「百姓=農民ではなかった」と強調した網野善彦。江戸時代の農民人口8割への疑問と、自分の生まれ育った家や地域に対する謎が解けた言説であったのだが、その網野善彦の格好の入門書だと思う。網野善彦に直接教わったことはないが、その弟子だということを明らかにして認める元在野の学者、東北学の始祖でもある赤坂憲雄。宗教学者の肩書きを超えて、現代思想の英知をもってサブカル的に独自のアカデミズムを切り開き、網野善彦の甥でもある中沢新一。網野善彦亡き後、彼の切り開いた日本の歴史学をどのように継承、または絶やさず発展させえるかのかの意味多きマニフェストである。
日本が稲作国家であったというそれまでの歴史の観点、いいかえれば都市と農村という二元論を、縄文時代にまで遡らずとも、「定住」と「漂泊」という二元論から均等に見据えれば、「農民」と「移動する民」という中心/周辺という対立構図さえ、私たちが教科書で学んできたようなそれまでの歴史学が作りあげたものとして見えてくる。それは、網野善彦が当時の日本史学会に身一つで申し立てをし、中沢新一・赤坂憲雄両氏がそれぞれに現在の歴史民俗学ないしはアカデミズムへ申し立てしている、その構図ともよく似ている。
「歴史は自分が語りたかったことを語り損なう」というフロイト的言説を、記録されなかった歴史の中にうごめく「えたいの知れない力」の正体を、周辺論としてでなく説いていくのが民俗学の役割。どうしても赤坂憲雄の方に傾いてしまうのですが。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
網野善彦を継ぐ。 単行本 – 2004/6/26
その鍛えられた鋼のバトンを
「歴史は自分が語りたかったことを語り損なう」という視点から日本人の野性・欲望をつかみ出す作業に邁進した歴史学者・網野善彦の力わざから何を受け継ぐか、2人の思想家が決意を語る。
中沢「彼が人生としてきた仕事をとおして、破壊したり、創造したとても大きなものを、ぼくらがどうやって自分のなかに飲み込み、自分たちがつぎの時代に向けて何をなしうるのか」
赤坂「済州島や珍島を訪ねて、いろいろなものがすでに見えてきていて、おそらく網野史学というものを、そうした方向に向けて継承していくことができるんじゃないかなと」
<本書の内容>
●歴史の欲望を読み解く網野史学
●北へ、南へ、朝鮮半島へ広がる問題意識
●「天皇」という巨大な問題
●「東の歴史家」の意味
●何を受け継いでいくのか
「歴史は自分が語りたかったことを語り損なう」という視点から日本人の野性・欲望をつかみ出す作業に邁進した歴史学者・網野善彦の力わざから何を受け継ぐか、2人の思想家が決意を語る。
中沢「彼が人生としてきた仕事をとおして、破壊したり、創造したとても大きなものを、ぼくらがどうやって自分のなかに飲み込み、自分たちがつぎの時代に向けて何をなしうるのか」
赤坂「済州島や珍島を訪ねて、いろいろなものがすでに見えてきていて、おそらく網野史学というものを、そうした方向に向けて継承していくことができるんじゃないかなと」
<本書の内容>
●歴史の欲望を読み解く網野史学
●北へ、南へ、朝鮮半島へ広がる問題意識
●「天皇」という巨大な問題
●「東の歴史家」の意味
●何を受け継いでいくのか
- 本の長さ126ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2004/6/26
- 寸法13.2 x 1.1 x 19.4 cm
- ISBN-10406212453X
- ISBN-13978-4062124539
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
孤高に戦い抜いた網野善彦。「歴史は自分が語りたかったことを語り損なう」という視点から日本人の野性・欲望をつかみ出す作業に邁進した歴史学者の力わざから何を受け継ぐか。二人の思想家が決意を語る。対談。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2004/6/26)
- 発売日 : 2004/6/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 126ページ
- ISBN-10 : 406212453X
- ISBN-13 : 978-4062124539
- 寸法 : 13.2 x 1.1 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 237,800位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、多摩美術大学芸術人類学研究所所長。思想家。著書に『チベットのモーツァルト』(サ ントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)、『フィロソフィア・ヤポニカ』(伊藤整文学賞)など多数ある(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『カイエ・ソバージュ』(ISBN-10:4062159104)が刊行された当時に掲載されていたものです)
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4つ
5つのうち4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
11グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2010年10月23日に日本でレビュー済み
中沢さんの本をたくさん読んで、「僕の叔父さん、網野善彦」を読んで、この本を読みました。表題のとおり、大変面白かったです。学問内容はもちろんアカデミック界のいろんな「常識」と対処・格闘していく網野先生、著者のお二人を含めた関係・状況、そして学問の中身を知るとタイトル「網野善彦を継ぐ」の重みがわかってくる気がしました。この本を読んでから、いままで読んでいなかった赤坂さんの本を読みたくなりました。
印象的な部分。網野さんは昔から秀才はだめだと言っていた。自分に対して便利な言葉を使い続けていると自分が鍛えられない気がした。網野さんは実証的歴史学を背負って、それでしたたか傷ついた。「蒙古襲来」には歴史家の名前は出てこないが、柳田国男や折口信夫・・・といった名前はいたるところに出てくる。網野さんがやり残した仕事のひとつは、日本と朝鮮半島との比較研究。網野さんの思想体質はルソーと似ている。定住と漂泊の同時性。Xという権威を必要としない東北・・国家に抗する社会としての精神史を持つ東北。山梨県人のふとどきさと東北人の敬虔さは表層は対極に見えるが、とても近い。差別をめぐるタブーの西、東の違い。手付かずのジャングルなんていうものは幻想。これから「自由の歴史」を考えたい。など。
印象的な部分。網野さんは昔から秀才はだめだと言っていた。自分に対して便利な言葉を使い続けていると自分が鍛えられない気がした。網野さんは実証的歴史学を背負って、それでしたたか傷ついた。「蒙古襲来」には歴史家の名前は出てこないが、柳田国男や折口信夫・・・といった名前はいたるところに出てくる。網野さんがやり残した仕事のひとつは、日本と朝鮮半島との比較研究。網野さんの思想体質はルソーと似ている。定住と漂泊の同時性。Xという権威を必要としない東北・・国家に抗する社会としての精神史を持つ東北。山梨県人のふとどきさと東北人の敬虔さは表層は対極に見えるが、とても近い。差別をめぐるタブーの西、東の違い。手付かずのジャングルなんていうものは幻想。これから「自由の歴史」を考えたい。など。
2004年7月4日に日本でレビュー済み
第1章の「歴史の欲望を読み解く網野史学」がおもしろかった。もともと僕は、網野善彦さんは大好きで、いろいろ読んでいるナンチャって読書人ですが、ただ単に彼を支えた一般読書人の一人としては、学会でそこまで攻撃されているとは、知りませんでした。まぁ、嫌われる内容だろうなぁとは思っていましたが。ただ、日本の学界において、組織や子分を作らなかったということは、確かに今後20年もすると完全に消し去られる可能性があるな、とは思いました。なにしろ、文献を中心とする実証主義に基盤を置くオーソドックスな歴史学では、文献に残らない狩猟民の口承などを中心とする世界や、現実に実現はしなかったかもしれないが、その時代に生きた人々の心の中に躍動した気持ちや概念、理想などを表現しようとするスタイルは、否定されてしかるべきものです。
個人的には、表紙の朝鮮半島から見た日本列島の地図が凄くも白い。こう見ると、日本海って湖にも見えますよね。実は、西日本は、深く朝鮮半島とつながっていて、逆にその繋がりの深さと比較すれば東北地方は、かなり異なる地域なのではないかという視点も興味深かった。そうすると、日本を深く支配する天皇という存在への影響力の差も出てくるようです。網野さんの作品を、もう一度読み直してみようかな、と思わせられました。
個人的には、表紙の朝鮮半島から見た日本列島の地図が凄くも白い。こう見ると、日本海って湖にも見えますよね。実は、西日本は、深く朝鮮半島とつながっていて、逆にその繋がりの深さと比較すれば東北地方は、かなり異なる地域なのではないかという視点も興味深かった。そうすると、日本を深く支配する天皇という存在への影響力の差も出てくるようです。網野さんの作品を、もう一度読み直してみようかな、と思わせられました。
2019年11月8日に日本でレビュー済み
2006年 再掲
図書館本
中沢さんと「東北学」提唱者の赤坂さんの対談を通して網野史学の重要性を語りあっている。
中沢さんの叔父さんである網野さんの歴史学、民俗学から見た日本人の姿を定住者としての農村からの視点でなく、漂白する、あるいは移動する民としての視点から考察する必要性と必然性を継続していかなければいけないと言う論点なのだと思う。まったくの素人が読んだ感想なのであるが、目的物を見る位置により導き出される答えや推論が違ってくるという重要な点は非常に勉強になった。歴史教科書や参考書に書かれている事を鵜呑みにする危険性を教えてくれた。
中沢氏の発言
「定住という考え方自体が、定住している人の心の深層に達していないんだと、ぼくは感じます。いわゆる日本の風景をつくっている「里山」とよばれているものをよく研究してみるとわかってくるんですけれども、けっして定住的な意識ではないんですね。里山自体はある限られた動かない空間につくられたような世界ですけれども、その内部に入っていくと、それはいつも動いて変化しているんでね。どうしてあの風景が美しいかと言うと、人間が自分の定住的な原理を自然に押しつけなかったということだと思います。定住の原理というのは、いつも中心の自分とその外部というものをつくりだして、中心部にある原理をその外側に拡大していこうするわけですけれども、里山ではそれをしていないんですね。自然の側の力を圧倒的に受け入れているんですね。これは虫や水や鳥や植物・・・・・というかたちで人間に世界にせまってくる力と、人間が自分の原理を自然に及ぼしていこうとする意思とが、境界面上でぶつかっていますけれども、そこにひじょうに面白い光景が出てくるんですね。境界をつくったり、差別をつくったりしていくというふうな、そういうことはじっさい起こっていないんですね。境界なんてないいですよ。差別も起こっていない。どういうことをやっているかと言うと、自然の方から、動物、水、植物から要求が来て、それに対して人間の側の要求があって、その要求と要求がぶつかり合って、そこでネゴシエーションがおこなわれています」
「中沢という家も、たぶん網野という家も、山梨に住みついてきたおかげで、差別を体験しなかったというだけなんだよ。網野の家は丹後の出身だと、ぼくはにらんでいる。日本海に面した小さな漁師町から、甲州にやってきたのが網野の一族だったんだよ、きっと。中世にはあのあたりは武田の所領だった時代があるからね。アミというからには時宗と関係していたかもしれない。あきらかに常民ではないと思うよ。でも甲州では、中沢も網野も差別などはされなかった。ここなんだよ。ぼくが中世前期にはまだ非人は差別などされていなかった、聖なるものにかかわる特別な人たちであるという意識はあっても、賤しい人間として差別などされてなかった、そういう差別が本格的にはじまるのは南北朝ののちだ、というようなことを書くと、関西の歴史学者なんかから猛烈な反発がやってくるというのは、君も知っているだろう。非人の系譜に連なるものが、今にいたるまで差別されたことなどない世界というのを、そういう歴史学者は体験したことがないんだよ。貧しい甲州は、ヤクザとアナーキストと商人しか生まれない土地だと言われてきたけれど、そのおかげで、ほかのところでは消えてしまった原始、未開の精神性のおもかげが、生き残ることができたとも言えるなあ。貧しいということは、偉大なことでもあるのさ」
堂々たる自信をもって生きる非人。アイヌであり、イヌイットであり、真実の人間そのものである非人。これが網野さんの理想の世界をあらわす、ひとつの鮮明なイメージであった。網野さんは「非人」という概念そのものの近世的理解を、根底からくつがえそうしていた。その言葉に、豊かで肯定的な意味を、真新しく付与しようとしたのだ。非人=非人間は、自然との直接的な交歓のうちに生きる。エロチックな身体と直接性の精神をもって、職人として世界を自らの能力によって創造することのできる者たちだ。生の原理だけでできた、あらゆるものごとが媒介されている世界に生きている者たちを、近代のやり方で「人間」と呼ぶことにすれば、そこから排除された非人間たちは死のリアルに触れながら、生と死が不断に転換し合う、ダイナミックに揺れ動く世界を生きてきたのだ。
世界に堂々たる非人を取り戻すことによって、網野さんは人間を狭く歪んだ「人間」から解放するための歴史学を実現しようとしたのである。「百姓」を「農民」から解放する。人民を「常民」から解放する。この列島に生きてきた人間を「日本人」から解放する。そして列島人民の形成してきた豊かなCountry’s Beingを、権力としての「天皇制」から解放する。こうして網野善彦のつくりあげようとした歴史学は、文字通り「野生の異例者」としての猛々しさと優雅さをあわせもった、類例のない学問として生み出されたのである。
図書館本
中沢さんと「東北学」提唱者の赤坂さんの対談を通して網野史学の重要性を語りあっている。
中沢さんの叔父さんである網野さんの歴史学、民俗学から見た日本人の姿を定住者としての農村からの視点でなく、漂白する、あるいは移動する民としての視点から考察する必要性と必然性を継続していかなければいけないと言う論点なのだと思う。まったくの素人が読んだ感想なのであるが、目的物を見る位置により導き出される答えや推論が違ってくるという重要な点は非常に勉強になった。歴史教科書や参考書に書かれている事を鵜呑みにする危険性を教えてくれた。
中沢氏の発言
「定住という考え方自体が、定住している人の心の深層に達していないんだと、ぼくは感じます。いわゆる日本の風景をつくっている「里山」とよばれているものをよく研究してみるとわかってくるんですけれども、けっして定住的な意識ではないんですね。里山自体はある限られた動かない空間につくられたような世界ですけれども、その内部に入っていくと、それはいつも動いて変化しているんでね。どうしてあの風景が美しいかと言うと、人間が自分の定住的な原理を自然に押しつけなかったということだと思います。定住の原理というのは、いつも中心の自分とその外部というものをつくりだして、中心部にある原理をその外側に拡大していこうするわけですけれども、里山ではそれをしていないんですね。自然の側の力を圧倒的に受け入れているんですね。これは虫や水や鳥や植物・・・・・というかたちで人間に世界にせまってくる力と、人間が自分の原理を自然に及ぼしていこうとする意思とが、境界面上でぶつかっていますけれども、そこにひじょうに面白い光景が出てくるんですね。境界をつくったり、差別をつくったりしていくというふうな、そういうことはじっさい起こっていないんですね。境界なんてないいですよ。差別も起こっていない。どういうことをやっているかと言うと、自然の方から、動物、水、植物から要求が来て、それに対して人間の側の要求があって、その要求と要求がぶつかり合って、そこでネゴシエーションがおこなわれています」
「中沢という家も、たぶん網野という家も、山梨に住みついてきたおかげで、差別を体験しなかったというだけなんだよ。網野の家は丹後の出身だと、ぼくはにらんでいる。日本海に面した小さな漁師町から、甲州にやってきたのが網野の一族だったんだよ、きっと。中世にはあのあたりは武田の所領だった時代があるからね。アミというからには時宗と関係していたかもしれない。あきらかに常民ではないと思うよ。でも甲州では、中沢も網野も差別などはされなかった。ここなんだよ。ぼくが中世前期にはまだ非人は差別などされていなかった、聖なるものにかかわる特別な人たちであるという意識はあっても、賤しい人間として差別などされてなかった、そういう差別が本格的にはじまるのは南北朝ののちだ、というようなことを書くと、関西の歴史学者なんかから猛烈な反発がやってくるというのは、君も知っているだろう。非人の系譜に連なるものが、今にいたるまで差別されたことなどない世界というのを、そういう歴史学者は体験したことがないんだよ。貧しい甲州は、ヤクザとアナーキストと商人しか生まれない土地だと言われてきたけれど、そのおかげで、ほかのところでは消えてしまった原始、未開の精神性のおもかげが、生き残ることができたとも言えるなあ。貧しいということは、偉大なことでもあるのさ」
堂々たる自信をもって生きる非人。アイヌであり、イヌイットであり、真実の人間そのものである非人。これが網野さんの理想の世界をあらわす、ひとつの鮮明なイメージであった。網野さんは「非人」という概念そのものの近世的理解を、根底からくつがえそうしていた。その言葉に、豊かで肯定的な意味を、真新しく付与しようとしたのだ。非人=非人間は、自然との直接的な交歓のうちに生きる。エロチックな身体と直接性の精神をもって、職人として世界を自らの能力によって創造することのできる者たちだ。生の原理だけでできた、あらゆるものごとが媒介されている世界に生きている者たちを、近代のやり方で「人間」と呼ぶことにすれば、そこから排除された非人間たちは死のリアルに触れながら、生と死が不断に転換し合う、ダイナミックに揺れ動く世界を生きてきたのだ。
世界に堂々たる非人を取り戻すことによって、網野さんは人間を狭く歪んだ「人間」から解放するための歴史学を実現しようとしたのである。「百姓」を「農民」から解放する。人民を「常民」から解放する。この列島に生きてきた人間を「日本人」から解放する。そして列島人民の形成してきた豊かなCountry’s Beingを、権力としての「天皇制」から解放する。こうして網野善彦のつくりあげようとした歴史学は、文字通り「野生の異例者」としての猛々しさと優雅さをあわせもった、類例のない学問として生み出されたのである。
2006年9月2日に日本でレビュー済み
表紙カバーの地図も最初に見たときは、視座の転換によりこうも発想は変化するのかともおもったが、しかしよく見ると、これは中国大陸を中心とする地図であり、沿海州、朝鮮半島と円弧をなす諸島国家が見えてくる。この視点で日本を見ると、やはり「日出ずる国」になるが、網野氏はその視点を一度変更してはと提案したことが、パラドックス的である。
なぜ、これほどイメージが変化するのかと考えたが、これはゲシュタルト変換だと気がついた。空間の中で内側に曲がった線が取り囲む場合,完全に取り囲まれていなくても,内側ないし凸面になる領域が図になりやすい。そのため、通常日本列島を隔て、保護していると思われる日本海が逆に大陸との一体性を醸し出すのだ。フロイトも対話の中に出てきたが、心理学も参加できる地政歴史学という学問の成立の余地もありそうである。
なぜ、これほどイメージが変化するのかと考えたが、これはゲシュタルト変換だと気がついた。空間の中で内側に曲がった線が取り囲む場合,完全に取り囲まれていなくても,内側ないし凸面になる領域が図になりやすい。そのため、通常日本列島を隔て、保護していると思われる日本海が逆に大陸との一体性を醸し出すのだ。フロイトも対話の中に出てきたが、心理学も参加できる地政歴史学という学問の成立の余地もありそうである。
2004年9月27日に日本でレビュー済み
中沢・赤坂によれば、網野善彦にとっての歴史とは、記録されそこなった歴史、語られそこなった歴史なのだという。史料の背後にうごめいている「欲望」をこそ、網野は再現したかったのだと。中沢はそのことを、「フロイト的」と表現している。
もうひとつ著者たちが強調しているのは、網野が「移動」を重視したという点。柳田國男的に定住者の視点から語るのではなく、また山口昌男(または宮田登)的に中心(定住)/周縁(移動)の対立構図によって見るのでさえないのだという。ただし中沢が定住と移動の同時生成を強調するのに対し、赤坂が東北の調査などの実感から、すべてを移動の相の下に見ようとしているのは、二人の間で微妙なズレもあるように思う。しかしいずれにせよ、「移動」の強調は対話中でも言及されているドゥルーズを想起させる。
こういう類似を、どう考えたらいいのだろう。中沢・赤坂が網野の中から、そういう側面だけを取り出したから、そう見えるのか。網野自身、中沢らとの交流を通じて何らかの影響を受けたのか。それとも網野という歴史家が、まさにそのような歴史家であり、だからこそ中沢・赤坂がそれに触発されているのか。
かつてドゥルーズがフーコー論を書いたとき、そこに描かれたフーコーがあまりにドゥルーズ的だという評価があった。私には、この本で描かれた網野が、あまりにも中沢・赤坂的であり、さらにはフランス現代思想に似ていると思える。
ただし、だからといってつまらない本だというのではない。
もうひとつ著者たちが強調しているのは、網野が「移動」を重視したという点。柳田國男的に定住者の視点から語るのではなく、また山口昌男(または宮田登)的に中心(定住)/周縁(移動)の対立構図によって見るのでさえないのだという。ただし中沢が定住と移動の同時生成を強調するのに対し、赤坂が東北の調査などの実感から、すべてを移動の相の下に見ようとしているのは、二人の間で微妙なズレもあるように思う。しかしいずれにせよ、「移動」の強調は対話中でも言及されているドゥルーズを想起させる。
こういう類似を、どう考えたらいいのだろう。中沢・赤坂が網野の中から、そういう側面だけを取り出したから、そう見えるのか。網野自身、中沢らとの交流を通じて何らかの影響を受けたのか。それとも網野という歴史家が、まさにそのような歴史家であり、だからこそ中沢・赤坂がそれに触発されているのか。
かつてドゥルーズがフーコー論を書いたとき、そこに描かれたフーコーがあまりにドゥルーズ的だという評価があった。私には、この本で描かれた網野が、あまりにも中沢・赤坂的であり、さらにはフランス現代思想に似ていると思える。
ただし、だからといってつまらない本だというのではない。
2004年9月20日に日本でレビュー済み
おそらく学者世間では肩身の狭いお二人が、自分たちがそれでも何とかやっていけるのは、こんな素晴らしい先達がいたからだ、と無邪気に楽しそうに語りあう。読んでいるこちらも、なぜだか妙に元気付けられる。むろんこれは単にのん気な思い出話の披露などではなくて、ある種のアカデミズムへの挑戦状としての書物でもある。…「網野さんは忘れられていくだろう、と僕は思います。群れをつくらない学者が、この日本の知的な風土のなかでどのように処遇されるのかということは、目に見えているんですね」(赤坂)…だが、俺たちがその不屈の精神を必ずや伝承していくのだ、と。
それにしても、とても魅力的な人たちにこれだけ熱く語ってもらえれば、死者としてはやはり喜ばしいことであろうと思う。事実にせよ伝説にせよ、その人物について時間をさいて話し合うことが、何よりも望ましい追悼の営みなのであると、あらためて実感させられた。
それにしても、とても魅力的な人たちにこれだけ熱く語ってもらえれば、死者としてはやはり喜ばしいことであろうと思う。事実にせよ伝説にせよ、その人物について時間をさいて話し合うことが、何よりも望ましい追悼の営みなのであると、あらためて実感させられた。