2000年以降に芥川賞を取った小説を今さながら買い求め読んでいるが
その中でも心に残った作品のいくつかの一つだ
アパートの追い出しをかけに訪れた部屋で居残る住人と追い出す側の主人公・・・
ほんの半日の物語だ・・・
空っぽになったときに本当に見えるのが「心の花・・・・」
もちろん自分自身が空っぽの奥深い境地など垣間見えないだろうけど
そこまでにいく心象風景・・・
自分の一言が恋人を死なせた考える主人公・・・・
素晴らしい作品だと思います
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花腐し 単行本 – 2000/7/1
松浦 寿輝
(著)
「花腐し」芥川賞受賞作。
多国籍な街、新宿・大久保の片隅、夜雨に穿たれた男の内部の穴に顕現する茸と花のイメージ。少女の肉体の襞をめくり上げ見える世界の裏側。腐敗してゆく現代の生と性の感覚を鋭く描く「知」と「抒情」の競演。
「ひたひたと」芥川賞受賞第1作の特別書き下ろし新作小説。
海に面した町、そこはかつて遊廓だった。少年時代の記憶、娼婦ナミ、行くあてのない人々の心と過去が、主人公「わたし」の中に流れ込んでくる。
多国籍な街、新宿・大久保の片隅、夜雨に穿たれた男の内部の穴に顕現する茸と花のイメージ。少女の肉体の襞をめくり上げ見える世界の裏側。腐敗してゆく現代の生と性の感覚を鋭く描く「知」と「抒情」の競演。
「ひたひたと」芥川賞受賞第1作の特別書き下ろし新作小説。
海に面した町、そこはかつて遊廓だった。少年時代の記憶、娼婦ナミ、行くあてのない人々の心と過去が、主人公「わたし」の中に流れ込んでくる。
- 本の長さ150ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2000/7/1
- ISBN-104062103796
- ISBN-13978-4062103794
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
多国籍な街、新宿・大久保の片隅、夜雨に穿たれた男の内部の穴に顕現する茸と花のイメージ。少女の肉体の襞をめくり上げ見える世界の裏側-。腐敗してゆく現代の生と性の感覚を鋭く描いた芥川賞受賞の表題作の他、1篇を収録。
著者について
1954年東京生まれ。詩人、小説家。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、東京大学総合文化研究科教授。1996年『折口信夫論』で、三島由紀夫賞受賞。1999年『幽かすか』が芥川賞候補。2000年『知の庭園──19世紀パリの空間装置』で芸術選奨文部大臣賞受賞。著書は、短篇小説集『もののたはむれ』、詩集『鳥の計画』『松浦寿輝詩集』、映画評論『映画1+1』『ゴダール』、評論『口唇論』『エッフェル塔試論』など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2000/7/1)
- 発売日 : 2000/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 150ページ
- ISBN-10 : 4062103796
- ISBN-13 : 978-4062103794
- Amazon 売れ筋ランキング: - 511,959位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12,024位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2012年1月14日に日本でレビュー済み
昔のつげ義春風の幻想世界。それを小説に丹念に変換したという印象をもった。始まりから終わりまで一定したリズムで語られる、潰れかけのアパートや、死にかけの金魚、大量の茸、怪しげな男と女、そして自らの過去に絡めとられる孤独な中年男性…。確かに独特の雰囲気はあるが、やはり既視感を拭い切れない。新人作家に贈られる芥川賞なのだから、もう少し新しさが欲しかったが、それでもこの怪しげな世界観は秀逸だと感じた。万人受けはしないが、力量のある作家なのだろう。
2005年8月11日に日本でレビュー済み
「ひたひたと」「花腐し」の二編が収められている。二編に共通して出てくる象徴的な言葉「彳(たたず)む」。松浦寿輝の小説は、人生の途中で“彳(たたず)む”小説である。「ひたひたと」で主人公はこんなふうに語る。「時間っていうのね、流れないんです。~残留している。人間の記憶なんていうものはね、その場に現にあるもののことなの。思い出じゃないんだ。イメージでもない」。つまり、過去も現在も「全部いちどきに今ここにいる」。日常の忙しさにかまけているとそれに気が付かない。でも、人生のある瞬間、過去への回路がいきなり開けることがあるものだ。ずっと親友だと思っていたあの男のことを実は出遭った時から憎んでいたこと、そしてあの男も自分のことを憎んでいたのだろうという確信。今はもうここには存在しない女が、想えば何時のときも自分を赦してくれていた、それなのに自分はいつもその女を傷つけていた、という悔恨。
「ひたひたと」の“とまれみよ”、あるいは「花腐し」の“フリダシニモドル”。そんな人生を“彳(たたず)む”べき時のサインに人は果たして気付けるかどうか?松浦寿輝の小説、それ自体も、そんなサインのひとつのような気がする。
「ひたひたと」の“とまれみよ”、あるいは「花腐し」の“フリダシニモドル”。そんな人生を“彳(たたず)む”べき時のサインに人は果たして気付けるかどうか?松浦寿輝の小説、それ自体も、そんなサインのひとつのような気がする。
2016年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昨年末に『巴』を読んでからこの作者にはまってしまい,これが5冊目.これも良かったので,さらに『そこでゆっくりと・・・』を注文してしまった.中毒症状ですな(笑).
2005年7月14日に日本でレビュー済み
読んでいて息苦しくなるような作品です。2編の作品が収められていますが、いずれも主人公は同じ場所をグルグルと回るばかりで、出口はどこにも見あたりません。
主人公の内奥もまた逡巡するばかりで、出口はありません。それ以前に出口を探してすらいないのです。この状況から「抜け出す」ことと「出て行く」ことは違うのでしょうか。救いを求めるのでなく、ただ僥倖を漠然と期待しているだけ。そこにあるのは途方もない閉塞感ばかりです。
主人公の内奥もまた逡巡するばかりで、出口はありません。それ以前に出口を探してすらいないのです。この状況から「抜け出す」ことと「出て行く」ことは違うのでしょうか。救いを求めるのでなく、ただ僥倖を漠然と期待しているだけ。そこにあるのは途方もない閉塞感ばかりです。
2011年7月12日に日本でレビュー済み
三浦雅士が松浦寿輝にとっては、「小説は時間芸術でなく空間芸術でなければならない」と云っている。
時間芸術の小説を体が受け付けなくなって久しいが、成程これは抵抗なく読める。
それは、過去・現在・未来という通俗的時間の流れでなくて、謂わば過去、現在、未来は「今」に蝟集している空間である。
人類は、人工の時間より遥かな時間をそのように過ごしてきたはずだ。分節しない世界で。
時間芸術の小説を体が受け付けなくなって久しいが、成程これは抵抗なく読める。
それは、過去・現在・未来という通俗的時間の流れでなくて、謂わば過去、現在、未来は「今」に蝟集している空間である。
人類は、人工の時間より遥かな時間をそのように過ごしてきたはずだ。分節しない世界で。
2010年12月27日に日本でレビュー済み
この作者の世界はけだるく沈みがちであり、くぐもった心象にエロスがたちこめている。
どうにもならない人生、悔やみが積もってゆく時間。そういうのを書くのが得意な詩人であり小説家なのだ。当人は東大教授のエリートだが、内面では破れ寂れた言葉世界を抱いているのだろうか。
吉田健一や吉岡実の影響も指摘される。イメージと情緒豊かでかつ退廃的でずるずる続いてゆくところが似ているかもしれない。
世界の中の確固とした行動が拮抗するというような、小説の力とはまた違う。やはり小説を書いていても詩人なのか、したたるようなけだるさ、あやしげなゆるやかさが感じられる。
どうにもならない人生、悔やみが積もってゆく時間。そういうのを書くのが得意な詩人であり小説家なのだ。当人は東大教授のエリートだが、内面では破れ寂れた言葉世界を抱いているのだろうか。
吉田健一や吉岡実の影響も指摘される。イメージと情緒豊かでかつ退廃的でずるずる続いてゆくところが似ているかもしれない。
世界の中の確固とした行動が拮抗するというような、小説の力とはまた違う。やはり小説を書いていても詩人なのか、したたるようなけだるさ、あやしげなゆるやかさが感じられる。
2000年12月30日に日本でレビュー済み
芥川賞受賞の表題作は、若い頃に亡くした同棲していた女性の面影を長く引きずっている中年男が主人公だ。
経営するデザイン事務所が倒産寸前となり、莫大な借金を抱えて人生にも行き詰まろうとしている男は、大久保のマンションに居座る男の立ち退きのを迫るように借金主から頼まれる。
居座っている男は、幻覚を生むキノコを部屋で栽培している風変わりな男だが、立ち退きを迫るはずの主人公とこの部屋の主は妙に息投合してしまう。人生の下り坂にかかった二人の男、その男の栽培するキノコの幻覚に取り付かれた若い女性といった登場人物に作家は、自らの人生観を語らせる。
作者は詩人であり、本編は小説とはいうものの話の筋立てより、登場人物達の心象の描写がメインだ。共感を呼ぶ部分も多いものの!、いささか冗長でパターン化された心象風景という印象を受けてしまうのは何故だろうか。やはり、この手の日本的な文学としての小説は、難しいということだろうか。
表題は万葉集にある「卯の花、腐(くた)し」からとられたものだ。長雨の中で卯の花は腐っていくことを歌ったものだが、やはり生きながらにして腐っていくという感覚に対する陶酔はやはり詩人ならではのものだろう。
腐るという感覚の中に、この主人公の過去の風景が混濁していく。それは、同棲相手の女性とのささいな思い出であったり、幼い日の心象風景であったりと、正に詩人的な感覚で語られる。
経営するデザイン事務所が倒産寸前となり、莫大な借金を抱えて人生にも行き詰まろうとしている男は、大久保のマンションに居座る男の立ち退きのを迫るように借金主から頼まれる。
居座っている男は、幻覚を生むキノコを部屋で栽培している風変わりな男だが、立ち退きを迫るはずの主人公とこの部屋の主は妙に息投合してしまう。人生の下り坂にかかった二人の男、その男の栽培するキノコの幻覚に取り付かれた若い女性といった登場人物に作家は、自らの人生観を語らせる。
作者は詩人であり、本編は小説とはいうものの話の筋立てより、登場人物達の心象の描写がメインだ。共感を呼ぶ部分も多いものの!、いささか冗長でパターン化された心象風景という印象を受けてしまうのは何故だろうか。やはり、この手の日本的な文学としての小説は、難しいということだろうか。
表題は万葉集にある「卯の花、腐(くた)し」からとられたものだ。長雨の中で卯の花は腐っていくことを歌ったものだが、やはり生きながらにして腐っていくという感覚に対する陶酔はやはり詩人ならではのものだろう。
腐るという感覚の中に、この主人公の過去の風景が混濁していく。それは、同棲相手の女性とのささいな思い出であったり、幼い日の心象風景であったりと、正に詩人的な感覚で語られる。