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抱擁家族 (講談社文芸文庫) 文庫 – 1988/1/27

4.2 5つ星のうち4.2 43個の評価

妻の情事をきっかけに、家庭の崩壊は始まった。たて直しを計る健気な夫は、なす術もなく悲喜劇を繰り返し、次第に自己を喪失する。不気味に音もなく解けて行く家庭の絆。現実に潜む危うさの暗示。時代を超え現代に迫る問題作、「抱擁家族」とは何か。<谷崎潤一郎賞受賞作品>
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商品の説明

商品説明

大学講師の夫は、家政婦の口から、自宅に遊びに来るアメリカ兵と妻とが情事を重ねているとの事実を聞き、ひどく動揺する。彼は、なんとか妻との関係を回復させようと、突然子供たちと家の雑巾がけを始めてみたり、米兵にわざと居丈高な態度で振る舞ってみたりするが、どれも滑稽(こっけい)でみじめなものとしかならない。世田谷に家を新築することを決めたりして、どうにか夫婦関係が修復の軌道に乗りかけたその時、夫は愛撫した妻の乳房から、しこりを感じとる。それは乳癌だった。

著者は、1955年に『アメリカン・スクール』で芥川賞を受賞し、大作『別れる理由』などでも知られる小島信夫。本書は、1965年発表の、彼の代表作との声も高い作品で、翌年の谷崎潤一郎賞受賞作品ともなった。

本書は、発表当時の日本の時代背景、高度成長期社会の色合いを強く刻印している。しかしそこで描かれる夫婦や家族の微妙な関係、そしてそれが誰にもそう見えないうちに音もなく崩れていく過程は、驚くほどに現代的と感じられる。何気ない日常にひそむ深淵と不安を、ユーモアさえ感じられる重苦しくない文体で、しかし鋭くえぐるようにすくいとってみせる。重苦しさのない分、読者はかえって深刻な悲劇を目の当たりにする思いがするだろう。

ぎこちないようでいて、ふとした1文で一瞬にして読む者に深い闇をのぞかせてしまう濃密な文章。実は大胆なほどスピーディーなプロット展開。それらがあいまって、結果、本作は何度読んでもくみ尽くすことのできない豊かさをたたえた、希有な傑作となっている。(岡田工猿)

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (1988/1/27)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1988/1/27
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 296ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061960083
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061960084
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.8 x 1.1 x 14.8 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 43個の評価

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小島 信夫
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年3月26日に日本でレビュー済み
戦後教育における英語教師たちのドタバタ劇のような滑稽さの中に卑屈な内面の葛藤を描いた「アメリカン・スクール」だけでなく「微笑」にも共通してみられる不可解な行動が闇とも傷ともいえる屈折した人間の内なる世界を照らしだす。だが、表面化するのは滑稽なまでにアンバランスな振る舞いでしかない。
初期作品の「小銃」も衝撃だったが最晩年の「ラブ・レター」もあえて日記風の散文スタイルで書かれた実験的なものと考えられる。そういう意味ではこの作家の人間をみつめる眼差しや社会をとらえる感覚と関心のあり方自体にある意味で小島文学を特徴づける文体の謎があるのではないかと思えてくる。また、文学の可能性としてその様式や手法にも並々ならぬ実験願望があるともいえるのではないか。多くの作品が残されていることもあって読んでいくうちにまた印象が変わるかもしれないが個人的には既にたいへん魅力的な作家のひとりとなっている。
本著は先の短編集「アメリカン・スクール」と「馬」の魅力を合わせもつ滑稽さと悲惨さが混在する笑劇の様相を呈し家族の危うさを露呈する世界を描いたこの作家の傑出した作品といえるだろう。
ここでは妻時子と若いアメリカ兵との情事をきっかけに崩れていく日本の家族のようすが描かれている。家の主人、家族をまもる父(家長)という立場の健気な夫は懸命にたて直しを計るがなす術もなく悲喜劇を繰り返し滑稽なまでに自己を失っていく。
このことは戦後の日本のあり方とその欺瞞性をふまえ戦後派の作家のひとりとしてこのようなアイロニーを込めた形で家族を描いたのではないかと思いたくなる。つまり、滑稽なまでに家族を象徴する父という立場を強調する皮肉が、戦後の象徴天皇という形をもって天皇制を維持し国家体制(国体護持)を守るという欺瞞性を浮き彫りにしているとも考えられるからだ。ここに対米従属の形あるいは永続敗戦の姿としてアメリカ兵アメリカ文化にあこがれるように抱擁家族という崩壊する家族のようすが読みとれるのだ。それゆえに本著は否応なく悲喜劇の狭間で笑劇ともいえる現実が露呈される。いうなれば戦後の現実が笑劇のように。
だが、物語は複雑な要素が複合的に描かれることによって奥深い問題を意識化する様相を呈しているともいえる。いわばアメリカに代表される欧米文化へのあこがれともコンプレックスともいえる屈折した心情が重層的に描かれるのだ。

事件があって三日目、俊介が夕方電話に出たとき、何といおうか、と言葉が見つからなかった。ジョージからだった。きまり文句だが、「ハウ・アー・ユー・ミスター・ミワ」と呼びかけてきていた。俊介は「ジャスト・ファイン」と大きな声で叫んだ。その返答が我ながら滑稽だったが、彼と話す用意が何も出来ていなかったので、そうするより仕方がなかった。(p52)

この卑屈ともいえる奇妙な対応のあり方はどういうことか。相手は二十才そこそこの若いアメリカ兵なのだ。
おもしろいことに谷崎潤一郎や内田百閒のころの作家には欧米文化に対して日本の作法や文化に揺るぎない誇りや自信のようなものがあるのだが、抱擁家族の各人にはあこがれはあってもどこか自己喪失ともいえる自信のなさが見え隠れしている気がする。
たとえば家族内での関係性や男女間の関係性、これまでの家族像すべてがいわばアメリカ文化によって相対化されアイデンティティを失ったように混乱してしまうのだ。ここでは理想とする家づくりもそれぞれの考えが交錯する。

夫婦が買った、小田急で新宿から四十分の、奥まったT町の傾斜地を念頭においた設計者の設計は、ガラス張りの家で、冷暖房が完備というやつだった。「いっそうのこと、この池をプールにしたらどうかしら。土どめの壁を利用すればいいのよ。子供が運動不足になるんじゃないかな。海へ出かけていくことを思えば、その方がけっきょく、いいんじゃない。私は山はきらいよ」(p95)

アメリカナイズした夢を語りながら抱擁の後、俊介が時子を抱いたときのことだ。

「ちょっと、ここのところ、そっとさわってみてよ」「ここ、ここだね」「いたい!」時子は顔をしかめた。彼女は両方の乳房を彼の前に出した。それを愛撫しながら、「だって、こんなに豊かではっているじゃないか。とてもいいお乳だよ」と俊介は昂奮していった。(p97)

時子に癌がみつかって物語は新たな局面をむかえるが手術は無事に終わり家族も新しい家に移り住むことになる。そこには家政婦みちよの代わりに正子が来ていて息子の良一と関係をもつ。みちよの他にジョージにも家に来てもらうことになるが時子の癌が悪化し再入院となる。やがて、手術の甲斐もなく時子は息を引きとる。
俊介の混乱は家族内だけでなく院内や出入りする他の人々とも絶えず混乱していて悲喜劇をくりかえす。俊介は家族像という形式にこだわるのか再婚の相手を求めて家というイメージを求めているともいえるだろう。
巻末の解説で大橋健三郎は重要な指摘をしている。

夫婦として合理と非合理のやりきれない境目に落ちこんでゆく気配は、滑稽であると同時に深刻であり、近代の合理主義のもたらした相対感覚の極限が日本の家庭を根本から揺さぶっているのを、読者自身に感じさせないではないであろう。(p278)

そういう意味においても崩壊する家族の姿を描いた本著はきわめて深刻でシリアスな問題を提起している傑出した小説といえるだろう。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年9月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大学講師で翻訳者の三輪俊介は45歳。二つ年上の妻と、高校生の息子、中学生の娘と四人で暮らしている。家庭には家政婦みちよの紹介から三輪家に訪れるようになった若い米兵のジョージも入り浸っている。常日頃から妻の時子からやりこめられて肩身の狭い俊介だが、ある日みちよから時子がジョージと不倫した事実を告げられる。

前半は不倫騒動を中心に倦怠期の夫婦の関係性が描かれ、その多くを三輪夫妻の会話が占める。中盤以降はある出来事をきっかけに家族に大きな転機が訪れ、二人の子どもたちや新たな登場人物たちにもスポットが当たる。

本人はいたって真っ当に生きているつもりの俊介だが、妻を中心とした周囲の人間からは冷ややかにみられがちだ。そのことを感じとった俊介が体面を保とうと奔走するほどに滑稽さと情けなさが増す。読者側としても俊介に感情移入するというよりも第三者として眺める立場に置かれ、不利な状況に抗おうとあがく俊介には同情と軽蔑の入り混じった複雑な感情を抱く。

家族間の冷めた関係性の描写が巧みで、だからこそ居心地の悪さも格別である。結婚経験がなくても前半に描かれる夫婦のとげとげしい様子は痛々しい。はたから見れば愚かで滑稽に映る俊介だが、実は俊介をそのように見ている自分だって気づかないだけで、周囲からは俊介よりずっと愚鈍に映っているのではないかと、そんな考えも頭をよぎった。

悲喜劇という言葉がまさにしっくりくる作品である。そのなかでも読書前はもっとコミカルな要素の多い作品かと予想していたが、家族関係独特の重たさもあってか思ったよりかなりリアリスティックだった。各登場人物がそれぞれに現実味をもつが、とりわけ異彩を放つのは家政婦みちよの存在である。結局彼女に踊らされていたのではないかと、どこにでもいそうな一方で底知れなさを湛える魔女のような不気味な存在感が印象に残る。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年12月30日に日本でレビュー済み
日本のアメリカ化が本格に進み始めた戦後10~20年の時期の、日本社会が崩壊・変形していく姿を、一家庭の壊れていく姿を通して、象徴的に描いているのが本書ではないでしょうか。その暴力的ともいえる変化の要請は、家庭に入りこんでくる米兵ジョージ(情事?)の存在、最新式の欧米風住宅を建てる、などのプロットを通して表現されていきます。主人公のなすすべもなく押し流されていく様子と、したたかに適応して生きていく子供たちの姿が、時代の変化をなにより雄弁に語っているように思いました。
1960年代半ばの、社会の急激な変化への憂いと諦めがこの小説の底に流れているように思います。その意味できわめて同時代的な小説なのでしょう。今読むと若干鮮度は低いです。21世紀には多分書かれない文章なのではないでしょうか? なぜなら現代には現代の問題が存在するからです。それでもあえて今日的な意義を見出すとするなら、本書はわれわれが抱える近代化のもたらした問題の発露を予見していたということになるでしょうか。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年9月7日に日本でレビュー済み
この作品の発表当時,
主人公三輪俊介に対する批評家たちの評価は散々なものだったそうである。
どうも魅力がなく情けなくさえない人物だ,
小島信夫氏は何でこんな人物を描いたのか、等と。

しかし今考えると,その批評家たちは自分たちの父権が凋落し,
俊介のように家長の座をアメリカ(=米兵ジョージ)に寝取られていることさえ,
気が付いていなかったのだ。
それ故にそれと知らぬ裡に自己嫌悪を吐露していたともいえる。

そして対比的に言うと,
この後の世代は,
もはや「父」がアメリカであることさえも気にしない(気が付いていても)。
それはまさに田中康夫の「何となくクリスタル」において
米軍のジープが街を走り去るのに主人公が何の気も留めないように。
この現状に怒りを(屈折的な形ではあれ)抱いていたのは
「限りなく透明に近いブルー」の村上龍ぐらいまでか。

この物語は俊介がそれでも何とか「家」を再構築しようとする悲喜劇である。

しかし俊介もさることながら妻の時子の気味悪さはどうだろう。
米兵ジョージとの「情事」(と名前が読める)の発覚の後,
二人は離婚しないばかりか,
時子はこのような会話を俊介に投げかけ,身を摺り寄せる。

『「もっと? もういいでしょう? ねえ、あんたの方がずっといいのよ。
 ねえ、もうきくのを止して、ねえ、やっぱり日本人同志の方がいいのよ」といった。
 そこで俊介は時子の身体のあちこちにふれた。
 「いろいろなことをしたのよ、あなたもそうしてよ」
  俊介の予想どおり不首尾に終ったとき、時子がかすかな悲鳴をあげた。
 上半身をおこすと俊介は時子のそばからとびのき、
 自分の部屋にかけこんで倒れるように横になった。』

この時子とはいったい誰なのか。
俊介と同じように戦後の我々(の何か)ではないのか。
それゆえ俊介と時子の「気味悪さ」は我々自身に帰ってくるのである。
冒頭の批評家たちと同じように。

時子は癌になり,
抗がん剤の影響でホルモンバランスが崩れ,
ヒゲが生え始める。
「俊介」は「父」の役割ばかりか「男」の役割をも奪われようとしているのだろうか。

日本の「戦後精神」をこのような早い時期に鋭敏に写像した名作であると思います。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
朝日新聞への野坂昭義さんの推薦記事から、心惹かれて手にして見ました。しっかりしたこれぞ小説と思える物でありました。感動しました。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小島信夫は自己を冷徹に見つめ、人間の本質を描ききる作家である。ギクシャクした独特の文体だが、ついつい彼の導く世界に引き込まれた。大きいだけのバブリーな家が象徴するように、この揺れ動く家族は、戦後アメリカの傘下で高度成長をしていく日本人のアイデンティティのモデルピースでもある。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年6月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
友人の勧めで読んだが、つまらなかった。ストーリーもつまらないし、表現も雑な感じがした。発表された当時としてはセンセーショナルだったかもしれないが。
期待しただけにがっかりした。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年3月8日に日本でレビュー済み
俊介と時子は不倫しながらも結婚生活を維持してきたのだが、時子が病を得て亡くなる。十代の息子と娘を残されて、俊介は家族を何とか立て直そうとする。しかし俊介の心理状態は、看病疲れのためか、いささか常軌を逸したものになっていた。時子の主治医はこれに気づき、治療が必要なのは俊介さんの方ですよ、と言うのだが、俊介はその指摘の重大性に気づかない。やや躁状態の俊介は残された家族をまとめるためには「だれか他人がいなければ」という、ほとんど訂正不可能な確信を持ち、家庭の中に自分の弟子、息子の友人などを泊まらせる。子供たちはこの濃厚な人間関係にからめとられて、休息を得ることができない。

またこれは今に始まったことではないのだが、俊介は変な時に笑う。なにしろ時子が痛み止めのモルヒネでうわごと言うのがおかしいと言って笑うのだった。家族はもはや、俊介の感情をその表情からうかがうことはできない。この異常な関係から逃れるために、ついに息子が家出する。

世間のしがらみとか、愛情のもつれとかが原因で家族を崩壊させる男の小説は、ないわけではない。しかし俊介のように、自己の心持がその原因であるような小説は少ない。正気と狂気のぎりぎりの境界で、物語を成立させる手法である。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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