このシリーズでは、江戸時代の世相や庶民の生活・娯楽などが当時の資料と共に詳細に紹介されていて、時には似たような素材が他の本に出てくることもあるのだが、とにかく、よくぞここまでと思うくらい詳しく調べられている。特にこの本では、時計、からくり、花火、天文学や暦などが登場し、総じて科学的・技術的な視点から詳細に紹介されていて、ノンフィクションとして読めば、この本は読み応えがあり結構面白い。文章もわかりやすく、ここまでなら文句なく私は星5つとして評価したい。
ところが他の方も指摘されているように、所々でどうも引っかかってしまうのだ。作者はこの本の冒頭で、「現代は江戸時代から見ればまるでSFのようだ」として、今の文明社会を絶賛している。それなのに、各章では必ず現代社会へのさまざまな批判や警鐘、江戸時代を擁護する文章が出てくる。
なぜ?今のどこがいけないの?そんなに江戸時代が良かったの?今ひとつその答えがよくわからない。
そして作者はラストでこうも述べている。「江戸時代のようにすべてが低い水準で安定していたほうが、人類にとって<中略>安全だったような気がする」と。
この作者が望む理想の社会って一体どんなのだろう。できればこのような本で持論を繰り広げるのではなく、別の本を出版して、そこで思う存分やってもらいたいものである。
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大江戸テクノロジー事情 (講談社文庫 い 10-9) 文庫 – 1995/5/1
石川 英輔
(著)
- 本の長さ357ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1995/5/1
- ISBN-104061859404
- ISBN-13978-4061859401
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1995/5/1)
- 発売日 : 1995/5/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 357ページ
- ISBN-10 : 4061859404
- ISBN-13 : 978-4061859401
- Amazon 売れ筋ランキング: - 571,986位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2010年11月7日に日本でレビュー済み
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2019年3月5日に日本でレビュー済み
古代ローマの哲学者セネカの言葉に“Artes serviunt vitae; Sapientia imperat”というものがあります。ラテン語で述べられたこの言葉の意味は、「技術は生活に奉仕し、知恵は(生活を)統御する」というものです。しかし、現在の日本の社会状況をこのセネカの言葉に照らしてみるならば、「(行き過ぎた科学)技術は生活を崩壊させ、我々を奴隷にする」と表現する以外には無いと蓑笠亭には思えるのです。
蓑笠亭がそう考える理由については、未だに解決の糸口すら見つからない「原発事故」を引き合いに出せば、容易にお分かり頂けることでしょう。我々の生活に奉仕し、そしてそれを豊かなものとするために 原子力発電所は建設され、稼働を始めたはずです。しかし「最先端科学技術の結晶」であるはずの原子力発電所は、今では我々の生活のみならず、我々自身をも「崩壊させる存在」となってしまっているのです。
そしてその原因は〈科学〉技術を含め、生活全般を統御するはずの「知恵」を、我々日本人が十分に発揮しなかったからにほかなりません。「原発に関する正しい『知識』と『知恵』を働かせず、『原発は安全である』という『安全神話』を盲信してしまったその『ツケ』を、現在の日本人は払わされている」のです。
では、いつの時代も日本人とは「(科学)技術の奴隷とされるだけの愚かな存在」だったのでしょうか。そんな疑問に対して見事な回答を与えてくれるのが、石川英輔氏による『大江戸テクノロジー事情』です。
石川氏の言葉を借りるなら、天下泰平を謳歌した江戸時代の人々は、「近代的な科学技術をほとんど知らなかったし、産業のための技術水準は、欧米に比べてはるかに幼稚な段階に止まっていた。しかも江戸時代の人々は、自分たちのわずかな科学的知識さえ、積極的に生産に利用しようとはせず、便利な方法に対して非常に用心深い態度を取り続けた」のでした。
しかしペリー率いる4隻の黒船来航に端を発した「明治維新」は「産業革命」を日本にもたらしました。そして「脱亜入欧」を目指したそれ以降の日本は、それまでの伝統的な生活様式を「非合理的」「時代遅れ」として排斥してしまうのです。しかし石川氏は、そんな江戸時代の生活様式の「非合理性」の根本に存在する「合理性」を『大江戸テクノロジー事情』という著書として我々に示してくれたのです。そしてその内容を端的にまとめ上げたのが以下に引用する部分です。
本書では、江戸時代の日本のさまざまな技術について説明するとともに、科学的な知識や技術を産業や軍事に利用するよりも、むしろ芸事や遊びや楽しみの手段に変えてしまった様子を、様々な角度から示すつもりである。
この本で取り上げられる江戸時代のテクノロジーは「大小暦」「和算」「時刻と時計」「からくり」等など多岐にわたりますが、蓑笠亭の心に強く残った石川氏の主張は「富士塚」の中で述べられた次のものです。
今の科学的な方法でわかるのは部分的な現象だけで、広い範囲にわたって自然や人間が関係する複雑な問題を総合的に判断することはほとんどできない。要するに、我々には自然現象の複雑さなど、ほとんど何もわかっていないのである。
それにもかかわらず、部分がわかっていれば全体も分かるはずだという思い違いとうぬぼれが科学技術の大きな落とし穴となって、累積による誤謬という恐ろしい結果を招いている。
累積による誤謬を解決するために、我々は今一度、先祖が有した「知恵」を取り戻す必要があるようです。
蓑笠亭がそう考える理由については、未だに解決の糸口すら見つからない「原発事故」を引き合いに出せば、容易にお分かり頂けることでしょう。我々の生活に奉仕し、そしてそれを豊かなものとするために 原子力発電所は建設され、稼働を始めたはずです。しかし「最先端科学技術の結晶」であるはずの原子力発電所は、今では我々の生活のみならず、我々自身をも「崩壊させる存在」となってしまっているのです。
そしてその原因は〈科学〉技術を含め、生活全般を統御するはずの「知恵」を、我々日本人が十分に発揮しなかったからにほかなりません。「原発に関する正しい『知識』と『知恵』を働かせず、『原発は安全である』という『安全神話』を盲信してしまったその『ツケ』を、現在の日本人は払わされている」のです。
では、いつの時代も日本人とは「(科学)技術の奴隷とされるだけの愚かな存在」だったのでしょうか。そんな疑問に対して見事な回答を与えてくれるのが、石川英輔氏による『大江戸テクノロジー事情』です。
石川氏の言葉を借りるなら、天下泰平を謳歌した江戸時代の人々は、「近代的な科学技術をほとんど知らなかったし、産業のための技術水準は、欧米に比べてはるかに幼稚な段階に止まっていた。しかも江戸時代の人々は、自分たちのわずかな科学的知識さえ、積極的に生産に利用しようとはせず、便利な方法に対して非常に用心深い態度を取り続けた」のでした。
しかしペリー率いる4隻の黒船来航に端を発した「明治維新」は「産業革命」を日本にもたらしました。そして「脱亜入欧」を目指したそれ以降の日本は、それまでの伝統的な生活様式を「非合理的」「時代遅れ」として排斥してしまうのです。しかし石川氏は、そんな江戸時代の生活様式の「非合理性」の根本に存在する「合理性」を『大江戸テクノロジー事情』という著書として我々に示してくれたのです。そしてその内容を端的にまとめ上げたのが以下に引用する部分です。
本書では、江戸時代の日本のさまざまな技術について説明するとともに、科学的な知識や技術を産業や軍事に利用するよりも、むしろ芸事や遊びや楽しみの手段に変えてしまった様子を、様々な角度から示すつもりである。
この本で取り上げられる江戸時代のテクノロジーは「大小暦」「和算」「時刻と時計」「からくり」等など多岐にわたりますが、蓑笠亭の心に強く残った石川氏の主張は「富士塚」の中で述べられた次のものです。
今の科学的な方法でわかるのは部分的な現象だけで、広い範囲にわたって自然や人間が関係する複雑な問題を総合的に判断することはほとんどできない。要するに、我々には自然現象の複雑さなど、ほとんど何もわかっていないのである。
それにもかかわらず、部分がわかっていれば全体も分かるはずだという思い違いとうぬぼれが科学技術の大きな落とし穴となって、累積による誤謬という恐ろしい結果を招いている。
累積による誤謬を解決するために、我々は今一度、先祖が有した「知恵」を取り戻す必要があるようです。
2003年6月23日に日本でレビュー済み
一連の大江戸ものと共通する内容が多い。
もっとテクノロジーの紹介に徹してもいいのに。
何とかして欧米や社会主義国、そしてそれらの崇拝者をおとしめようとするところが気になる。
テクノロジー紹介よりも、江戸否定者攻撃が目立ってしまっている。
もっとテクノロジーの紹介に徹してもいいのに。
何とかして欧米や社会主義国、そしてそれらの崇拝者をおとしめようとするところが気になる。
テクノロジー紹介よりも、江戸否定者攻撃が目立ってしまっている。
2002年5月15日に日本でレビュー済み
石川さんの大江戸シリーズのほとんどを買って、読んでみたが、最初に読んだこのテクノロジーがとても楽しい。江戸の庶民が驚くような発明をしていく、それも無名の職人たちが遊び感覚で作ってしまうところに、何かその時代の粋を感じてしまう。特に感心したのが、暦、和時計、錦絵などがお互いに密接に関係しながら、技術が発展しているところや、戦国時代が終わって、使い道の無くなった黒色火薬の利用として花火が発展したところなど、私たちの祖先にこれだけの知恵があるのかと驚くばかりである。
石川さんもこのシリーズを書きいて数作目になり、軽い感じの文章になっていて大変読みやすく、江戸時代を知るにはおすすめの本です。いくつかのお話はお酒を飲んだ席でのしゃれた会話にも使えそうです。
石川さんもこのシリーズを書きいて数作目になり、軽い感じの文章になっていて大変読みやすく、江戸時代を知るにはおすすめの本です。いくつかのお話はお酒を飲んだ席でのしゃれた会話にも使えそうです。