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情緒と創造 単行本 – 2002/2/28
岡 潔
(著)
甦る名著。
大数学者・岡潔の言葉!
多くの人は、人には心があることを忘れてしまっているように見えますし、教育もこんなことを続けているとどうなるのだろうというような教え方を変えようとはしません。
それでわたしは、わたしの心持ちを少数の人にでもよいから一度沁々(しみじみ)聞いていただきたいと思うようになりました。
……『風蘭』まえがきより
大自然は人の子を生むだけではありません。
これを育てます。
これがほんとうの教育です。
人はその手助けをします。
これを人は教育といってますが、ほんとうは教育の手助けなのです。
――「教育はどうすればいいのだろう」より
生前は40年間、世間と没交渉で数学の研究に打ち込んで来ましたが、晩年は世の中の乱れ、殊に教育の事が心配になって警告を発し続けました。
「心を置き去りにしてこんなことをしていると、今にひどい目にあいますよ」と講演会の席上で社長さんたちに苦言を呈したのも、経済の高度成長たけなわの頃でした。
当時は「鳩が豆鉄砲を喰ったような顔」しかされなかった父の言葉も、昨今のような世情ではもう少し理解を得られるのではなかろうかと思います。……「はじめに」鯨岡寧より
大数学者・岡潔の言葉!
多くの人は、人には心があることを忘れてしまっているように見えますし、教育もこんなことを続けているとどうなるのだろうというような教え方を変えようとはしません。
それでわたしは、わたしの心持ちを少数の人にでもよいから一度沁々(しみじみ)聞いていただきたいと思うようになりました。
……『風蘭』まえがきより
大自然は人の子を生むだけではありません。
これを育てます。
これがほんとうの教育です。
人はその手助けをします。
これを人は教育といってますが、ほんとうは教育の手助けなのです。
――「教育はどうすればいいのだろう」より
生前は40年間、世間と没交渉で数学の研究に打ち込んで来ましたが、晩年は世の中の乱れ、殊に教育の事が心配になって警告を発し続けました。
「心を置き去りにしてこんなことをしていると、今にひどい目にあいますよ」と講演会の席上で社長さんたちに苦言を呈したのも、経済の高度成長たけなわの頃でした。
当時は「鳩が豆鉄砲を喰ったような顔」しかされなかった父の言葉も、昨今のような世情ではもう少し理解を得られるのではなかろうかと思います。……「はじめに」鯨岡寧より
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2002/2/28
- 寸法15.7 x 2.1 x 21.7 cm
- ISBN-10406211173X
- ISBN-13978-4062111737
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
教育や人の心のあり方が危機に瀕するであろうことを、30年前に予見していた岡潔。昭和39年に発刊された「風蘭」を中心に、他の著書からも一部を加え、構成を変えて集成。大数学者の言葉が甦る。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/2/28)
- 発売日 : 2002/2/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 406211173X
- ISBN-13 : 978-4062111737
- 寸法 : 15.7 x 2.1 x 21.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 380,554位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 620位数学一般関連書籍
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- - 10,268位教育学一般関連書籍
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年8月2日に日本でレビュー済み
子供の脳がどう発達して行くのか、独特の洞察と佛教感を基に書いている。岡潔の情緒とは、雑念を払い除け、心を澄みきった状態にした時の、静寂につつまれた感情であり、科学における創造性と結びついている。文部科学省のお役人や文教族議員によんでほしい本である。しかし小学生に丸暗記教育をすすめている部分は納得できない。脳の話は、事実と異なる部分が多い。娘婿か、何かの、脳外科医の受け売りで、嘘が多い。大学の神経科学の専門家でも嘘八百なので、このくらいは、許容範囲であろう。テレビや、本で、もてはやされている科学者の言説は、ほとんど嘘と思って間違いない。この本は、そのような、下らない範囲を、ずっと超えている、思想書である。
2015年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岡潔先生の数学はさっぱりわからないけど、教育にかける情熱はひしひし感じとれる。他の本もそうだが先生の文章は何度も読めるしときおり読みかえしたくなる。
2008年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の行く末を案じていることが、ありありと読み取れる。京都帝国大学卒の超エリートならでは。いま流行の脳科学からのアプローチを何十年も前に実践しておられる。「エッセンシャルな生き方をしなさい。トリビアルではなく。」これは誰もが共感するメッセージではなかろうか。
2006年11月29日に日本でレビュー済み
読みながら既視感をとても感じる本でした.
はて?どこで見たんだろうと思っていたんですが,ようやくわかりました.
同じ数学者である藤原正彦氏が描いた「国家の品格」の中で,「情緒」を説く章で引用していたのが,この岡潔氏だったんですね.
「私の数学は,情緒を数学という形に表現したもの」といっていたという岡氏.
彼の文章を読んでいて,独特の響きを持つ言葉を巧みに操る方だなぁっという印象を持ちました.たとえばこんな表現.
「自然を普通に見ますと単に自然が見えるだけです.しかし,仔細に見ますといちいちいかにもふしぎなのです.」
こんな表現から,まさしく情緒を感じることができるんです.
仏教に傾倒しすぎていること.
同じ体験,思いを繰り返し語ること.こういったところが正直やや目障りかもしれませんが,ここに描かれていることは論理的に思索を繰り返したのちに残ったまっすぐな道だったんでしょうね.きっと.だから,確信を持って何度も繰り返す.
30〜40年も前に日本の世の乱れを見抜き,教育の行く末を案じながらも情緒の大切さを説き続けていたことを思うと感銘を受けます.岡潔が憂いた教育を受けてきた私たちは,彼の目にはどのように写るのでしょうね.今一度彼の言葉を聞いてみたい,そんなことを感じる本でした.
はて?どこで見たんだろうと思っていたんですが,ようやくわかりました.
同じ数学者である藤原正彦氏が描いた「国家の品格」の中で,「情緒」を説く章で引用していたのが,この岡潔氏だったんですね.
「私の数学は,情緒を数学という形に表現したもの」といっていたという岡氏.
彼の文章を読んでいて,独特の響きを持つ言葉を巧みに操る方だなぁっという印象を持ちました.たとえばこんな表現.
「自然を普通に見ますと単に自然が見えるだけです.しかし,仔細に見ますといちいちいかにもふしぎなのです.」
こんな表現から,まさしく情緒を感じることができるんです.
仏教に傾倒しすぎていること.
同じ体験,思いを繰り返し語ること.こういったところが正直やや目障りかもしれませんが,ここに描かれていることは論理的に思索を繰り返したのちに残ったまっすぐな道だったんでしょうね.きっと.だから,確信を持って何度も繰り返す.
30〜40年も前に日本の世の乱れを見抜き,教育の行く末を案じながらも情緒の大切さを説き続けていたことを思うと感銘を受けます.岡潔が憂いた教育を受けてきた私たちは,彼の目にはどのように写るのでしょうね.今一度彼の言葉を聞いてみたい,そんなことを感じる本でした.
2020年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
母に勧められて購入しました。この本で述べられている「情緒」ということばは、仏教哲学的な背景知識がないと、非常に捉えにくい概念かと思います。あいにく私はそういった哲学的な知識や思想を持ち合わせていないので、以下はあくまで私が感じた、この本の解釈です。
すみれの花を見て、「いいなあ」と感じること、それが「情緒」。(「クオリア」と言い表してもいいのかもしれません。)そしてそれは、「先験観念」だと言われています。つまり、「もともと」、「ある」。ではどこにあるのか? それは「大自然」の中に含まれている。大自然とは、「大宇宙」のこと。いっさいを含むいっさい。全体の全体。こう考えると、著者が「人というのは、大自然の操り人形だ」と述べているのがわかるような気がします。つまり人間は、自然に含まれる「ひとつ」なのであり、自然律に沿った生き方が大切。そしてそれに反する人としてのあり方、振る舞いをしてはいけない。それを仏教哲学の言葉に置き換えて主張されていると思います。著者が生きた1900年代は、まさに激動の時代。産業革命に端を発し、われわれの社会が一気に物質的に満たされた反面、急速に荒廃する人びとの精神性。「心を置き去りにしてこんなことをしていると、今にひどい目にあいますよ」。著者のこの言葉が、それをよく表していると思います。
省みて、2020年の今はどうなのでしょうか?「豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどことなく閉塞感がある。どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり・・・」これは京セラ稲盛さんの著書からの引用ですが、今も同じように、物質的な繁栄と引き換えに、人々の精神性や情緒が蔑ろにされた結果、どことなく「心が満たされない」雰囲気が社会に漂っているように思えます。
われわれは今、物質的な時代から、精神的な時代へと、その転換期に来ているのかもしれません。その中で、もっと自然律に沿った生き方、「情緒」を大切にする心の持ち方が問われている。この本を読んで、初めはとっつきにくい感がありましたが、現代社会を生きるわれわれにその「気づき」を与えてくれる、大変良い本だと思いました。
すみれの花を見て、「いいなあ」と感じること、それが「情緒」。(「クオリア」と言い表してもいいのかもしれません。)そしてそれは、「先験観念」だと言われています。つまり、「もともと」、「ある」。ではどこにあるのか? それは「大自然」の中に含まれている。大自然とは、「大宇宙」のこと。いっさいを含むいっさい。全体の全体。こう考えると、著者が「人というのは、大自然の操り人形だ」と述べているのがわかるような気がします。つまり人間は、自然に含まれる「ひとつ」なのであり、自然律に沿った生き方が大切。そしてそれに反する人としてのあり方、振る舞いをしてはいけない。それを仏教哲学の言葉に置き換えて主張されていると思います。著者が生きた1900年代は、まさに激動の時代。産業革命に端を発し、われわれの社会が一気に物質的に満たされた反面、急速に荒廃する人びとの精神性。「心を置き去りにしてこんなことをしていると、今にひどい目にあいますよ」。著者のこの言葉が、それをよく表していると思います。
省みて、2020年の今はどうなのでしょうか?「豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどことなく閉塞感がある。どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり・・・」これは京セラ稲盛さんの著書からの引用ですが、今も同じように、物質的な繁栄と引き換えに、人々の精神性や情緒が蔑ろにされた結果、どことなく「心が満たされない」雰囲気が社会に漂っているように思えます。
われわれは今、物質的な時代から、精神的な時代へと、その転換期に来ているのかもしれません。その中で、もっと自然律に沿った生き方、「情緒」を大切にする心の持ち方が問われている。この本を読んで、初めはとっつきにくい感がありましたが、現代社会を生きるわれわれにその「気づき」を与えてくれる、大変良い本だと思いました。
2020年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
関心を持った方なので感動する内容だった。