20年前に偶然書店で出会ってから、何十回と読み返している特別な一冊。
保坂さんの魅力を人に説明するのは難しいけれど、是非一読して欲しい作品です。
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プレーンソング 単行本 – 1990/10/1
保坂 和志
(著)
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1990/10/1
- ISBN-104062050358
- ISBN-13978-4062050357
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1990/10/1)
- 発売日 : 1990/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 221ページ
- ISBN-10 : 4062050358
- ISBN-13 : 978-4062050357
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,561,826位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 358,622位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞。その他の著書に『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2004年6月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この小説は、一見すると単なる身辺雑記のように見えますが、読んでいるうちに、何か違う、という感じが沸いてきます。それが最もはっきりするのは、ちょっとわざとらしく挿入されているチェルノブイリ原発事故のくだりで、ここで登場人物は、環境問題について一席ぶつわけでもなく、国政政治についてウンチクをたれるでもなく、逆にノンポリ居直り宣言をするでもなく、くだらない感想だけで流してしまいます。つまり、この作者は、単に思いつきを書いているのではなく、何を書き、何を書かないか、ということを、強い思想を持って選別しているらしいのです。
この小説に書かれないものは、そういった社会的大事件や個人的大事件だけではありません。たとえば、いわゆる心理描写のようなものも省かれているようで、この小説には、似非精神分析には格好の素材と言える、ちょっと癖のある人物がたくさん出てきますが、その心理が深く掘り下げられたりすることもありません。
しかし、この小説を、いわゆるアンチロマンみたいなものだと考えるのも間違っていると思います。なぜなら、アンチXXというのは、何かを書かないことによって、逆に書かれなかったものにスポットを当てようという意図を持っていますが、この小説の力点は、あくまで書かれたものの方にあるからです。そのような作業を通して、著者が書きたかったものは何か、それは、陳腐な言い方ですが、「日常の中の官能」のようなものかもしれません。
おそらく、「あのころ楽しかったな~」というノスタルジーだけで小説を書いてみても、決してこの感じは出ないでしょう。作者は、そういう微妙なものを、強力なフィルタリングによって抽出することに成功しました。それは、「終わりなき日常を生きろ」とか悲壮に叫ぶよりも、よっぽど人々に勇気を与えるものだと思うし、もともと、小説の社会的機能というのは、そういうものだったかも知れないのです。
この小説に書かれないものは、そういった社会的大事件や個人的大事件だけではありません。たとえば、いわゆる心理描写のようなものも省かれているようで、この小説には、似非精神分析には格好の素材と言える、ちょっと癖のある人物がたくさん出てきますが、その心理が深く掘り下げられたりすることもありません。
しかし、この小説を、いわゆるアンチロマンみたいなものだと考えるのも間違っていると思います。なぜなら、アンチXXというのは、何かを書かないことによって、逆に書かれなかったものにスポットを当てようという意図を持っていますが、この小説の力点は、あくまで書かれたものの方にあるからです。そのような作業を通して、著者が書きたかったものは何か、それは、陳腐な言い方ですが、「日常の中の官能」のようなものかもしれません。
おそらく、「あのころ楽しかったな~」というノスタルジーだけで小説を書いてみても、決してこの感じは出ないでしょう。作者は、そういう微妙なものを、強力なフィルタリングによって抽出することに成功しました。それは、「終わりなき日常を生きろ」とか悲壮に叫ぶよりも、よっぽど人々に勇気を与えるものだと思うし、もともと、小説の社会的機能というのは、そういうものだったかも知れないのです。
2013年12月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ネコが好きだというとこから主人公のイメージが湧いてきます。作者はそういう見方や表現の仕方をあまり好まないようですが、置かれているいろいろなものから、その場所を特定できるように、登場する人物とその関わり方で主人公を知ることができました。登場する人物は一風変わっていますが、自分の身近にいる存在です。なのに、どうしても読み続けたくなるのは自然体だからでしょうか。作者の意図が露骨に見え隠れする小説はほんとうにすぐにあきてしまいますが、その理由が分かった気がします。
2007年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
解説にも書いてあるけど、これは「究極のリアリズム小説」です。
僕にとっては、初体験の非常に新しいジャンル・文体の小説でした。
「何てことない日常を何てことない日常としてリアルに描きつつ、焦点を絞らぬ独特の「注意深さ」を発揮して、言語に頼っていては決して届かない日常の微妙な「細部」の発見に成功する。」
(解説より)
この解説の言葉にあるように、一見この小説は「何も起きない」のだ。
一見と言うか、実際に「何も起きない」。
ただただ日常を書き連ねている。
それが新しいし、「フィクション」である「小説」にとって革命的な試みなのかもしれない。
って事で評価の難しい小説。
決して「おもしろい」とは思わない。
でも「すごい」かもなぁ。
僕にとっては、初体験の非常に新しいジャンル・文体の小説でした。
「何てことない日常を何てことない日常としてリアルに描きつつ、焦点を絞らぬ独特の「注意深さ」を発揮して、言語に頼っていては決して届かない日常の微妙な「細部」の発見に成功する。」
(解説より)
この解説の言葉にあるように、一見この小説は「何も起きない」のだ。
一見と言うか、実際に「何も起きない」。
ただただ日常を書き連ねている。
それが新しいし、「フィクション」である「小説」にとって革命的な試みなのかもしれない。
って事で評価の難しい小説。
決して「おもしろい」とは思わない。
でも「すごい」かもなぁ。
2012年6月30日に日本でレビュー済み
他の人が書くように名作であり、あまりに、現実的で、1990年代に作られたビデオ映画を見たような気分になる。もちろん、それは錯覚で、多分、この話を映像作品にしたらすごくつまらないだろう。
特に自分の中で思ったのは、「これって現実を描いているなあ」ということだった。俺の読んできたいろんな小説は、読んでいても「小説」という感じがすごくするのだ。頭の中で現実という軸に合わさっていかないで、「小説」って感じがしてたまらないのである。ほとんどの小説をそう感じてしまう。いや、もっというと、「小説」というか「文章の世界」みたいに自分はこの小説に会うまでにそう考えてしまい、たまに情景描写とかだけ、頭の中で「こんなのかなあ」という風景をぼんやり働かせているという感じだった。
しかし、保坂和志の小説は、「小説」というものを乗り越えて「現実」に繋がってしまっているように感じた。これは素晴らしい。海に行ってだらりとしているところなんか、本当にそう感じてしまう…。最後、読み終わって、この小説、ほとんど何もないんだけど
「ああ、可愛い女の子、猫、親しい友人、と出会え、海にいけてよかったなあ」
という気分になる。そういったことを実際に体験したように感じるのだ。
作中人物では、特に、無駄なことばかりしてしょっちゅう騒いでいるアキラがいい味を出している。こういう友人いたなあとしみじみ思う。
最近見た映画だと「歩いても歩いても」なんかはこの小説の影響を受けているかもしれない。
特に自分の中で思ったのは、「これって現実を描いているなあ」ということだった。俺の読んできたいろんな小説は、読んでいても「小説」という感じがすごくするのだ。頭の中で現実という軸に合わさっていかないで、「小説」って感じがしてたまらないのである。ほとんどの小説をそう感じてしまう。いや、もっというと、「小説」というか「文章の世界」みたいに自分はこの小説に会うまでにそう考えてしまい、たまに情景描写とかだけ、頭の中で「こんなのかなあ」という風景をぼんやり働かせているという感じだった。
しかし、保坂和志の小説は、「小説」というものを乗り越えて「現実」に繋がってしまっているように感じた。これは素晴らしい。海に行ってだらりとしているところなんか、本当にそう感じてしまう…。最後、読み終わって、この小説、ほとんど何もないんだけど
「ああ、可愛い女の子、猫、親しい友人、と出会え、海にいけてよかったなあ」
という気分になる。そういったことを実際に体験したように感じるのだ。
作中人物では、特に、無駄なことばかりしてしょっちゅう騒いでいるアキラがいい味を出している。こういう友人いたなあとしみじみ思う。
最近見た映画だと「歩いても歩いても」なんかはこの小説の影響を受けているかもしれない。
2006年9月23日に日本でレビュー済み
「猫と競馬と、四人の若者のゆっくりと過ぎる奇妙な共同生活。冬の終わりから初夏、そして真夏の、海へ行く日まで。」
こんな事が書いてあると、まるで村上春樹みたい。でも、なぜにこんなに読後感が違うのかといえば、プレーンソングが「コミュニティ」を描いていることにある。
主人公を取り巻くアキラ、よう子などの人物の持つフラフラとした「猫のような」感覚が作品全体を全て覆っていて、そこには入ったり出たりする「主人公を取り巻く環境の変化」だけが描かれている。
僕らの現実において、他人の主義や主張なんてものはとんでもなく薄っぺらいモノで、「へぇー、そんなもんかなぁ」って程度。じゃあ何を感じているのかといえば「環境の変化」、「主人公をとりまくコミュニティの移り変わり」だけ。
一番印象的なのは、映画についてのくだりで、
「だけど、しゃべってる人の動作なんて、だいたい見なくてもわかってるし―聞いてる人の方は、しゃべってる人のことなんかちゃんと見てない事が多くて」
ってセリフ。
なんとなく友達に囲まれて、なんとなく日々を過ごしてるんだなぁって思っちゃう。
こんな事が書いてあると、まるで村上春樹みたい。でも、なぜにこんなに読後感が違うのかといえば、プレーンソングが「コミュニティ」を描いていることにある。
主人公を取り巻くアキラ、よう子などの人物の持つフラフラとした「猫のような」感覚が作品全体を全て覆っていて、そこには入ったり出たりする「主人公を取り巻く環境の変化」だけが描かれている。
僕らの現実において、他人の主義や主張なんてものはとんでもなく薄っぺらいモノで、「へぇー、そんなもんかなぁ」って程度。じゃあ何を感じているのかといえば「環境の変化」、「主人公をとりまくコミュニティの移り変わり」だけ。
一番印象的なのは、映画についてのくだりで、
「だけど、しゃべってる人の動作なんて、だいたい見なくてもわかってるし―聞いてる人の方は、しゃべってる人のことなんかちゃんと見てない事が多くて」
ってセリフ。
なんとなく友達に囲まれて、なんとなく日々を過ごしてるんだなぁって思っちゃう。
2008年1月8日に日本でレビュー済み
この作家の小説入門を読み、デビュー作に挑戦してみました。
だめです。町田康、舞城王太郎を連想する文章。もちろん、保坂さんの方が早いんですけど。
とにかく、ああいった文体は私にはだめなんです。
ごめんなさい。
だめです。町田康、舞城王太郎を連想する文章。もちろん、保坂さんの方が早いんですけど。
とにかく、ああいった文体は私にはだめなんです。
ごめんなさい。
2007年10月18日に日本でレビュー済み
小説を書く人の中では、わりと知られている本です。
筋なし。
ドラマなし。
起承転結もなし。
ただ日常の生活が描写されて、なにごともなく終る。
なんでドラマがないの?
という問いへの回答として、作者は、映画を撮ることを志望としながら、日常の風景ばかりを撮っている登場人物に、こう言わせている。
--
何か事件があって、そこから考えるのって、変でしょう? だって殺人なんて普通、起こらないし。そんなこと言うくらいだったら、交通事故にでもあう方が自然だし。
日本のバカな映画監督なんか、人間はそういう事件と背中合わせに生きている、みたいなこと言うでしょ。でも、そういう人たちの映画みてても、どこが背中合わせなんだろうって。それに、もともと普通の人じゃないしね。出てくるのが。
そんなんじゃなくて、本当に自分がいるところをそのまま撮ってね。
そうして、全然ね、映画とか小説とかでわかりやすくっていうか、だからドラマチックにしちゃってるような話と、全然違う話の中で生きてるっていうか、生きてるっていうのも大げさだから、『いる』っていうのがわかってくれればいいって」
--
これと同じ筋のことは、保坂氏はあちこちで語っているので、作者の小説に対する問題意識や、スタイルがそのまま表れた作品であるといえる。
ここに出てくる人たちの存在感、息づくような気配を感じられるのは、他の作品にはない面白さ。ただし独特なPOP感に「そり」が合わなければ、ただそれだけの小説ということになるだろう。
個人的には、空気感は見事だと思うが、特に好きな空間だというわけでもなかったので、星4つ。
筋なし。
ドラマなし。
起承転結もなし。
ただ日常の生活が描写されて、なにごともなく終る。
なんでドラマがないの?
という問いへの回答として、作者は、映画を撮ることを志望としながら、日常の風景ばかりを撮っている登場人物に、こう言わせている。
--
何か事件があって、そこから考えるのって、変でしょう? だって殺人なんて普通、起こらないし。そんなこと言うくらいだったら、交通事故にでもあう方が自然だし。
日本のバカな映画監督なんか、人間はそういう事件と背中合わせに生きている、みたいなこと言うでしょ。でも、そういう人たちの映画みてても、どこが背中合わせなんだろうって。それに、もともと普通の人じゃないしね。出てくるのが。
そんなんじゃなくて、本当に自分がいるところをそのまま撮ってね。
そうして、全然ね、映画とか小説とかでわかりやすくっていうか、だからドラマチックにしちゃってるような話と、全然違う話の中で生きてるっていうか、生きてるっていうのも大げさだから、『いる』っていうのがわかってくれればいいって」
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これと同じ筋のことは、保坂氏はあちこちで語っているので、作者の小説に対する問題意識や、スタイルがそのまま表れた作品であるといえる。
ここに出てくる人たちの存在感、息づくような気配を感じられるのは、他の作品にはない面白さ。ただし独特なPOP感に「そり」が合わなければ、ただそれだけの小説ということになるだろう。
個人的には、空気感は見事だと思うが、特に好きな空間だというわけでもなかったので、星4つ。