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時代小説の愉しみ (講談社文庫 り 4-8) 文庫 – 1994/2/1
隆 慶一郎
(著)
歴史と現代を涼やかな眼で貫くエッセイ集。信長・信玄らに新解釈を加え、歴史上の人物の器量と命運をはかりながら、人間の面白味を発見していく……著者の風格と風貌を鮮やかに伝える、唯一のエッセイ集。
- 本の長さ209ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1994/2/1
- ISBN-104061856057
- ISBN-13978-4061856059
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1994/2/1)
- 発売日 : 1994/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 209ページ
- ISBN-10 : 4061856057
- ISBN-13 : 978-4061856059
- Amazon 売れ筋ランキング: - 527,909位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7,451位講談社文庫
- - 8,683位近現代日本のエッセー・随筆
- - 22,120位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1923-1989)東京生れ。東大文学部仏文科卒。在学中、辰野隆、小林秀雄に師事する。編集者を経て、大学で仏語教師を勤める。中央大学助教授を辞任後、本名・池田一朗名で脚本家として活躍。映画「にあんちゃん」の脚本でシナリオ作家協会賞受賞。1984年、『吉原御免状』で作家デビュー。1989年には『一夢庵風流記』で柴田錬三郎賞を受賞。時代小説界に一時代を画すが、わずか5年の作家活動で急逝。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白く読ませていただきました。本当にありがとうございました。
2005年5月9日に日本でレビュー済み
一時期、時代小説にはまっていたことがあって、その時には『一夢庵風流記』や『影武者徳川家康』などは読んでいたので、隆慶一郎氏の世界には、意外とすんなり入り込めました。
特に冒頭で題号と同じ「時代小説の愉しみ」は、好きな一編です。
個人的には、氏の小説の面白さは、『影武者徳川家康』に代表されるように、「もしそうだったら」という仮定を、史実のエピソードを積み重ねることで裏打ちしていく緻密さにあると思っています。
なので、「些細な史実にこめられた感動、さりげない言葉に秘められた目くるめくような美しさ。史料を読むとは、そうしたものとのめぐり逢いを望んでいるということだと僕は思う」という一節には深く頷けるものがあります。
また、「昔、一年がかりで『忠臣蔵』をテレビドラマにしたことがある。その時、色んな史料をあさりながら奇妙な疑問を感じた。史実にはこんなにも感動に満ちたエピソードが無数にちりばめられてあるのに、今までの映画やテレビはどうしてこれを使おうとしなかったのだろうか」という疑問から、大石内蔵助・りく夫妻の、歴史に埋もれた愛の形を再現してくれるところは、まさに氏の真骨頂。
他のエッセイも、織田信長や武田信玄などの時代小説の主人公たちへの言及だけでなく、氏独特の視点からの時代の断面を、小気味よく見せてくれています。
「教える罪」などは、何とも言えないやるせなさと共に、考えさせられる一編です。
特に冒頭で題号と同じ「時代小説の愉しみ」は、好きな一編です。
個人的には、氏の小説の面白さは、『影武者徳川家康』に代表されるように、「もしそうだったら」という仮定を、史実のエピソードを積み重ねることで裏打ちしていく緻密さにあると思っています。
なので、「些細な史実にこめられた感動、さりげない言葉に秘められた目くるめくような美しさ。史料を読むとは、そうしたものとのめぐり逢いを望んでいるということだと僕は思う」という一節には深く頷けるものがあります。
また、「昔、一年がかりで『忠臣蔵』をテレビドラマにしたことがある。その時、色んな史料をあさりながら奇妙な疑問を感じた。史実にはこんなにも感動に満ちたエピソードが無数にちりばめられてあるのに、今までの映画やテレビはどうしてこれを使おうとしなかったのだろうか」という疑問から、大石内蔵助・りく夫妻の、歴史に埋もれた愛の形を再現してくれるところは、まさに氏の真骨頂。
他のエッセイも、織田信長や武田信玄などの時代小説の主人公たちへの言及だけでなく、氏独特の視点からの時代の断面を、小気味よく見せてくれています。
「教える罪」などは、何とも言えないやるせなさと共に、考えさせられる一編です。
2022年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「この本はまさにごった煮である」と本人があとがきに書いているように、『新潟日報』から『プレジデント』まで、さまざまな新聞や雑誌に掲載されたエッセイを集めている。
内容も自身の体験から好きに綴った、まさに数頁の小文から、『プレジデント』に掲載された戦国武将に対する著者の評価までさまざま。他より長めの『プレジデント』もの四点の前後を新聞に載せたエッセイで挟んだ形だ。
あとがきに「平成元年七月二十日・東京医大病院にて」とあるので、著者はその三か月後に同じ東京医大病院で他界されたことになる。文章からはわからないが、すでにかなり病状は悪かったのかもしれない。本書が妻に捧げられていることからも、死期を悟っていたのかも。
本書の題名は、冒頭に配された同名のエッセイから取られている。
それによると、ちょっとした市井の機微を見つけた時が、著者にとって愉しみを感じる時だという。
例えば忠臣蔵で言えば、大石内蔵助たちが吉良上野介の首級をあげた時よりも、妻のりくを山科に送り出した時である。
赤穂から浅野家中が退去になった際、大石内蔵助は国家老として残務処理のために赤穂に残ったが、身元不如意になるにも関わらず、りくは早々に赤穂から山科に送り出された。
内蔵助に世話をする別の女がいたとか、そういった話ではない。
りくは、どうやらお祭り好きの女だったらしく、近所の祭にはかかさず顔を出していたらしい。
そして彼女が山科に向けて赤穂を船で立ち、大坂に着く日程をみると、天神祭りに間に合うタイミングだったことがわかるとか。
なんと、内蔵助は女房に日本三大祭りの一つを見せてやろうとしたのか!という 発見が愉しいというわけ。本当にその考えが正しかったのかどうか、確認する術はないが、たしかに「発見」したときには愉しくなるだろう。
しかし少々ツッコミを入れるなら、その愉しみは小説を書くにあたって、資料をあれこれ調べている時のものではw
一般の読者がそんな愉しみを共有できるのは、小説よりも蘊蓄系の本のほうが機会は多いように思う。本書の題名は、『時代小説の(執筆をする)愉しみ』であったw
時代/歴史小説を「読む」愉しみとして、わたしがまず思い浮かべるのは、誰の立場でどの史実をどのように語らせるのかによって、同じ事件であっても歴史の様相をガラリと変えることができるということだ。
わかりやすい例を挙げれば、織田信長と明智光秀の立ち位置とか。
長島や比叡山で"非戦闘員"を根切りにせよと命じた信長を巨悪、彼の悪行についていけなくなった光秀を善とする考え方と、根腐れしている旧勢力を一新しようとする信長を英雄、それに対して、旧勢力に意固地に固執する光秀といった具合だ。
実際のところ、どちらに主眼を置いても、傑作小説は等しく生まれ得るわけである。
最近読んだ範囲では、著者の最高傑作にも目される『影武者徳川家康』に対する荒山徹の『徳川家康』が、基本アイディアを完全に合わせながら、家康の立ち位置を真逆に置いており、比較して読むのがサイコー。
本書の「叡山焼亡」や「織田信長」において、著者も両面の見方について一応触れているが、心情は完全に前者に傾いていて、「叡山焼亡」ではなぜか小説風のエピソードまで挿入されているw
著者の小説は、登場人物を善と悪にはっきり区別しているのが特徴だが、網野義彦の「道々の輩」に基づいた分類に割り振っているので、最初は新鮮に感じたが、今ではちょっと偏向し過ぎでくどく感じるようになってしまった。
内容も自身の体験から好きに綴った、まさに数頁の小文から、『プレジデント』に掲載された戦国武将に対する著者の評価までさまざま。他より長めの『プレジデント』もの四点の前後を新聞に載せたエッセイで挟んだ形だ。
あとがきに「平成元年七月二十日・東京医大病院にて」とあるので、著者はその三か月後に同じ東京医大病院で他界されたことになる。文章からはわからないが、すでにかなり病状は悪かったのかもしれない。本書が妻に捧げられていることからも、死期を悟っていたのかも。
本書の題名は、冒頭に配された同名のエッセイから取られている。
それによると、ちょっとした市井の機微を見つけた時が、著者にとって愉しみを感じる時だという。
例えば忠臣蔵で言えば、大石内蔵助たちが吉良上野介の首級をあげた時よりも、妻のりくを山科に送り出した時である。
赤穂から浅野家中が退去になった際、大石内蔵助は国家老として残務処理のために赤穂に残ったが、身元不如意になるにも関わらず、りくは早々に赤穂から山科に送り出された。
内蔵助に世話をする別の女がいたとか、そういった話ではない。
りくは、どうやらお祭り好きの女だったらしく、近所の祭にはかかさず顔を出していたらしい。
そして彼女が山科に向けて赤穂を船で立ち、大坂に着く日程をみると、天神祭りに間に合うタイミングだったことがわかるとか。
なんと、内蔵助は女房に日本三大祭りの一つを見せてやろうとしたのか!という 発見が愉しいというわけ。本当にその考えが正しかったのかどうか、確認する術はないが、たしかに「発見」したときには愉しくなるだろう。
しかし少々ツッコミを入れるなら、その愉しみは小説を書くにあたって、資料をあれこれ調べている時のものではw
一般の読者がそんな愉しみを共有できるのは、小説よりも蘊蓄系の本のほうが機会は多いように思う。本書の題名は、『時代小説の(執筆をする)愉しみ』であったw
時代/歴史小説を「読む」愉しみとして、わたしがまず思い浮かべるのは、誰の立場でどの史実をどのように語らせるのかによって、同じ事件であっても歴史の様相をガラリと変えることができるということだ。
わかりやすい例を挙げれば、織田信長と明智光秀の立ち位置とか。
長島や比叡山で"非戦闘員"を根切りにせよと命じた信長を巨悪、彼の悪行についていけなくなった光秀を善とする考え方と、根腐れしている旧勢力を一新しようとする信長を英雄、それに対して、旧勢力に意固地に固執する光秀といった具合だ。
実際のところ、どちらに主眼を置いても、傑作小説は等しく生まれ得るわけである。
最近読んだ範囲では、著者の最高傑作にも目される『影武者徳川家康』に対する荒山徹の『徳川家康』が、基本アイディアを完全に合わせながら、家康の立ち位置を真逆に置いており、比較して読むのがサイコー。
本書の「叡山焼亡」や「織田信長」において、著者も両面の見方について一応触れているが、心情は完全に前者に傾いていて、「叡山焼亡」ではなぜか小説風のエピソードまで挿入されているw
著者の小説は、登場人物を善と悪にはっきり区別しているのが特徴だが、網野義彦の「道々の輩」に基づいた分類に割り振っているので、最初は新鮮に感じたが、今ではちょっと偏向し過ぎでくどく感じるようになってしまった。
2015年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
趣のある言いまわしに、はっとその情景が目の前に浮かぶようなことが何度もありました。
味わい深い名作。楽しみながら読ませていただいております。
味わい深い名作。楽しみながら読ませていただいております。
2000年11月17日に日本でレビュー済み
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2013年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作品集ではなく、作者の日常の生活からくる、関心事等を
記述した、ユーモアある文章楽しいです。
記述した、ユーモアある文章楽しいです。
2019年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『風の呪殺陣』からの流れと勢いで、本年二冊目の読了本。
『時代小説の愉しみ』とは巻頭のエッセイのタイトルで、時代小説関係の話題ばかりというわけではございません。第一部・第三部の、戦争中の体験からビートたけしのフライデー事件、はてはグルメ談義まで統一性のないエッセイの数々に挟んで、第二部は織田・武田・北条・比叡山焼き討ちに関する読み物調歴史談義といった構成であります。
執筆時期の関係なのか、『風の呪殺陣』に関係する話題が多め。『風の呪殺陣』では山徒の所持刀が小鍛冶宗近だったり菊一文字だったりすることに違和感があったのですが、ちゃんと元ネタ?があったことにびっくり。
お目当ての歴史談義よりも、シナリオ教室講師としての苦い思い出話の方が心に残ります。
「プロの場合、自分の好きな材料で好きなように書くというケースが極端に少ないからで、つまり注文仕事である。お仕着せの仕事にうまく自分を感情移入させる技術は、いいシナリオを書くという技術とは別個のものである。」……
これはつらい。
『時代小説の愉しみ』とは巻頭のエッセイのタイトルで、時代小説関係の話題ばかりというわけではございません。第一部・第三部の、戦争中の体験からビートたけしのフライデー事件、はてはグルメ談義まで統一性のないエッセイの数々に挟んで、第二部は織田・武田・北条・比叡山焼き討ちに関する読み物調歴史談義といった構成であります。
執筆時期の関係なのか、『風の呪殺陣』に関係する話題が多め。『風の呪殺陣』では山徒の所持刀が小鍛冶宗近だったり菊一文字だったりすることに違和感があったのですが、ちゃんと元ネタ?があったことにびっくり。
お目当ての歴史談義よりも、シナリオ教室講師としての苦い思い出話の方が心に残ります。
「プロの場合、自分の好きな材料で好きなように書くというケースが極端に少ないからで、つまり注文仕事である。お仕着せの仕事にうまく自分を感情移入させる技術は、いいシナリオを書くという技術とは別個のものである。」……
これはつらい。