この小説の第九章を書いた二年後に埴谷雄高氏は亡くなっている。そして、この小説は未完のまま、三輪与志の虚体の追及は未来の人間、すなわち、我々に託されることになった。
この小説は全体的に論点が曖昧に見えるが、それも致し方ないことと言えよう。というのもこれは三輪与志の求める虚体というものが人間が宇宙に刻むべき未出現といえるものであり、それを語ることは宇宙に生きる我々にとって本質的に不可能なことだと思われるからである。
しかし、我々には宇宙と同じように「満たされざる魂」というものを持っている。その始動の原理である自同律の不快は我々に諦めという安寧を許してはくれない。それ故に我々は不可能な「虚体」の追及をしなければならないのである。
その不可能性ゆえにこの文学が未完であることは必然であるかもしれない。しかし、我々はその不可能性のゆえにこそこの文学を完成させる責任があるのかもしれない。それが埴谷雄高氏を含めた死霊に対する責任なのである。
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死霊(3) (講談社文芸文庫) 文庫 – 2003/4/10
埴谷 雄高
(著)
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黙狂の矢場徹吾が遂に口を開く。<決していってはならぬ最後の言葉>を語り始める第2の山場。そして翌日の昼、主要人物が一堂に会する津田安寿子の誕生祝いの席上、果して何が起こるのか。 7章から最後の9章までを収録。精神の<無限大>をつきつめ、文学の窮極大飛翔をはかった傑作、埴谷雄高の『死霊』は幕を閉じる。だが、埴谷が生涯かけて追究した<存在の革命>は未来へ託された――。
20世紀の傑作。わが国初の形而上小説。 遂に文庫化!
黙狂の矢場徹吾が遂に口を開く。<決していってはならぬ最後の言葉>を語り始める第2の山場。そして翌日の昼、主要人物が一堂に会する津田安寿子の誕生祝いの席上、果して何が起こるのか。 7章から最後の9章までを収録。精神の<無限大>をつきつめ、文学の窮極大飛翔をはかった傑作、埴谷雄高の『死霊』は幕を閉じる。だが、埴谷が生涯かけて追究した<存在の革命>は未来へ託された――。
20世紀の傑作。わが国初の形而上小説。 遂に文庫化!
黙狂の矢場徹吾が遂に口を開く。<決していってはならぬ最後の言葉>を語り始める第2の山場。そして翌日の昼、主要人物が一堂に会する津田安寿子の誕生祝いの席上、果して何が起こるのか。 7章から最後の9章までを収録。精神の<無限大>をつきつめ、文学の窮極大飛翔をはかった傑作、埴谷雄高の『死霊』は幕を閉じる。だが、埴谷が生涯かけて追究した<存在の革命>は未来へ託された――。
- 本の長さ432ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2003/4/10
- 寸法10.8 x 1.5 x 14.8 cm
- ISBN-104061983288
- ISBN-13978-4061983281
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2003/4/10)
- 発売日 : 2003/4/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 432ページ
- ISBN-10 : 4061983288
- ISBN-13 : 978-4061983281
- 寸法 : 10.8 x 1.5 x 14.8 cm
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2014年12月5日に日本でレビュー済み
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2017年10月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
未完ではありますが、埴谷の宇宙が展開されています。「100年の孤独」の次はこれ読みましょう。
2010年1月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中学校の卒業間近、人の来ない屋上に通じる階段の踊り場で、宇宙やこの光の反射で見える現実が全てであろうかと友人と語り続けた事がふと懐かしく思い出させられる7章です。
また最も吹き出すシーンが多いです。
昨年、雪深い霧積温泉で何故か養殖されていたテラピア(中東のガリラヤ湖の原産)が、本作中で焼き魚にされて喰われたことを訴えるのには因果さえ、感じてしまいました。
しかし途中で終わってしまっては困ります。
だいたい最後の晩餐にひとり欠けている。
多分私は作者の真意などお構いなしに楽しんでしまったのでしょう。
あらためて、一気に読める環境が好かったです。
また最も吹き出すシーンが多いです。
昨年、雪深い霧積温泉で何故か養殖されていたテラピア(中東のガリラヤ湖の原産)が、本作中で焼き魚にされて喰われたことを訴えるのには因果さえ、感じてしまいました。
しかし途中で終わってしまっては困ります。
だいたい最後の晩餐にひとり欠けている。
多分私は作者の真意などお構いなしに楽しんでしまったのでしょう。
あらためて、一気に読める環境が好かったです。
2014年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ぷふい、この「死霊」は埴谷雄高の代表作。著者はドストエフスキーから多大な影響を受けてこの作品を書いている。いわゆる著者のいう思索実験小説である。一般には哲学小説、形而上学小説とも称されている。書かれた内容は難解といわれ、はっは、読了者より挫折者のほうが多いのではないだろうか。
ふむ、しかし第七章のいかれっぷりは凄いものがあります。ほほう、著者曰く「意識=存在」というのだから著者にとっては実在する宇宙なのだろう。あっは、この巻は前巻よりも読みやすい文章ではなかろうか。この小説は全三巻で各巻には三章分が収録されている。
第七章は、李奉洋の印刷工場にて。津田夫人と娘の津田安寿子、岸博士、三輪与志、黒川健吉、首猛夫、痴呆少女「神様」。津田夫人と岸博士ら三輪与志の口論、黙狂の矢場徹吾のこと、宇宙者、岸博士と首猛夫の口論。首猛夫による三輪家の暗い秘密の暴露……、
首猛夫による三輪家の暗い秘密の暴露とは……、
行方不明の矢場徹吾の消息は如何に……、
矢場徹吾が語る最後の言葉とは……、
第八章は、首猛夫と別れた六人(津田夫人と娘の津田安寿子、岸博士、三輪与志、黒川健吉、痴呆少女「神様」)は矢場徹吾を探す為に津田夫人を残して印刷工場の暗黒の地下室へ……、李奉洋との対話、黒川健吉によって津田安寿子に三輪与志の虚体論と「無限大の道」が語られる。そして、津田安寿子と尾木恒子の対話、人類の死滅、虚体、虚在、夢幻劇ふうな風景……、
第九章は、津田安寿子の誕生祝い、ここでも語られるのは虚体論、宇宙者、岸博士と首猛夫の口論……、果て知れぬ巨大なのっぺらぼうの顔を果て知れぬ巨大な掌が撫でるとどうなるのか?
ふむ、私の読後感は、「最後の審判」はカラマーゾフの劣化版という感じで、いまひとつパンチが無い。単に食物連鎖上での食されるプランクトンや魚らの食すものたちへの「生物殺し」という嘆きや怨みの呪詛で終わっている。「死霊」の登場人物はどれも似たようなタイプの人物ばかりでそれぞれの個性が書き分けられていないように思う。津田安寿子には色気も感じることはできなかった。ほほう、P282に「虚体」とカントのいう「物自体」なのだろうか、その違いが語られるのだが、ちょっ!、私には「物自体」を突き飛ばして「虚体」がその場に居座っただけのようにしか思えないのだが……、肉体的老化は思想的老化にも影響するものなのか、もう少し早く、「死霊」を書き上げていれば内容ももう少し違ったものになったのだろうか?……、ぷふい
おお、亡者たちよ。
存在の約束のすべてからまったく離れてしまった亡霊たちよ。
おまえたちはもはや裏切られることも、
裁かれることもまたもはやない。
ふむ、しかし第七章のいかれっぷりは凄いものがあります。ほほう、著者曰く「意識=存在」というのだから著者にとっては実在する宇宙なのだろう。あっは、この巻は前巻よりも読みやすい文章ではなかろうか。この小説は全三巻で各巻には三章分が収録されている。
第七章は、李奉洋の印刷工場にて。津田夫人と娘の津田安寿子、岸博士、三輪与志、黒川健吉、首猛夫、痴呆少女「神様」。津田夫人と岸博士ら三輪与志の口論、黙狂の矢場徹吾のこと、宇宙者、岸博士と首猛夫の口論。首猛夫による三輪家の暗い秘密の暴露……、
首猛夫による三輪家の暗い秘密の暴露とは……、
行方不明の矢場徹吾の消息は如何に……、
矢場徹吾が語る最後の言葉とは……、
第八章は、首猛夫と別れた六人(津田夫人と娘の津田安寿子、岸博士、三輪与志、黒川健吉、痴呆少女「神様」)は矢場徹吾を探す為に津田夫人を残して印刷工場の暗黒の地下室へ……、李奉洋との対話、黒川健吉によって津田安寿子に三輪与志の虚体論と「無限大の道」が語られる。そして、津田安寿子と尾木恒子の対話、人類の死滅、虚体、虚在、夢幻劇ふうな風景……、
第九章は、津田安寿子の誕生祝い、ここでも語られるのは虚体論、宇宙者、岸博士と首猛夫の口論……、果て知れぬ巨大なのっぺらぼうの顔を果て知れぬ巨大な掌が撫でるとどうなるのか?
ふむ、私の読後感は、「最後の審判」はカラマーゾフの劣化版という感じで、いまひとつパンチが無い。単に食物連鎖上での食されるプランクトンや魚らの食すものたちへの「生物殺し」という嘆きや怨みの呪詛で終わっている。「死霊」の登場人物はどれも似たようなタイプの人物ばかりでそれぞれの個性が書き分けられていないように思う。津田安寿子には色気も感じることはできなかった。ほほう、P282に「虚体」とカントのいう「物自体」なのだろうか、その違いが語られるのだが、ちょっ!、私には「物自体」を突き飛ばして「虚体」がその場に居座っただけのようにしか思えないのだが……、肉体的老化は思想的老化にも影響するものなのか、もう少し早く、「死霊」を書き上げていれば内容ももう少し違ったものになったのだろうか?……、ぷふい
おお、亡者たちよ。
存在の約束のすべてからまったく離れてしまった亡霊たちよ。
おまえたちはもはや裏切られることも、
裁かれることもまたもはやない。
2013年10月22日に日本でレビュー済み
どなたかがレビューで書いておられた通り、5章までとそれ以降の完成度が違い過ぎます。時間をかけて推敲すれば良いものができるという訳ではない、と後進に身をもって教えて下さったのでしょう。
主人公の目的は存在の革命、だったようです。存在したくなかったのに存在させられた、そのように存在するありかたを拒否する権限は一切与えられず、気に入らなければ存在者は存在しなくなること=自死するしかない、これは不当ではないのかー存在したくない、否、未存在したい…自分で書いていてクラクラしますが、このように散漫で冗長な仕方でしか表現できないのが作者の希望した事態だったのではないでしょうか。
正直に言って、この作品が存在の革命を成し遂げたとは思えませんが、何というか心が励まされる作品です。ヴィトゲンシュタインが語った「不可能に挑戦する人間への敬意」 というのはこういうことだったのではないでしょうか。
主人公の目的は存在の革命、だったようです。存在したくなかったのに存在させられた、そのように存在するありかたを拒否する権限は一切与えられず、気に入らなければ存在者は存在しなくなること=自死するしかない、これは不当ではないのかー存在したくない、否、未存在したい…自分で書いていてクラクラしますが、このように散漫で冗長な仕方でしか表現できないのが作者の希望した事態だったのではないでしょうか。
正直に言って、この作品が存在の革命を成し遂げたとは思えませんが、何というか心が励まされる作品です。ヴィトゲンシュタインが語った「不可能に挑戦する人間への敬意」 というのはこういうことだったのではないでしょうか。
2010年9月15日に日本でレビュー済み
第七章「最後の審判」は、最初はそんなに難しくなさそうだけど論が進むにつれて相当難解になっていく。「夢の王の王冠」の話のあたりからだ。存在と宇宙のあり方についての話が、結構抽象的だったりたとえようもなかったりして分かりにくい。第三巻まで来て、なかなか読み進められないところにぶつかる。
だが、物語の舞台がそもそも抽象的だったことが、ここでは存分に役割を果たしているとも言える。
ある人は、この物語の終盤は光に満ちていると書いていた。確かに、光あふれて人間らしい描写が終盤には特徴的である。作者はこの作品を書き続けることができて幸せだったのではないだろうか。あるいは、一般的な、気まぐれで本書を手に取った読者にしてもそうなのかもしれない。
だが、物語の舞台がそもそも抽象的だったことが、ここでは存分に役割を果たしているとも言える。
ある人は、この物語の終盤は光に満ちていると書いていた。確かに、光あふれて人間らしい描写が終盤には特徴的である。作者はこの作品を書き続けることができて幸せだったのではないだろうか。あるいは、一般的な、気まぐれで本書を手に取った読者にしてもそうなのかもしれない。
2003年6月8日に日本でレビュー済み
埴谷は好きだけれども、どうしてもドストエフスキーの模倣が多い気がしてたまらない。(勿論埴谷独自の部分もあるけれども)三輪家が象徴としてある。=カラマーゾフ家。両家の父は放蕩者で隠し子がいるところおまけに4兄弟!!≪最後の審判≫と大審問官の酷似。ブントでの殺人・・・といたるところにありますが、これらは埴谷が意図的にドストエフスキーとの対決の為に用いたということにもなるんでしょうけれども、僕の読みが浅いせいかそう感じられない部分もある。なんだかんだ言ったけれども埴谷最高!!
2004年1月11日に日本でレビュー済み
Ⅰ・Ⅱを読んだ読者に本書の解説は無用だろう。最後の審判は釈迦とキリストを断罪した、新しい「生命倫理」の話。論理は極めて明快。釈迦のチーナカ豆とキリストの喰った魚と生まれずに死した胎児との対話は今世紀に語り継がれるべき問題であろう。さて、半世紀に渡って書き継がれた死霊は「完結」したのだろうか。Ⅰのはしがきでは「釈迦と大雄の対話」がクライマックスとして描かれる、とある。作者は遅筆であったから残念ながら、不本意の未完と言えるだろう。(死後、「群像」に発表された断章は本巻には収録されていない)しかし、はっきりいえることがひとつ。完結したと思える(思いたい)のは三輪与志と津田安寿子の「愛の物語」であろう。寡黙な与志を安寿子はひたすら理解しようとつとめる、そして第9章で(ネタばらしはしない)その結末は迎えるが、私としてはそれで納得の行く終わり方だと思った。埴谷の与えた課題は私達に引き継がれた。