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カイン: 自分の弱さに悩むきみへ 単行本 – 2002/1/1
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“戦う哲学者”が語る自分を自分らしく救う方法
「なぜなのだ?」と問いつづけて生きる運命(さだめ)のカインたちよ、世間に怯えず、社会に迎合することなく、強く生きる道がここにある!
ぼくが“弱い人”に言いたいこと、それはきみが強くなりたいのだったら、強くなる修行をしなければならない、ということだ。強くなるためには、きみは厖大な数の他人を捨てねばならず、彼らを無視しなければならず、彼らの期待にそむかねばならず、彼らから嫌われなければならず、彼らに迷惑をかけなければならず、あえて言えば彼らを(精神的に)殺さねばならない。だが、これには多大な犠牲が伴う。そのことを承知のうえで、はたしてきみはその道を歩き続けることができるだろうか?……はじめにより
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2002/1/1
- ISBN-104062111136
- ISBN-13978-4062111133
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商品の説明
商品説明
本書は、悩める青年T君へ向けた著者の手紙という体裁をとる。自殺はするな、人の期待に背け、怒る技術を体得せよ…と各章で、生きていくための厳しい「戦略」を提示する。「優しさ」を無言のうちに強制する「世間」から奪われた「野生」を取り戻す「武装蜂起」のための、反骨のゲリラ戦術教本である。
「ひとに『迷惑をかける』訓練をせよ」の章がおもしろい。繊細すぎる者は多く周りから「いい子」を期待されてきた者だと語り、わざと時間に遅れ、金を返さず、「酒のせい」にしてみなの悪口を言え、と主張する。著者はこうした「小さな迷惑運動」が「いい子」の鎧を壊し、「悪」を実感・体感することが「生きる力」を養うと説く。「迷惑をかけよ」という主張には疑問が残るが、「自覚的に」悪であれ、という論理自体はきわめて倫理的・道徳的である。
著者は「世間」への「なぜ?」という問いと孤独とを背負って生き抜くほかない者を、旧約聖書のカインになぞらえる。そして、どうしたら安全な共同体に戻ることができるか、ではなく、カインとして真摯に生き抜くにはどうしたらいいか、を問いつつ生きよと言う。
「30年前の自身に向けて」本書を書いたと述べる著者は、今やジコチューで攻撃的、全身鋼(はがね)のように傷つかない人間に変貌した。「ぼくは過剰な不幸に…過剰に防衛してしまった結果、過剰に強くなってしまったのである」。悲壮感漂う本書にも、巧まざるユーモアは健在だ。(濱 籟太)
内容(「MARC」データベースより)
著者について
1946年、福岡県に生まれる。東京大学教養学部ならびに法学部卒業。77年、同大学院人文科学研究科修士課程修了。83年、ウィーン大学基礎総合哲学科修了。哲学博士。電気通信大学人間コミュニケーション学科教授。専攻は時間論、自我論、コミュニケーション論。哲学が好きな一般の人たちを対象に哲学の道場「無用塾」を主宰している。
著書に、『ウィーン愛憎』(中公新書、角川文庫)、『〈対話〉のない社会』(PHP新書)、『孤独について』(文春新書)、『生きにくい……私は哲学病。』(角川書店)、『私の嫌いな10の言葉』(新潮社)、『働くことがイヤな人のための本』(日本経済新聞社)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)、『騒音文化論』(講談社+α文庫)などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/1/1)
- 発売日 : 2002/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 221ページ
- ISBN-10 : 4062111136
- ISBN-13 : 978-4062111133
- Amazon 売れ筋ランキング: - 860,122位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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初めは、
自分を生きづらくさせた世の中全てへの著者の恨み節がつらつらと書かれている作品かと思いましたが、
途中から、
この本は、生きることに辛さを感じる人、
そして、周りの人が普通に生きられている中なか、自分だけが普通に生きられないことに対して悩む全ての人への、
温かい心のこもったエールだと感じました。
わたし自身生きづらさを感じることが多く、自己啓発本やパーソナリティ障害、精神疾患等の本も多数読んできましたが、
今まで読んだどの本よりも、
泥臭く、心の深いところに重く残る内容でした。
弱かった著者が強さを手に入れたことは、結果的には良かったのかもしれません。ただ、強さを手にするまでの彼の人生は一体なんだったんだろうなと考えてしまいました。
著者のような弱さが自分の中にあることは認めますが、彼のように振り切った選択は自分には出来そうにないです。たとえ弱かろうが、情けなかろうが私は私のままでいたいです。自分が自分ではなくなってしまった後の人生って、一体何なのでしょうか。そんなことを思ってしまう作品でした。
生きるためには犠牲が伴うのだ
ノーリスクで心地よい人生は過ごせないかもしれない
ただ、人に迷惑をかける、自己中心的に生きる、そういうトレーニングを積めば今よりもっと楽に生きることができるかもしれない
この本はそう思わせてくれるきっかけを与えてくれるのもしれない
中島氏の本書を読むまでは、そんな過去の感情を肯定できずにいた。生きづらさ、憎しみ、恨み、悲しみはそう感じる自身の弱さが悪いのであって親は世間は友人は悪くないのだという、社会からの無形の否定と闘ってきた。
そして歳を経て経験を積んで理不尽に揉まれる中で身につけた"他人に期待しない"という処世術はいつしか生きる楽しさや喜びを感じられなくなり、毎日を虚しく感じはじめていた。
そんなところで本書を読んだ。読んでいる最中、前述の自分をひとつずつ、ひとつずつ肯定してくれる感覚で夢中で読みおえた。これは、思春期の子供の自分に読ませていたら変な方向に走っていたかもしれないなぁ、今読んでよかったなぁ、と思ったりもした。
思いもよらず書かれていたのは、私の処世術が中島氏が本書で説いたものと同じということ、またそういった自分は人を愛すること愛されることができない、という結論だった。
他人を愛することができない、他人に興味を持つことができない原因は自己愛が強すぎるからではないかと推測していたが、まあその一面もおそらくあるのだが、私の生きる術たる故の結果だったのだと判明した。
これは私にとって無闇に自己否定をする必要がなくなったことと、自分の輪郭がすこしはっきりしたというプラスをもたらしてくれた。
中島氏、どうもありがとう。いや、中島氏はお礼を言われるのがとんでもなく嫌いなんだっけ。
ただハッキリ言うと中島さんはさして不幸ではない。カイン+親にぶん殴られ身体もボコボコって子もいるんだから。まぁ彼より不幸な人の例えを言い出していたらキリが無いけれど
著者は非常に繊細な方で哲学一筋で来ただけあり、私は中島義道が比較的恵まれた人間であって良かったと思った。
何故ならもう2つ3つ重石が乗ってたら自殺してそうだ(本書いてくれない)から。
カインを殺さねば生きられなかったくらい弱いんだから。
私はここ数年自殺について考え続けているけどカインは殺さない。
自殺してもかまわない、
私はあなた(又はあなた方)の様になれないし、ならない。
しかし中島さんと同レベルの苦悩を抱いている方にはかなりの名著じゃないかと思う。
私からすると単なる賢い繊細なオジサンの愉快な自白だけど
どうぞ存外に長生きなさってくれたらと思います。
こんなことを言うと大袈裟すぎるが、確かに実感としては、読むというよりは、会話している感覚なのだ。勿論それは、この本が、ある不幸な青年を想定した上での、彼に向けた中島先生(先生と呼べずには居られない。)からの、一年を通じた書簡という形式を採用している事が大きいだろう。しかし、その青年は私であり、彼の苦悩は私の苦悩であり、そして何よりも、彼の救いこそ私の救いだった。
彼T君は恐らく日本中に、どんな時代にも居るのだろうと思う。優しさを使い分ける人には胸が痛む本だと、あるレビュアーさんは言われている。その通りである。T君のような人は、絶えず一定の形式でしか人に接することが出来ないのだ。いや、出来るかもしれないが、家に帰って独りになれば、自分の薄汚い心を見つけて、猛烈に反省するのだ。自分に嘘をつくことがどうしても出来ない人種なのだ。人にどれだけ誉められても、また貶されても、結局自分の本性を理解されることがない現実を悲観してしまう、本質的に不幸な存在なのだ。だからこそ、T君に少しでも共感する読者は、中島先生の一語一語が心に響くと思う。
あとがきの最後の一節を読んだとき、私は涙を止めることができなかった。ひとしきり泣いた後、これが優しさか、と思った。最も優しさから遠ざかることで、最も人に優しくできる。これこそ、私がこの本で見つけた、逆説的真理であり、其を頼りにこれからも生きていこうと思った。悩める全ての人に推薦できる素晴らしい本である。
追記(2021年5月5日)
過去の自分の書いたレビューを読み返す時くらい、気恥ずかしく、照れ臭いものはないんだが、敢えて、今日、それをしてみた。「最も優しさから遠ざかることで、最も人に優しくできる。これこそ、私がこの本で見つけた、逆説的真理であり、其を頼りにこれからも生きていこうと思った。」これは当時の私にとって一大事だった。「発見」だった。優しさとは何かについて、その実践的な意味について、その時私は確信したのだ。優しさから遠ざかることが、最も人の心を打つ。今読み返せば、その優しさは、宗教的な文脈で語られる類のものだと分かる。「逆説的」というのは、つまり非常識というくらいの意味だ。それは、バランス感の欠如でもあり、おおよそ厭世的で、エリート主義で、青年の孤独である。
この書が、「30年前の私に向けて」捧げられたものだということを、今一度確認すべきだ。時季の手紙という形式を採用しているのが特徴的だ。どこかしら幻想的である。季節だけがある。実存的な状況と過ぎゆく季節だけがある。T君と、その母と父と、自殺した彼女と、公認会計士という職業と、文通相手の「先生」だけがある。描写のリアリティは、先生の語る暗い過去とT君の現在の苦悩だけに纏められている。その二人を繋ぎ止めるのが、真理への渇望という一点だ。「逆説的」というのは、本来、そこでのみ意味を持つのであって、知ることができないと知りつつ、自殺してはならないという不条理のことだ。その真剣な思いを、青年に特権的な美しさとして賞賛したいと、今振り返っている。「それだけが、自分のほとんど唯一の誇りなんだよ。」と打ち明ける。
果たして今とは何なのだろうか。過去とは何だろうか。この本を読んで、感動した自分とは果たして本物なんだろうか。まだ、私はあの頃の自分を受け容れられるほどに、大人になっているわけではない。何も変わっていないとすら思う。やはり、まだ時間の集積が必要なんだろうか。あの頃の苦しみが、いつか宝物のように感じられる時がいつか来る、それを少し楽しみにしている、それくらいの余裕は出てきたのが最近である。
「みんながボクに優等生であれと願ったおかげで、ボクは自分を殺した。」
ということで、賢くなかった人、周りにちやほやされなかった人にはおすすめできません。
『親を殺したい』
この本を読んだだけではとても、「殺したい」と子に言われる程の過ちを犯した親ではないように感じます。
著者の親が殺される程の罪を持っているとしたら、世界中の親がどれだけ死ぬんでしょう。
水準以上の親です。しかし著者は「更にもっと完璧な親であってほしかった!」と嘆きます。超あまったれです。
親の期待に応えるために抑圧してきた、と言うけれど、好きなものがあれば十分素晴らしいです。
最近増えている、期待に応える為もはや好きなものがわからなくなった人達と同等とは言えないです。
『すべては正しくない』
この人の言う正しさとは「真理」ではなく「善」のことですね。
誇りを持った瞬間から全ての善行は善ではないのでしょうか。納得いかないです。
最初に「善」という言葉を考えた人間は誇りも傲慢もあったと思います。
それどころか誇りがなかったら生まれなかった言葉ではないですか?
善と誇りは一心同体です。
人間嫌い ひねくれ者 自分も自分をそう捉えているので、手に取ってみました。
著者の本を読んだのはこれが初めてなので、誤解をしているところもあると思いますが、
他の本も読んでみたいとは思いませんでした。
確かに、どんな形だろうと特別扱いされた子供は偏った人間に成りえると思うし、
それを嘆いても良いとは思いますが、
だからといって、僕は不幸な人間の代表だ、というような発言は過剰ではないでしょうか。
どんな風に育てられれば気が済んだのでしょう。
育児本でも出してもらいたい。