無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
アメン父 (講談社文芸文庫 たW 1) 文庫 – 2001/1/1
田中 小実昌
(著)
“父は肩肘はらないで大マジメだった”明治末にアメリカで久布白直勝牧師により受洗、昭和3年広島・呉市に十字架のない独立教会を創設、70余で没した父。呉の三津田の山に父が建てた上段・中段と呼ぶ集会所(教会)、住居での懐かしい思い出や父の日記・著作等から“アメン”に貫かれている父の生涯の軌跡を真摯に辿る。息子から父への鎮魂歌。長篇小説。
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2001/1/1
- ISBN-104061982427
- ISBN-13978-4061982420
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2001/1/1)
- 発売日 : 2001/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 216ページ
- ISBN-10 : 4061982427
- ISBN-13 : 978-4061982420
- Amazon 売れ筋ランキング: - 739,924位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
10グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
回心者が周りからどのように見えるかがわかった。
作者の田中小実昌さんが、身近な場所で生活していたことや、
「英文解釈教室」で有名な伊藤和夫先生と大学が同期(面識があったかどうかは不明)とかも分かり、
色々不思議に感じることの多い本でした。
作者の田中小実昌さんが、身近な場所で生活していたことや、
「英文解釈教室」で有名な伊藤和夫先生と大学が同期(面識があったかどうかは不明)とかも分かり、
色々不思議に感じることの多い本でした。
2019年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この『アメン父』はキリスト教文学のうちのプロテスタント文学である。田中小実昌(1925-2000)は、アメリカで久布白直勝牧師の洗礼を受けた父種助の書き残していた文書を再構成し父の信仰のあり方を再現している。田中小実昌の父は軽い生き方をしようとしていた。プロテスタントであることによって重く厳粛になることさえも避けようとしていた。
プロテスタント及びプロテスタントの生き方に興味のある人向けの作品である。日本のプロテスタントという安定的な受け皿はあるが、けっして大部数の売り上げが期待できる本ではない。
田中小実昌は、ひらがなを多用した文体で書いている。そういった書き方は漢字ではなくひらがなで書いても読者に誤読されないように語彙を選択しなければならないのだから、技術的には案外難しいかもしれない。しかし受け皿となるプロテスタントの読者の多くはそういった技術を気にかけているのではないはずである。プロテスタントとして生きた田中小実昌の父と田中小実昌自身の思索や人となり、プロテスタントとしての生き方に興味を持ちながら読んでいるはずであり、技術などというものは、それらの読者にとってはさしたる意味はないはずである。だから、プロテスタントでもキリスト教徒でもない人が、この『アメン父』の技術を観察し技術評などをして見せたところで全く意味がないのである。というのかそんな技術評などこの作品の受け皿となる読者に何事か感じさせることなどできるはずがない。
1925年生まれの田中小実昌は、もしかしたら、その世代には漢字の読めない人々が多くいるということを意識しながらひらがなを多用した文体を採用したのかもしれない。
プロテスタント及びプロテスタントの生き方に興味のある人向けの作品である。日本のプロテスタントという安定的な受け皿はあるが、けっして大部数の売り上げが期待できる本ではない。
田中小実昌は、ひらがなを多用した文体で書いている。そういった書き方は漢字ではなくひらがなで書いても読者に誤読されないように語彙を選択しなければならないのだから、技術的には案外難しいかもしれない。しかし受け皿となるプロテスタントの読者の多くはそういった技術を気にかけているのではないはずである。プロテスタントとして生きた田中小実昌の父と田中小実昌自身の思索や人となり、プロテスタントとしての生き方に興味を持ちながら読んでいるはずであり、技術などというものは、それらの読者にとってはさしたる意味はないはずである。だから、プロテスタントでもキリスト教徒でもない人が、この『アメン父』の技術を観察し技術評などをして見せたところで全く意味がないのである。というのかそんな技術評などこの作品の受け皿となる読者に何事か感じさせることなどできるはずがない。
1925年生まれの田中小実昌は、もしかしたら、その世代には漢字の読めない人々が多くいるということを意識しながらひらがなを多用した文体を採用したのかもしれない。
2019年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1990年代、まだクリスチャンではなかったころ、地元呉が舞台になっていることもあり読んだことがありました。その後クリスチャンになり、このたび久しぶりに取り寄せて読むことにしました。
世間にはいわゆる「真面目なクリスチャン」という表現があり、高潔で日曜礼拝に必ず出席し教会の奉仕活動に熱心、ことあるごとにキリストのメッセージを人に伝えるような人のことを言います。コミさんはそういう「真面目なクリスチャン」の範疇に入らないのでしょうが、「十字架が自分にぶちあたって」きたお父様の強い影響を受けた「マジメなクリスチャン」であることには違いないでしょう。コミさん自身、過酷な戦争体験がなければ「真面目なクリスチャン」の人生を送っていたかもしれませんね。今回、しみじみと読ませてもらいました。
世間にはいわゆる「真面目なクリスチャン」という表現があり、高潔で日曜礼拝に必ず出席し教会の奉仕活動に熱心、ことあるごとにキリストのメッセージを人に伝えるような人のことを言います。コミさんはそういう「真面目なクリスチャン」の範疇に入らないのでしょうが、「十字架が自分にぶちあたって」きたお父様の強い影響を受けた「マジメなクリスチャン」であることには違いないでしょう。コミさん自身、過酷な戦争体験がなければ「真面目なクリスチャン」の人生を送っていたかもしれませんね。今回、しみじみと読ませてもらいました。
2011年12月25日に日本でレビュー済み
本書を 最初に読んだのは、初版が発行された89年、
約20年前。「自動巻時計の一日」「ポロポロ」
「カント節」「モナドは窓がない」、映画のエッセイ、そして
多数の訳本 いずれも読書体験は 鮮烈でしたが、
「なやまない」「アメン父」は、当時 読み通せなかった
記憶があります。20年を経て、再読すると、すーっと事実を
そのままに目を通すような感じで読めました。
繰り返し「宗教はココロの問題ではない」と呼びかけられて
いますが、これは言われて簡単に判るような事でもない
でしょう。判らなさは相変わらずですが、その「想念」に
引きずられます。
伝道の書とも言えるのではないでしょうか。
約20年前。「自動巻時計の一日」「ポロポロ」
「カント節」「モナドは窓がない」、映画のエッセイ、そして
多数の訳本 いずれも読書体験は 鮮烈でしたが、
「なやまない」「アメン父」は、当時 読み通せなかった
記憶があります。20年を経て、再読すると、すーっと事実を
そのままに目を通すような感じで読めました。
繰り返し「宗教はココロの問題ではない」と呼びかけられて
いますが、これは言われて簡単に判るような事でもない
でしょう。判らなさは相変わらずですが、その「想念」に
引きずられます。
伝道の書とも言えるのではないでしょうか。
2002年12月28日に日本でレビュー済み
田中小実昌ほど、「書かれた言葉」と「その言葉の指し示す対象」との越え難い差に執拗に拘った作家はそういなかった。そうした態度の原点となったであろう作者の父の布教活動についての本作品でも、その態度は貫かれており・・・と書くと作者から、ほんとに貫かれてるといえるのかと言われそうだが、そんな訳でいちいちさらりとは流せない。
ただ、そうした執拗な拘りが、作者の一途な求道性を示しており、読み終わった後清々しい気がしました。
ただ、そうした執拗な拘りが、作者の一途な求道性を示しており、読み終わった後清々しい気がしました。