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紫苑物語 (講談社文芸文庫 いA 2) 文庫 – 1989/5/5
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優美かつ艶やかな文体と、爽やかで強靱きわまる精神。昭和30年代初頭の日本現代文学に鮮烈な光芒を放つ真の意味での現代文学の巨匠・石川淳の中期代表作――華麗な“精神の運動”と想像力の飛翔。芸術選奨受賞作「紫苑物語」及び「八幡縁起」「修羅」を収録。
- 本の長さ294ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1989/5/5
- 寸法10.8 x 1 x 14.8 cm
- ISBN-10406196044X
- ISBN-13978-4061960442
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1989/5/5)
- 発売日 : 1989/5/5
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 294ページ
- ISBN-10 : 406196044X
- ISBN-13 : 978-4061960442
- 寸法 : 10.8 x 1 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 183,808位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年5月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
石川淳の作品を初めて読みました。透明感があってとてもきれいな文章でした。流し読みでしたのでもう一度読みたいと思います。二作目の「鷹」も面白かったです。タバコ産業の裏側を見たような不思議な世界に連れていかれました。
2013年1月3日に日本でレビュー済み
石川淳の紫苑物語。
必要があって再読した。
たしかに、わたしも、高校生のころは魅惑された。
しかし、中年になり、じぶんでもひとつ小説を書いてみたら、通俗小説とスレスレ、という危うさを感じた。
小説を、正しく観賞・評価するためには、読むだけでは不十分である。
じぶんでも書くことで、他人の作の欠点を「発見」できるのだ。これはけっして粗さがしというわけではない。おのづとそういう目になるのである。
「美文」に酔ってばかりではいけない。
そのような無防備な発言は、じぶんは文学にシロートといっているようなものなのである。
紫苑物語は、たかだか100枚程度の、短編である。
短編小説には、短くするだけのトリックがある。この小説を精読すれば、容易にわかることである。
要所要所に、きわめて観念的な「キメツケ」が存在していることに。
そう、小谷野敦氏が、正しく指摘したような、高校生レベルの、おさないキメツケが。これが「あやうい」のである。
小谷野氏の評価に対するコメントに、小谷野氏が悪口をいうしか能のない人間だとか、ワロテる人があったが、もう一度、じぶんの頭と感性で、読み直してみるべきだ。
結論。
石川淳は、線が細い。
おとなの読み物には、到底耐ええない。
若者のためには星5つ。おとなのためには星1つ。あいだを取って星3つ。
必要があって再読した。
たしかに、わたしも、高校生のころは魅惑された。
しかし、中年になり、じぶんでもひとつ小説を書いてみたら、通俗小説とスレスレ、という危うさを感じた。
小説を、正しく観賞・評価するためには、読むだけでは不十分である。
じぶんでも書くことで、他人の作の欠点を「発見」できるのだ。これはけっして粗さがしというわけではない。おのづとそういう目になるのである。
「美文」に酔ってばかりではいけない。
そのような無防備な発言は、じぶんは文学にシロートといっているようなものなのである。
紫苑物語は、たかだか100枚程度の、短編である。
短編小説には、短くするだけのトリックがある。この小説を精読すれば、容易にわかることである。
要所要所に、きわめて観念的な「キメツケ」が存在していることに。
そう、小谷野敦氏が、正しく指摘したような、高校生レベルの、おさないキメツケが。これが「あやうい」のである。
小谷野氏の評価に対するコメントに、小谷野氏が悪口をいうしか能のない人間だとか、ワロテる人があったが、もう一度、じぶんの頭と感性で、読み直してみるべきだ。
結論。
石川淳は、線が細い。
おとなの読み物には、到底耐ええない。
若者のためには星5つ。おとなのためには星1つ。あいだを取って星3つ。
2023年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
紫苑物語は昔読んで名文に感動した。出だしの「国の守は狩りを好んだ」から良い。昔の文庫なので字が小さく読みにくくなったので再購入した。石川淳は「諸国畸人傳」が文庫本に入っていないのが残念だ。
2021年1月25日に日本でレビュー済み
短篇集『紫苑物語』(石川淳著、講談社文芸文庫)に収められている『紫苑物語』は、狩りを好んだ国の守(かみ)・宗頼の不思議な体験が描かれています。
「十八歳のとき、宗頼はさる遠い国の守に任ぜられた。あきらかに、これは妻の家の権勢によるはからいと知れた。そして、任地が遠国とさだめられたのは、父のたくらみにちがいないことにやがて気がついた。父の発したことばというのが、どこからとなくつたわって来て、宗頼の耳にもはいった。『宗頼は歌の道にもはずれ、恋の道をも解さぬあさましい無道人じゃ。わしは(歌の)家のほまれのためにあの子を捨てた。もはや顔をも見たくない。都からも追い下そう。所詮このものは遠国にはてるべき身ときわまった』。宗頼の任官とおなじとき、父はあらたに勅撰の集の撰者を命ぜられた」。
「(宗頼の)矢はおのずから発して、その背をつらぬき、絶え入るさけびとともに、男はもはやいのち無きむくろであった。たちまち、そのむくろを刎ねかえして、下から、鹿のとび立つように、赤黒くかがやく女のはだか身がおどりあがった。燃えるばかりの燭の光の中に、宗頼はこの一年のあいだ見ることをおこたった(妻の)姫のはだか身を一目で隈なくそこに見た。これが姫か。たしかに姫ではあった。みにくい顔はあくまでもみにくく、赤黒い肌はあくまでも赤黒く、みだらの性はあくまでもみだらのままに、しかしこの館にあるかぎりのほとんどすべての男の精根を三百六十五夜手あたりにむさぼり食らい、存分に食らいふとり、増長の絶頂、みがきぬかれ、照り出されて、みごとにうつくしい全身がそこにあった。矢は男の背を突きとおしても、姫の胸には刺さらない。いけにえの血はおもうさま盛りあがった乳房をいろどった。姫は四肢ゆたかに、真向に立ちはだかって、これだけは白くにおう歯ならびを光らせて、歓喜の鐘をつくような笑をひびかせた。かつてのきたならしい白痴。そういう影は今やみじんも無かった。代代の名族の血をうけて、ぬくぬくと権門にそだった生きものの、おそれを知らぬ威令がこのはだか身いちめんにあふれ出た。宗頼は不覚にも、たじたじと、あとにさがった」。
4日後の朝、高く切り立った岩山から館に向かう「宗頼は馬を乗りつけて、わずかに(噛みつこうとする)犬を制した。そこに、朝露にふるえて立ったのは、十七にもみたぬらしい、かたちすずしく、あでやかな女であった。宗頼は目をみはった。これほどうつくしいひとを、ここに見ようとはおもいがけなかった」。
「(その美女)千草は宗頼の腕に抱かれたまま、館に入り、室に入り、その夜ついに閨に入った。そして、あくる日は風もなく空は晴れていたのに、宗頼は狩に出ようとはいわなかった。・・・そして、その二日三日がやがて七日ともなり十日ともなるにおよんで、もはや宗頼において狩という考はまったく消えうせたように見えた。宗頼は今までのならわしとちがって、夜はすぐ閨にこもり、朝はおそくおきて、昼もめったに室の外に出ようとせず、みだりにちかづくものがあると、公用のものですら、癇癖つよくこれをしかった」
「千草をこの閨にむかえて、はじめての夜から、かつて(妻の)うつろ姫においてきたならしいとのみおもわれたものは、たちまち生きるにかいあるよろこびにかわった。男女のまじわり。突然そのうつくしい道は宗頼のためにひらかれた。しかも、なめらかな千草のからだの中には、汲めども尽きぬさまざまの妙技が秘めてあって、夜ごとに手をかえ、おもむきをかえて、いのち死ぬまでに宗頼をたのしませた。・・・ただ意にみたないのは、閨には堅く燭が禁じられたことである。衣をぬぎすてた千草のすがたをあからさまに見ようとしても、その願はついにかなえられない。千草は燭をきらい、月の光がほのかにさしこむことをさえおそれた」。
やがて、思いもかけない悲劇的な結末が訪れます。
物語展開が巧みなので、自分が主人公と一体化したかのような錯覚を引き起こす作品です。
「十八歳のとき、宗頼はさる遠い国の守に任ぜられた。あきらかに、これは妻の家の権勢によるはからいと知れた。そして、任地が遠国とさだめられたのは、父のたくらみにちがいないことにやがて気がついた。父の発したことばというのが、どこからとなくつたわって来て、宗頼の耳にもはいった。『宗頼は歌の道にもはずれ、恋の道をも解さぬあさましい無道人じゃ。わしは(歌の)家のほまれのためにあの子を捨てた。もはや顔をも見たくない。都からも追い下そう。所詮このものは遠国にはてるべき身ときわまった』。宗頼の任官とおなじとき、父はあらたに勅撰の集の撰者を命ぜられた」。
「(宗頼の)矢はおのずから発して、その背をつらぬき、絶え入るさけびとともに、男はもはやいのち無きむくろであった。たちまち、そのむくろを刎ねかえして、下から、鹿のとび立つように、赤黒くかがやく女のはだか身がおどりあがった。燃えるばかりの燭の光の中に、宗頼はこの一年のあいだ見ることをおこたった(妻の)姫のはだか身を一目で隈なくそこに見た。これが姫か。たしかに姫ではあった。みにくい顔はあくまでもみにくく、赤黒い肌はあくまでも赤黒く、みだらの性はあくまでもみだらのままに、しかしこの館にあるかぎりのほとんどすべての男の精根を三百六十五夜手あたりにむさぼり食らい、存分に食らいふとり、増長の絶頂、みがきぬかれ、照り出されて、みごとにうつくしい全身がそこにあった。矢は男の背を突きとおしても、姫の胸には刺さらない。いけにえの血はおもうさま盛りあがった乳房をいろどった。姫は四肢ゆたかに、真向に立ちはだかって、これだけは白くにおう歯ならびを光らせて、歓喜の鐘をつくような笑をひびかせた。かつてのきたならしい白痴。そういう影は今やみじんも無かった。代代の名族の血をうけて、ぬくぬくと権門にそだった生きものの、おそれを知らぬ威令がこのはだか身いちめんにあふれ出た。宗頼は不覚にも、たじたじと、あとにさがった」。
4日後の朝、高く切り立った岩山から館に向かう「宗頼は馬を乗りつけて、わずかに(噛みつこうとする)犬を制した。そこに、朝露にふるえて立ったのは、十七にもみたぬらしい、かたちすずしく、あでやかな女であった。宗頼は目をみはった。これほどうつくしいひとを、ここに見ようとはおもいがけなかった」。
「(その美女)千草は宗頼の腕に抱かれたまま、館に入り、室に入り、その夜ついに閨に入った。そして、あくる日は風もなく空は晴れていたのに、宗頼は狩に出ようとはいわなかった。・・・そして、その二日三日がやがて七日ともなり十日ともなるにおよんで、もはや宗頼において狩という考はまったく消えうせたように見えた。宗頼は今までのならわしとちがって、夜はすぐ閨にこもり、朝はおそくおきて、昼もめったに室の外に出ようとせず、みだりにちかづくものがあると、公用のものですら、癇癖つよくこれをしかった」
「千草をこの閨にむかえて、はじめての夜から、かつて(妻の)うつろ姫においてきたならしいとのみおもわれたものは、たちまち生きるにかいあるよろこびにかわった。男女のまじわり。突然そのうつくしい道は宗頼のためにひらかれた。しかも、なめらかな千草のからだの中には、汲めども尽きぬさまざまの妙技が秘めてあって、夜ごとに手をかえ、おもむきをかえて、いのち死ぬまでに宗頼をたのしませた。・・・ただ意にみたないのは、閨には堅く燭が禁じられたことである。衣をぬぎすてた千草のすがたをあからさまに見ようとしても、その願はついにかなえられない。千草は燭をきらい、月の光がほのかにさしこむことをさえおそれた」。
やがて、思いもかけない悲劇的な結末が訪れます。
物語展開が巧みなので、自分が主人公と一体化したかのような錯覚を引き起こす作品です。
2023年4月30日に日本でレビュー済み
戦前に初期の芥川賞を受賞した石川淳の小説は、戦後派の作家や文芸評論家、さらに安部公房、丸谷才一、大江健三郎ら後続の作家たちに愛読された。内外を問わず、一般読者よりも文学者に愛される小説家というものは存在する。愛読していた佐々木基一や福永武彦による石川の小説の解説を読むと、やたらと「精神の運動」という言葉が頻出する。この言葉は石川淳自らがエッセイのなかで用いたものだが、石川の小説を読んだわたしには随分空疎なものに聞こえて仕方がない。かつて20代だった1980年代後半、『普賢』『白描』『至福千年』『狂風記』『天門』を立て続けに読み、そのいずれもがわたしには大いに物足りなかった。饒舌な文体に寄りかかって内容は風俗小説に過ぎなかったり、劇画まがいの物語を展開して通俗小説に堕してしまっていたりと、充実した言葉の実質を備えた小説が見当たらないことに驚き呆れて、それっきり石川淳からは遠ざかってしまった。ところが、最近ふと久しぶりに石川淳を読んでみようと思い立ち、90年代半ばに古本屋で購入したまま未読だった新潮文庫版『紫苑物語』を読んでみたのである。この本には表題作の他、「鷹」と「善財」が収録されている。「善財」は戦前に書かれた「普賢」や「佳人」と同じ青春彷徨もので凡庸だったが、他の二作はまぎれもなく傑作であった。「紫苑物語」は中世を舞台に若き国の守が歌を捨て弓に生きていくのだが、女狐が化けた美女との邂逅によって、初めてこの世に生きる歓びを覚える。何の生きがいもなければ人生は空虚でしかないが、歓びが生まれれば哀しみもまた生まれる。石川淳はこの小説で格調高く雄勁な文体を駆使し、象徴的な表現を通して人がこの世に生きる哀しみの歌を艶麗に歌い上げている。「鷹」は一転して現代を描いた作品だが、カフカの『審判』を彷彿させるシュールリアリズムの異様な世界が展開される。失業中の青年が見知らぬ男から斡旋された場所に赴くと、そこは秘密のたばこ製造工場で、彼はそこに住み込みで働くことになるのだが、何が何だか分からないおかしな出来事が頻発して、右往左往させられる。たとえば、そこでは明日語新聞なるものが発行されていて近未来の事件が報道されている。あるいは、キュロットとブーツを穿き鞭を持った少女に突然「奴隷。裏切り者。」とののしられながらひっぱたかれてしまい、青年は思わず「女王。」と口走り、笑わせてくれる。まさに我々が睡眠中に時として見る悪夢を形象化したような小説であり、この不条理な世界が一体何を意味するのかは明らかにならない。共和政を目指す革命党派の活動を暗示しているようだが、ラストで少女が鷹に変身して飛び去るようにリアリズムにはなっていない。その曖昧さにもかかわらず、小説を展開してゆく言葉には確かな実質が備わっていて、青年の実存的不安を見事に浮き彫りにしている。優れた言葉は作者の意図を超えてゆき、想定外の果実を獲得するのである。「鷹」は1953年、「紫苑物語」は1956年に発表されているが、この時代の石川淳にわたしはすっかり惚れ込んでしまったのだった。
2018年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
来年新国立劇場でオペラ化した公演を観る事前勉強のため購入。新本だった。
2014年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作家の志茂田景樹先生が講演会で「紫苑物語」の感想をお話ししておられたのに感銘を受けて購入致しました。
表題作は短編でありながら非常に味わい深く、感動しました。
使われている言葉も美しく、今後も読み返すことが度々あるかと思います。
表題作は短編でありながら非常に味わい深く、感動しました。
使われている言葉も美しく、今後も読み返すことが度々あるかと思います。
2019年2月24日に日本でレビュー済み
『紫苑物語』は日本文学史に残る傑作で、おそらくフロベール『三つの物語』の中の「聖ジュリアン伝」を踏まえて書かれている。しかしそれ以上に、石川淳をフロベール的にしているのは、彼は、書かれた内容ではなく、「文体の力だけから作品を生み出す」作家だからである。フロベールはある書簡でこう語っていた「私が美しいと感じるもの、私が作り上げたいと思っているのは、なにについて書かれたわけでもない本、外部との繋がりを持たず、地球がなににも支えられずに宙に浮いているように、内部にみなぎる文体の力のみによって支えられているような本です」。石川もまた、昭和文学最高の散文の書き手と言われた。『紫苑物語』は「歴史物語」と言われることがあるが、むしろ神話=寓話と考えた方がよい。場所は一応日本になっているが、実際は国籍不明である。「文体の力」の例として、たとえば性愛シーンをみると、私は、日本文学史の中でも傑出して美しい記述と思う。主人公の領主・宗頼に矢で射殺された狐の少女は、復讐のために、人間の美しい17歳の少女・千草となって、彼の愛人になる。だが、閨はつねに完全な暗闇で、彼女は絶対に裸を見せない。狐であることがバレてしまうから。でも、宗頼はついに我慢できなくなって、言う。「千草、このうえはそなたのはだか身を、すみずみまでも、こころゆくばかり見とどけたい。/なりませぬ。/外にはあかあかと月が照っておるのに、なぜここには光がさしこまぬ。/なりませぬ。/いや、ぜひ見たい。/なりませぬ。/ことばは闇の中にたわむれあった。からだは燃えて、すでにたわむれていた。・・・(宗頼が枕を投げて、帳を落すと)月の光はいちめんに、のこる隈なく、波あふれて、ながれこんで来た。/あ。/千草はかなしい声をあげて飛び立とうとした。」(p54)