ウィトゲンシュタインが自身と命を削るような思いで向き合い葛藤し思考する、そのあまりに痛切で真摯な姿が彼自身のことばによって書かれています。
訳者の鬼界彰夫さんによる解説「隠された意味へ」もすばらしい内容でした。
解説を読むことで、手記そのものとウィトゲンシュタインというひとりの哲学者であり、苦悩しながら生き抜いた人間でもある彼自身に対する理解がよりいっそう増し、彼の思想を愛せるようになるかと思います。
哲学的思想と信仰、そして自身の生という不可分であり最も重要な問題について、ウィトゲンシュタインの手記を緻密に読解しながら、それを受けて力強さに満ちた深い考察が書かれており、いろいろなことを考えさせられました。
また、注釈も充実しており、装丁やフォント、レイアウトなども美しく、一冊の本としても細部まで丁寧に作り込まれていて、うれしく感じました。
「決して自分を欺こうとしないこと、これを我に堅く守らせよ」
「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」
読んでいて何度も胸が熱くなりました。
本当にこの本と出会えてよかったです。
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ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 単行本 – 2005/11/18
真の信仰を希求する魂の記録!
死後42年たって新発見された幻の日記
『論考』から『探究』へ―大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇!“隠された意味”は何か!?
私の本『論理哲学論考』には素晴らしい真正の箇所と並んで、まがい物の箇所、つまり、言ってみれば私が自分特有のスタイルで空所を埋めた箇所も含まれている。1930.5.16
真の謙虚さとは、1つの宗教的問題である。1930.10.18
私はすべてを自分の虚栄心で汚してしまう。1931.5.6
人は職人の比喩に惑わされているのだ。誰かが靴を造るというのは1つの達成である。しかしいったん(手元にある材料から)造られたなら、靴はしばらくの間は何もしなくても存在し続ける。しかしながら、もし神を創造主と考えるのなら、宇宙の維持は宇宙の創造と同じくらい大きな奇跡であるはずではないのか、1937.2.24――<日記本文より>
『論考』がウィトゲンシュタインにとっての原罪であり、それを克服するためにこそ、この日記が書かれたのだという言葉に、おそらく多くの読者が驚き、いぶかしがられることと思う。――<訳者解説「隠された意味へ」より>
死後42年たって新発見された幻の日記
『論考』から『探究』へ―大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇!“隠された意味”は何か!?
私の本『論理哲学論考』には素晴らしい真正の箇所と並んで、まがい物の箇所、つまり、言ってみれば私が自分特有のスタイルで空所を埋めた箇所も含まれている。1930.5.16
真の謙虚さとは、1つの宗教的問題である。1930.10.18
私はすべてを自分の虚栄心で汚してしまう。1931.5.6
人は職人の比喩に惑わされているのだ。誰かが靴を造るというのは1つの達成である。しかしいったん(手元にある材料から)造られたなら、靴はしばらくの間は何もしなくても存在し続ける。しかしながら、もし神を創造主と考えるのなら、宇宙の維持は宇宙の創造と同じくらい大きな奇跡であるはずではないのか、1937.2.24――<日記本文より>
『論考』がウィトゲンシュタインにとっての原罪であり、それを克服するためにこそ、この日記が書かれたのだという言葉に、おそらく多くの読者が驚き、いぶかしがられることと思う。――<訳者解説「隠された意味へ」より>
- 本の長さ334ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2005/11/18
- 寸法15.7 x 2.4 x 21.7 cm
- ISBN-104062129574
- ISBN-13978-4062129572
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2005/11/18)
- 発売日 : 2005/11/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 334ページ
- ISBN-10 : 4062129574
- ISBN-13 : 978-4062129572
- 寸法 : 15.7 x 2.4 x 21.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 202,454位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 202位ドイツ・オーストリアの思想
- - 376位西洋哲学入門
- - 2,039位哲学 (本)
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2016年3月5日に日本でレビュー済み
本作は、鬼界彰夫氏による翻訳および紹介によるものです。
「『事物の秩序』、表象の形式という概念、つまりアプリオリという観念はそれ自身文法的な錯覚である。」
「過去の文化的諸時代の理論家に特徴的だったのは、アプリオリなものを、それが存在しない所に見出そうとしたことである。
あるいは、過去の文化的諸時代に特徴的だったのは、「アプリオリ」という概念を生み出したことである、と言うべきかもしれない。」
「というのも、もし彼らが最初から事態を我々が見るように見ていたなら、彼らは決してこの概念を生み出さなかっただろうからである。(その場合、世界は偉大な―――重要な、と言いたいのだ―――誤りが存在しないまま進行していただろう)。しかし現実には、こうした理屈をこねることはできない。というのも、この概念は文化全体に根ざしていたのだから。」
これらの直前には、「アプリオリ」の用いられた以下の文章があります。
「喜劇と悲劇の対立は、かつて常に演劇的空間概念をアプリオリに分割するものとして強調されてきた。そして当時は、喜劇は人間のタイプに、悲劇は個人に関わる、といった一定の考察が人を驚かすことができた。しかし実際には、喜劇と悲劇の対立とは、演劇空間から一方を取り除くと他方が残るというものではない(長調と短調がこうした対立でないのと同様に)。それらはむしろ多数の可能な演劇の種類の中で、ある特定の(過去の)文化にとってのみそれ以外にはありえないと思われた二つの種類なのである。正しい比較とは、現代[音楽]の調性との比較である。」
一つの卓見でしょう。参考にはすべきものです。
「『事物の秩序』、表象の形式という概念、つまりアプリオリという観念はそれ自身文法的な錯覚である。」
「過去の文化的諸時代の理論家に特徴的だったのは、アプリオリなものを、それが存在しない所に見出そうとしたことである。
あるいは、過去の文化的諸時代に特徴的だったのは、「アプリオリ」という概念を生み出したことである、と言うべきかもしれない。」
「というのも、もし彼らが最初から事態を我々が見るように見ていたなら、彼らは決してこの概念を生み出さなかっただろうからである。(その場合、世界は偉大な―――重要な、と言いたいのだ―――誤りが存在しないまま進行していただろう)。しかし現実には、こうした理屈をこねることはできない。というのも、この概念は文化全体に根ざしていたのだから。」
これらの直前には、「アプリオリ」の用いられた以下の文章があります。
「喜劇と悲劇の対立は、かつて常に演劇的空間概念をアプリオリに分割するものとして強調されてきた。そして当時は、喜劇は人間のタイプに、悲劇は個人に関わる、といった一定の考察が人を驚かすことができた。しかし実際には、喜劇と悲劇の対立とは、演劇空間から一方を取り除くと他方が残るというものではない(長調と短調がこうした対立でないのと同様に)。それらはむしろ多数の可能な演劇の種類の中で、ある特定の(過去の)文化にとってのみそれ以外にはありえないと思われた二つの種類なのである。正しい比較とは、現代[音楽]の調性との比較である。」
一つの卓見でしょう。参考にはすべきものです。
2011年6月23日に日本でレビュー済み
翻訳が拙い。自らの感情を適切に対象化出来ていない為に、本人の意図の実現を妨げている。幼稚な倒錯である。
2007年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
20世紀の掛け値なしの天才といえば、ショスタコーヴィチとヴィトゲンシュタインであろう。
私見ではこの中にバフチンとレーニンを入れたいと思うが、後者には異論もあろう。自然科学では、ハイゼンベルクやゲーデル、アインシュタインもいるかもしれないが・・・・。
本書の面白さは、ヴィトゲンシュタインの天才を理解している人にしかわからないかもしれない。
彼が、ブルックナーやブラームスに就いての評価をあれこれしていること、それについで、彼女との恋愛に悩んでいること、この二つは衝撃そのものであった。
私見ではこの中にバフチンとレーニンを入れたいと思うが、後者には異論もあろう。自然科学では、ハイゼンベルクやゲーデル、アインシュタインもいるかもしれないが・・・・。
本書の面白さは、ヴィトゲンシュタインの天才を理解している人にしかわからないかもしれない。
彼が、ブルックナーやブラームスに就いての評価をあれこれしていること、それについで、彼女との恋愛に悩んでいること、この二つは衝撃そのものであった。
2011年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
売れるからといって出版する内容ではない
個人的な秘密の日記を覗き視て恣意的に判断する事
まかり為らぬ
業罪、其のモノではないか
主版社の業罪は、計り知れない
個人的な秘密の日記を覗き視て恣意的に判断する事
まかり為らぬ
業罪、其のモノではないか
主版社の業罪は、計り知れない
2005年11月22日に日本でレビュー済み
この本の大きく分けて驚きはふたつあって、前半の1930-1932の日記では私的な生活が、後半の1936-1937の日記では宗教的な内面生活が自分自身の言葉で赤裸々に語られている。
前半の驚きはウィトゲンシュタインがマルガリータという女性と親密に交際し、婚約寸前までいっていたこと。ぼくは彼は普通にゲイだと思っていたので、マルガリータとキスをしてうんぬんみたいなことが日記に書いてあったことには不意を打たれた感じ。でも、まあ"物理的な接触"はそのぐらいで、なくとなく、それ以上、積極的にはならずに終わってしまう、というがさもありなん、みたいな感じを受けた。ケンブリッジのゲイでは最も有名なケインズとの会話がなんとなくぎこちなく感じるのもおかしかった。
まあ、これが前半のヤマ場だとすれば、後半は、もうキリスト教との格闘みたいな感じ。まるで修道僧の日記を読んでいるような沈痛なトーンで支配されている。ウィトゲンシュタインの本で、多くの人がまいってしまうのは『反哲学的断章』だと思うが、その宗教版みたいな印象。皮膚を薄いガラスの切片で割かれるようなアポクリファがページごとあらわれる、という感じ。
前半の驚きはウィトゲンシュタインがマルガリータという女性と親密に交際し、婚約寸前までいっていたこと。ぼくは彼は普通にゲイだと思っていたので、マルガリータとキスをしてうんぬんみたいなことが日記に書いてあったことには不意を打たれた感じ。でも、まあ"物理的な接触"はそのぐらいで、なくとなく、それ以上、積極的にはならずに終わってしまう、というがさもありなん、みたいな感じを受けた。ケンブリッジのゲイでは最も有名なケインズとの会話がなんとなくぎこちなく感じるのもおかしかった。
まあ、これが前半のヤマ場だとすれば、後半は、もうキリスト教との格闘みたいな感じ。まるで修道僧の日記を読んでいるような沈痛なトーンで支配されている。ウィトゲンシュタインの本で、多くの人がまいってしまうのは『反哲学的断章』だと思うが、その宗教版みたいな印象。皮膚を薄いガラスの切片で割かれるようなアポクリファがページごとあらわれる、という感じ。
2006年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
正直ヴィトゲンシュタインの印象が一変した。彼の著作や逸話からこむつかしく偏狭で、常に哲学的命題と格闘する孤高の人というイメージがあったが、実際は何と人間的な悩みにとらわれていたことか。マルガリートとの恋愛について小さなことまで悩んだり、自分の虚栄心に常にうしろめたさを感じたり、自らの能力について自信をもったりその自信が崩れ去ったりと。手記であり、基本的に他人にあてて書かれたものではないためか、真意の汲み取りにくいところもところどころあるが、それでも全体として読みやすい。内容がどうというよりもこういった悩みを持つ人が「論理哲学論考」などを著したというのはそれだけで何か示唆深い感がある。ヴィトゲンシュタインの理解にはかかせない一冊ではないだろうか。
2006年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
研究書色が強い。
要は、前期哲学(『論考』)から後期哲学(『探求』)への移行の背景を、日記を覗き見る事で知ろうってのが出版者の思惑だろうか。これが日記と哲学メモとのいずれかと問われれば、やっぱり日記の方に属するだろう。
いかにもウィトゲンシュタインらしい、何とも共感し易い内容ではあるが、研究者ではないし、研究する意図も無い俺が読んでも、特に新しく得られる(有益な)情報というものは殆ど無かったと言える。
要は、前期哲学(『論考』)から後期哲学(『探求』)への移行の背景を、日記を覗き見る事で知ろうってのが出版者の思惑だろうか。これが日記と哲学メモとのいずれかと問われれば、やっぱり日記の方に属するだろう。
いかにもウィトゲンシュタインらしい、何とも共感し易い内容ではあるが、研究者ではないし、研究する意図も無い俺が読んでも、特に新しく得られる(有益な)情報というものは殆ど無かったと言える。