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日日の麺麭・風貌 (講談社文芸文庫) 文庫 – 2005/11/11

5.0 5つ星のうち5.0 7個の評価

太宰治に愛された作家の清らかな祈りの文学清純な眼差で市井に生きる人々を愛情深く描き、孤独と慰めに満ちた作品世界を創り出した小山清。師・太宰治にその才能を愛された著者の小説・随筆11篇を精選。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2005/11/11)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/11/11
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 240ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061984233
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061984233
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 7個の評価

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小山 清
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上位レビュー、対象国: 日本

2017年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
淡々とした文章。抑揚の無い日常。それなのに、いつもいつも何故か思い出される。理由の無い真実。そして、誰にも書けない、この作家だけの作品❗
2006年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小山清の作品は実に少なくて、すべては短編で、全部あわせても50にも足りません。決して読みやすい作品ではないです。短い作品が多くて、一気に読むのが惜しくて、何度も立ち戻って、繰り返し読みたい作品です。

「朴歯の下駄」に描かれる娼婦は小山の母親なのだと解説の川西政明氏がいっていて、とても興味深いです。実際にそのような娼婦がいたのかもしれませんが、小説に書かれた時点で、それは事実を超えたゆるぎない人間として存在しはじめます。遺作の「老人と鳩」や「老人と孤独な娘」にも女が登場しますが、小山が描く女性は、決して美しい女たちではありません。どこか“負”を感じさせる女性たちです。このようなドストエフスキーの『罪と罰』に描かれたソーニャにも似た“聖なるもの”の出現は、「聖家族」で直接に描かれています。イエス・キリストの家族風景が実に牧歌的な風景の日常に溶けこんでいるのですが、ここにひとりの青年が登場します。このとき青年は赤子であるイエスを胸に抱いてひとつの“光”を見るのです。この青年は小山清その人でしょう。

僕は小山清の作品を読むたびに泣いてしまうのですが、まるで喉の渇きを癒す清冽な水のように、彼の文章は読む者の喉を滑り落ちてくる。小山という人は日常に救済の光景を呼び込んだ作家だと思うのです。どうか「落穂拾い」の最初の文章だけでも、是非読んでみて欲しいです。彼の小説はこの悲哀に満ちた人生に絶望している者たちの耳に必ず届いてくると思います。“富士には月見草がよく似合ふ”と太宰は書きましたが、小山清はそんな巨大な富士に挑む可憐な月見草そのものだったのじゃないでしょうか。太宰が「罪」に拘りを持った作家だったとすると、小山はその向こうにある「祈り」を紡ぎだそうとしたように思えてなりません。
27人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年7月24日に日本でレビュー済み
 『落穂拾い』をはじめとする清冽な作品群。その作品数がすくないだけに、一篇々々を深くいつくしむように読み返したことが、どれほど稀有な読書体験であったことか―おそらく、小山清の作品を愛する読者一人ひとりが、それぞれにかけがえのない経験を、自身のこころの奥深く、まるで自分の言葉そのもののように、刻みつけていられることであろう。わたしにとり、読んだ言葉が、そのまま自己の一部になってしまうような、その‘珠玉’という言葉が本当にふさわしい作品の作者は、小山清を措いて、ほかにはいない。

 市井に生きる人々に向けられる、作者の澄んだまなざしは、たとえようもなく寛容で共感的であるとともに、人それぞれのひたむきなありようの本質を、正確に射抜いている。それでいて、素朴な語りのなかに、対象をどこまでも暢達に語りたいという動機を、どこかで自制し自戒して、言葉すくなにとどめておく、といった風の作者の遠慮がちな文体が、また、ことにも魅力的である。

 あわただしい現代の、情報優位の活字世界に於いて、小山作品は、全体として、話題性にとぼしく、また物語の起伏がすくなく、静かな描写が坦々とつづいてゆくだけの、‘売れない’散文作品にうつるかもしれない。けれど、このような世界を忘れがちな現代であればこそ、むしろ小山清の短編世界は、その価値と光輝を増しているのではないか、と思われてならない。

P.S. 本当のことをいうと、旧字旧仮名の新潮文庫版『落穂拾い・聖アンデルセン』の味わい深さが格別なのだが、現在絶版で容易に入手できないようなので、やむなく本書をお奨めした。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年9月9日に日本でレビュー済み
太宰治のお弟子さんにあたる方の短編集(過去の短編集からの再編集したもの)です。

自分の生活を通して得られた「日々の中に埋もれてしまいそうなささやかな喜び」という使い古された言葉を使って説明される事が恥ずかしく思える様な、素朴でそれでいて距離感を保った、読後感を意識して醸し出すための物語でなく、私が話さずにはいられないからこそ出てくる素朴でありながらもただの素直ではない、心に染み渡る文章と物語です、読者(あなた)個人に訴えかけてくる文章です。ページをめくる指にチカラがこもったり、読み始めたら止まらない!と言う様な読ませるチカラはありませんが、ずっとこの文章の世界に留まっていたいと思わせる文章です。堀江敏幸さんが薦めるのが良く分かる作家さんです。

個人的には文章の書き手の生活、歴史は(それは音楽、絵などの芸術分野なら全て)等は本当はどうでも良いと考えています。そのことは優れた芸術家なら、作品に全て表れていると考えるからです。まただからこそ自身の作品について語る人物を私個人は好みません、が、この「小山 清」さんの生涯が巻末に添えられていて、納得もし、もっと知りたくもなりました。

思わず図書館にて「小山 清全集」を借りて読んでますが、短編集「日々の麺麭」が素晴らしい!中でも「クラ爺や」など名作が!小山さんのこの感覚なんとも言えず、言葉にも私にはなかなか出来なくて歯がゆいのですが、読んで頂くしかないとしても!この方の宗教的感覚が私にも理解できると思いますし、たいへんオコガマシイのですが私の目指す方向に近く感じます。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年9月3日に日本でレビュー済み
小山自身が記しているように,わたしもあえて「程度の低い批評家根性」は慎もう.しかし,それでも心に沁みる短編集であることは伝えたい.読んでつまらないと感じる方もおられるかもしれないが,それでも読後に自らの血肉になることは確かである.いったい,先般食した肉や野菜が,いまの自分の肉体のどの部分を構成していると説明しえる人間がはたしているだろうか.つまらなくても,たしかにそれは「栄養」になっているに違いあるまい.
 個人として,発見だったのは,小山を通して見える太宰を愛おしく,偉大に感じたことである.青春のころ,太宰が好きだったけれど,最近太宰は読めない,と感じている諸氏も改めて本書を通じて,太宰を感じるのではあるまいか.この太宰を感じる心の作用は,郷愁とは似ても似つかぬものであることを付言させていただく.ぜひ,この心の作用を味わっていただきたい.
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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