安吾は1番好きな作家です。
心のアニキ、信者です。
中でも不良少年とキリストが好きで怒りと悲しみ、やりきれなさに何度読んでも泣けます。
小説家としては構成がうまいわけでもないし、途中で迷走したりしますが作家の体温を感じる文章がやめられません。
流行作家はお笑いと一緒で時間がたてば時代遅れとなり廃れてしまう事が多いのですがこの人は一味違います。
大量に作品を残している人なので気に入られたら堕落論など有名なもの以外も読んで欲しいです。
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教祖の文学・不良少年とキリスト (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) 文庫 – 1996/7/10
“人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。……”“それでも、とにかく、生きるほかに手はない。……”“生きる以上は、悪より、良く生きなければならぬ。”孤独を“わがふるさと”として生き、混沌を混沌のまま生き、その坩堝の中から決然と掬いとった生き続けるための精髄。21世紀を生き抜くための強力な精神賦活の弾機!
- 本の長さ334ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1996/7/10
- ISBN-104061963775
- ISBN-13978-4061963771
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1996/7/10)
- 発売日 : 1996/7/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 334ページ
- ISBN-10 : 4061963775
- ISBN-13 : 978-4061963771
- Amazon 売れ筋ランキング: - 304,345位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 392位講談社文芸文庫
- - 5,426位近現代日本のエッセー・随筆
- - 13,581位評論・文学研究 (本)
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さるとびさすけ
「しかし、こういう偶然を機会に、女房はズルズルと私の家に住みつくことになったのである。
私は、しかし、不満ではなかったと言えよう。彼女の魂は比類なく寛大で、何ものに対しても、悪意が希薄であった。私ひとりに対してなら、私は苦痛を感じ、その偏った愛情を憎んだであろうが、他の多くのものにも善意と愛情にみちているので、身辺にこのような素直な魂を見出すことは、時々、私にとっては救いであった。…(中略)…私が病気になったりすると、立派に義務を果し、私を看病するために、覚醒剤をのんで、数日つききっている。私はふと女房がやつれ果てていることに気付いて、眠ることと、医者にみてもらうことをすすめても、うなずくだけで、そんな身体で、日中は金の工面にとびまわったりするのであった。そして精根つき果てた一夜、彼女は私の枕元で、ねむってしまう。すると、彼女の疲れた夢は、ウワゴトの中で、私ではない他の男の名をよんでいるのであった。
私は女房が哀れであった。そんなとき、憎い奴め、という思いが浮かぶことも当然であったが、哀れさに、私は涙を流してもいた」(生れなかった子供)
これだ、これなんだ。アンゴの無限大の優しさは。これだ、これだ。そう言いながら、僕はこのエッセイを何度読んでもあきたらない。
私は、しかし、不満ではなかったと言えよう。彼女の魂は比類なく寛大で、何ものに対しても、悪意が希薄であった。私ひとりに対してなら、私は苦痛を感じ、その偏った愛情を憎んだであろうが、他の多くのものにも善意と愛情にみちているので、身辺にこのような素直な魂を見出すことは、時々、私にとっては救いであった。…(中略)…私が病気になったりすると、立派に義務を果し、私を看病するために、覚醒剤をのんで、数日つききっている。私はふと女房がやつれ果てていることに気付いて、眠ることと、医者にみてもらうことをすすめても、うなずくだけで、そんな身体で、日中は金の工面にとびまわったりするのであった。そして精根つき果てた一夜、彼女は私の枕元で、ねむってしまう。すると、彼女の疲れた夢は、ウワゴトの中で、私ではない他の男の名をよんでいるのであった。
私は女房が哀れであった。そんなとき、憎い奴め、という思いが浮かぶことも当然であったが、哀れさに、私は涙を流してもいた」(生れなかった子供)
これだ、これなんだ。アンゴの無限大の優しさは。これだ、これだ。そう言いながら、僕はこのエッセイを何度読んでもあきたらない。