意味思いあがっているということですが。''
2000年12月3日に日本でレビュー済み
生活感のあるところや、現実を感じながら読んでしまうと、つまらない。無心で読めば、興味深い、と感じるだろう。読めば読むほど、噛めば噛みしめるほど、この物語は口に合わなくる。でも、その拒否反応が心地よい。もう自分自身なんてすべて捨ててしえば、この物語の心地よいリズムが聞こえてくる。