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蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ (講談社文芸文庫) 文庫 – 1993/4/28
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購入オプションとあわせ買い
ある時は“コケティッシュ”な女、ある時は赤い三年子の金魚。犀星の理想の“女ひと”の結晶・変幻自在の金魚と老作家の会話で構築する艶やかな超現実主義的小説「蜜のあわれ」。凄絶なガン闘病記「われはうたえどもやぶれかぶれ」、自己の終焉をみつめた遺作詩「老いたるえびのうた」等、犀星の多面的文学世界全てを溶融した鮮やかな達成。生涯最高の活動期ともいうべき晩年の名作5篇を収録。
- 本の長さ318ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1993/4/28
- 寸法10.8 x 1.1 x 14.8 cm
- ISBN-104061962248
- ISBN-13978-4061962248
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1993/4/28)
- 発売日 : 1993/4/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 318ページ
- ISBN-10 : 4061962248
- ISBN-13 : 978-4061962248
- 寸法 : 10.8 x 1.1 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 204,582位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2016年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
蜜のあわれ映画化に伴い購入。映画を見に行くか原作を読むか迷っていたのですが映画の予告での効果音がちょっとイメージとは違ったので原作にしました。金魚の赤子ちゃんは3歳で金魚としては高齢の17歳。イメージとしては琉金でしょうか。
多額のおこずかいをせがんだり、わがままを言ってみたり、おぢさまにいろいろ注文をつけるのですがおぢさま全然動じない。まさに大杉漣さんのイメージですね。
死を意識し、死に向かっている中で人生を艶やかにする余裕というかあがきというか…。
対話で書かれ地の文がないところも素敵です。
多額のおこずかいをせがんだり、わがままを言ってみたり、おぢさまにいろいろ注文をつけるのですがおぢさま全然動じない。まさに大杉漣さんのイメージですね。
死を意識し、死に向かっている中で人生を艶やかにする余裕というかあがきというか…。
対話で書かれ地の文がないところも素敵です。
2016年6月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原作ということでガッツリ入手しやすくなったのを機に購入しました。
やっぱり赤子ちゃん可愛いです。最強のコケットリー。
やっぱり赤子ちゃん可愛いです。最強のコケットリー。
2016年4月10日に日本でレビュー済み
映画化されるとの報を聞き、さっそく読んでみた。
全編「会話」という斬新な構成。
内容は、単なる「いい年した大人の妄想」を読まされている感覚だ。
70歳の「おじさま」と金魚(3歳)の会話を中心に構成された小説。
金魚は女の子の姿(17歳)にもなる。もうこの時点でなんとなくこの小説の「いやらしさ」が感じとれるだろう。
おじさまは自分自身の「性欲」を持て余した、と語る。
「こいつのためには実に困り抜いた、こいつの附き纏うたところでは、月も山の景色もなかったね、人間の美しさばかりが眼にはいって来て、それと自分とがつねに無関係だったことに、いよいよ美しいものと離れることが出来なかったね、やれるだけはやって見たがだめだった、何も貰えなかった、貰ったものは美しいものと無関係であったということだけだった、それがおじさんにあたいのない小説類を書かせたのだ、小説のなかでおじさんはたくさんの愛人を持ち、沢山の人を不倖にもしてみた(55頁)」
要するに、「金魚を女の子に変身させて可愛がる」という、もうもはやなんでもありの「いい大人の妄想」を書いているということだ。
結末もなんだか尻切れトンボの様相を呈し、凝った展開もない。
「全編会話」と「金魚を女の子に変身させてしまう」という斬新性と、「明確に語らない『いやらしさ』」という谷崎潤一郎「春琴抄」的エロスがこの小説の魅力といえるのだろうか。
文章だからこそ表現できる部分も多い。
それをどう映像化するのか。とりあえず、映画に期待だ。
全編「会話」という斬新な構成。
内容は、単なる「いい年した大人の妄想」を読まされている感覚だ。
70歳の「おじさま」と金魚(3歳)の会話を中心に構成された小説。
金魚は女の子の姿(17歳)にもなる。もうこの時点でなんとなくこの小説の「いやらしさ」が感じとれるだろう。
おじさまは自分自身の「性欲」を持て余した、と語る。
「こいつのためには実に困り抜いた、こいつの附き纏うたところでは、月も山の景色もなかったね、人間の美しさばかりが眼にはいって来て、それと自分とがつねに無関係だったことに、いよいよ美しいものと離れることが出来なかったね、やれるだけはやって見たがだめだった、何も貰えなかった、貰ったものは美しいものと無関係であったということだけだった、それがおじさんにあたいのない小説類を書かせたのだ、小説のなかでおじさんはたくさんの愛人を持ち、沢山の人を不倖にもしてみた(55頁)」
要するに、「金魚を女の子に変身させて可愛がる」という、もうもはやなんでもありの「いい大人の妄想」を書いているということだ。
結末もなんだか尻切れトンボの様相を呈し、凝った展開もない。
「全編会話」と「金魚を女の子に変身させてしまう」という斬新性と、「明確に語らない『いやらしさ』」という谷崎潤一郎「春琴抄」的エロスがこの小説の魅力といえるのだろうか。
文章だからこそ表現できる部分も多い。
それをどう映像化するのか。とりあえず、映画に期待だ。
2016年6月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
室生犀星が過去の文人とは思えない。いま読んでも恐ろしいくらいに新鮮だし、刺激に富んだ文章だ。
2015年11月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画化決定されたと言う事で原作に興味が湧き購入しました。とても面白く読ませて頂きました。
2014年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ファンタジックなのか、生々しいのか、「蜜のあわれ」は官能的でどこか退廃的な味わいが何ともいえない。日本語を愛する人は一読してもらいたい佳作。収録の「火の魚」もこの一編を裏打ちする内容で、読むとより味わいが深くなる。「われはうたえどもやぶれかぶれ」も、老いた作家の悽愴が漂っている。端的に言って、ぜひ読んでほしい。
2011年11月21日に日本でレビュー済み
陶古の女人
蜜のあわれ
後記 炎の金魚
火の魚
われはうたえども やぶれかぶれ
老いたるえびのうた
の六篇に、久保忠夫による解説と、本多浩による作家案内と、室生朝子による著書目録を加えた作品集。
「後記 炎の金魚」は「蜜のあわれ」の後記であり、「老いたるえびのうた」は一頁の詩である。
内容的には「蜜のあわれ」が最も面白い。とある小説家と金魚の物語である。
この作品は終始登場人物の会話のみによって織り成されるのだが、
そのことが言葉によってしか表現できない世界を表現し得ている。映像化し得ない部分が多いのだ。
言葉という表現方法は往々にして他の表現方法の代用品に成り下がってしまうものだが、この作品では改めて言葉の可能性を意識させられた。
普通の小説には所謂「地の文」が必ずある。そして我々は「地の文」に嘘が含まれないことを暗黙の了解としている。
第三人称の文体で書かれる地の文は全て小説世界の真実であるし、第一人称で書かれるそれも語り手に事実誤認がない限り真実である。
だが会話体しか使えないとなると、どこにも真実が書かれることはない。この頼りなさと高い自由度が本当に新鮮で未経験の味わいであった。
そもそもこの金魚のヒロインは何者なのか、結局どういう姿かたちを持っているのか、分からないのである。
視覚的な像を呼び起こす描写は多いのだが、場面による飛躍が大きく、一貫した像がない。
にも関わらず違和感がない。むしろその不確定性が美点である。
ヒロインのセリフ回しはかなりカワイイ。主人の変態目線も相俟って、中々エロティックである。
「蜜のあわれ」の他の作品は、
申し訳ないけれども、タイクツな作品ばかりであった。
「老いたるえびのうた」は一頁の詩であり、散文作品ばかりの本書に詩が一篇だけ収録された意義がまず不明であった。
選者は記念碑的な意味合いで入れたのかもしれないが、実際は目次の作品数の水増しにしかなっていないと思う。
どういう記念碑なのかは解説部分を読んで確認されたし。
「陶古の女人」は犀星翁が陶器趣味について語り、惚気る話。私にはまだ理解したくない世界である。
かつて小熊秀雄という詩人が室生犀星を風刺して、
「小説に苦しむたびに
幾度、
庭を築いては崩し
幾度、
石を買つては
売り飛ばし
老後の庭園を
掘つくりかへして
楽しんでゐるのは
御意の儘だ
それは貴方の庭だから。」
と詠んでいるのだが、まさにそういう感じの骨董話だった。
「後記 炎の金魚」「火の魚」はそれぞれ、「蜜のあわれ」のオマケのような短篇。
「蜜のあわれ」が気に入ったなら、一緒に読んでも悪くはないかな、といった感じ。
「われはうたえども やぶれかぶれ」は犀星翁が残尿に悩んだ挙句に泌尿器科に罹って入院して退院する話。
丁寧な文体で書かれてはいるが、まあ、老人の病院日記である。多少冗長で小説風だけれども。
私には、作者がしょうもない体験談で頁を稼いで作品を仕立てているように見えて、あまり気持ち良くなかった。
この入院には実は別の病気も絡んでいるが、作品内にはしかと書かれていない。解説に真相が書いてある。
総じては、「蜜のあわれ」は一読に値すると思う。
他は既に本書以外で室生犀星のファンになっている読者向けかもしれない。
蜜のあわれ
後記 炎の金魚
火の魚
われはうたえども やぶれかぶれ
老いたるえびのうた
の六篇に、久保忠夫による解説と、本多浩による作家案内と、室生朝子による著書目録を加えた作品集。
「後記 炎の金魚」は「蜜のあわれ」の後記であり、「老いたるえびのうた」は一頁の詩である。
内容的には「蜜のあわれ」が最も面白い。とある小説家と金魚の物語である。
この作品は終始登場人物の会話のみによって織り成されるのだが、
そのことが言葉によってしか表現できない世界を表現し得ている。映像化し得ない部分が多いのだ。
言葉という表現方法は往々にして他の表現方法の代用品に成り下がってしまうものだが、この作品では改めて言葉の可能性を意識させられた。
普通の小説には所謂「地の文」が必ずある。そして我々は「地の文」に嘘が含まれないことを暗黙の了解としている。
第三人称の文体で書かれる地の文は全て小説世界の真実であるし、第一人称で書かれるそれも語り手に事実誤認がない限り真実である。
だが会話体しか使えないとなると、どこにも真実が書かれることはない。この頼りなさと高い自由度が本当に新鮮で未経験の味わいであった。
そもそもこの金魚のヒロインは何者なのか、結局どういう姿かたちを持っているのか、分からないのである。
視覚的な像を呼び起こす描写は多いのだが、場面による飛躍が大きく、一貫した像がない。
にも関わらず違和感がない。むしろその不確定性が美点である。
ヒロインのセリフ回しはかなりカワイイ。主人の変態目線も相俟って、中々エロティックである。
「蜜のあわれ」の他の作品は、
申し訳ないけれども、タイクツな作品ばかりであった。
「老いたるえびのうた」は一頁の詩であり、散文作品ばかりの本書に詩が一篇だけ収録された意義がまず不明であった。
選者は記念碑的な意味合いで入れたのかもしれないが、実際は目次の作品数の水増しにしかなっていないと思う。
どういう記念碑なのかは解説部分を読んで確認されたし。
「陶古の女人」は犀星翁が陶器趣味について語り、惚気る話。私にはまだ理解したくない世界である。
かつて小熊秀雄という詩人が室生犀星を風刺して、
「小説に苦しむたびに
幾度、
庭を築いては崩し
幾度、
石を買つては
売り飛ばし
老後の庭園を
掘つくりかへして
楽しんでゐるのは
御意の儘だ
それは貴方の庭だから。」
と詠んでいるのだが、まさにそういう感じの骨董話だった。
「後記 炎の金魚」「火の魚」はそれぞれ、「蜜のあわれ」のオマケのような短篇。
「蜜のあわれ」が気に入ったなら、一緒に読んでも悪くはないかな、といった感じ。
「われはうたえども やぶれかぶれ」は犀星翁が残尿に悩んだ挙句に泌尿器科に罹って入院して退院する話。
丁寧な文体で書かれてはいるが、まあ、老人の病院日記である。多少冗長で小説風だけれども。
私には、作者がしょうもない体験談で頁を稼いで作品を仕立てているように見えて、あまり気持ち良くなかった。
この入院には実は別の病気も絡んでいるが、作品内にはしかと書かれていない。解説に真相が書いてある。
総じては、「蜜のあわれ」は一読に値すると思う。
他は既に本書以外で室生犀星のファンになっている読者向けかもしれない。