文筆業の方に、現役で最も文章の上手い作家は誰か?と問うたところ、黒井千次だと言われました。
初めて著者の作品を読ませていただいたのですが、すぐに軽い戸惑いを感じました。
10編からなる連作小説になっているのですが、小説のテーマとしてはあまりに地味なのではないかと思ったのです。
定年退職を迎えた男と家族の些細な日常の出来事を描いています。
タクシー、ご近所、息子夫婦、隣町、家族旅行といった出来事を通して、家庭の中に漂う揺らぎのようなものを捉えています。
恐らく、誰もが感じたことのある、私生活に属する不安と苛立ちが絶妙に表現されています。
これは、文章の名人でなければ描ききれない微妙なニュアンスを読み手に伝えてくるものです。
ミステリーのような読後感がありました。
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日の砦 単行本 – 2004/8/17
黒井 千次
(著)
谷崎賞受賞作家の、都市生活者を描く小説集定年を迎える男に降りかかる日常のさまざまな現実。結婚する息子、老いていく夫婦、勤め始めて帰りが遅くなる娘、家庭に侵入してくる携帯、黒井文学の結晶。
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2004/8/17
- ISBN-104062124831
- ISBN-13978-4062124836
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2004/8/17)
- 発売日 : 2004/8/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 218ページ
- ISBN-10 : 4062124831
- ISBN-13 : 978-4062124836
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,497,335位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 35,338位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1932・5・28~。小説家。東京生まれ。学童疎開を経験。新制三期生として都立西高を卒業。高校時代から創作を始め野間宏に手紙を出して文学への志を 述べる。東大在学中メーデー事件に遭遇。1955年、東大経済学部卒業。富士重工に入社して15年間サラリーマン生活を送り70年退社。同年「時間」で芸 術選奨文学部門新人賞受賞。84年、『群棲』で谷崎潤一郎賞、94年、『カーテンコール』で読売文学賞、2001年、『羽根と翼』で毎日芸術賞、06年、 『一日・夢の柵』で野間文芸賞を受賞するなど旺盛な作家活動を続ける(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『一日 夢の柵』(ISBN-10:4062901005)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
客観的に読めば,どこにでもある日常の何でもない出来事を綴ったような話です。
ですが,登場人物たちの目線で見れば,そうではない。
そして読者にも日常のありふれた出来事と思えなくなってくる。
これは面白かったです。
ですが,登場人物たちの目線で見れば,そうではない。
そして読者にも日常のありふれた出来事と思えなくなってくる。
これは面白かったです。
2016年3月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
模試の文章題に出てあまりに面白くなかったので断片的に判断せずに全編を見てから
判断しようと思い購入。
ここのレビューの評価も高かったのになんだこれは......
まあ自分がもうちょっと年をとって読むとまた印象も変わるのかなと思う作品ではありましたが
それを考慮してもあまりにもつまらない。
なにがつまらないって、もうすべてがつまらない。
自分の語彙では表現できないので
むしろ御一読願いたい。そしてここにレビューを書いてほしい。
判断しようと思い購入。
ここのレビューの評価も高かったのになんだこれは......
まあ自分がもうちょっと年をとって読むとまた印象も変わるのかなと思う作品ではありましたが
それを考慮してもあまりにもつまらない。
なにがつまらないって、もうすべてがつまらない。
自分の語彙では表現できないので
むしろ御一読願いたい。そしてここにレビューを書いてほしい。
2010年5月5日に日本でレビュー済み
定年を迎えた男とその妻、息子、娘。息子の婚約者。隣人。
黒井千次の物語の道具立ては、以上の登場人物と郊外の1軒家ですべて揃う。日常が日々これということもなしという具合に進んでいくが、そこに微かな亀裂が生じる。その多くは、登場人物の意識の中に生じるものだ。日常は平穏を装っているが、そこここにざらざらとした“リアル”が顔を見せてはまた消える。
文体は大袈裟なものは何ひとつない。それがまた、このリアルの一瞬垣間見せる深さを思わせる。黒井千次がカフカを思わせる稀なる作家であることの所以である。
ちょっと変わったタクシーの運転手の言動に心がザラザラさせられる。料金を支払っている妻と息子が帰ってこない。男は妻と長男が誘拐されたのではないかと訝る。何のことはない。カバンを忘れたと思った息子がタクシーを追いかけようとしたのだが、カバンはすでに娘が持って帰っている。「な〜んだ」とは終わらない。それは物語が終わってから、読者の心のなかでこの物語が終わっていないからだ。
これということもなし。そこにやって来るリアルが決して居所を定めない。だから読者は落ち着かない。
これこそが小説なのだと思う。
黒井千次を初めて読んだのは、もう20年以上前、『働くということ』というエッセイだった。民間企業で20年近いサラリーマン生活を過ごした黒井は、日々変わりない日常に見える時間というものがあり得ないということ、そこにもあそこにも穴が開いていて、時間は伸び縮みし、陰影あり、トラップがかけられているということを腹の底から、あるいは肌で知り尽くしているのだ。その認識は、黒井千次という作家の方法論にまでなっている。そうでなければ、これほどの作品は書けないだろう。およそ大向こうに受ける作品とは言えないかもしれないが・・・。
小説の結構には、高速道路を非常階段で降りたり、不可思議な少女の小説のゴーストライターを必要とするわけではない。大袈裟なのだ、そんな“つくり”は。
またテレビの経済番組で、裏もあり表を繕う経営者をヨイショするタレント気取りの作家が、自分は少しも知らないどこかの国のテロリストに福岡ドームを占拠させる道具立ても必要はない(古いサンプルだが)。
こうした大袈裟などの小説よりも、黒井千次の小説はリアルで怖い。カフカの怖さだ。ザワザワと意識が逆立つ。落ち着かない。癒しなどとは程遠い。だから、これを小説、リアリズムの極致と呼ぼう。
黒井千次の物語の道具立ては、以上の登場人物と郊外の1軒家ですべて揃う。日常が日々これということもなしという具合に進んでいくが、そこに微かな亀裂が生じる。その多くは、登場人物の意識の中に生じるものだ。日常は平穏を装っているが、そこここにざらざらとした“リアル”が顔を見せてはまた消える。
文体は大袈裟なものは何ひとつない。それがまた、このリアルの一瞬垣間見せる深さを思わせる。黒井千次がカフカを思わせる稀なる作家であることの所以である。
ちょっと変わったタクシーの運転手の言動に心がザラザラさせられる。料金を支払っている妻と息子が帰ってこない。男は妻と長男が誘拐されたのではないかと訝る。何のことはない。カバンを忘れたと思った息子がタクシーを追いかけようとしたのだが、カバンはすでに娘が持って帰っている。「な〜んだ」とは終わらない。それは物語が終わってから、読者の心のなかでこの物語が終わっていないからだ。
これということもなし。そこにやって来るリアルが決して居所を定めない。だから読者は落ち着かない。
これこそが小説なのだと思う。
黒井千次を初めて読んだのは、もう20年以上前、『働くということ』というエッセイだった。民間企業で20年近いサラリーマン生活を過ごした黒井は、日々変わりない日常に見える時間というものがあり得ないということ、そこにもあそこにも穴が開いていて、時間は伸び縮みし、陰影あり、トラップがかけられているということを腹の底から、あるいは肌で知り尽くしているのだ。その認識は、黒井千次という作家の方法論にまでなっている。そうでなければ、これほどの作品は書けないだろう。およそ大向こうに受ける作品とは言えないかもしれないが・・・。
小説の結構には、高速道路を非常階段で降りたり、不可思議な少女の小説のゴーストライターを必要とするわけではない。大袈裟なのだ、そんな“つくり”は。
またテレビの経済番組で、裏もあり表を繕う経営者をヨイショするタレント気取りの作家が、自分は少しも知らないどこかの国のテロリストに福岡ドームを占拠させる道具立ても必要はない(古いサンプルだが)。
こうした大袈裟などの小説よりも、黒井千次の小説はリアルで怖い。カフカの怖さだ。ザワザワと意識が逆立つ。落ち着かない。癒しなどとは程遠い。だから、これを小説、リアリズムの極致と呼ぼう。
2010年10月17日に日本でレビュー済み
今から20年以上前に発表された、著者の名作にして谷崎賞受賞作の「群棲」を思い起こさずにはいられない作品。
何ということもない普遍的な日常に潜む、誰にでも身に憶えのある、
こころのどこかに棘刺す些細な「ささくれ」のようなものを捉え、短編の連作として展開していく。
作品の舞台となる場所は、東京近郊の戸建て住宅街。
「群棲」と同様「向う三軒両隣」的に、極めて狭く限定的で、登場人物も市井の人々である。
「ささくれ」は小さいけれども、放置できないから手に負えない。
類まれなる洞察力で贅肉をそぎ落としたかのような、それでいてねっとりとした文体により、
日常を取り囲む、毒を含んだ薄い膜を描く手法は、著者の真骨頂。
短編は10編だが、まだまだいくつでも描けそうな、
読み手としてはまだまだ読ませて欲しいという、気を持たせて終わる。
何ということもない普遍的な日常に潜む、誰にでも身に憶えのある、
こころのどこかに棘刺す些細な「ささくれ」のようなものを捉え、短編の連作として展開していく。
作品の舞台となる場所は、東京近郊の戸建て住宅街。
「群棲」と同様「向う三軒両隣」的に、極めて狭く限定的で、登場人物も市井の人々である。
「ささくれ」は小さいけれども、放置できないから手に負えない。
類まれなる洞察力で贅肉をそぎ落としたかのような、それでいてねっとりとした文体により、
日常を取り囲む、毒を含んだ薄い膜を描く手法は、著者の真骨頂。
短編は10編だが、まだまだいくつでも描けそうな、
読み手としてはまだまだ読ませて欲しいという、気を持たせて終わる。
2005年1月12日に日本でレビュー済み
黒井千次氏の「眼の中の町」「群棲」の流れをくんだ,「一般の人々の生活を静かに見つめた連作(10短編)」です。
主人公は,東京郊外に住む定年を迎えた「群野高太郎」。(連作中にはその家族が主人公となっているものもあります。)
季刊文科の16号(2000年8月発行)から26号(2004年2月発行)に,約3年半にわたり連作され,作品にも時の流れがあります。
上記2作同様,生活者の眼でしっかりと人の心をとらえた作品であり,現代人必読の書と言えます。
主人公は,東京郊外に住む定年を迎えた「群野高太郎」。(連作中にはその家族が主人公となっているものもあります。)
季刊文科の16号(2000年8月発行)から26号(2004年2月発行)に,約3年半にわたり連作され,作品にも時の流れがあります。
上記2作同様,生活者の眼でしっかりと人の心をとらえた作品であり,現代人必読の書と言えます。
2010年5月30日に日本でレビュー済み
日本のどこにでもあるような住宅地の一つ一つに潜んでいる、老人たちの日常。
穏やかなようでいて不安であり、何も起きていないようでいて、些細なことから
やんわりと人間関係に間接的なさざなみが起きる。
毎日同じように見える住宅地の光景も、日々何かしらのドラマが起きているのだ。
的確な文章が生々しく住宅地の静かな一軒家を描写していく。
すごく薄味のすまし汁を味わうような短編集。
穏やかなようでいて不安であり、何も起きていないようでいて、些細なことから
やんわりと人間関係に間接的なさざなみが起きる。
毎日同じように見える住宅地の光景も、日々何かしらのドラマが起きているのだ。
的確な文章が生々しく住宅地の静かな一軒家を描写していく。
すごく薄味のすまし汁を味わうような短編集。